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21 夏  ヒマワリ 3

銀次は気づいていないが、彼の家にはヒマワリの精、ヒワコがいた。

「エアコン、つけてください。お願いします」

 拓はきっぱりと言った。

「しょうがねえなあ。リモコン、リモコン、と」

 銀次はちゃぶ台の上の新聞や雑誌を掻き分け、リモコンを手にした。

 ピッ、という音とともに、めちゃくちゃ黴臭かびくさいが冷たい空気が、天井近くのエアコンから吐き出された。拓と茜は、風の直撃をけた。


「ネットの上部は、ベランダののきの、いてる物干し金具に物干し竿を渡すのでいいですか?」

「よくわかんねえから、まかせるわ」

 銀次はあぐらをかいたまま後ろ頭に手をやった。

 ――任せるわ。

 ヒワコも、銀次の横であぐらをかき、真面目まじめな顔で彼と同じ仕草をした。拓は吹き出しそうになった。


「あ、でも、葉が茂って実もなるとゴーヤーってけっこう重くなるんですよね。だから、それを支えられるだけの耐荷重たいかじゅうがないとだめなんですよ」


 慌てて窓越しに物干し金具を見やり、銀次の真似をするヒワコを頭から消した。

「うーむ。まあでも隣りの家なんかよ、毎日物干し竿いっぱいに洗濯物せんたくもの干しててけっこう重そうなときもあっけど、物干し金具がどうにかなったってのは聞いたことねえからな。大丈夫だろ。うん。もしなんかあったら、俺が大家にあやまっから、ちゃちゃっとやってくれ」

 銀次は、大きな身振り手振りを交えて言い切った。


 ヒワコはそのあと、膝立ちになって銀次の肩をはじめた。当然のことながら、銀次は気づかず、マグカップに残っていた茶をクワッと飲み干した。

「まあ、物干し金具も頑丈そうですし、じゃ、そうしますかね」

 拓と茜は立ち上がって生成りのバッグを取りに行くと、またベランダに出た。



 物干し金具を実際にさわってみる。太さも硬さも充分あり、びついてポロポロ表面ががれたりということもない。引っ張ってみても、根元がぐらついてもいない。

「これなら大丈夫だろう」

「そうね」

 二人は頷き合い、バッグから物干し竿を分離し、ネットを取り出した。


 ――どうすんだ? それ。

 いつの間にかそばにしゃがんでいたヒワコが、不思議そうな顔でネットをのぞき込んでいる。

 ――あぁ? 端っこの網目あみめを物干し竿にくぐらせて、物干し金具に渡すんだよ。それが上の端になる。下の端は、プランターにネットを巻き込んで大きな石やブロックで押さえる。

 ――へぇ。

 ヒワコはネットの上に体育座りし、それをつついたり体を前後に揺らしたりした。

 ヒワコにかまわず茜がネットを広げ始めた。ヒワコはむっとした顔で飛びのいて、尻をパンパンッとはたいた。



「今日も誰かいるの?」

 茜は、声をひそめて拓にたずねた。

「ああ。ヒマワリのヒワコっていうやつ。俺たちと同じくらいの年で色黒、髪は短くて、目は 子猫みたいにでかくて、なんつーか、岩尾さんの孫みたいな感じ」

「あ、そう」

 素っ気ない返事をしたあと茜は、そういえば咲いてるもんね、あそこに、と庭の隅を見下ろした。


 ――びっくりしないんだな、あの人。


 ヒワコはミニスカートのポケットに手を突っ込み、感心したように顎を上げた。

 

 ――昔から俺のこと、よく知ってるからな。お前らが見えることについても、信じるっつってくれた。前に。

 窓は閉まっているが、もしかしたら銀次に聞こえてしまうかもしれない。念のため拓は、胸のうちで言った。それから、ネットの網目を物干し竿にくぐらせ始めた。


 茜は黙ってその作業を手伝っている。

 ――ふうん。いや、まあ、あたしも花の精の端くれだから過去のあらましは見えるけどさ。殊勝しゅしょうな人だな。大切にしろよ。

 ヒワコはタッ、とジャンプすると、ベランダの手摺に腰掛けた。目にもとまらぬ速さだった。


 それからちょっと首をかたむけて、


 ――でもさ、信じることとすべて受け容れることとはまた別みたいだぞ?

 と言った。

 ――え?

 拓が顔を上げると、ヒワコは茜の背中をじっと見つめた。



 ――うまく言えないんだけどさ、彼女、過去の映像がぶつぶつ切れるんだよ。全部お前と花の精と一緒にいるとき。意識的にか無意識的にかわからねーが、心にプロテクトがかかってるのかなあ。で、その力が大きすぎて、過去を消してるかどっかに隠しちまってるのかも。


 ――どういうことだ。


 ――知るかよ! ま、プロテクトとか大げさなもんでもないかもしれないし。とにかく大切にしろよ。大事なことだから二回言ったからな!

