04 春 パンジー・ビオラ 3
華眼師とは? and パンジー・ビオラの精スミレ登場です。
華眼師。
それは文字どおり、古来「華」と呼ばれた「花の精」が見える眼を持つ能力者のことである。
母方の家系で代々受け継がれてきたものの祖父の代でいったん途絶えた華眼師の能力は、拓の代で再び発現したのだった。
ちなみに、拓が優しいのは「花そのもの」に対してだけだ。人間の形をした花の精に対しては何も感じない。
「こんにちは。俺は水原拓です。植え替えやらせてもらうんで、よろしくお願いします」
苗の前に立っているものの、目は宙を見ている形なので、はたから見ると奇妙な感じだ。
でも、拓に見えている花の精は、にっこり笑ってお辞儀した。
――こちらこそよろしくお願いします。わたしはパンジーとビオラの精、スミレと申します。
長い睫毛に縁取られた切れ長の大きな青い目は晴れた空のようで、見ていると吸い込まれそうでもある。そしていい匂いがする。
パンジーもビオラもヨーロッパ・西アジア原産のスミレ科、別名サンシキスミレだから、「スミレ」はぴったりな名前といえばぴったりな名前だ。思いっきり西洋風な顔なのに名前が和風、 というところに多少ギャップはあるが。
「ところで、依頼主の女の人が娘を使えって言ってたんだけど、このうち、娘がいるんですか?」
拓がそう言うとスミレは胸の前で両手の指を組み、少しだけ眉根に皺を寄せた。
――ええ。薫ちゃんっていう、中学三年生のかわいいお嬢さんがいるんです。でも、最近ほとんど学校に行かなくなってて……不登校気味っていうのか、鍵をかけてずっと自分の部屋に閉じこもってることが多くて。
「ふうん。スミレさん、ここに来たのいつですか?」
―― 昨日です。
「じゃ、あなたもやっぱりあの力を持ってるんですね」
――あの力?
スミレは不思議そうな顔をした。
「その場にいる人間の、現在だけでなく過去まで見えるっていう」
――はぁ……あれ? それって、誰でも持ってる能力じゃないんですか?
スミレは頬に両手を押し当て、ムンクの《叫び》(美人さん版)みたいに顔をむぎゅっと細めてくねくねした。
「いや、人間には――少なくとも大多数の人間にはないですよ。花の精は、ひょっとしたらみんな持ってるのかもしれないけど」
言いながら拓は、花の精が人型なのも、もしかしたら、本当は違う実体だけれど、人間に合わせて人間が驚かない姿形に擬態しているのかもしれない、と思った。
――そ、そうなんですか。ちっとも知らなかった……自分がそうならほかの人もそうだろう、なんて思い込みが激しいのも大概にしろって感じですね。恥ずかしいわ。
スミレは顔を赤らめ、何度か素早く瞬きした。
それから、気を取り直して拓を励ますような口調で言った。
――でも、見えない方がいいこともありますよ。お母さんがパソコンの電源の調子が悪くて拓さんのパソコンを借りたら、シャットダウンがうまくいってなくて、直前に拓さんが見ていたエロ動画がいきなり再生されて気まずい雰囲気になったとか。
「んが! 忘れてくださいただちに忘れてくださいああうぇfghjk○×△※%&」
今度は拓が顔を真っ赤にする番だった。
花以外のことで焦るなど、拓はめったにない。
茜が心配そうに拓の顔を覗き込む。
――そうですか……お母さんとの思い出があるって、わたしからすれば羨ましくもあるんですけど。お母さんといえば、薫ちゃん、ご飯もお母さんがお盆に並べて部屋の前に置いてるのを一人で食べてるんです。それもほとんど残すようになってて……心配です。
見る間にスミレの青い目が潤み、表面張力で涙が盛り上がった。
「いいんじゃねーの? ……って思いますけどね。閉じこもってても生活できるんなら、それはそれで。おっぽり出されて、どうしても自力で生きてかなきゃなんねえ、ってなったときに考えれば」
拓は春島家の二階をちらっと見ると、生成りのバッグからハンドスコップ、ハンドフォークなどを取り出した。
―― いえ! だめです!
