56 冬 冬虫夏草 1
この回から、新たな短篇です。よろしくお願いいたします。
信号待ちをしていると、足元からしんしんと冷えてくる。
コートのポケットに片手を突っ込んだまま、拓は身震いした。
十二月の朝の空気は、研ぎ澄まされたように冷たい。剥き出しの顔や、学生鞄を握る手が痛くなってくる。
吐く息が白い。
すぐそばに生えている街路樹、アオギリの根元に霜柱が立っていた。氷でできた透明な無数の柱が、土を持ち上げている。霜柱を見るのは久しぶりだった。
拓はその一部を踏みしめた。植物が枯れる原因になりうることもあってか、霜柱を見るとつい、踏まずにはいられない。ザジャッと音がして、霜柱は崩れ、溶けた。
やっぱり今日は相当、寒いんだな。
鼻をすすり上げ、拓は学校へと急いだ。
『クリスマスを制する者が、恋愛を制す』
混雑する電車の中吊り広告に、でかでかと蛍光色で書かれていた。拓より少し年上の男性モデルが、黒いコートにストライプのマフラーという姿で、唇をきりっと結んでいる。
まだ三週間もあるっつうのに、気の早いこった。
クリスマスツリーにするために、世界中でどのくらいのモミの木が切られるんだろうな。あと、前のおっさん、髪につけてるワックスだかムースだかの臭いをなんとかしてほしい。
拓の憂い顔に秘められているのが、少女や女性などへの恋心ではなく、モミの木への思いと中年男性への不満だなど、車内の誰が気づくことができようか。
高校の校舎周りにはイチョウがたくさん植えられ、ちょっとした並木になっている。それもすっかり葉が落ち、今や逆さ箒のようだ。
授業が終わり、拓が園芸部の部室に行ってからも、依然として寒さは続いていた。空はわずかに青みがかった灰色の雲に覆われている。
このごろは拓より先に来ていることも多い茜がこの日はまだであることもあり、人気がない部室は寒々としていた。
ま、湯でも沸かすか。
水を入れた電気ポットの電源を入れたとき、携帯端末のメール着信音が鳴った。
緑|高校園芸部 水原様
拝啓 厳寒の候、益々御清祥のこととお喜び申し上げます。
はじめまして。
私は、草笛町でキンジョウ薬局を営んでいる錦城吹子と申します。
薬局の庭で栽培する植物についてお訊きしたいことがございまして、メールいたしました。
本来は私の方からお伺いして御相談すべきところですが、まずは実際に庭を御覧いただきたく存じます。
誠にすみませんが、一度お越しいただければ幸いです。
今月、来月で御都合の良い日があれば、恐れ入りますが御教示ください。 かしこ
そのあとに住所と電話番号が書かれており、最後にもう一度、錦城吹子、と差出人の名前があった。
草笛町へは中学生の頃、結膜炎になり、電車に乗って眼医者に通ったことがあった。最近は全然行っていない。
キンジョウ薬局なんてあったっけ。駅の踏切を挟んで縦に長く伸びた商店街を思い浮かべたけれど、全国展開しているチェーン店の薬局の電光看板しか思い出せなかった。
拓はもう一度メールを読んだ。こんな文面のものはもらったことがない。
御清祥、御教示、かしこ。見たこともない言葉が並んでいる。
……いつの時代だよ!
独りごちながら拓は、この錦城吹子という女はかなり年寄りに違いないと確信した。ひょっとしたら自分の祖母よりも年上かもしれない。
相手の言葉遣いに多少は合わせて返事を書いたものの自信がなく、茜に見てもらった。
「『拝啓』に対する返事は、『拝復』で始めるのよ。あと『僕の御都合の良い日ですが』って、自分に敬語つけてどーすんの! 結びの『かしこ』は女の人が使う言葉だから、拓が言うんだったら『敬具』がいいんじゃない?」
など、案の定、赤ペン先生の個人授業みたいになった。
ずいぶん時間をかけてメールを直し、拓はようやく返事を送信した。
「行くのはいいけど、薬局の庭っていったいどんなもんを植えるんだろうな?」
できればクリスマスの3週間前にここまでたどり着きたかったのですが、現実はクリスマス・イブになってしまいました。
すみません。
とはいえ、ようやく物語も冬になって季節が追いつきました。
ここまで読んでいただきまして、どうもありがとうございました。




