16 初夏 雨の日の部活 1
特に何も依頼がない雨の日の園芸部。茜は、クラスの子のことや華眼師のことなどを拓に訊く。
「ったく、よく降るわね。まだ梅雨入りしてないのに」
土屋茜は、園芸部部室のテーブルに頬杖(ほおづえをつき、溜息をついた。
サーサーくらいだった雨音が、少し前からやや強くなってきていた。
「いいじゃねーか。花にとっては恵みの雨だ」
木でできた大きなテーブルの斜め向かい、つまり、茜からだいぶ離れた席で水原拓が、顔を上げずに答えた。
園芸部長である彼は、さっきから真剣なまなざしで手元の図面と植物図鑑を交互に見ている。そして、図面に植物の名前を書き込んでいる。
図面は、拓と茜が通っている私立緑高校の校庭にある花壇の設計図だ。
夏の花壇をどんな花で埋めるか、拓は頭を悩ませているのだった。
むかし用務員の宿直室だった部室には、テーブルが置いてある板敷きのスペースの奥に、小上がりみたいな畳のスペースがある。
けれども、畳のスペースはまったく使われていない。
そこに置かれたちゃぶ台も座布団も、侘び寂びの雰囲気を――今日のように雨で外がどんよりしている日はいっそう――醸し出していた。
二人とも黙々と作業していて、雨音以外には、壁に掛かった円い時計の秒針が進む音くらいしかしない。図書館並みの静けさだ。
「ニチニチソウは外せないよな……。毎日よく咲いてくれるし、暑さにも強いし、実に頼もしい」
拓の独り言が、静寂を打ち破った。
「えー、ニチニチソウってどんな花だっけ?」
茜も立ち上がって植物図鑑を覗き込む。
そこには、五枚の花弁すなわち花びらからなる赤やピンク、白の花がたくさん咲いている写真があった。
花弁が細くないこともあり、花は角が鋭くない、ゆるい感じの星型に見えた。葉は濃い緑の楕円形だ。
「へぇ、かわいいじゃない」
「だろ?」
拓は初めて茜と目を合わせた。
「そうなんだよ、かわいい上にいい奴なんだ!」
肘を曲げ拳を握りしめて笑っている。
目つきが悪いのはそのままだが、目に星のような光が宿って頬が少し赤くなっている。
茜がちょっとむっとした表情を浮かべたことなど、拓は気づく気配もない。
「隣りには何がいいだろう……イソトマ辺りか」
とまた図鑑に視線を落としている。
茜は小さな溜め息をつくと、木でできたテーブルに広げていたノートに、手元のレシートの品目と数、金額を書き写していった。
緩効性化成肥料、ハンドスコップ、じょうろ、ゴム手袋、などなど。
何しろ部員が二人しかいないので、茜は園芸部の副部長とともに会計担当も兼ねているのだった。全校的な部活会議の出席といった総務的な仕事については、彼女は拓と手分けしてこなしていた。
「今日はぜんぜん依頼の電話も来ないね」
「まあ、この雨だしな」
その途端に電話が鳴った。
「緑高校園芸部です。……は? 投資用マンション? 買いません! てかここ高校だけど。番号違うんじゃね?」
受話器を取った拓は、すぐに電話を切った。
電話は用務員の宿直室だった頃の遺産で、便利なことも多いけれど、こんなふうにうんざりするものもときどきかかってくるのだった。
「このあいだはペットショップ宛ての電話がかかってきたよ。シニア犬用の餌はあるか、とかなんとか。拓が席外してるときね」
茜が会計ノートから目を上げて肩をすくめた。
「植物用の化成肥料ならあるんだが……。ここの番号、もしかしていろんな所のに似てるのか?」
雨なので運動部の「ファイ、オーッ、ファイ、オーッ」といった掛け声も聞こえず、再び部室に静寂が戻った。
「そういえばさ、あかりん、パーマかけたら急に大人っぽくなったと思わない?」
「あかりん? 誰だそれ」
拓は眉をしかめ、真剣な顔で茜を見た。
「誰だそれ、って! 同じクラスの矢山さんだよ! 拓の左の左の左の席」
茜は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で拓の方に身を乗り出した。
「左の左の左か。じゃ、わからんな。俺が覚えてるのは、前後左右の座席のやつまでだ。あと茜」
「ほかの人とも話すでしょう!? どうしてるのいったい」
「ごく普通に、名前を呼ばずに話してる。特に困らないが」
拓は平然と、マグカップに注がれた緑茶を飲んだ。茜が何を慌てているのか、まったくわからなかった。
「困ってないならいいのかもしれないけど、もう少し人間に興味を持ってもいいんじゃない?」
こめかみを指で押さえながら、茜は口を尖らせた。
「どうして」
「どうしてって……。文化祭ではクラスの出し物があるんだし、体育祭だってあるし、その、クラスの子たちといろいろ協力しなきゃいけないことも出てくるでしょ」
「もちろん協力するさ。仕事はちゃんとやるつもりだ」
「だから仕事とかそういうのじゃないんだって。ああもう、何て言えばいいんだろ」
茜は自身のポニーテールをぐっと引っ張り上げ、素早く結い直した。
「そうだ、友達! 友達つくらなくていいの?」
「友達ならお前がいるじゃないか」
光に乏しい、鋭い目つきで拓は無愛想に言った。
「いや、だから、お、男友達とか」
茜は何度も瞬きし、横を向いた。声が急に小さくなっている。
「男で名前を覚えてるやつなら前後の席にいる。休み時間や掃除の時間にも、必要があれば話してるし。てか友達って、つくらなきゃいけないとかそういうんじゃないんじゃねーか?」
「そうだけど、でも」
「友達になりたいと思うやつがいたらなるから、心配すんな」
あまり笑いたい気持ちでもなかったが、拓は唇の端を無理やり上げてみた。
「うーん、心配とかいうのともまたちょっと違うんだけど……拓にはわかんないか」
「わからん」
「拓は花の精が見えるから、そんなふうでいられるんだよ。わたしは見えないからさ、一人でも平気、みたいにはいられないよ」
茜は目を伏せ、ボールペンを指先でくるくると回した。
「ところで、華眼師ってさ、教師とか狂言師みたいに、仕事なわけ?」
しばらくして、また茜が拓に話しかけてきた。
「『か行』のばっかりだな。うーん、昔は陰陽師みたいに職業的なものだったようだけど、曾じいさんの時代にはとてもじゃないけどそれじゃ食っていけない、って感じだったようだ」
拓は頭の後ろで指を組み、椅子の背凭れに寄りかかるようにして背筋を伸ばした。
「具体的にどんな仕事だったの?」
「農作物をよりよく育てる方法や、その年の農作物の豊作・不作のこと、近づいてくる台風なんかの自然災害や天候の情報とかを花の精から聞いて、村の人々に伝えたりしてたようだ。じいさんの話ではほかにもありそうだったんだが……」
拓はじっと天井を眺めた。
「何、どうしたの?」
「ガキだった俺は、じいさんの話に飽きて、外に遊びに行っちまったんだよ。じいさんはもう長いこと意識不明だから話を聞くのは無理そうだし、永遠にわかんねーかもな」
「そうなんだ」
茜はボールペンをテーブルに置き、気の毒そうな顔で拓を見つめた。
男女が部屋に二人きりでいても、ぜんぜん色っぽい展開になりませんね。




