59 冬 冬虫夏草 4
すぐ目の前に、女性が立っている。
痩せていて年の頃は二十代半ばくらいだろうか。黒髪でショートカット、胸の辺りが窮屈そうな白いセーターと、黒いタイトスカートに身を包んでいる。彼女は緑色の眼鏡|越しに拓を見上げた。
色白の顔がやや青ざめている。そしてふわっと、まるで意識が遠のくかのように目を閉じてよろけた。
「だ、大丈夫ですか!? しっかりしてください」
彼女が崩れ落ちる前に、拓はその体を支えた。やわらかく、見た目よりもさらに細く、折れそうなほど儚い。うなじが白く、体全体からほのかに、ベビーパウダーのようないい香りがする。
拓の声を聞くや否や、茜も前に飛び出していた。
「大丈夫ですか?」
言葉より先に、茜も女性に駆け寄り、手を差しのべていた。
「……すみません。もう、大丈夫です」
拓と茜の腕の中で目を開けた女性は、二人に支えられて体勢を立て直した。
「ちょっと、立ちくらみがして。……カーテンを開けないと、失礼だと思いました。でも、かえってお騒がせしました」
淡々と言いながら、女性は頭を下げた。
「いや、頭下げて大丈夫ですか? 楽にしてください」
拓の口から、相手を気遣う言葉が自然に出た。
「貧血気味なので、頭に血が行くのは、よいことです。……お二人とも、どうもありがとうございました。……錦城です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。気になさらないでください。水原の顔は怖いですから、初めて間近で見たら、誰だってびっくりしちゃいますよね」
茜も、まだお辞儀したままの彼女に、優しく笑いかけた。
な、なんだってー!?
拓は反論したい気持ちでいっぱいだったが、黙っていた。
ゆっくりと頭を上げた錦城吹子は、交互に拓と茜を見た。血が上ったせいか顔色もよくなっている。そして、
「確かに少し怖いお顔ですが、……もっと怖いものは、いろいろありますから」
傷口に塩を塗るようなことを口にしながら、じっと拓を見つめた。
内容はひどい。が、真剣な表情からするとどうも本当に慰めようとしているようでもある。
そして静かに心に沁みてくる声をしている。やわらかい草が風にそっと撫でられ葉がこすれ合う音のような。
古文で習った「かそけき」って言葉はこういうときに使うんじゃなかろうか。
茜が挨拶する声を聞いて我に返り、拓はあわてて自分も挨拶した。
「パイプ椅子ですみませんが、どうぞ好きにおかけください」
吹子は、入口からすぐの所にしつらえられたカウンターに立てかけてあったパイプ椅子を拓と茜に渡した。
拓たちは遠慮した。
すると吹子は「わたしも、カウンターの内側にある椅子に座りますので」とほとんど無表情で言った。
そこで拓たちは、パイプ椅子の座面を開いて腰かけた。
カウンターの前面には、ちょっとレトロなデザインの箱や袋に入った風邪薬や頭痛薬、胃腸薬、軟膏などが置かれていた。どれも拓があまり見たことがないものだ。独特の活字や時代がかったキャッチコピーには、ユーモラスなものもある。
カウンターの奥は、透明なアクリル板か何かで仕切られた調剤スペースとなっていた。
そこの壁はおおかた木の棚で占められていて、コバルトブルー、茶色、緑などのガラスでできた広口の薬瓶が並んでいる。現代アートの展示だと言われたら信じてしまいそうな、きれいな彩りだ。
あれらも、蓋を開けるときにザリッという音がするんだろうか。
拓は、化学の実験のときに使う茶色い薬瓶を思い出していた。
そうして初めて、店に微かに漂う、鼻の奥まで沁みてくる漢方薬の匂いに気づいた。
中には動物由来のものもあるだろうけれど、多くは植物由来のもののはずだ。そのせいか、嗅いでいると気持ちが安らいだ。
棚の中央にはたくさんの小さな引き出しもあって、黒っぽい金具の取っ手がついていた。
「レトロな、雰囲気のあるお店ですね」
茜が、興味深そうに薬瓶やカウンターに並べられた薬を見回した。
「あと、漢方薬の匂い、わたしは落ち着きます」
「そうですか。亡くなった夫の祖父が建てた頃のままだそうです」
亡くなった、と言うときだけ、吹子の視線が少し揺れた。
「旦那さん亡くなられてるんですか。……ごめんなさい。つらいこと思い出させちゃったかも」
茜は座ったまま吹子に向かって会釈した。
いらしてくださり、ありがとうございます。




