表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/81

54 秋  コスモス・ローズマリー 21

 ――お前がエスペランサのことが大好きで、あいつの幸せのために、自分の気持ちを我慢してるからだよ。でもそれで、エスペランサは幸せになるんだ。


 拓は、育てていた花が枯れ、後始末をしたときのことを思い出した。

 パンジー・ビオラの精スミレや、ヒマワリの精ヒワコのことも思い出した。

 同じ生き物、つまり人間に対してはまだそういう痛みを感じたことはなかったけれど、経験したことから懸命けんめいに想像を広げた。


 ――ずっと痛いの?


 ――しばらくはな。ただ、痛くて痛くてどうしようもなくつらいときは、エスペランサといたときのことを思い出せばいい。痛みやつらさに飲み込まれないで、エスペランサといて楽しかったこと、幸せだったことをきちんと思い出すんだ。


 ――それでももっとつらくなったら?


 ローザは口を小さく開けたり唇を噛みしめたりを繰り返しながら、拓の言葉を待っていた。

 小さな肩が震えている。


 ――眠るんだ。それから、次は……人間なら美味いものでも食べろ、って言うところだけど、 花の精はなんだろう、光合成でもしろってことになるのかな。……わからなくて、すまない。だが気持ちよくて、すると少しでも元気になりそうなこと、好きなことをしたらいいと思う。そんな気力もないときは、……やっぱり眠るのがいいんじゃなかろうか。


 拓は考え、考え、言葉をいでいった。


 ――わかった。やってみるね。

 二本の細い眉で山形をつくり、真剣なまなざしでローザは頷いた。


 ――俺は、エスペランサたちが行っちまうときにはいないかもしれない。エスペランサたちに、よろしく伝えてくれ。


 またローザがこくんと首を縦に振ったときだった。


 ――わたくしたちがここにいるというのに、なぜじか挨拶あいさつしませんの? 失礼ですわ!


 拓の背後で、聞き覚えのある、張りのある高飛車な声が響いた。

 エスペランサとそのパートナーの男性が、手を取り合って立っていた。

 二人とも、喜びの中に隠し味としてつらさが秘められているような、奥行きのある笑みを浮かべている。そして、前に来ていたのよりもたくさんの花や緑が、赤やオレンジ、ピンクなどの鮮やかな色の糸や金糸・銀糸で刺繍された服を身にまとっている。

 さらにエスペランサは、コスモスの花輪と白く透けた布地でできた長いベールを頭にかぶっていた。


 ――っ! いつからいたんだよ。

 拓が顔を赤らめて立ち上がると、エスペランサは澄ました顔で彼を見た。


 ――イマキタ産業、と言うのでしょう? こういうとき。

 ――そんな言葉、覚えなくていいから! あっ、結婚おめでとう!!

 拓の言葉には答えず、エスペランサはまっすぐにローザの元へと歩いていった。


 エスペランサと結婚する男性が、きまり悪そうに拓に近づいてきて、頭を下げた。


 ――最後までこんな調子で、すみませんね。

 ――いいって。おめでとう。

 ――ありがとうございます。本当にいろいろ、あなたにはお世話になりました。口には出しませんが、エスペランサもあなたには感謝していますよ。


 当のエスペランサはというと。

 ――ローザ。

 ふだんよりさらに濃くマスカラが塗られた長い睫毛を揺らし、両手でローザの右手を取った。

 ローザも、小さな左手で、ぎゅっとその手を掴む。


 ――おめでとう、エスペランサ。……幸せになってね。

 ――ありがとう。必ず、幸せになりますわ。ローザも約束してちょうだいね。わたくしがいなくなっても、ずっと元気でいて、絶対に幸せになる、と。

 ――約束する。胸がいた……なんでもない、絶対、幸せになるからね。


 ローザはエスペランサと視線を合わせたまま、握り合った手を激しく上下に揺さぶった。それから、ひたと彼女を見つめた。


 ――ああ、ローザ! 愛しい、かわいい人!

 エスペランサは、ローザをきつく抱きしめた。

 ――エスペランサ!

 ローザもまた、細い腕をいっぱいに伸ばして相手の体に回した。


 二人の目から、大粒の涙がいくつもこぼれた。

 互いの顔は見えないながら、二人同時に目を固くつぶり、ずいぶん長い間、じっと動かないでいる。

 拓には二人が、相手の感触を一つ残らず、自分の体に記憶としてとどめようとしているみたいに見えた。


 体を離したときには、二人とも目や鼻をこすり、笑い合っていた。

 鼻をすすり上げながら、エスペランサは男性の所に戻ってきた。おや、あなたいたの、とでもいうように拓を一瞥いちべつし、わざとらしく咳払いをした。


 ――先ほど新しい日本語を覚えたついでに、わたくしからも一つ、あなたにスペイン語を教えてさしあげますわ。「グラシアス」です。


 ――グラシアス? どういう意味だ?


 何気なく拓が尋ねる。

 エスペランサは、うっ、と顔をしかめた。それから、表情を戻し、勝ち誇ったように微笑むと、ゆっくりと口を開いた。


 ――ありがとう、ですわ! あのにも、必ず、伝えてくださいね。


 

あ、まだ続きます。


ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

ご来訪に心から感謝申し上げます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