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グレ子さん  作者: AAA
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第三章~~………………莫迦(ばか)~~   後半

 姿見は頬の冷え込みで目が覚めた。

 青臭い草の匂いが鼻につく。横から強い光が差し込む。

 姿見はゆっくり瞼を開けた。土と雑草が顔のすぐ横にあった。どうやら地面に転がされているらしい。更に視線を遠くに飛ばす。遠くに夕日で燃え上がった稲が広がり、豆粒程度の小さな集落が所々に点在している。


「ここどこだ?」


 姿見は立ち上がろうして、体が全く動かない事に気付いた。うん? と姿見が自身の身体に視線を移し、驚きで目を見開いた。足と腕をビニールロープで縛られている。ロープは白く半透明で安っぽい印象なのに、いくら動いてもびくともしない。何か特殊な素材で作られているのかもしれない。

 半ば寝ぼけていた姿見の頭に危険のアラームが鳴り響き始めた。姿見は某国の諜報機関の話を思い出す。冗談半分で聞いていた話が現実味を帯びてくる。

 姿見は何とか現状を把握しようと身を捩って仰向けになった。視界の端に、製菓メーカーの巨大な看板を捕らえる。

 姿見はその看板に見覚えがあった。グレ子を呼んだ儀式の移動中に見た。市境近くの山の麓にある空き地だ。平らにならされた地面は何年も人の手が入っておらず、雑草が生い茂っている。わらしべが、いつまで経っても工事が始まらない嘘工場予定地と言っていた。


「ハーイ、スットプネ、ガール」


 更に身を捩ろうとする姿見を、野太い声が止める。

 姿見が顔を上げると、でかい鼻をした筋肉隆々のひげ親父がいた。


「ごんちゃん!」


 姿見の前に現れたのは、今日転校してきた四十五歳のおっさん、ごんちゃんだった。ごんちゃんは人懐っこい笑みを浮かべ、両手でサムズアップする。


「イエース、転校生ノごんちゃんデース。シカシ、ソレハ、世ヲ忍ブ仮ノ姿デース。ワタシ本当ハ……オオット、コレハ機密デシタ。ソーリー、ガール」


 ごんちゃんがおどけたように、シー、と人差し指を唇に当てる。


「何が目的?」


 姿見がセーラ服に包まれた身体を固くする。スカートから露になった太ももを隠すように身を捩る。


「安心シテクダサーイ。マダ、乱暴スル気、アリマセーン。大体、ソンナ貧相ナ体ジャ、楽シクナイヨ」


 最後の一言で、姿見の頬が引きつった。唾の一つでも吐いてやりたくなったが、そんな事をしても状況がよくならない事は姿見でも分かる。とりあえず、質問に答えて時間稼ぎをするしかない。時間さえ稼げれば、グレ子か日ノ本かどちらかが助けに来てくれるはずだ。


「ソレデハ質問スルネ。グレ子さんト呼称スルりとる・ぐれい種ノ、制御方法ト廃棄方法ヲ教エテクダサーイ」


「やっぱり、グレ子さんが目当てか! グレ子さんを言いなりにして、どうするつもりだ?世界征服でも始めるつもりか?」


 ごんちゃんが目を丸くする。驚いたと言うより、何言ってんだコイツ、と言う雰囲気だ。


「ハッハッハッハッハッハッハッハッハ」


 突如、ごんちゃんが天を仰いで笑う。


「何が可笑しい?」


「オー、失礼シマシタ。アマリニモ詰マラナイ言葉ニ、思ワズ笑ッテシマイマシタ」


 ハン、とごんちゃんが肩をすくめて笑う。


「ワタシノ目的ハ、地球ノ平和ダケデース」


 姿見はごんちゃんの台詞に呆れた。現実は日曜朝の戦隊ものじゃないのだ。地球全域の平和等、絵空事にしか聞こえない。大体、平和を願うなら、グレ子を怒らせるような事はしないはずだ。言っている事と、やっている事がまったく一致していない。

 ごんちゃんは姿見の様子など目に入っていないのか。頬を高潮させて、朗々と語る。


「ソモソモりとる・ぐれいトハ、れてぃぷしあんガ作ッタ地球侵略ノ尖兵ナノデース。奴ラハ何十年モカケテ、人類ヲ緩ヤカナ衰退ニ陥レテイルネ。二度ノ世界大戦モ、ぱーるはーばーモ、世界恐慌モ、べとこんモ、九・一一モ、EU財政破綻モ、ゼーンブ、全部れてぃぷしあんト、ソノ……」


 こいつ、真性だ。

 大真面目な顔をしたごんちゃんに、姿見は先ほどとは別種の危険を感じる。体中から冷たい汗が吹き出てくる。

 宇宙人が地球を侵略しようとしているなんて、B級映画に出てきそうな設定だ。しかし、その設定で日本の高校に転校し、日ノ本達日本政府の目をかいくぐって姿見を連れ去った。人生を賭けていなければ出来ない所業だ。

 と言うか、四十五歳の転校生なんて怪しすぎるだろう、何やってんだ日本政府。

 姿見は声にならない罵倒を日ノ本と日本政府に向けた。


「……ト、言ウワケデース。ガールハモチロン協力シテクレルヨネ?」


 長々と自説を演説し終えたごんちゃんが、邪気の感じられない笑顔を姿見に向けた。


「返事の前に聞きたいけど、あんたはそれをどこで知ったんだ? そんな重大な事、国家機密になっているだろう」


「フフフ、バレテシマッテハ仕方アリマセーン。ワタシハ、国連ガ組織スル対宇宙防衛隊ノ一員、アラユル人種、思想、宗教ヲ超エテ集メラレタ、エリートソルジャーノ一人ナノデース。コレガソノ隊員証ニナリマス。本来ナラ機密ナノデガ、ガールニダケ特別ニ見セテアゲマース」


