34 秋 コスモス・ローズマリー 1
いらしてくださり、誠にありがとうございます。
今日から新しい話です。舞台は秋です。
「もうすっかり秋ね」
川沿いの道を歩きながら、土屋茜は隣りを歩く少年に話しかけた。少年の名は、水原拓だ。
「だな」
肩からずり落ちかけた大きめな生成りのバッグのベルトを直しつつ、拓も頷いた。
川はさほど幅が広くはないが、底はかなり深い。川の岸辺は、コンクリートとアスファルトで固められていて、深緑色をした水面の両側に桜並木がずっと続いている。
春には淡いピンクの花が岸辺や水面をわーっと染めるその桜の葉が、すっかり赤やオレンジや黄色に色づいているのだった。
高校の授業は終わっている。拓と茜は園芸部の活動のため、本日の客、長庭恭平の家に向かっているのだった。
川沿いのビルやマンションの一階には、小洒落た古着屋やカフェ、ダーツバーなどが軒を連ねている。けれども二人はそういった店には目もくれず歩いていく。
「きれいだ……」
「な、何よ突然!」
拓の言葉に茜は顔を赤らめた。が、すぐに、拓の目が紅葉した桜にしか向いていないことに気づいた。
「……あ、桜ね、はいはい」
「人間には、自分の色をこんなふうに変えることはできねーからな」
「人間の肌が赤、オレンジ、黄色のだんだら模様になったら気持ち悪いわ!」
茜のむくれた顔は目に入らないといった態で、拓は色づいた桜の葉をうっとりと眺めた。
目には白い星が一等星シリウスみたいに明るく光り、頬もうっすら赤くなっている。心なしか鼻息も荒い。
「まさか桜に欲情してるの? これから仕事だってこと、忘れないでよね!」
茜がドン引きすると、失敬な! と拓は怒った。
「欲情じゃねえ、尊敬だ! そもそも、赤や黄色を作り出してるものはなんて物質か知ってるか?」
生成りのバッグの中で園芸道具がカチャカチャいった。
「知らない」
「赤はアントシアン、黄色はカロテノイドっていう色素だ」
拓は厳かな顔で説明した。
「ふうん。ま、別にそんなの知らなくても生きていけるけどね! あ、これきれいだから、押し葉にしようかなー」
茜は、拓と同じく肩にかけた生成りのバッグを背中に回してしゃがみ込んだ。彼女は唇の端を上げると、燃えるような赤とミカンみたいなオレンジ色とが入り交じった桜の葉を一枚、拾い上げた。そしてそれを、手に提げている学生鞄にしまった。
「ところでさ、今日のお客さんの相談ってローズマリーのことだよね?」
茜は急に神妙な顔つきになった。
「そうだけど、それがどうかしたか?」
「ローズマリーってどんな感じで生えてるの?」
「え」
拓は、イラストなら顔に縦線が何本も入っているような怪訝な顔で、彼女を見下ろした。
「いやぁ、葉っぱを乾燥させて小さい瓶に入れた香辛料ならうちにもあるよ? お母さん、肉料理を作るときとか振りかけてるし。でも、葉を摘む前の姿って、そういや知らないなぁって」
「お前は鮭が切り身で海を泳いでると思ってる小学生か! 仮にも園芸部員なら、そのくらい前もって調べろよ。ネットででも図鑑ででも」
拓は縦線的な顔の翳りを増して茜を叱った。園芸部の部長として。
「やろうと思ったけど、忙しかったんだもん今日! 当てにしてた昼休みには、隣の席のやつに数学教えろとか言われるしさ!」
「言うに事欠いて逆ギレかよ……」
拓は溜息をついた。そして、客の家に着く前に茜にローズマリーの姿を教えておく必要がある、と思い直した。
俺は部長だ。部長は、多くの事柄の中から何を最優先順位にすべきかを常に考えなければならない。
ふぅ、つらいぜ!
「常緑低木なんで、乱暴に言うと、低い幹があって、そこから枝がたくさん出てる。で、うんと細長い楕円形の小さな葉が、数枚ずつ集まって、互い違いに枝から出てるんだよ。幹や枝はそう太かねーな。生育環境にもよるみたいだが」
「葉っぱの色は?」
「種類によっていろいろだけど、俺が見たことあるのでは、マツの葉みたいに濃い緑色が多い」
「へぇー。香辛料として売られてるやつはえらく白っぽいけど、あれ、葉っぱだよね?」
「おう。乾燥させてるから色が変わってんだ」
「はぁー、そうなんだ!」
茜は目から鱗が落ちるといったふうに目を丸くし、学生鞄を持っていない手を握りしめた。
拓は茜の顔をまじまじと見た。こいつ、数学なんか人に教えられるくらいできるし、いつも母親みたいに俺の世話を焼くくせに、ときどき、常識がないところがあるんだよな……。
元の姿がわからない香辛料、自分はけっこうあります。
ここまでお読みくださり、どうもありがとうございました。




