13 春 パンジー・ビオラ 12
JC薫の願いに、スミレはどう応えるのか?
「まだ信じられないか」
「うん。さっきよりは少し気持ちが変わったけど、でも、見えないし……どんな人?」
拓はスミレの顔や姿について薫に説明した。
「オレンジがかったややロン毛の金髪で、青い目の美人だ。紫のグラデーション・白・レモンイエローのワンピースを着てる」
「そうなんだ。会ってみたいな。……会えなくても、やっぱり、ここにいるって、自分の目で確かめたい。いい方法ないかな」
ゆっくりと噛みしめるように、薫は言った。
「無茶言うなよ。誰にでも見えたりしたらまずいから、見えねーようになってるかもしれねー んだぞ。声だって同じことだ」
拓は手のひらで顔半分を覆った。
茜も、拓の耳をますます力を込めて握ったまま、頷いた。
――でも、疑いを持つことはいいことですよ、薫ちゃん。
スミレの明るい声に、三人ははっと顔を上げた。
――自分で考える、ってことですから。
スミレは笑いながら、こめかみを人差し指でつんつんしてみせた。
何ものにもひるまない芯の強さが、スミレのやわらかそうなオレンジがかった金髪や穏やかな微笑み、透き通るような白い肌に包まれているように拓には見えた。
――わたしの姿を直接お見せすることはできないですけど、ここにいることは、お見せできると思います。
「どうやって」
気が気でない拓に向かって、スミレは拳の上で親指を立て、にっこり笑った。そして、花壇から水色と白という二色の花びらをもつビオラの花を一輪、萼の辺りから摘みとった。
そのまま花を指でそっとつまみ、薫、拓、茜がいる近くの土の上にしゃがみ込む。
スミレはビオラの花を、さっと横に動かした。それから縦方向に、上から下にすべらせて最後ちょっと斜め下にやった。いったん手を止め、今度は右斜め上から下に花を動かし、「の」の字を書くように丸みを持たせて払った。
拓は思った。俺にはスミレも花も見えてるけど、薫と茜には、土に近い所の空中でビオラの花がひとりでに動いてるように見えるんだろうな……。
「糸とかついてないのに動いてる! え、何これ……文字?」
薫がしゃがみ込んだので、拓も同じ姿勢をとらざるを得なかった。彼女の肩に置いた手や腕がだいぶ痺れて、じんじん重い。拓の耳たぶを握っている茜も、必然的にしゃがむことになった。ずっと掴まれているせいで拓の耳たぶは、燃えるように熱くなっていた。
「平仮名の『あ』じゃないかな」
空いている手の指でスミレの指の動きを再現しながら、茜が呟いた。
「そうかな。わかんなかった。ごめんなさい、もう一度書いて」
ビオラの花に向かって薫は手を合わせた。真剣な表情だった。
スミレはいいですよ、と笑い、もう一度、さっきよりもゆっくりと花を動かした。
今度は薫も、目と自分の指との両方で、スミレの、というか花の動きを追った。
「『あ』だ!」
薫は、拓と茜の顔を見ながら、眉を持ち上げて笑った。拓たちもそれに頷いた。
いったん止まっていたビオラの花が、また動き出した。今度は縦方向から始まり、止めて撥ねて、少し右に移って、上から下にすうっと長くはらう、というふうに動いた。
「り!」
薫の声がだんだん大きくなってきた。
「は!」
「は! ……え?」
薫は片目を顰めて困ったように拓と茜を見た。
「ありはは……アリの母?」
「女王アリかなあ。いや、でも、最後まで書いてもらわないとわからないわよ」
二人とも首をひねりながら顔を見合わせた。
三人の困惑にはおかまいなしに、ビオラの花はまた踊るように宙を舞い始めた。薫は口をきゅっと結び、息をひそめてそれを眺めている。
「た!」
次の文字は「ら」、その次からは順に「き」、「も」、「の」だった。
花は宙で止まると、静かに地面に着地した。
拓にだけは、ラストライブを終え、万感の思いを込めてマイクを置く引退直前の歌手みたいにビオラの花を置くスミレの姿が見えていた。微笑んではいるものの、心なしか、スミレは少しやつれていた。
「あり、はは、たら、きもの?」
薫は単語ごとに指を折り、瞬きを繰り返しながら、動かなくなったビオラの花を見つめていた。
「なんで区切るんだよ! アリは働き者、でいいだろ」
拓が突っ込みを入れたが、
「あら、アリ、母、タラ、着物でも合ってるじゃない。この四つの単語に共通する何かが秘密のメッセージなのかも……」
茜も、試験勉強をしているときよりも真剣な顔で、指を顎に当てていた。
そのときだった。
立っていたスミレが、目を閉じ頭を反らしてバランスを崩し、地面に倒れてしまったのだ。
オレンジがかった金髪が植物の蔓のようになまめかしくうねりながら地面に広がった。
すぐに彼女は腕で自分の体を支えて起き上がり、横座りの姿勢になった。もともと色白とはいえ、ひどく顔色が悪い。上半身もふらついている。
拓は息をのみ、彼女の元に駆け寄ろうと足を踏み出した。
スミレは、唇に人差し指を当てて首を横に振った。
――来ないでください。……わたしは大丈夫です。こうなったことは、薫ちゃんには絶対言わないで。
――大丈夫って! 全然、大丈夫じゃねーだろ! どうしたんだよ。
急に止まってつんのめりそうになる体をぎりぎりのところで拓は保った。
心内語で話していると茜が、どうしたのかと訊いてきた。
薫も拓を見上げた。
「別に。いやー、タラ最後に食ったのいつだろう、って考えたらわかんなくなっちまってさ」
するすると嘘が出てきた。
「タラっていったら冬に鍋じゃない?」
「お父さんのお酒のおつまみも、原料タラだった」
「それもありね。わたしはあんまり好きじゃないけど」
スミレがこんなことになっているとは知らない茜と薫は、楽しげに喋っている。
なんということでしょう。
事態の変化に薫は気づくのでしょうか?