 ごんちゃんがポケットから一枚のカードを取り出す。ラミネート加工されたそれは、上半分にイラスト、下半分に文字が描かれている。

 姿見は何度も目を瞬めてカードを見る。何度見てもそれはカードゲームのカードにしか見えなかった。


「コレデ信ジマシタカ? ナラ、質問ニ答エルヨネ?」


「いや、ちょっと待って、まだ聞きたい事が「シットッ!」


 罵声と共に土を蹴る音が聞こえて、姿見は身を固くする。ごんちゃんの足が、姿見の眼前に振り下ろされた。丸太の様に太い足を突きつけられて、姿見は唾を飲んだ。


「ワタシ、質問ニ答エタ。次、ガールガ何デモ答エル番、コレ世界ノ常識ネ」


 さあ言え、とごんちゃんから無言の圧力をかけられ、姿見はあっさりと降参する。


「グレ子さん達は杏子が苦手だそうです」


「アンズ? チョット待ッテクダサイ」


 杏子の意味が分からないのだろう。ごんちゃんは電子辞書を取り出し、人差し指で操作する。

 姿見はこれで良いんだと自分に言い聞かせた。自分の命とグレ子の不利益な情報。天秤に掛けるまでもない。大体、この程度の情報だけで、あのグレ子がどうに駆るとは思えない。だから、これで良いんだ。胸に刺さる痛みを無視する為に姿見は何度も呟いた。


「ヘイ、ガール。嘘ハイケナイネ」


 電子辞書から顔を上げたごんちゃんが、悲しそうな顔を姿見に向ける。


「アプリコットデりとる・ぐれいガ殺セルナラ、今頃、NASAハ宇宙ノ覇権ヲ握ッテマスヨ」


 ごんちゃんは、やれやれと言った様子で肩をすくめ、口角を吊り上げた。


「いや、本当に「残念デース」


 ごんちゃんは姿見の話を遮る。看板の方へ向かって歩き出した。


「アナタガ、ソコマデりとる・ぐれい達ヲ庇ウトハ、思イマセンデシタ。非常ニ残念デスガ、最後ノ手段ヲ取リマース」


「早すぎるだろっ! 最後の手段」


 完全に一人の世界に入っている。姿見の声を無視して、ごんちゃんは看板の下にしゃがみ込むと、芋虫状の人間を担ぎ上げた。ごんちゃんが芋虫の顔を姿見に見せつける。


「わらしべっ!」


 芋虫はわらしべだった。猿轡をかまされた顔を罰悪そうしていた。


「後ヲツケテキテイタノヲ、捕マエマシタ。正直ニ話サナイト、友達ニ酷イ事シマース」


 ごんちゃんがわらしべの顔の前で拳骨を作った。ごつごつとした大きな拳が、わらしべの顔を覆い隠す。ごんちゃんの肩の上でわらしべが暴れるが、びくともしない。

 ごんちゃんの非情な作戦に姿見は奥歯をかみ締めた。わらしべの人格は最低だが、貴重なロリで巨乳の枠だ。簡単に潰されては高校生活のおっぱいと背徳感が足りなくなる。それだけは何としてでも阻止しなくてはいけない。しかし、真性のアレに何を言えば納得するのか。真実を話しても信じてくれない以上、姿見にはどうしたらいいのか分からない。

 ごんちゃんが呆れたように息を吐いた。


「フゥ、強情デスネ。友達カラモ何カ言ッテアゲナサイ」


 何を思ったか、ごんちゃんはわらしべの猿轡を解いた。

 わらしべは自由になった口を使って、ごんちゃんに話しかける。


「ごんちゃん、姿見の尋問あたちがやるから、縄を解いて?」


「わらしべぇぇぇぇえ」


 姿見が吼えるが、わらしべは眉一つ動かさない。


「あたち、さっきのごんちゃんの話を聞いて、使命に目覚めたんだよ。あたちも地球の平和を守りたいっ! だから手伝わしてよ。姿見の事なら何でも知ってるから、拷問するならあたちが適任だぜ」


 最初は不審そうな顔をしていたごんちゃんだが、地球の平和のくだりで破顔した。ごんちゃんは丁重にわらしべを肩から下ろすと、芋虫状に巻きつけていた縄を解く。


「オーケー、リトルガール。君ヲ特別ニ現地協力員ニ任命シマス。上手ク情報ヲ聞キ出シテクダサイ」


「はーーーい」


 ごんちゃんに敬礼したわらしべが、姿見へにじり寄っていく。心底楽しそうに笑っていた。

 わらしべは姿見の前にしゃがみ、ペシペシと姿見の頬を叩き始めた。叩き方は軽かったが、叩かれる度に腕時計に反射した夕日が差し込んでくるので、姿見は眩しさで顔を歪めた。


「よう、姿見ぃ。良い格好じゃねぇか? 気分はどうよ」


「最悪に決まってるだろ」


 姿見はわらしべを睨みつける。わらしべがこういう奴だと分かっていても腹が立つ。


「真実を話す気はある? あるならさっさと吐いちゃいなよ」


「いや、だから、グレ子さん達は杏子がブヘッ」


 姿見が反論しようとすると、わらしべは頬を押しつぶして黙らせた。


「まだ、言う気がないのかぁ。ざーんねん、それじゃ拷問だねっ」


「いやその理屈はおかブヘッ」


 また、黙らされる。


「あ、そうだ」


 わらしべが明るい声で言うと、姿見の肩を押して仰向けにさせる。え、と思う間もなく、わらしべが姿見の上に馬乗りになった。

 姿見はわらしべの小さなお尻の感触緩ませた頬をすぐに引きつらせた。わらしべが両手を蟹の様にうごめかせていたからだ。わらしべの視線は姿見の顔を向いていない、首のすぐ下を見ている。姿見は恐る恐る尋ねる。