スミレの表情が急にきりっとなっていた。すぐに表情は元の穏やかなものに戻った。
――……すみません。確かに、ずっと閉じこもっていても生きていけるって幸せなことですよね。一人で静かに過ごす時間が必要なこともあるでしょうし。でも、わたしがここにいる間に、何か一つでも楽しいことを薫ちゃんが見つけてくれたらいいなって……そう思わずにいられないんです。
うなだれ、上目遣いで拓を見つめるスミレの青い目が潤み、ちろちろと瞬く。パンジー、ビオラは冬には枯死する一年草だから、来年の今頃、スミレは確実にここにはいない。
――家の中にも、わたしにはよくわからないですけど、何か、楽しいものがいっぱいあるんでしょう? 本とか、パソコンとか、テレビとか。でも外にも、やっぱり楽しいことってあると思うし……今日なんか、日射しが暖かくて、風も冷たくなくて気持ちいいし。
スミレが両手を斜め上に広げて目を閉じると、オレンジがかった金髪や紫・白・レモンイエローのワンピースが風になびいた。本当に気持ちよさそうだった。
「ま、俺には園芸関係のことしかできねーですけど」
――いいんですそれで。よろしくお願いします。
スミレは深々(ふかぶか)と頭を下げた。
スミレとの会話の内容を茜に話すと、彼女は頬に手を当てて、首を傾けた。
「でも、そんなふうに引きこもってる子をどうやって引っ張り出せばいいのかしら」
「うーん……ま、なんとかなんだろ。まずは土づくりからだ」
「体を動かしてればなんかいいアイディアが浮かぶかもね」
茜ももう一つのじょうろを手にし、拓のあとを追った。
拓は植え替えスペースの黒っぽい土をざっと見、ハンドスコップで深めに掘り起こしてすった。それから、手のひらに載せてつまんだり匂いを嗅いだりした。
「石や木の根も少ないし、変な臭いもしない。新しい家だと、針金や建材が土と一緒に捨てられてることもあるけど、それもない。お前もやってみろ」
茜も拓を真似て土をひとすくい、手のひらに載せる。
「しっとりしてるね。なんか、森を思い出すような懐かしい匂いがする」
スミレも、うん、うん、と頷き、目を輝かせた。当然、茜には聞こえていないし見えてもいない。
「ま、このままでもいいんだが、一応、腐葉土と緩効性の化成肥料を混ぜておこう。苗を植え
るまでひと月くらいは置いて土を成熟させたいところだが、もうあるもんなあ、苗」
拓はケースいっぱいのパンジーとビオラの苗を、目を細めて見つめた。
拓と茜は、持参した腐葉土と緩効性の化成肥料を庭土に混ぜ、ハンドフォークでよくすいた。
これだけの作業でも、既にじっとりと汗ばみ、二人ともブレザーを脱いだ。
「えーと、水道、水道……あった」
休む間もなく、拓は大型のじょうろを持って動き始めていた。
「しかし広いな」
じょうろの水をすべて植え替えスペースに撒き終わった拓は、迷うことなくドアを開けて家の中に入った。そして、すみませーん、と階段の方に向かって呼びかけた。
返事はない。手を口に添えて、もう少し大きな声を出してみる。
「すみませーん。ちょっと訊きたいことがあるんだけどー」
やはり返事はない。
「あのー、薫って人ー。教えてもらいたいことがあるんで、出てきてくれませんかー。てか、あんたしかいないようなんで、出てきてもらえないと困るんだけどー」
「わ、何、強引なこと言ってるの! お客さんなんだからもっと丁寧にお話ししないと」
茜が拓のブレザーの裾を引っ張っていると、階上でドアが開く鈍い音がした。続いてゆっくりとした足音が響いた。