 ヒワコは腕組みして目をつぶり、うん、うん、と顔を縦に振った。



 ――なんだよその上から目線は……。

 拓が溜息ためいきをつくと、茜が明るい声を出した。

「さ、これで全部、網目がくぐったわよ」

「心にプロテクト」、「どっかに隠しちまってるのかも」、どれも茜の声や表情からはまったく拓には想像できなかった。

 ま、いいか。とにかく、今は目の前の仕事に集中しよう。


「んじゃ物干し金具に渡すか。茜はそっちの端、持って」

 せーの、よっ、と掛け声をかけ合って、拓と茜はネットの網目をくぐらせた物干し竿を物干し金具に取りつけた。

「じゃ、ネットの残りを庭に下ろそう。俺、先に下に行ってるから、頼む」

「あいよー」

 茜はネットを腕いっぱいに抱えて手摺の所まで行き、拓が下で待ちかまえるのを待って、それを下ろした。拓はちゃんと両手でそれを受け止めた。


 ――はー、阿吽あうんの呼吸だね。なんかもう、長年連れ添った老夫婦って感じ?  同じ穴のムジナ?

 手摺に掛けて二人を見たまま、ヒワコは脚を組んだ。

 ――「同じ穴のムジナ」って、それ、二人とも犯罪者かなんかみたいだろ! それを言うなら「偕老同穴かいろうどうけつ」かなんかの間違いじゃねーの?


 ――あれ、そうだっけ? カイロウドウケツってそもそもなんだ?

 ヒワコは伸ばした人差し指を顎に当てて首をかしげた。

 拓は、漁師か何かのようにネットをほぐしながら答えた。


 ――夫婦が仲よく長生きして、死んでからも一緒にほうむられることだ。もう一つの意味は、深海に住む海綿かいめん動物。かごみたいな形の骨格の中に一対のエビがいる。


 ――あー、ちょっと動物の名前が違っただけで合ってるじゃん!

 ――ムジナとエビじゃ全然違うだろ!

 拓とヒワコは、目を合わせたまま見えない火花を散らし合った。



 やがて茜も、生成りのバッグを肩に掛け、軽く銀次に挨拶あいさつして庭に向かった。

 拓と茜は、生成りのバッグから横長の大きなプランターを二つと、いくつかのゴーヤーの苗、市販の野菜用の培養土ばいようどが入った袋、鉢底ネット、化成肥料(かせいひりょうが入った袋、じょうろを取り出した。

 それから、プランターの底に鉢底ネットを敷き、土と化成肥料を入れた。


「……仏壇のこと、なんか言ってた?」

 茜が、土を見つめながら拓にそっとささやいた。

 窓が閉まっているとはいえ、大きな声では銀次や近所の人に聞こえないとも限らない。拓もおのずと小声になる。

「ん?」

「あ、いや、ヒマワリの精の人」

「特に言ってないけど」

 そうなんだ、と茜はハンドスコップで土と化成肥料とを混ぜ合わせ続けた。

 拓も、もう一つのプランターで同じ作業をした。顔には出さなかったけれど、こいつもやっぱり気にしてたんだ、仏壇のこと。

 サクサクと、かすかな音が響く。すぐ近くの道路を、学校帰りの少年が二人、ふざけ合いながら通り過ぎていく。


 ――仏壇の写真は、じいさんの奥さんと息子だよ。

 いつのにか、真顔のヒワコがすぐそばで二人を見下ろしていた。

 ――お、お前。

 言葉は発しないけれど拓が驚いた顔で振り向いたので、茜もその辺りに目をやった。

 ――息子はちょうどお前くらいの年の頃、家出中に事故で死んだ。奥さんも数年前に病気で。

 ヒワコは顔をそむけて、斜め下に視線を落とした。

 ――そうなのか。ほかに家族は?

 彼女は顔を上げて、腰に手を当てた。ふてくされたように続ける。


 ――あたし以外、誰もいねえよ。


 ――お前、孫でもなんでもねーだろーが!

 拓は小声で突っ込んだ。


 ヒワコは口を尖らせ、両手を横に大きく広げて拓の背中に蹴りを入れた。

 実害はないとはいえ、伸びきった脚がスパァァアン! と勢いよく向かってくると拓は思わずよけてしまった。

 自分がサッカーボールか何かになった気がした。


 ――いいんだよ! あたしがその気でいたって、誰にも迷惑かけないだろ? どうせじいさんには見えないんだし。


 ――落ち着け! 暴力じゃなくて言葉で語れ言葉で!

 

 拓は、ヒワコと目を合わせるのを必要最小限にした。これで、誰かが自分を見かけても、あらぬ方向をずっと見つめているという感じでないはずだ。

 ――ま、孫ごっこは認めてやるよ。で、じいさんについてまだ続きがあるんじゃないか?

 ――うん。じいさんにはきょうだいもいねえ。……でさあ。

 そこで、ヒワコは大きく息を吸い込んだ。


 ――さっきは、あ、……ありがとな。

 

 ヒワコの頬が赤くなり、また斜め下に落とされた視線が左右に揺らいだ。

 息を詰めたように唇をぎゅっとむすんでいる。

 ――え。

 ――エアコンだよ、エアコン! あれで今日は、じいさん、熱中症になんないだろうからな。

 ――ああ。いや、別にいいよ、そんなの。……てかなんでお前、そこで拳固めるわけ? 違うだろ! そのリアクション!


 ――うっさいな!! どーしていいかわかんねーんだよ自分でも!


 ヒワコはますます顔を赤くした。地団太を踏み、目をつぶって拳を振り回しながら拓に近づいてくる。

 それを見ると、やはり拓は顔の前に両手をクロスさせ防御せずにはいられなかった。


 ――あのう。

 落ち着いた、やや低い女の声がした。

作者は植物の専門家ではありません。実際にゴーヤー等で緑のカーテンをつくられる際には、専門書の指示などに従って適正に作業をおこなってください。


今日は少し長くなってしまいました。

ここまでお読みくださり、どうもありがとうございました。

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