「何する気?」


「おっぱい揉み揉み……もとい、くすぐりの刑。いつもは姿見が弄ってるから、今日はあたちが弄る番だぁ」


「ぎゃあぁぁぁぁ、やめてぇぇぇ、初めての愛撫が外でなんて嫌ぁぁぁぁ」


 姿見が悲鳴を上げるが、わらしべの手は止まらない。寧ろ嬉々として動いているように見える。


「ホレホレ、ここがええんか? それともこっちがええんか?」


「ああ、それ駄目…………ン、フゥッ…………ア、ンンッ」


「必死に声を隠して可愛いねぇ。普段とは大違いだよぉ」


「て、バカ、ブラずらす……ンンンッ、アッアッアッ」


「いやー、他人のおっぱいっていいねぇ。スベスベで柔らかいのに、ここはグミみたいで」


「アン」


「こりゃあ、姿見がはまるのも分かるよぉ」


「ば、ばっかぁ、はげ、しく……くぅぅぅんんん」


 わらしべの思うがままに姿見の胸は弄られる。その度に、姿見の口からあられもない声が漏れた。次第に下腹部が疼きだし、姿見は内太ももを擦らせる。視界はぼやけているのに、わらしべしの意地悪そうな顔だけが良く見えた。

 あと少し、と姿見がえびぞりになった所で、セーラー服の中の手が抜き取られる。


「はぁはぁはぁはぁ……なんで…………」


 姿見の唇から艶のある声が漏れる。姿見が恨めしげにわらしべを睨むと、わらしべが意地悪るそう歯を見せて笑う。


「キシシシシ、くすぐりの刑じゃ効果ないみたいだからやめただけよぉ。何か問題でもあるぅ? それともくすぐりが癖になっちゃった?」


「そ、そんな事は……ない」


 姿見は図星を突かれ、顔を逸らした、


「それじゃあ、次、いってみようぅ。次は~、姿見の恥ずかしい過去ばらしっ」


 わらしべはケイタイを取り出し、画面を姿見に見せつけながらムービーを再生させる。


『惚れんじゃねぇよ、子猫ちゃん……もう少し顔を傾かせた方がいいか。それとも髪の書き上げタイミングをもう少し遅らせるか』


「ぎゃあぁぁぁあぁぁぁあああ、なんでそんなもん撮ってんだっ!」


「キシシシ、以上、学校の片隅に女の子を誘き寄せる練習をする姿見でした。お次は……」


『お母さん』


「教室で男子に声をかけた姿見です」


「いやぁぁぁぁぁ、忘れて、忘れて、と言うかなんでそんなデータ残してるの?」


『ああっ! 転びました。ボールを蹴ろうとして、空振りっ! その上、転んで……これは、試合中断です。試合中断。どうやら気絶してしまったようですね。頭が心配です』


「春の球技大会、姿見もてようと張り切りすぎて、空振り王になる」


『先生、パンツはおやつに入りますか?』


『鑑さん、幾ら服装自由でも山登りにタキシードはないでしょうっ!』


 わらしべがケイタイを操作する度に姿見は悲鳴を上げた。短くも効果的な動画と長い動画を繰り返し、緩急をつけて見せられた姿見の精神は磨り減る事を許されない。姿見の喉が痛み、精も根も尽きても、悲鳴が弱くなる事はなかった。

 保存データが尽きたのだろう、わらしべがケイタイをポケットに入れる。


「精神攻撃も駄目かぁ。それじゃあ、次は銀紙噛みの刑」


「ははきひゃきひゃすひゅぅ(歯がキシャキシャするー)」


「あははははは、次は余ったガムを噛んで、ほぅら、髪につけちゃうぞー」


「ひひゃー、とれはくはふぅ(嫌―、取れなくなるぅ)」


 姿見はわらしべの拷問に耐え切れず、何度も適当な事を言おうとしたが、その度にわらしべが黙らせる。わらしべの目からは怪しい光が見え、心なしか加虐に酔っているように思えた。


「ハァハァ、何だか楽しくなってきたよぉ。それじゃお次は」


「スットプ、リトルガール」


 わらしべが更なる攻撃を加えようとした時、ごんちゃんがわらしべを止めた。今まで静かにわらしべの拷問を見ていたごんちゃんだが、どうやら痺れを切らしたようだ。


「君ノ拷問デハ、ガールニ効キ目ガナイヨウデス。後ハ『プロ』ニ任セナサーイ」


「えぇぇ、いや、ちょっと待ってよ。後三十分、ううん、十五分あれば大丈夫だからさぁ」


 わらしべが延長願うが、ごんちゃんはまなじりを下げ、とても残念そうに首を横に振る。


「ソンナニ時間ハカケラレナイ。りとる・ぐれい共ハワタシヲ監視シテイル。今ハ、奴ラノ目ヲ誤魔化シテイルガ、ソレモ時間ノ問題ダ。奴ラハコチラノ目的ニ気付イテ、ガールヲ抹殺スルカモシレナイ」


 ごんちゃんがわらしべを押しのける。姿見はわらしべのお尻の感触に名残惜しさを感じながらも、すぐに別の事を気にしなくてはならなくなった。ごんちゃんの大きな手が姿見の顔に伸び、姿見の頬を掴んで吊り上げたのだ。

 苦しさで顔を歪ませる姿見の目に、夕日を受けて光るナイフが見えた。手のひら程度の刃は冷たい輝きを持って姿を表す。包丁や鎌とは違う、人を傷つける事を第一に考えられた凶器だ。

