36 秋 コスモス・ローズマリー 3
拓と、今回の依頼主である長庭恭平は、恭平の家の前で無言で火花を散らしていた。
やがて、その真ん中に茜が割って入った。
「拓! 早く仕事して帰ろうよ!」
茜は両腕を勢いよく伸ばし、二人を突き飛ばした。
「おう。だが茜、ぐぼぁっ、ゴホッ」
拓は腹を押さえたまま咳き込んだ。
「暴力はだめだ。自分で大したことないと思っても、お前にはすごい力があるんだからな」
拓が顔を顰めたまま茜を見つめると、彼女は肩を持ち上げ、吐息とともに下ろした。
「ごめん、次から当たらないように気をつけるわよ! でもこうでもしないと、あんたたち取っ組み合いでもしかねない感じだったじゃない。それから長庭さん」
茜は気迫に満ちた目で恭平を睨みつけた。
「な、長庭君でいいよ」
よろけながら、よりいっそう高めで細かくビブラートがかかった声で恭平が言った。
「今ちょっとお腹にさわっちゃってすみませんでしたけど、もうわたしにさわらないでください! に・ど・と!! いいですね!!」
「あ、ああ。ごめんな。もう、しないからさぁ。そんなに厭だなんて思わなかった」
茜の剣幕に圧され、恭平はしきりに首を縦に振った。
「で、今日はローズマリーがどうしたんですっけ!?」
怒り冷めやらぬ茜の後ろにオレンジ色の陽炎が揺らめくのが、拓には見える気がした。
腹に手を当てながら、恭平は姿勢を立て直した。顔を歪めながら、茜に向かって必死に笑みを浮かべようとしている。
保身のためかけなげさのためかわからない。が、痛みをこらえて立ち上がり、笑おうとする根性は、気に入った。拓は胸のうちでそう呟いた。
「これ」
恭平はよろよろと歩き出し、門扉脇の日当たりのいい花壇を指差した。
レンガで囲まれたスペースの手前側に、ローズマリーの茂みがあった。濃い緑の葉がついた枝がうねうねと地面を這い、覆って、レンガの所まで垂れている。
すぐ後ろには背が高いピンクや白のコスモスがたくさん咲いていて、全体として高低差の立体的なリズムがあった。
色彩的にも、コスモスの濃淡さまざまなピンクや白とローズマリーの濃い緑はよく合っていると拓は思った。
ローズマリーもコスモスも、ともに日当たりと水はけがいい所を好む。よって、ローズマリーが嫌う酸性が強い土壌に植えるのでなければ、この組み合わせは相性がいい。
と、ローズマリーの茂みの端に、肩までの金髪で巻き毛の、小学校低学年くらいの少女が立っているのが見えた。赤い髪飾りをつけた彼女は深い海みたいな青い目をしていて、白い襟などにレース・フリルがついた、水色のワンピースを着ている。
茜や恭平には、まったく見えていないようだ。
拓と目が合うと、少女は怯えたように首をすくめた。
――こ、怖がらなくていい。俺は水原拓。おま、いや……あなたはローズマリーの精デスカ?
拓は最上級の穏やかな言い方で胸のうちで彼女に話しかけた。なんとか優しい微笑みを作り出そうと、必死で口角も上げた。
ところが少女は今にも泣き出しそうな顔になって震え、あとずさりしているではないか。
しかもみるみる澄んだ青い目に涙が盛り上がり、大きな声で泣き出してしまった!
――えーっ!?
助けを求めようにも、茜は「ああ、これが……。よく育ってるみたいですけど何か問題が?」としゃがみ込んで恭平と話し中。というか自分もその話を聞かなければいけない。
けれども、目の前の少女はわんわん泣き続けている。
花の精といえども人間の形をしたものには本来冷たいはずの拓だ。が、いきなり子どもに泣かれるとかなり動揺した。な、なんでだっ!? 優しくしたのに……。
――な、泣かないでくれ。俺は別に、怖いことをしに来たわけじゃないんだ。
拓はしゃがんで、つまりうんと目線を下げて少女を見つめた。
結果。少女の泣き声はますます大きくなった。しかも、
「……わかりました。ではどうすればいいか、水原の方から説明させていただきます」
といきなり茜に話を振られてしまった。
「へ」
「『へ』って……。すみません、水原、ちょっと風邪ひいてて、薬を飲んでぼーっとしてるみたいで。あとでわたしがキツく言っておきますね。で、拓。長庭さんの質問は、『ローズマリーが上にまっすぐ伸びない』ってことなんだって」
少女の泣き声に耳を塞ぐわけにもいかず、拓は消耗しながら答えた。
「ローズマリーには、まっすぐ上に、というか縦に成長する立性のものと、横に這うように成長する匍匐性のものがある……んです。ここのは匍匐性だから、上にはまっすぐ伸びません」
壁じゃないドン(by茜)。
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