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03 春  パンジー・ビオラ 2

拓が部長になった理由の続き。そして、園芸部は、近所の女性、春島の依頼でパンジー・ビオラのたくさんの苗を庭に植えることに。

「じゃァ、僕についてきたまえ」

 ネズミ顔の部長が拓を連れていった先は、園芸部の部室だった。

 パイプ椅子に座るように拓に勧めた彼は、両肘りょうひじをテーブルにつき、手の甲にあごせて拓を見つめた。

「園芸部の活動は、校内の花壇の世話をするだけじゃない。君はァ――いや、水原君は、我が校の教育方針を覚えてるかね?」

「……『地域の中で生きる学校』、でしたっけ」

「そのとおりィ!」

 部長は、人差し指と親指をピンと張って拓を指差した。

均質的きんしつてきな狭い空間である学校のみならず、多様な人々が暮らす広い地域と関わりながら生徒は成長していくべきだァ、という思いが込められているらしい。で、園芸部はその方針にのっとり、学校の近隣地域に住む人々の、植物に関する相談に乗っているゥ、ってわけさ」

「はあ」

「でも、住民はたくさんいるだろォ? 正直、きついんだよねェ」


「はあ……ほかに、部員はどのくらいいるんですか?」

 それなんだよ、と部長はパイプ椅子の背凭せもたれに身を預け、天井と拓の顔を交互に見た。椅子がギイギイきしむ。

「去年は三人いたんだけどさァ」

「いや、今年の話です」

 表情一つ変えずに拓が突っ込む。長い沈黙があった。

「僕だけなんだよねェ」

 部長は急に背筋を伸ばすと、両膝の上に手のひらを載せて何度も往復させた。上目遣うわめづかいで、意識しているのかいないのか、何度もまばたきしている。


「そうですか。大変ですね……じゃ、俺、これで」

 そそくさと立ち上がった拓の腕を部長が掴んだ。

「君は、花がどうなってもいいのかい?」

 語尾伸ばしも何もない、低い声だった。

 拓の背筋を稲妻のようなものが走り抜けた。

「花が花が花が……」

「どうなってもどうなってもどうなっても……」

 部長の言葉が、頭の中でウワンウワンこだまする。

「いいわけないじゃないですかっ!」

 思いがけないほど大きな声が出て、拓は自分の声に驚いた。

「だよねェ? じゃ、自分にできることしようよ。まずはァ、この書類に自分の名前を書いて。 名前を書くだけの、簡っ単なお仕事だよォ」

 部長はブレザーの内ポケットから三つ折りの紙を取り出し、差し出した。催眠術さいみんじゅつにでもかかったように、拓はそれに「水原 拓」と記入した。その紙の一番上には、「入部届」と印刷してあった。

「ありがとう、水原君。ともに園芸部を盛り立てていこうじゃないか!」

 部長は右手を差し出し、見た目からは想像もつかないほどの握力あくりょくで、無理やり拓と握手した。

 今後の活動がどうなってしまうのか、拓はとうとう聞くことができなかった。


 一週間後。

 部長は、海外に留学した。

 中途半端な時期だが、受け入れ先の学校の都合だという。部長が学校を去る日まで、拓も、拓から話を聞いて園芸部に入った茜も、部長の留学をまったく知らなかった。

「いやァ、水原君だけでなく土屋さんまで入ってくれて、実にィ心強い。これで僕も、後顧こうこうれいなくゥ、旅立つことができる!」

 部長は満面の笑みをたたえ、ごくごく最小限のぎをして去っていったのだった。

 茜は植物のことは何も知らないに等しいので、必然的に拓が部長にならざるを得なかった。


   ◇

 園芸部顧問の女性教師は、四月から産休に入った。 代わりに臨時顧問となった中年の男性教師は、植物に一ミクロンの興味もなかった。

「一年坊主だけで大変だと思うがな、何事も気合だ、気合! 気合があればすべて乗り切れる! がんばれよ!」

 部室に顔を出した彼は、こぶしにぎりしめ、白い歯をきらめかせて去っていった。

 その後、二度と部室に現れることはなかった。

 そして今に至る。というわけだ。

 今回の依頼主の女性は、庭にパンジーとビオラを植えてほしいと電話口で話していた。それらを植えるスペースの広さを聞くとそこそこあった。苗は向こうで用意するという。

「あ! あった。春島さんでいいんだよね?」

 茜が大きな家を指差したので、拓もそちらに目をやった。


 まだ新しく、全体的に白くて四角くすっきりとした、以前拓がテレビで見たル・コルビュジエのサヴォアていに少し似た家だった。屋根も平ら、ひさしも平ら、デザインはどこも直線的で、水平方向に連続した大きな長方形の窓が、門の向こうに見えた。庭にはやわらかそうな芝が生えていて、黄緑と白の対比が美しい。