 鋭く研がれた刃が自身の肉を刻む痛みを想像し、姿見の血の気が引いた。血液を氷水に入れ替えられたようだ。


「ガール、君ノ綺麗ナ顔ヲ傷ツケラレタクナカッタラ、真実ヲ話シテクダサイ。ワタシ暴力嫌イネ。ガールヲ傷ツケサセナイデ」


 ごんちゃんが姿見の前髪で隠れていない方の眼にナイフの狙いを定めた。

 視界の中心に置かれた鋭利な先端が、姿見の喉を引きつらせる。強く早く脈打つ血液。小刻みに震えるナイフの先端に合わせて呼吸が乱れる。

 助けを求めて姿見の眼球が所狭しと駆けるが、真っ青な顔のわらしべ以外、誰も見当たらなかった。

 姿見が何も言えないでいると、不意にナイフが引かれる。

 助かった、と姿見が安堵するが、すぐにそれが間違いだと分かる。


「強情ナガールネ」

 ごんちゃんが残念そうに言い、ナイフを横なぎに振るう。目を閉じる間もなく、姿見の眼前に白くきらめく刃が迫ってきた。こっち側も傷ものかと姿見は抵抗を諦め、次に来るであろう痛みに備えて身を固くする。

 視界を光が埋め尽くした。熱風が顔に叩きつけられる。焦げ臭い匂いが鼻腔をくすぐった。


「アウッチ」


 ごんちゃんの悲鳴が聞こえ、姿見の顎から手が離される。背中から地面に落とされた姿見は痛みで視界を歪ませながらも、ごんちゃんのナイフの刃が根元から消えている事を見た。黒いゴミが風にさらわれて飛んでいく。


「姿見様ヲ傷ツケル事ハ許シマセンワ」


 遠くから寒々とした声が聞こえた。


「「グレ子さん」」


「りとる・ぐれいっ!」


 姿見が驚きをもって、わらしべが涙交じりの声で、ごんちゃんが苦々しく叫んだ。

 夕日に照らされたグレ子が、真っ赤に燃える稲穂の群れをバックに立っていた。セーラー服と灰色の腕、顔が夕日で朱色の染まっていた。


「遅いよぉ、グレ子さん」


 わらしべが鼻声で叫んだ。


「日ノ本は電話しても、すぐには動けない、て言うし、グレ子さんだけが頼りだったんだよぉ」


「申し訳アリマセン。日本政府カラ連絡ヲ受ケ急イダノデスガ、ドウヤラぎりぎりダッタヨウデスワネ」


 グレ子が黒い目を姿見に向けて答える。

 どうやら姿見を連れ去るごんちゃんの後をつけている時、わらしべはケイタイで日ノ本と連絡をとっていたのだろう。姿見はわらしべの機転に感謝する。


「あたち、頑張ったんだよぉ。姿見が変な事されないように、色々時間稼いでさぁ。だからグレ子さん、ご褒美頂戴。色々グレ子さんについて教えて欲しいなぁ」


 姿見の感謝の心が萎んだ。


「ソノオ話ハ後デ、致シマショウ。マズハ、不届キ者ノ処理カラデス」


 グレ子が視線を姿見から外し、上に向ける。視線の先には、慣れないない手つきで拳銃を取り出すごんちゃんがいた。既に姿見達から数歩後ろに離れている。

 個人が持てる最高の殺人道具の登場に、姿見は一瞬身を固くした。しかし、グレ子にはバリアーがある事を思い出し、苦笑いを浮かべる。良く考えれば分かるが、拳銃でどうにかなるなら、姿見からグレ子の弱点を聞き出そうとなんてしないはずなのだ。


「命令デス。姿見様カラ離レナサイ」


 姿見の予想通り、拳銃にひるむ様子もなく、グレ子が寒々とした声色で命令した。


「シット、えいりあんハ地球カラ消エナサイッ」


 ごんちゃんが拳銃を構えた。


「対りとる・ぐれい用ニ開発中ノ特殊兵器デース。GO TO HELL」


 気の抜けた音と主に、白く丸い弾が拳銃から打ち出される。グレ子に当る直前、弾は青白い光に阻まれ、破裂音と共に消えてしまった。

 打ち出された弾を見て、姿見は更に気が抜けた。前に公園でサバゲーをしている中学生が同じような音を立てて、弾を撃っていた。後ろから見て軌道が分かる程度の弾速。そして白くて丸い弾。恐らくごんちゃんの拳銃は安物のエアガンだ。


「マイガッ、ファッキンファッキンファキンファッキン」


 ごんちゃんが何度も引き金を引くが、弾は全て青白い光に阻まれて、消えてしまう。


「無駄デス。一定以上ノ相対速度ヲ持ッタ物体ハ、自動的ニ遮断シマス」


 グレ子が淡々と語った。立ち尽くしていたグレ子が歩き出す。キュムキュムと足音が近づいて来た。


「ノオオオォォォォォォォオオォォォォ」


 ごんちゃんの雄たけびと共に、弾幕は更に苛烈さを増した。しかし一発もグレ子の元へは届かない。花火のように青白い光を発して消えていく。

 その花火も長くは続かない。グレ子が距離を半分に詰めた頃、弾幕が途切れた。ごんちゃんが何度も引き金を引くが、弾が出てこない。


「チ、近ヅクナ。S STAY! STAY AWAY! STAY AWAY! STAY STAY sTAY STAAAAAAAAAAAY!」


 ごんちゃんが叫ぶが、グレ子さんは止まらない。ゆっくりと歩を踏み近づく。

 ごんちゃんの腰が引けていく。弾の出ない拳銃を振り回すがグレ子は止まらない。

 顔中から汗を滲ませたごんちゃんが、ニ、三歩後ろに下がった。


「YAAAAAAAAA」


 そして、グレ子に背を向けて脱兎の如く逃げ出した。転げるように逃げるごんちゃんを無視して、グレ子が姿見の隣にしゃがみこむ。


「オ怪我ハアリマセンカ」


 心なし震えた声でグレ子が尋ねる。姿見は小さく頷き、逃げるごんちゃんの背中を見た。


「大丈夫だけど、あれは良いの?」


「ハイ、話ハツイテイマスカラ」


 誰と話を、と尋ねようとした姿見だが、その相手はすぐに分かる。

 突如、銃声が鳴り、ごんちゃんの体が跳ねる。腹を押さえて地面をのた打ち回るごんちゃんを、森の中かスーツ姿の男達が現われて拘束する。ほんの一瞬の出来事だった。


「鑑さん、お怪我はありませんね?」


 気付くと、グレ子の隣に日ノ本が立っていた。日ノ本は姿見の背後に回ると、ロープを解く。

 ようやく手足を動かせるようになった姿見はふと疑問に思う。

 どうやって、ごんちゃんはクラスメートになったんだろうか?

