54 秋 コスモス・ローズマリー 21
――お前がエスペランサのことが大好きで、あいつの幸せのために、自分の気持ちを我慢してるからだよ。でもそれで、エスペランサは幸せになるんだ。
拓は、育てていた花が枯れ、後始末をしたときのことを思い出した。
パンジー・ビオラの精スミレや、ヒマワリの精ヒワコのことも思い出した。
同じ生き物、つまり人間に対してはまだそういう痛みを感じたことはなかったけれど、経験したことから懸命に想像を広げた。
――ずっと痛いの?
――しばらくはな。ただ、痛くて痛くてどうしようもなくつらいときは、エスペランサといたときのことを思い出せばいい。痛みやつらさに飲み込まれないで、エスペランサといて楽しかったこと、幸せだったことをきちんと思い出すんだ。
――それでももっとつらくなったら?
ローザは口を小さく開けたり唇を噛みしめたりを繰り返しながら、拓の言葉を待っていた。
小さな肩が震えている。
――眠るんだ。それから、次は……人間なら美味いものでも食べろ、って言うところだけど、 花の精はなんだろう、光合成でもしろってことになるのかな。……わからなくて、すまない。だが気持ちよくて、すると少しでも元気になりそうなこと、好きなことをしたらいいと思う。そんな気力もないときは、……やっぱり眠るのがいいんじゃなかろうか。
拓は考え、考え、言葉を継いでいった。
――わかった。やってみるね。
二本の細い眉で山形をつくり、真剣なまなざしでローザは頷いた。
――俺は、エスペランサたちが行っちまうときにはいないかもしれない。エスペランサたちに、よろしく伝えてくれ。
またローザがこくんと首を縦に振ったときだった。
――わたくしたちがここにいるというのに、なぜ直に挨拶しませんの? 失礼ですわ!
拓の背後で、聞き覚えのある、張りのある高飛車な声が響いた。
エスペランサとそのパートナーの男性が、手を取り合って立っていた。
二人とも、喜びの中に隠し味としてつらさが秘められているような、奥行きのある笑みを浮かべている。そして、前に来ていたのよりもたくさんの花や緑が、赤やオレンジ、ピンクなどの鮮やかな色の糸や金糸・銀糸で刺繍された服を身にまとっている。
さらにエスペランサは、コスモスの花輪と白く透けた布地でできた長いベールを頭にかぶっていた。
――っ! いつからいたんだよ。
拓が顔を赤らめて立ち上がると、エスペランサは澄ました顔で彼を見た。
――イマキタ産業、と言うのでしょう? こういうとき。
――そんな言葉、覚えなくていいから! あっ、結婚おめでとう!!
拓の言葉には答えず、エスペランサはまっすぐにローザの元へと歩いていった。
エスペランサと結婚する男性が、きまり悪そうに拓に近づいてきて、頭を下げた。
――最後までこんな調子で、すみませんね。
――いいって。おめでとう。
――ありがとうございます。本当にいろいろ、あなたにはお世話になりました。口には出しませんが、エスペランサもあなたには感謝していますよ。
当のエスペランサはというと。
――ローザ。
ふだんよりさらに濃くマスカラが塗られた長い睫毛を揺らし、両手でローザの右手を取った。
ローザも、小さな左手で、ぎゅっとその手を掴む。
――おめでとう、エスペランサ。……幸せになってね。
――ありがとう。必ず、幸せになりますわ。ローザも約束してちょうだいね。わたくしがいなくなっても、ずっと元気でいて、絶対に幸せになる、と。
――約束する。胸がいた……なんでもない、絶対、幸せになるからね。
ローザはエスペランサと視線を合わせたまま、握り合った手を激しく上下に揺さぶった。それから、ひたと彼女を見つめた。
――ああ、ローザ! 愛しい、かわいい人!
エスペランサは、ローザをきつく抱きしめた。
――エスペランサ!
ローザもまた、細い腕をいっぱいに伸ばして相手の体に回した。
二人の目から、大粒の涙がいくつも零れた。
互いの顔は見えないながら、二人同時に目を固くつぶり、ずいぶん長い間、じっと動かないでいる。
拓には二人が、相手の感触を一つ残らず、自分の体に記憶としてとどめようとしているみたいに見えた。
体を離したときには、二人とも目や鼻をこすり、笑い合っていた。
鼻をすすり上げながら、エスペランサは男性の所に戻ってきた。おや、あなたいたの、とでもいうように拓を一瞥し、わざとらしく咳払いをした。
――先ほど新しい日本語を覚えたついでに、わたくしからも一つ、あなたにスペイン語を教えてさしあげますわ。「グラシアス」です。
――グラシアス? どういう意味だ?
何気なく拓が尋ねる。
エスペランサは、うっ、と顔を顰めた。それから、表情を戻し、勝ち誇ったように微笑むと、ゆっくりと口を開いた。
――ありがとう、ですわ! あの娘にも、必ず、伝えてくださいね。
あ、まだ続きます。
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