 チャイムを鳴らすと、インターホン越しに電話の女性の声がした。そして、極彩色ごくさいしきの三角定規風な模様のワンピースに白いジャケットを羽織はおったボブカットの女性が出てきて、二人を迎えた。


 長いアプローチを経て玄関の前に行くと、彼女は、ここに植えてほしいのだ、と煉瓦れんがに囲まれた一角を指差した。

 彼女のあとについて家の中に入ると、ポット入りのパンジーと、形は似ているけれどパンジーより小ぶりなビオラの苗が玄関いっぱいに置かれていた。二十個らいずつ複数の箱型のケースに入っている。紫、オレンジ、白、深い青、黄色、薄紫&白、臙脂えんじ。様々な色があふれている。

「家が無機的なんで、せめて庭だけでも春の野原みたいになったらいいなって思って……」

「これだけあれば、相当、野原っぽくなりますよ」

 拓は苗を見た瞬間から目尻を下げ、よだれでも垂らしそうなくらいにこにこしている。

 上の二枚の花びらはアップにして丸めた髪のよう。左右対称な真ん中の二枚の花びらは、蝶のように今にもパタパタと羽ばたきそうだ。その下のすそがやや広がった三角形に近い花びらには、こちらに何かを語りかけてくる風情がある。ブロッチという、花の中央の模様が入っているもの、いないもの、どちらも愛らしいことこの上ない。

「ちょっと拓、あんまりデレデレしないの!」

 茜に脇腹をこっそりつつかれても、だらしなく鼻の下を伸ばしている。

「わたしは出かけなきゃいけないんですけど、娘が家にいるんで、よかったら使ってやってください。じゃ、よろしくお願いしますね」

 娘のことを話すとき、女性は目を伏せ、微笑むような悲しむような、微妙な表情を浮かべた。

「薫ぅ。緑高校の方から何か訊かれたら、ちゃんと答えるのよぉ」

 彼女は誰もいない階段の方に向かって大きな声を出した。そして既に玄関先に置いていたハンドバッグを掴むと、拓と茜に会釈えしゃくして出かけていった。


 拓たちは、まず苗を外に運び出すことにした。一つ一つのポットは軽くても、まとめてケースに入っていると意外と重い。

「ね、もう、見えてるの?」

 茜が複雑そうな顔をし、無声音で拓の顔を見上げた。

「ずっと苗の近くに立ってるけど。あ、途中で一回、玄関先に腰掛けて階段見上げてた」

「ふうん。どんな人?」

「背は高めでせてる。髪はオレンジがかった金髪で肩より少し長い。あと、丈が長い七分袖しちぶそでのワンピースを着てる。裾はフリルがついてて紫、上にいくにつれて色が薄くなって、腰から上は白とレモンイエローっていう」

「……あー、えっと、顔とか雰囲気とかは」

「目はでかくて青くて、俺たちよりちょっと年上って感じ。雰囲気は、優しそう……って、本 人の前でこういうの言うの、すげー恥ずかしいんだけど」

 ジト目で拓ににらまれて、茜は、

「へぇー、そうなんだ。うん、わたしのことは気にせず、話をして」

 と苗が入っているケースの辺りを見つめ、小さく息を吐いた。 

 

 拓に見えて、茜に見えないもの。

 それは、花の精だった。

 花そのものは喋らないし動かないけれど、花の精は人間のような姿をしていて、話したり笑ったり、普通に歩いたりする。原則として、一つの種類の花かつ一つの場所、といっても地域、といってもいいくらい広い場所につき一人いる。

 ほかの人間だったら、「頭おかしいんじゃないの?」と拓を無理やり病院にでも連れていくかもしれない。けれども、小学生の頃、「見える」ことを拓がおそるおそる茜に打ち明けたとき、 茜はひどく真面目な顔でまっすぐ拓を見つめたのだった。

「わたしには見えないけど、拓に見えるんなら、それは、いるのよ! ほかの誰も信じなくても、わたしは信じる!」

 以来いちども、茜は花の精について拓の言葉を疑ったり、茶化ちゃかしたりしたことがない。

 だからこそ拓も、その後まもなく、「華眼師かげんし」の話を家族以外で茜にだけは打ち明けたのだった。

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