 姿見は頭を振って疑問を振り落とす。もう助かったのだ。これ以上、あの真性について考えたくなかった。


     ●     ●     ●


 ロープを解かれた姿見は、日ノ本に連れられて空き地近くの森の中を歩いている。グレ子の姿はない。日ノ本に二人きりで話がしたい、と言われて、グレ子に空き地で待っているよう言い含めたからだ。わらしべはスーツ姿の男達に連れられて家に帰った。

 辺りは薄暗く、数メートル先を見通すだけでも、目に力が入る。気をつけないと、木の根に足を取られそうだ。ただでさえ松葉杖を使っていて歩きづらいのだから、慎重に足の踏み場を見定めなくてはならない。姿見は目を凝らして、地面と日ノ本のお尻を交互に見ながらついて行く。

 こんなとこで何の話だろう。まさか、告白! 森の中で二人きりというシチュエーションに、姿見の妄想膿が加速的に酷くなる。薄暗い中、形の良いお尻を振りながら奥へ進む日ノ本の姿が、膿に無限の栄養を与え、妄想はとどまる事を知らない。

 姿見の脳内で、スーツを脱いでブラウスのボタン上三つを外した日ノ本が頬を染めながら誘い始めた頃、日ノ本が足を止めた。


「この辺りですね。鑑さん、お願いがあります」


「はい、正妻は無理だけど、愛人ならバッチ来いです」


 姿見が力強く胸を叩く。鼻から吹き出る熱気を隠そうともしていない。


「何を言っているのですか? こちらのお願いは、グレ子さんを殺したいので協力して頂きたいのです」


 姿見の笑顔が凍りつく。


「えっと、冗談?」


 姿見がおどけた様子で聞くが、日ノ本の顔はピクリとも動かない。


「冗談ではありません。先日、国会議員の一部がグレ子さんの横暴をこれ以上容認出来ないと判断しました。本日付けでグレ子さん抹殺の命令が発令されました。これは国是です。日本国民である鑑さんも、当然従って頂きます」


 姿見の体中が沸騰した。人を生贄にしておきながら、まだ命令出来ると思っている傲慢。それを顔色一つ変えずに言える日ノ本の無恥。そしてなにより、グレ子を殺そうとする日本政府の自己保身。汚いものに蓋をする。なかった事にしようとする思惑が許せない。

 ふざけるな。

 それが姿見の感想だ。顔に出ていたのだろう、日ノ本が説得の言葉を重ねる。


「言いたい事は分かります。しかし、山火事二回。学校半焼。光線兵器の使用三回。一ヶ月もたたない間にこれだけの事件が起きました。すべてグレ子さんが原因です。その後始末にどれだけの労力がかけられているか考えてください。そして、諸外国もグレ子さんの存在に気付き始めています。これ以上、我々がグレ子さんを管理する事は出来ません」


「勝手すぎるっ!」


「ええ、その通りです。ですが、国民の為に、非国民を殺す権利と義務が国にはあります。もう一度言います。これは国是です。従いなさい」


 日ノ本が抑揚のない声で命令してきた。

 姿見は黙って、日ノ本を睨みつける。答えは言うまでもない。その意思表示だ。

 暫く無言が続いたが、再度、日ノ本から言葉が発せられる。


「では、取引しましょう。協力して頂けるのならば、その顔の傷を目立たないものに整形治療してあげます。もちろん命令の成否に因らず、必ず治療します」


 日ノ本が姿見の顔を指差す。

 一瞬何を言われたか分からなかった姿身だが、すぐに顔を真っ青に変える。慌てて顔に手を当てるが、顔半分を覆い隠していた髪がなくなっていた。


「ああぁぁぁぁぁぁ」


 姿見は両手で顔を覆う。松葉杖が地面に落ちて、テーピングをした足が痛むが構っている余裕はない。


「見るな。見るなぁぁぁぁ」


 両手で顔を隠していても安心出来ない。顔半分の神経が鈍くなっていて、本当に顔を隠せているのか分からない。

 姿見は日ノ本の視線から逃げる為、その場にしゃがみ込む。


「グレ子さんが先ほど撃ったビームに巻き込まれたのでしょう」


 日ノ本が原因を解説するが、姿見の耳には殆ど入ってこない。

 姿見の顔半分は潰れている。眼球がある場所がぽっかりと開いた空洞で、頬は骨がないのか、ハンバーで叩いたようにへこんでいる。耳もなく、穴が開いているだけだ。

 壊れた人形よりも醜悪な顔である。

 更に追い討ちをかけるように、肌は火傷の痕で覆いつくされていた。ミミズが皮膚の下に入り込んだような皺、唇の端はひしゃげ、眉がない。

 人間の顔ではない。そもそも、普通の人間ならば、コレを顔とは認識しないだろう。

 こんな気持ち悪い顔を姿見は誰にも見せたくはなかった。グレ子の時とは事情が違う。宇宙人ではなく、人間に見られているのだ。そんな恐ろしい事には耐えられない。


「わ、わらしべにも、わらしべにも見られた」


 姿見はすすり泣くように言った。二年前を思い出し、体中が震える。体一つで雪山に放り出されたように、全身が凍てつく。

 二年前、当時中学三年だった姿見は、カレシとのデート中にワゴン車との衝突事故にあった。

 赤信号の交差点、誰かに押されたカレシが路上に飛び出した。姿見はカレシを助ける代わりに車道に飛び出してしまい、ワゴン車の角に顔半分を潰された。

 一週間の昏睡状態から目が覚めた姿見は、全てを失った。

 友人も、カレシも、可愛がっていた妹や愛してくれていたはずの両親、全員、姿見のつぶれた顔を見ると、姿見から距離を置いた。カレシや友人は一度だけ見舞いに来て、それ以降会ってもいない。妹は化け物と泣き叫び、両親は療養と称して遠くの病院に姿見を入院させた。

