62 冬 冬虫夏草 7
「その、ローズって言ってるくせにキンポウゲ科の花が、ちょっとうつむき加減で咲くんですよ。でも、しょぼーん、って感じではなくきれいです。白のほかにもピンク、紫、黄色、と色はいろいろで、……あ、親父ギャグじゃないですよ……色が交じり合ってるのもあります。葉は、手を開いたような形ですね。スイートアリッサムは、アブラナ科で小さい花がかたまって咲いてかわいいですよー」
それらについては、茜は自分で勉強したらしかった。
スノードロップについては、茜はわからないということで、拓が説明した。
「ヒガンバナ科だけど、花の形はヒガンバナとはだいぶ違います。白くて、長いの三枚、短いの三枚、計六枚の花弁があって、ちょっとしずくっぽい。そしてうつむいてます。はっきり言って可憐です」
拓は空中に指でスノードロップの花の形を描いた。
吹子は口を少しだけ開け、顔を動かして拓の指の動きを追った。
そして、拓がスノードロップについて力説するのを、何度も瞬きしながら聞いていた。
「あのぅ、わたしが言った花は、ご存知ですか? ガーデンシクラメン、パンジー、ビオラ」
茜はおそるおそるといった風に吹子に訊いた。
「……ビオラってどういうのですか? 楽器?」
もし拓が同じ台詞を吐いたら答えはたぶん一つだ。
「あんたねえ!? 寝言は寝て言ってくれる!?」
という言葉とともに、茜のパンチやキックが待っている。
拓は反射的にあとずさりし、茜と距離を置いた。茜の怒りが吹子に向かったとしても、とばっちりが来ないとは限らない。
けれども吹子のまなざしは真剣そのものなのである。
茜も一瞬、なっ!?……、という顔をしたものの、次の瞬間には落ち着きを取り戻した。
「おおざっぱに言うと、パンジーが小さくなったみたいな花です。パンジーはわかりますか?」
彼女は、誠実に答えていた。
吹子も、ガーデンシクラメンとパンジーは知っているようだった。ガーデンシクラメンについては、シクラメンが小さくなった感じでより耐寒性がある、と茜が言ったときに初めてああ、となってはいたけれど。
「ふぇくし! す、すみません」
説明し終わった茜が手で口を覆い、くしゃみをした。上下の歯を合わせてスィーッと息を吸い込み、震えている。パンツを穿いている拓と違い、スカート姿の茜は膝も剥き出しだった。
「いえ。いったん、中に入りましょう」
吹子が、コートの胸の前で手を組んだ。
「大丈夫ですよ、このくらい!」
明るい声を張り上げる茜の鼻から、鼻水が垂れた。
「体を温めて、また外に出ましょう。……風邪をひくと、いけません」
かそけき声ながら、吹子の言葉には、言うとおりにせずにはいられないきっぱりとした響きがあった。眼鏡の奥の凛としたまなざしも、それをあと押ししていた。
茜は手の甲で鼻水を拭き、拓を見上げた。彼は黙って頷くことで返事をした。
うぉー、あったけぇ―――。外に出る前よりあったけぇわー。
建物のありがたみを、拓はひしひしと感じた。
茜も、両手をこすり合わせながらほっとした表情を浮かべていた。
吹子はカウンターの脇を通り、奥にある木のドアを開けた。
「どうぞ」
狭い土間の向こう、一段高くなった所に小ぢんまりとした畳の部屋があった。
吹子は黒くて平たい靴を脱いで部屋に上がると、紐を引っぱり箱型の枠に二重の輪の蛍光灯がついた電気を点けた。それからリモコンでエアコンのスイッチを入れた。
光る砂壁に囲まれた部屋には、飴色の大きめなちゃぶ台がぽつんと置かれている。
板張りの天井近くに据え付けられたエアコンも、茶色い木箱みたいな形だった。壁掛け式温度計みたいなもので温度調節をする、今ではまず見かけない古いものだった。
「いえ、こっちで充分ですー。どうもありがとうございます」
拓がぼうっとしていると、茜が答えた。
「ご迷惑でなければ、お茶にしようと思うのですが。……厭でしたら、もちろん、無理強いはしません」
漆黒の目で拓たちを見つめる吹子は、スノードロップのようにうつむいた。
うつむくだけでなんでこんなに、はかなげになっちまうんだこの人は!?
「あーもう! 厭だなんてそんな。じゃ、すみませんけどご馳走になります」
とにかく何か言葉をかけなければ。そんな気持ちで靴を脱ぎ始めた拓は、背中にレーザー光線のように照射される視線に気づいた。
「ん、どうした?」
茜が、びっくりしたような顔で立っている。
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