39 秋 コスモス・ローズマリー 6
「うん。その調子でやれば大丈夫だ。すごく暑いときやすごく寒いときは、ローズマリーへのダメージも大きくなるから、そういう気候はなるべくなら避けた方がいい」
「わかった。まあ、体を切ってるんだもんな。あんがと」
恭平は白い歯を見せて笑いながら、誇らしげに、鋏を拓に返した。……片手で、刃・を・拓・に・向・け・て。
「あのなあ、刃を人に向けるなって言ったろ?」
拓は眉を逆さ八の字にし、こめかみを指で押さえた。
「あ」
「鋏の刃をこうやって手のひらでくるんで自分の方に向けてから、柄を相手に向ける形で渡すんだよ」
「わっりぃーわりぃ。ふんふん、こうやるんだな。いてっ。手のひらに刃が刺さっちまったよう。勢いつけるもんじゃねえな。……はいよ、ありがとうございましたぁ」
恭平はおどけながら鋏の刃を掴み、恭しく柄を拓に差し出した。
拓が受け取ろうとした瞬間、恭平はその手を引っ込めた。
「あ、でもやっぱりけっこう茂りまくってるからさぁ、ついでに全部、剪定しちまおっかなー。まだ借りててもいい? これ」
「いいけど」
そのときだった。
――だめぇ―――!!
ローザの大きな声がした。
ローザの横にいるロングサイドテールの女性の前に、髪が緑色でがっしりした体つきの男性がいる。
くるぶしまでのパンツは穿いているものの、それ以外の服の形や、襟ぐりや袖口に施された、幾何学模様入りの帯みたいな刺繍は女性と一緒だ。
とするとこいつもコスモスの精か。
広い肩幅や筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)とした腕、厚い胸板、日に焼けた肌に短く刈ったさっぱりした髪型からするとスポーツマンふうだ。
けれども、顔はごつくはない。むしろ細面でやや面長な濃い美形、黒縁眼鏡の奥の目には、知的な光が湛えられている。
その男性とロングサイドテールの女性との間にローザが割って入り、手を横に大きく広げ、足も踏んばって男性を睨みつけているのだった。
――エスペランサはわたしのものなの! あんたなんかに渡さないんだから! 帰ってよ!
……なんすか、この修羅場ドラマは。
拓はあんぐりと口を開けた。
――そんなこと言わないで、ローザ。
ロングサイドテールの女性は、拓に向けたのとはまったく違う、困ったような悲しそうなような、でも根底に優しさが含まれたまなざしをローザに向けた。
そしてローザの前に回り込んでしゃがむと、彼女の肩にそっと両手を置いた。
――この人とはちょっと話をするだけですわ。同じコスモスの精として、どうしても二人で相談しなければならないことがあるのです。
ローザはいったん、手を下ろして食い入るように女性を見やった。けれどもまたすぐに手をばたつかせ、地団太を踏んだ。
――やだやだやだやだ! エスペランサは一緒、ずぅ―――っとわたしと一緒なの! お話ならここですればいいじゃない。行かないでエスペランサ! わたしを一人にしないでよう!
どうやら、エスペランサというのが女性の名前らしい。彼女を見つめるローザの大きな青い目に、たちまち涙が溜まった。
ローザはエスペランサに抱きつき、その胸に顔をうずめると、わんわん泣き出した。
……ったく、何、子どもみたいなこと言ってるんだよ!
と思った拓だったが、ローザは子どもだった。少なくとも見かけは。
――はいはい、どこにも行かないですわ。だからもう、そんなに泣かないで。
エスペランサはしゃがんでいた姿勢から横座りに体勢を変えた。それからローザの頭や背を何度も撫で、指で彼女の涙をぬぐってやった。
ローズマリーは低木とはいえ「木」であり、一年草のコスモスと違って長い歳月をかけて育っていく植物だ。ゆえにそういうことが影響して、花の精同士でも成長の差が出てくるのかもしれなかった。
しばらくすると、大声で泣いていたローザはひっく、ひっくとしゃくり上げるようになり、膝枕をしてもらうみたいにエスペランサの膝に頭を載せて横になった。
そしてしゃくり上げていた声の間隔が長くなったかと思うと、目を閉じ、やがてすうすうと寝息を立て始めた。
男性は立ったまま、さっきからエスペランサとローザとを黙って眺めていた。冷ややかという感じではなく、静かに見守っているふうだ。
ローザの頭を撫でながら、エスペランサが眉を微かに歪め、助けを求めるようなわびるような目で男性を見上げる。
それを見た男性は口の端を上げ首を横に振りながら、声を出さずに口を動かした。
「気にしないで」と読めた。
エスペランサはぎこちなく、男性に向かって会釈をした。人に頭を下げることにあまり慣れていないようだ。
とはいえ、エスペランサと男性は、全体的には、意思疎通ができているというかかなり仲がよさげに見えた。
彼は、わかっている、とでも言いたげに頭をゆっくりと縦に振ると、彼女のすぐそばまで行き、自分も腰を下ろした。
エスペランサの顔がぽうっと赤くなった。
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