 怪我が治ってないから、皆、ワタシに気遣っているんだ。怪我が治ったら、また、いつもが始まるんだ。

 姿見はそう思った。そう思わなければ、生きていけなかった。顔が半分潰れて、家族にも見捨てられた事は、中学三年生の女の子が受け止めるには重過ぎた。

 姿見の最後の縋りは叩き潰された。姿見が退院すると、既に両親が地方の中学への転校手続きを済ませていた。

 姿見の両親は、退院した姿見に一軒家と貯金通帳を渡し去っていった。姿見は、見知らぬ土地で、二度目の中学三年生をたった一人で過ごした。

 日ノ本が姿見の手をのけて、顔をさらけ出させる。


「ひっ」


 姿見は必死に瞳を閉じる。日ノ本がどんな顔をしているの怖くて見れない。

 妹の泣き声が、口に手を当てた友人達の顔が、視線を合わそうとしないカレシの顔が、眉をしかめた父と興味を失った母の顔が、次々に思い出される。

 いつか、自分を好きになった女の子がいたら、その子にこの顔を見せて盛大に降られるんだ。なんて考えていたくせに、いざ、他人に見られるとなると、怖くて仕方がない。相手を見る事も出来ない。

 情けなさに姿見は泣きたくなった。


「顔は隠したので落ち着いてください」


 日ノ本の落ち着いた声が聞こえた。姿見が手で顔を触ると、確かに髪が顔半分を隠していた。

 恐る恐る姿見が瞼を開けると、顔色一つ変えていない日ノ本が見えた。


「ウィッグです。それと、長者さんは見ていませんよ。先ほど、部下から連絡がありました、。グレ子さんが登場してからは、ずっとグレ子さんを見ていたそうです。逆光だった事もあり、あなたの前髪がなくなった事も分かっていないとの事です」


 姿見の心に落ち着きが戻る。日ノ本の態度が全く変わっていないので、比較的冷静に話を聞けた。

 日ノ本が写真とペンライトを取り出し、写真をライトで照らした。


「こちらは治療後のあなたの顔です」


 姿見の視線が写真に吸い寄せられる。

 写真の中の姿見は人間だった。ちゃんと耳と目が二つあり、頬は健康的な丸みを持っていて、肌も多少のシミが見えたが化粧でごまかせる範囲だ。少なくとも両親から捨てられないであろう顔だ。

 呼吸する事も忘れて、姿見は写真の中に自分を見つめる。

 この顔であれば、朝、鏡を見て憂鬱になる事も、風が吹くたびに顔が隠れているか確認する事も、着替えの度に更衣室の隅に隠れる事も、髪を洗うたびに、顔を洗うたびに、目の穴に入る水を気にする事も、かき出す事もなくなる。

 中学時代に戻れるかもしれない。

 姿見の心が跳ねた。


「この写真レベルまで直そうとすると、超最先端医療が必要となります。本来なら一般人が受けられない破格の対応です」


 優しく諭すような日ノ本の声。姿見の心臓が一際大きく脈動した。

 これは奇跡だ。降って湧いた幸運だ。ここで掴まなくては一生掴めないであろうチャンス。


「どうでしょう? 協力して頂けますか?」


 姿見の心が揺れる。


 どうしよう。


 どうしよう。


 考えて、考えて、そして写真を見続けた姿見は、一つの疑問が浮かび上がる。



 なんで、整形後の写真があるんだろう?



 姿見の中で再度怒りのマグマが噴き出した。

 先ほど始めて姿見の顔を知ったのなら、こんなものを用意出来るわけがない。わらしべに前髪の事を聞いたりする事もない。ウィッグだってそんなすぐに用意出来るはずがない。今、知ったら出来ないならば、答えは一つしかない。もっと前から姿見の顔について知っていたのだ。

 つまり、日ノ本は姿見の顔について知っていて、その上でさも心配しているように見せかけた、姿見を取り込む為に。それしか考えられない。完全に姿見を馬鹿にしている。


「これは悪くない取引だと思います。鏡さん自身の為にもどうか受けて下さい」


 その一言で姿見の口からマグマの欠片がほとばしった。


「ふざけるな。ふざけるなよっ。人の知られたくない過去を暴いておいて、救世主面なんて馬鹿にしすぎだろうがぁぁっ!」


 真っ赤に染められた思考が、姿見に手近にあった石を投げさせた。至近距離からの投石は、顔色一つ変えないで日ノ本に避けられる。


「交渉決裂ですね」


 日ノ本はどこかホッとした顔で、手を頭上で回す。それが合図だった。木々の陰からスーツ姿の男達が出て来る。まるで、ゴキブリのようにワラワラと湧く。どこに隠れていたのだろうと疑りたくなる。

 姿見が武器にしようと、落とした松葉杖に手を伸ばすが、姿見より早く背後から伸びた男の手が掻っ攫った。後ろを振り向くと、前方と同じくスーツ姿の男達がねずみ一匹逃げられそうにない壁を作っていた


