19 夏 ヒマワリ 1
今日から新しい話です。季節は夏。
ここはアーケードのない商店街。日に照らされたアスファルトが、ところどころプラチナみたいに銀白色に光っている。
「うっ」
水原拓は眩しさに顔を顰め、肩にかけた生成りのバッグのベルトをきつく握りしめた。ただでも大きめなバッグは、園芸道具でさらに大きく膨らみ、物干し竿が結わえつけられている。
「どうしたの?」
拓と揃いのバッグを肩にかけ、革の鞄を手に彼と並んで歩いていた土屋茜が、ただでも大きな目をさらに見開いた。
鳩が豆鉄砲を食らったみたいだ。
「目が! 照り返しをまともに食らった! くそっ、サングラスでもかけてりゃなあ」
「あー、その方がきつい目が隠れて人相よくなるかもね! いや、やっぱりかけた方が人相悪いかしら」
茜は、顎に指を当てて真剣に考え込んだ。
「……お前なあ」
彼女に、涙目で言うのが精一杯の拓だった。
まだ六月、おまけに夕方と呼べる時刻も近いというのに、日射しが弱まる気配はない。
靴底から伝わってくる熱も半端なく、拓は自分の踵がお好み焼きや鉄板焼きにでもなった気がした。
そう思うと少し腹も減ってきた。和菓子屋のガラスケースに並んだおはぎやみたらし団子がやけに魅惑的に見え、拓は唾を飲み込んだ。
学校から数駅の商店街は、拓や茜の家のそばにあるものと違い、アーケードがない。
和菓子屋、本屋、電器屋、惣菜屋、中華料理屋などが、歯科医院や接骨院、小さなマンションなどを間に挟んで道の両側に建ち並んでいる。
人通りは多くなく、半分以上が高齢者だ。 買い物客は皆、ゆっくり歩いている。初老の女性がもっと老いた女性の車椅子を押している。
シャッターに閉店の貼紙が貼られている店舗もいくつかある。
昔はもっと栄えてたのかもな、と拓は思った。
今日訪問する岩尾銀次という客の家は、商店街を中ほどまで行き、横道に入ってから何度か角を曲がった所にあるアパートとのことだった。
板塀や古いブロック塀に囲まれた木造家屋がたくさん残っている地域で、塀の間から、ヤツデやアオキ、キョウチクトウなどの濃い緑が覗いていた。
「ああ、あれか」
黄色っぽい壁に青い屋根がついた、二階建ての大きなアパートが見えた。
かなり年季が入っている。少なくとも築数十年は経っているだろう。壁は黒ずみ、ひび割れを補修したあとが白っぽい筋のように何本か走っている。
「何号室だっけ」
拓が握り締めているメモを、茜が覗き込んだ。
「一〇六号室」
岩尾銀次の部屋は一階の階の奥だった。ドアの脇にある洗濯機は二槽式で色が褪せ、うっすらと埃を被っている。
インターホンではない、丸っこいブザーを拓は押した。音が出ない。何度も押す。同じことだった。
「壊れてんな」
「じゃ、ノックして呼びかけだね」
拓はとまどったが、小さく溜息をつき、焦げ茶色のドアを叩いた。
トントン。
「すみません。岩尾さん、いらっしゃいますか?」
……。何も反応がない。
「もっと強くノックしてみなさいよ。あと、声が小さい! もっと大きく!」
茜は部員を指導する演劇部の鬼上級生みたいに、横で仁王立ちになっている。
「ならお前がやれよ」
「だーめ! わたしに頼らないで。部長でしょ!? このくらい一人でちゃんとやってよね」
茜は腰に手を当て、眉を吊り上げた。
ドンドンドン!
「すみませーん。岩尾さぁん! いらっしゃいますか」
やはりしんとしていた。
「まだまだね。もっと腹に力を入れて。腹筋を使って腹から声を出す!」
「えっ! だってお前、近所迷惑だろうが」
「これくらい大丈夫よ。うるさかったら、誰かなんか言ってくるって。今、我々が最優先順位を置くべきは、岩尾さんとのコンタクトよ」
茜は、目的のためなら手段を選ばないとでもいうような氷の表情を浮かべた。その目はもはや演劇部の鬼上級生を超え、暗殺者と化している。
「……んだよ。やりゃいいんだろ? やりゃ」
拓は口を尖らせ、さっきより拳に力を込めてドアを叩いた。
ドンドンドンドンッ!!
ドンドンドンドンッ!!
「すみませぇえ――ん。い・わ・お・さぁああ――ん!! 緑高校の園芸部ですがぁあっ!!」
手の指や骨がじんじん痛んだ。
ガチャリ。
ドアが開いて、白髪交じりの日に焼けた顔がぬっと出た。
丸いあんパンを両側から軽く押しつぶしたみたいな顔かたちだ。年の頃は六五から七十歳といったところか。
「なんでぇ兄ちゃん、静かにしてくんねえか。近所迷惑だ」
厳しさもあるが少年のようにいたずらっぽい光を放ってもいる、アーモンド型で二重の目。その目とざらざらしただみ声とに、ギャップがあった。そしてものすごく声がでかい。
(あんたにだけは言われたくない!)
喉まで出かかった言葉を拓は飲み込み、もう一度、緑高校の園芸部の者だと名乗った。
寒いとき(11月半ば)に暑いときの話を書くのっていいですね。どことなく温まる気が。




