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24 夏  ヒマワリ 6

「おう、お疲れさん。ま、ちっと休んでいけや」

 部屋に戻ると、銀次が拓と茜をちゃぶ台にうながした。

 新聞や雑誌がちゃぶ台のそばの床に片付けられていた。拓と茜は、銀次の向かいに座った。

「そういや麦茶があるんだよ」

 銀次は立ち上がり、冷蔵庫の奥から未開栓のペットボトルを出してきた。

 そして、ちゃぶ台までの間に扇風機のコードに引っかかって転んだ。

「あっ」

 拓と茜が立ち上がったときにはヒワコは既に銀次の肩に手をやり、もう一方の手で、床に打ちつけられた彼の脚をさすっていた。


 ――大丈夫か!? 怪我してねーか? 痛むか?


「来なくていいって、こんぐらいのことで。いつものことだ」

 銀次は拓と茜の目を見て自虐的じぎゃくてきに笑った。

「でも、打ちどころによっては病院に行かないと。痛くないですか?」 

「大丈夫だって。姉ちゃんも大げさだな」

 立ち上がった銀次はうるさそうに、でもまんざらではなさそうな顔で茜に言った。そして冷蔵庫のそばにある食器棚からコップを二つ取ってくると、ちゃぶ台の前に座った。

 ヒワコは少し寂しげな顔で銀次について歩きながら、ずっと彼の脚をさすっていた。


 銀次はペットボトルのふたをひねり、麦茶を自分のマグカップと二つのコップとにいだ。

「ずっと前に買ってたことをよ、さっき急に思い出したんだ。年を取ると忘れっぽくなっていけねえ」


 ――そりゃ、あたしが何度も何度も耳元で言ったからね! 拓たちの作業中にさ。

 

 銀次の隣りに座ったヒワコが、得意げに自分の胸を叩き、顎を上げた。


 ――聞こえてるわけじゃないだろう。

 拓は心内語で冷静に言い、銀次に軽く頭を下げた。


 ――耳に聞こえなくったって、心には聞こえてるかもしれないだろ! い……偉人伝ってやつ? 若いくせに頭硬ぇなー。


 ヒワコはちゃぶ台に両肘をつき、手のひらに顎をせて頬をふくらませた。


 ――それを言うなら「以心伝心いしんでんしん」だろ! お前はいつ偉人になったんだよ。



 胸のうちでヒワコに突っ込みを入れながらも、拓は銀次に、冷静に言葉で答えた。

「すみません。いただきます」

 冷えた麦茶は、喉を通ってまたたく間に体中にわたった。一気に飲み干しそうになり、拓は慌ててコップから口を離した。茜も似たようなものだった。

「フヒェヘヘッ。欠食児童けっしょくじどうみてえだなあ、お前ら。ま、働いたあとっつうのはのどかわくよな」

「ですね。すごく美味うまいです」

「おいしいです」

 茜も、しみじみした口調で言った。


 拓は銀次のマグカップに麦茶を注ぎ返した。

 銀次も、皮膚が乾いた感じでごつごつした喉仏のどぼとけを上下させながら、麦茶を飲んだ。

 それから、仏壇をじっと眺めた。

「あいつが生きてりゃなあ」

 拓はどう答えていいかわからず、銀次が見つめる方向を見やった。茜も困惑した顔で、同じようにしていた。

 銀次の息子の写真と妻の写真、ともに仏壇に押し込められて並んでいるそれらに、拓は自然に目がいった。


 えりの学生服を着た少年は、写真の中から、睨むようにこちらを見ている。髪型はリーゼントだ。頬の辺りの肉はあどけない丸みを持っているけれど、目つきはナイフの刃より鋭い。

 自分も目つきが悪いと人に言われるが、こいつは俺より上かも、と拓は思った。

「女房も早死にの方だが、息子はなんてったって十代だったからな。ほんと、兄ちゃんたちみてえに園芸の楽しみでも知っててくれればなあ。そしたらよぉ、家も飛び出さねえし車にねられることもなかったろうさ」銀次はマグカップを持ったまま小さく笑うと、下を向いた。


「ヒロシってんだ。高校もろくに行かねえで、顔を合わせりゃ生意気なことばっか言ってよ。こっちは業務用のモップの営業で、毎日毎日、朝から晩まで暑い日も寒い日も外回りで、ひでえこと言われても頭を下げての繰り返しだから、若いくせになまけてんのが……いや、怠けてるように見えるのが腹が立ってな。……今から思えば、もっとあいつの話も聞いてやりゃよかった んだが」

 今もし息子が目の前にいたらこんな顔をするのかも、という慈愛じあいと、どうにもできないという寂しさ。その二つが入り混じったような目を、銀次は拓と茜に向けた。


 ヒワコは、じっと銀次の顔を見つめていた。涙こそ浮かべていないが、内側に多くのものを抱えて沈んでいるような表情だ。


 目の光は、灼熱しゃくねつの太陽というよりは、静かに消えていく夕日に似ている。


 ヒワコには、ヒロシと銀次の過去のやり取りもすべて見えているのだろう、と拓は思った。

 さっきまでのそれこそ「生意気さ」からは信じられないような、気安く言葉をかけられない感じの顔や風情ふぜいだった。

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