「ここに来る事自体、罠だったのかよ」


 姿見は奥歯をかみ締める。


「はい、これまでの調査から、あなたがグレ子さんを殺す為に、最も必要な因子だと分かりましたので、万全を期させてもらいました」


「ハッ、そんなの分かんないよ」


 姿見は日ノ本の大仰な評価を鼻で笑う。


「グレ子さんには愛とか恋とかないみたいだし、慕う、て言うのもペット感覚なんじゃない? 仮に違ったとしても、死ななきゃ元に戻す機械とかもってそうだし、人質作戦なんて意味ないだろ」


 姿見はさりげなく左右に視線を走らせ逃げ道を探すが、どこもかしこも男達で埋まっている。男達は少しづつ距離をつめて壁を縮小しており、逃げる隙は見当たらない。そうでなくとも、治りきらない足では逃げ切れなかったであろうが、油断のない動きは姿見から逃亡の気力を奪うには十分な効果があった。


「それはありえません」


 壁の奥から日ノ本の声が聞こえた。男達は手を伸ばせば姿見に触れる距離まで近づいている。


「ありえない? なんでそんな事が分かるんだ」


 姿見は沢山の男達から見下ろされて身をすくめ、恐怖に負けないように必死で頭を動かす。逃げられないのだ。現状を打破するには日ノ本の根拠を論破し、姿見が重要でないと思い込ませるしかない。


「その為に、島や学校で色々調査しました。その結論です」


 調査? と言われて、姿見は先ほどの疑問を思い出す。

 ごんちゃんがクラスメートになれるはずがない。どこの世界に四十五歳の外国人を、護衛対象のいる高校に入学させる馬鹿がいる。最初から分かっていて引き入れたのでなければ、説明がつかない。

 それなら、ごんちゃんが日ノ本達の目をかいくぐって姿見を連れ出したのに、手際が悪く、装備がホームセンターでそろえたような品物だけだった事も説明がつく。


「つまり、ごんちゃんはあんたらの仲間だったんだな」


 姿見は四方から伸びる男達の手を振り払おうともがきながら叫ぶ。


「仲間ではありません。偶々、宇宙人退治に熱を上げている身元不明者がいたので、こちらで誘導しただけです。それと、グレ子さんには対宇宙人用の凶悪な武器を持っていると教えました」


 日ノ本から答えは、姿見の予想より更に酷いものだった。

 姿見は男達に両腕を拘束され、胸を地面に押し付けられる。肋骨が圧迫される痛みに、両足をばたつかせるが、すぐに取り押さえられた。左足首も抑えられ、激痛で顔が歪む。


「それでもグレ子さんが助けに来たから、さっきの結論になった」


 姿見は唯一自由になる顔を反らし、脂汗で濡れきった顔を外にさらす。遠くに日ノ本のすらりとした綺麗な足が見えた。


「それもあります。後は肝試しの時、坂から落ちた後自力で脱出しなかった事。鑑さんの怪我を治そうとしない事。鑑さんの怪我の介護を献身的に行っている事を加味しています」


 姿見はぐうの音もでなくなる。

 坂から落ちた時、グレ子が自分の命が大事なら、いつ杏子が落ちてくるか分からない坂の下に残り続けるわけがない。一人だけ逃げればいい。姿見もそれを勧めたのだから、躊躇う理由はなかった。

 グレ子は姿見の怪我を治していない。しかし、看護が献身的である。これは姿見には早くよくなって欲しいが、グレ子に姿見の怪我を治す道具がない事を意味している。怪我を治す道具があるのにそれを使わない合理的な理由がない。

 それでも何か反論しようと姿見が口を開けるが、待ってましたとばかりに口に猿轡をかまされた。更に体をえびぞりにされて、両手首と両膝を縛られる。


「ウゥゥウーウーウー」


 苦しさで身を捩るが、両手首、両膝を縛った紐はびくともしない。


「準備出来ましたので、グレ子さんに死んで頂くようお願いに行きましょう」


 男の一人が姿見を担ぎ、来た道を引き返す。

 姿見が幾ら暴れても、男の足並みは乱れない。暴れても無駄だと悟った姿見は、必死に頭を回転させた。まだあるであろう、起死回生の一手を見つける為に。


     ●     ●     ●


 森を出ると、空は夜の帳をかけられ、空き地は闇の底に沈んでいた。遠くに点々と灯りが煌いている。

 闇の中、ぼんやりと白いセーラー服が浮かび上がっていた。

 降り落ちる綿雪の様に穏やかで、寒々しい声が、姿見達を迎える。


「ナルホド、先程ノ一件ハ、アナタ達ノ手引キダッタンデスネ」


 日ノ本が後ろに控える男達に目配せをしながら、答える。


「はい、ご察しの通りです」


 背後から突如、突き刺さるような光がグレ子に向っては伸びていった。更にもう一本、光が日ノ本と手足を縛られて男に担がれた姿見へ注がれる。

 姿見は横から目を刺す痛みに細めた目を、再び大きく開ける事となる。

 日ノ本が地に膝を着き、頭を擦りつけたのだ。まるで、日ノ本が人質を取られているように見える。


「こちらの薬を飲んで下さい」


 日ノ本が懐に手を入れて、何かを取り出す。取り出したものを頭上に掲げた。取り出したものは数個のカプセルだ。無機質な白色をしており、中身が何であるか分からない。


「中身は杏子千個分の成分を濃縮したものです。人間には効果がないでしょうが、グレ子さんには効果的でしょう?」


「ハイ、ソレダケ化合物ガ入ッテイレバ、十分デスワ」


 グレ子が頷くと日ノ本の顔が僅かに和らいだように見えた。

 姿見は正直に答えるグレ子に申し訳なくなる。姿見を人質に取り、後がない日ノ本達にとってカプセルの効果は唯一にして絶対の弱みだ。もしグレ子がそんなもの効かない、と言えば、それだけでこの策略全てが瓦解する。それはグレ子も分かっているはずだ。

