23 夏 ヒマワリ 5
「――けっ! 正論吐くやつはつまんねーなぁ」
ゴーヤーの精ウリヤに突っかかったあと、彼女に優しいまなざしで話しかけられたヒマワリの精ヒワコは……。
そして緑のカーテンづくりも進む。
ヒワコは一度も振り向かない。 拓は思わず拳を握りしめてヒワコの前に回った。
――お前が最初につまんねーこと言ったんじゃないか! だいたい、男のくせに、とか言う んならお前だって、女のくせにその喋り方はなんだよってことになるぞ! そう言われたらお前だって厭だろ!?
すぐそこに銀次や他の住人たちがいなければ、心内語でなく、大声で主張したい拓であった。
――ふん! そういうのってさ、他人が自分と同じだと思ってるから出てくる言葉だよなあ。傲慢、傲慢! あたしはお前とは違うんだから。一緒にするなよな!
ヒワコは拓よりも悪いのではないかという目つきで彼を睨みつけると、いまいましげに地面を蹴った。そして瞬時にベランダの手摺の上まで飛び上がり、直接、銀次の家の窓ガラスに飛び込んだのだった。
植え替えたゴーヤーの苗の周りに土をかぶせ、手のひらでポスポスッと固めながら、拓は溜息をついた。
ウリヤは、まだ彼のそばに立っていた。彼女は窓ガラスの奥を見つめて微笑んでいた。
――はー、口は悪いし、すぐキレるし、前途多難だな、あんたも。
拓がウリヤを見上げると、彼女は、文庫本を持った手を左右に振った。
――いやいや。面白い。えっ、と思うこともあったけど、確かにそうだわねって思うこともあるし。あれだったら毎日、飽きないわ。ちょっと嫌われてしまったみたいだけども。
低めな、明るくのんびりした声で言いながら、ウリヤは最後、ちょっと肩をすくめた。
――前向きなんだな。
――そんなんじゃないけど、楽しくやれたらその方がいいからね。
人間だったら「肝っ玉母さん」という言葉がふさわしい、と拓は思った。
――沖縄から来たのか?
――ううん。どこから来たとか、そういう記憶はないの。でもゴーヤーは実際、沖縄でもたくさん栽培されてるらしいし、沖縄の言葉って、なんか最初っから自分の体の中に入ってるみたいで。
「栽培されてる」の「され」などにアクセントを置いたリズミカルな口調で言うと、ウリヤはまたほわっと笑った。
ゴーヤーの緑の実を料理に使うときは、まず実を二つに割り、中の白いわたをスプーンなどで刳り抜く。そのわたの包み込むようなやわらかさは、ウリヤの笑顔に通じるものがあった。
続いて拓と茜は、まだ端の方が巻かれたままのネットを、ベランダの物干し竿との角度を調整しながら伸ばし、ピンと張っていった。
「なんかあった? さっきすっごぉ―――く目つき悪くなってたけど」
無声音ながらとてもはきはきした口調で、茜が拓に話しかけた。
「いやぁ、ヒワコがウリヤに突っかかって、キレて部屋に戻っちまってさ。……あ、ウリヤってのはさっき言ったゴーヤーの精。年は二十代後半から三十代前半くらいで背が高くてこう、どっしりした肝っ玉母さんって感じのやつな。駄洒落じゃなく瓜実顔で、髪を二つに縛って眼鏡をかけてる」
拓も、これ以上小さくできないくらいの無声音で答えた。
「駄洒落じゃなく、って、どういうこと?」
「ゴーヤーはまたの名をニガウリっつうんだよ」
駄洒落やギャグの内容を説明するほどむなしいことはない。ゴーヤーの苦みが拓の口の中に広がった。
「あー、その名前で売ってたわ、近所の八百屋」
茜は大きく首を縦に振った。それからプランターの苗を、目を輝かせて見つめた。
「こんな小さい苗なのに、ゴーヤーの精の人は大柄なんだぁ」
「そこかよ!」
幼い頃からの付き合いとはいえ、茜の感動ポイントがいまだによくわからない。
「なんならまた、俺にさわるか? そしたらウリヤやヒワコの声が聞こえるかもしれないぞ。スミレのときみたいに」
「いやよ! このスケベ!!」
顔を真っ赤にして、茜は冷たい視線を投げかけた。無声音だが口調はこの上なく激しい。ネットを掴んだ手が小刻みに震えている。
「スケベって!! こっちは親切で言ってるんだろうが」
まったく、なんで俺が非難されなきゃいけねーんだ。拓はネットをぎゅっと握りしめた。汗ばんだ手のひらにネットが食い込む。
「仮に百歩譲ってそうなんだとしても、岩尾さんやアパートのほかの人に、仕事しながらいちゃついてるって勘違いされたら厭だもん!」
少し口調が穏やかになった茜は、ふくれっ面でヒマワリとゴーヤーを見た。
「あーもうめんどくせえ。わかったよ。……よし、このくらいの角度なら、洗濯物が風になびいてもネットに茂ったゴーヤーにくっつかないな」
「そうね」
拓と茜は淡々と頷き合い、張った状態で伸ばしたネットを、苗を植えたプランターに巻き込んだ。プランターが重しになるようにしてからネットを切る。最後に、巻き込んだネットの下端に大きな石をいくつか載せ、再びプランターの位置を調整した。
「オッケー、ネットもピンと張ってるわね。ふう、これで終わりかな」
額の汗をぬぐう茜に向かって拓は、「いや、まだだ」と厳しい視線を投げかけた。
「苗の親づる、つまり一番太いつるの先がネットの外に出るようにしとかないと」
「なんで?」
「ネットの内側じゃなくて、外側に葉が茂るようにだ」
「なるほどね」
拓は生成りのバッグから細い紐を取り出し、苗の親づるの先をそっとネットの外側に出した。
それから、中ほどを紐でネットに結んだ。
拓がするのを見ていた茜が、もう一つのプランターの苗についても同じようにした。
――どうもありがとう。わたし、頑張るさー。
ウリヤはにこにこしながら、お辞儀をし、両手の拳を胸の前でぎゅっと握りしめた。
――こんなにやってもらったのに、お茶も出せなくて、ごめんねぇ。
今度は心からすまなそうに肩をすぼめる。すぼめても、男子高校生として悪くない体格の拓が普通にしているのと同じくらいの、いやそれ以上の肩幅があった。
――そんなの気にすんな。それよか、あいつはどうなった? 部屋でふて寝か?
――ううん。座ってテレビを見ている岩尾さんの肩を揉んで、楽しそうに話しかけてるわー。ほんとに、岩尾さんのことが好きなのねえ。
ウリヤは首を伸ばしつつ、慈しむような目で窓ガラスの奥を見つめた。拓には白いミラーカーテンしか見えないが、花の精同士だともう少し見通しがいいようだった。
「ヒワコは、じいさんの肩を揉んでるんだってさ」
「おーおー、いまどき珍しい、孝行な娘さんじゃねえ」
道具を片付けながら茜は、よろよろと喉の奥から絞り出すような、おばあさんっぽい声色で拓に答えた。




