37 秋 コスモス・ローズマリー 4
「へぇ―――っ!」
恭平は素っ頓狂な声を上げた。そして、うねって首をもたげているようなローズマリーの枝を、指先で軽く持ち上げた。
「ほ、ほふ……なんだっけ」
「匍匐……です。ゲームで見たことない……ですか? 匍匐前進」
「あー、はいはいはい、這いつくばって進むやつな! 迷彩服着たやつが敵に見つからないようにやってんの見たことあるわ。あと、無理して敬語使うなよ。かえってイラッとするわー」
イラッとするのはお前のもの言いの方だ!
そう言いたいのをこらえながら、拓は立ち上がった。口に出してしまえばまた無益な争いから茜の「身をもったカツ入れ」へと、むなしいサイクルが繰り返されるだけだ。
その間にも少女の泣き声は続いている。
恭平はローズマリーの枝をまださわっていた。
「水やりってさぁ、どんくらいの間隔でやりゃいいの?」
などと茜に尋ねている。その様子は、植物が嫌いではない、いや、むしろけっこう好きな感じに見えた。
あれ、こいつ意外といいところあるかも。拓は唾を飲み込んだ。
――ちょっと! なんですの? 子どもを泣かせて放りっぱなしで。あなたそれでも人間ですか!
突然、背後からどやしつけられた。
涼やかな目をした若い女性が拓を睨みつけている。赤紫に近いコスモスの花みたいに濃いピンクの長髪を、片耳の上で一つに結んだロングサイドテールがゆるやかにうねっている。
人間で言えば十八歳くらいだろうか。片手で腰に手を当て、もう片方の手でまだ泣いている少女を抱き寄せている。
襟ぐりが大きく胸に切れ込みの入った白いワンピースは、腰をベルトで留めてある以外はゆったりしていて、襟周りや袖口に、幾何学模様が並んだ帯状の飾りがある。
胸の辺りには赤、ピンク、オレンジなど色とりどりの花や緑の葉の、精緻な刺繍も施されている。
少女は、女性の服に顔をうずめ、しゃくり上げながらちらっと拓を見るとまた顔を歪めた。
――待てよ! 俺は泣かせるつもりなんかなかった。ただ、ちょっと話しかけたら怖がらせちまったみたいで……。
拓は、女性に言い、それから特に表情を作らずに、胸のうちで少女に話しかけた。
――ごめんな。
少女は口をへの字に曲げたまま、拓を見上げた。顔は拓に向けたまま、女性の服をいっそう強く掴んだ。
――もう大丈夫ですわ、ローザ。怖かったでしょう。もしあの男が何か妙な真似をしたら、わたくしがあらゆる手段とネットワークを使って、彼を二度と立ち上がれないようにしますわ。
女性は優しい笑顔を少女に向けながら、彼女の頭を撫でた。そのあとで、慈愛の慈の字も感じられない、シベリアの氷原よりも冷ややかな目で拓を一瞥した。
――ほんとに、子どもを怖がらせるなんて、最低です!!
――いや、だからそれは俺の意思じゃないって! それにあんたの言ってた「二度と立ち上がれないようにしますわ」って方がよっぽど怖いぞ! ……俺が怖いのは顔だけだし。
――ほう、下僕といえども顔については自覚があるのですね。
女性は少女の肩を抱き、まっすぐに拓を見つめた。涼やかな目が細められる。
――一寸の虫にも五分の魂とはよく言ったものですわ。本当に、品性のかけらもない、隠してもねじ曲がった根性といやらしさを隠しきれない顔ですもの。
女性は、薄い唇の端を上げた。
―― あのなあ。顔についてはともかく、その子が泣いてることについては、こっちの事情も聞かずに状況だけ見ていろいろ判断するなっつーの! だいたい俺はその子じゃなくてこの家の恭平……あいつに用があって来たんだから。
――わかってますわ。
にべもなく言われて拓は、そういや花の精は相手の人間の過去が見えるんだった、と思い出した。
――でも結果としてローザはあなたを見て泣いた、つまり、あなたのせいで泣いたのです。
――俺の意思に関係なく、結果だけで見るのかよ。ったく理不尽だな。……ところでローザって子はローズマリーの精で、あんたはコスモスの精か?
――そんなこと、なぜあなたに話さなければならないのですか? この下僕が!
女性は頭をやや後ろに反らし、再び少女の頭を撫でた。
細い指の動きはしなやかだった。優美な動作からは想像できないような言葉の内容だ。
――さっきから聞いてりゃ下僕下僕って、俺はあんたの下僕になった覚えはねえ!
拓は実際に声に出して叫びたいのを我慢しながら、歯を食いしばった。
ストレスが溜まっている方は、どうぞ濃いピンク髪の女性のお好きな台詞を音読してみてください。スッキリする……かも!?
ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
ご来訪に心から感謝いたします。




