32 夏 ヒマワリ 14
ヒワコは真実を話し始める。
――全部、あたしのわがままなんだ。あたしが来たときにはもう、じいさんは病気になっててさ。遅かれ早かれ、一人暮らしができなくなっちまうことが予想できた。でも……でも、あたしはじいさんと一緒にいたかったし、じいさんがここを出ていかなきゃなんなくなる前に、なんかいい思い出を作ってやりたかったんだよ。
ヒワコは唇を噛み、うなだれた。いつもの威勢のいい、挑戦的な話し方はすっかり影をひそめている。そこにいるのは、段ボール箱に入れられて捨てられ、雨の公園でミィミィ鳴いている子猫のように心もとない感じの、一人の少女だった。
――気持ちはわからなくもないが、それでよかったのかはわからんな。どのみち、病気が進行すればみんな忘れちまうんだろ?
拓が腕組みをすると、ヒワコは目を見開いて起き上がり、ちゃぶ台を両手で叩いた。
――忘れるっつったって、なくなるわけじゃねーんだ! ただ、記憶を取り出しにくくなってるだけ……記憶自体は深い所に沈み込んでるんだよ!ちゃんと、あるんだよ!!
顔中が真っ赤だ。子猫みたいな目が潤んで、中でちろちろと光が揺れている。
ヒワコは腕を伸ばして両の手のひらをちゃぶ台につけたまま下を向き、目を閉じて歯を食いしばった。肩が震えている。
やがて絞り出すような嗚咽の声が聞こえてきた。
拓は圧倒されて、しばらく何も言えなかった。
――すまない。深く考えてなかった。ぼけたらもう、一切、忘れたことを思い出せないのかと思ってたし。
拓が静かに話しかけると、ヒワコは顔を上げた。そして目をこすり、はにかんだように笑いながら正座すると、ぴょこんと頭を下げた。
――こっちこそ取り乱してごめん。忘れたことを何かの拍子にじいさんが思い出すことはあると思うけど、どのくらいの頻度でかは、誰にもわからないしな。……でも拓、お前だって、いつかはじいさんみたいに年を取るんだぜ。
――だな。まだうまく想像できねーけど。
――あーっ、つまんねーこと言っちまったな。
二人ともしんみりしてしまった。その間にも、何かをリズミカルに切ったりジュワァアアッと炒めたりする音が台所から聞こえてきた。
「豆腐が軽くきつね色になったら、いったん皿に取り出してくれ。そしたら俺が豚肉を炒めっから、その間に、ゴーヤーに塩を振ってくれよ。もうわたを取って薄切りにしてあっからよ」
「塩を振るとどうなるんですか?」
「苦みが和らぐんだよ。けど、炒める直前にやらねえと、水分が出ていきすぎちまって不味くなっちまう」
「そうなんだー! 知りませんでした」
「豚肉に火が通ったら、ゴーヤーを入れて炒めるだろ。で、豆腐を戻して鰹節を入れて炒めて、醤油とコショウで味付けすんだよ。で最後に、卵でとじる」
台所からは、弾む会話や笑い声も次々に流れてくる。
――ウリヤはどうしてる。
――市民農園か図書館じゃねーか? 事情を話して、どうしても二人きりでいさせてくれ、ゴーヤーの面倒もこっちで見るから、ってあたしが頼み込んで、無理やり頼みを聞いてもらったからな。これ以上、迷惑かけられねーよ。
首を縮めて、ヒワコは両方の膝頭を手でこすった。そして、肩を下ろしながら小さく溜息をついた。
――そうか。
なんか変だったもんな、と拓は思った。気に食わないで追い出したにしちゃ、ヒワコはウリヤを尊重している感じだったし、ウリヤもヒワコを大事にしていた。
――相談してみてもいいんじゃねえか? あいつ、お前のこと嫌いじゃないみたいだし。
拓がそう言うと、ヒワコは、ほんとか!? と背筋を伸ばした。信じられない、というような光が目に宿った。それから、はっとしたようにうつむいた。
――そういえば、まだあるんだ。言ってねーこと。
え、と拓が上半身を引くと、ヒワコは脚をほどいて伸ばし、後ろに手をついて仏壇を見た。
――ヒロシは、生きてる。
――な、なんだって!? じゃ、あれは。
拓は写真を指差してから台所を振り返り、手を引っ込めた。
記憶……どうなんでしょう。
ほんと、誰でもいつかは相応に年を取るんですよね。
いわゆる「ロリババア」などが実現しない限り。




