35 秋 コスモス・ローズマリー 2
ローズマリーに関し仕事の依頼を受けた拓と茜。茜は、葉を摘む前のローズマリーについて拓に尋ねる。
「香りもいいの?」
「もちろんだ。乾燥させたやつより、生の方が断然、みずみずしい。すっきりしてちょっと尖った、清々(すがすが)しい香りだ」
「花は咲くの?」
「夏頃から、シソの花に似た小さい花が咲く。ローズマリーはシソ科だからな。青紫とか、ピンクとか白とか。きれいだぞ」
「シソの花がわかんないわ」
茜は首を傾げた。
彼女が生成りのバッグをかけ直し背筋を伸ばすと、ブレザーの第一ボタンが弾けそうなくらい胸が強調された。
拓は一瞬それに目が釘づけになり、慌てて目を逸らした。
「葉の間からシュッシュッって、たくさん顔を覗かせるんだ。上の方の花びらは細くて、下の方のはちょっとふっくらしてこう、小せえ舌……べろが出てるみたいなんだよ。とにかくかわいい花なんだ!」
拓は最後、自分の舌まで出してみせた。その方が茜が花を想像しやすいと思ったのだ。
けれども茜は上半身を引き、顔を顰めた。
「……いや、今のじゃぜんっぜん、どこがかわいいのかまっっったく、わからないわ。別に自分の舌、出さなくていいし。ってか、舌、白っぽいけど胃、荒れてるの?」
部長たるもの、このくらいのことで挫けてはいけない。
花のかわいらしさを言葉で表現することの難しさを痛感しながら、拓は溜息をついた。
「胃は今、少し痛んだが大丈夫だ。ローズマリーの花は、帰ってからネットや図鑑で見てみろ」
そうこう言っているうちに、長庭恭平の家に着いた。
少し前によく建てられていた感じの、格別大きくも小さくもない家だった。白っぽい壁に、なだらかな勾配の黒っぽい屋根が載っている二階建てで、同じような大きさの窓が、一階と二階についている。
ドアの前に、格子状の門扉があった。
インターホンを押しても返事がない。もう一度押したが、同じだった。
「留守かしら?」
「わからん。中で倒れてるかもしれないし」
拓は首をひねりながらポケットからメモを取り出し、そこに書かれた長庭恭平の携帯端末の電話番号に電話をかけた。
「んぁ?」
だるそうな、やや高めでビブラートのかかった声の男が出た。
「緑高校園芸部の水原と申しますが、長庭さんでいらっしゃいますか?」
「あ、わりぃわりぃー。今行くからさぁ、もう少し待っててくんね?」
ススキの穂の綿毛よりも軽いノリだった。拓が何か言う前に電話は切れた。
そして、一分も経たないうちに、詰襟の制服の下に赤いTシャツを着た少年が、向こうの角を曲がって歩いてきた。
背は拓より少し低く、あちこちにつんつん尖って伸びた髪が特徴的だった。前髪の間から切れ長の目と上がり眉が覗いている。
痩せ気味で顔はベース型に近く、顎も尖っている。だが、目力が強いせいか貧相ではない。ブランド物のショルダーバッグを肩からかけていた。
彼は軽く片手を上げ、にやっと笑った。もう一方の手はパンツのポケットに入っている。
「わっりぃーわりぃ。だいぶ待ったぁ?」
拓と茜を交互に見ながら、少年は後ろ頭に手をやった。
「いや、そんなには」
今来たところです、と言うのも癪で、拓は短く言葉を切った。
「今日に限って授業が伸びちまってさぁ。あ、俺、長庭。あんたが水原? そっちの彼女は?」
「土屋です」
「下の名前は?」
「茜、ですが」
しぶしぶといった風に茜が答える。一瞬、拓と合った目には、(なんでそんなこと訊かれなきゃいけないのよ!)という怒りの炎が燃えていた。
「へぇ。かわいい名前じゃん。今日はよろしくな! 茜ちゃん」
長庭恭平は茜の顔をまじまじと見つめながら門扉の鍵を開けると、彼女の背中を軽く押した。
「レディファーストだから! 入って入って」
エスコートするように彼女の背に手を当て、自分が次に入っていく。拓もあとに続いた。
「あー、あの、部員の体には手を触れないでください」
後ろから冷静に拓が言うと、恭平は茜の背中から手を離した。そして振り向くと、またにやっとした。
「へぇ。お前ら付き合ってんの?」
「いいや。けど、俺たちは園芸部の仕事で来たんであって、あんたに部員の体を触らせるために来たんじゃないからな」
目つきの悪い拓が相手を睨むとかなり凄みが出るが、恭平の睨みも、相手の背中の向うまで目力で射通すような力強さがある。
両者は恭平の家の前で対峙し、長いこと睨み合っていた。
二人とも口には出さないが、腹に力を入れ、胸のうちで野獣のような唸り声を上げている。彼らの間に目に見えない火花が散りまくっている。
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