 自分が不利になると分かっていながらもグレ子が正直に答えたのは、嘘を吐いて姿見の身に害が及ばないようにしたのだろう。姿見には他に理由が思いつかない。


「ワタクシガ邪魔ニナッタンデスネ」


「日本の政府議員が、これ以上、あなたの横暴に付き合えないと判断されました」


 日ノ本が更に姿勢を低くした。顔全体を地面に擦りつけ、胸を膝につける。薄い胸がひしゃげて横からはみ出る位まで、上半身を折り曲げていた。

 横乳ー、と喜びたい姿見だが、状況が状況なので、横目でチラチラ見るに留める。


「ワタクシハ、姿見様ノ側ニ居タイダケデス。横暴ナドアリマセンシ、マシテヤ、ソチラガ、ワタクシニ付キ合ウ必要性モナイデス。勝手ニ、右往左往サレテイルダケデショウ」


 グレ子に指摘に対し、日ノ本は頷く。


「おっしゃる通りです。ですが、それでも、あなたが日本に居るだけで、日本と言う国が傾きかねないのです。どうか、お願いします、死ねとは言いません。このカプセルを飲んで頂ければ十分なんです」


 死ぬ事が分かっている毒を飲ませようとしていて、死ねとは言っていないなんて詭弁でしかない。姿見は一言を言ってやろうとするが、猿轡が邪魔で何も言えない。


「平行線デスワネ…………ソレデ、ワタクシガ拒否シタ場合、姿見様ヲ、ドウサレルツモリデス?」


 日ノ本がゆっくりと顔を上げた。眉に力が入り、口元は真一文字に結ばれている。姿見は瞳の中から発せられる力を感じた。古い映画に出てくる死を覚悟した侍の目だ。


「それは……こうします」


 肩に担がれていた姿見が、日ノ本の前に下ろされる。とっさに逃げ出そうと暴れたが、腰を掴んだ男の手は微動だにしなかった。

 背後から日ノ本が姿見の首に腕を回す。香水の匂いとささやかな胸の感触に姿見は頬を緩めそうになるが、次の言葉で顔が固まった。


「鏡さん、協力して頂けますか。一言、助けて、と言って頂ければ十分です。拒否される場合、残った顔も潰せ、と命令を受けています」


 姿見は茶色い瓶を眼前に突きつけれられる。瓶のラベルはにはアルファベットでSufloric Acid、その下に硫酸と表記されていた。

 姿見の全身から血の気が引く。先ほどまで上っていた熱が膀胱まで落とされた。

 日ノ本が姿見の首筋に吐息をかけながら呟く。


「すみません、どうか協力して下さい」


 後ろめたそうな日ノ本の声に、姿見は日ノ本も不本意なのではないか、と思う。冷や水を浴びせられた直後だったからだろう、姿見はその考えを冷静に検討する事が出来た。

 日ノ本にはごんちゃんを使って連れ去られ、拘束され、見せたくない顔を晒され、その顔をネタにされた。しかし、整形後の姿見の写真や今のお願い。怪我をした足首を気遣うような拘束方法。そしてなにより、なくなった姿見の前髪代わりにウィッグまで準備してくれていたのだ。積極的に動いているにしては、日ノ本の態度は優しすぎるように思う。

 確証はないが、説得出来るかもしれない。

 姿見の喉が鳴った。乾ききった口内は決して喉を潤してくれなかったが、気持ちは少し落ち着く。

 姿見の動作を恐怖かなにかと思ったのだろう。グレ子が淡々と告げる。


「今、小惑星ノ進路ヲ、コノ星ニ変更シマシタ。明日ニハ、コノ星ト激突スルデショウ。モウ一度ダケ尋ネマス。姿見様ヲ、ドウサレルツモリデスカ?」


「この瓶の中身を顔にかけます。瓶の中には人の皮膚程度なら溶かす液体が入っています」


 日ノ本は硬い声で答え、桃色のマニキュアが目立つ指で瓶の蓋を開ける。

 グレ子が姿見の背後を見たまま押し黙った。日ノ本も何も言わない。

 痛い程張り詰めた空気が、姿見に突き刺さる。グレ子と日ノ本どちらかが動けば破綻してしまいそうな硬くも脆い雰囲気。

 何とかしなければ終わってしまう。そう確信しながらも、姿見は何を言えば正解が分からない。早くしなければと心だけが逸る。


「残念デスガ、アナタ方ヲ排除シマス」


 場の空気が割れた。

 それを引き金に日ノ本や男達が動き出すより早く、姿見は心のままに叫んだ。


「グレ子さん、落ち着け。地球がなくなったら、可愛い女の子が死滅するじゃないか。そうしたら、誰とニャンニャンらぶらぶだいしゅきホールドしたらいいんだっ!」


 緊張感と緊迫感と焦燥感が吹き飛んだ。


「にゃんにゃんラブラブ?」


 グレ子が首を傾げ、


「だいしゅきホールドですか。率直に言って、最低ですね」


 日ノ本が罵倒する。


「ええーーー! そんな変? マジへこむ」


 肩を落としてうな垂れる姿見だが、状況を思い出してすぐさま顔を上げた。


「日ノ本さん!」


「私は異性愛者です。あなたと変態ホールドなんてしませんよ」


 日ノ本が姿見の頬に硫酸の瓶を当ててくる。

 頬に当るガラスの冷たさと内容物の過激さに頬を引きつらせた姿見は、勇気を振り絞って日ノ本の説得を試みる。


「そうじゃなくて、こんな事、やめましょう。日ノ本さんも、本当はこんな事したくないんじゃないですか?

 本当に協力させたいなら、何発か殴った方が早いでしょう。グレ子さんに対しても、カプセルの中身を言ったり、お願いする理由なんてない。本当はやりたくないけど、命令だから仕方なくやってる。そうじゃないんですか?」


「ええ、そうですよ。私に嗜虐趣味も自殺主義もありませんから、こんな真似はしたくありません」


 日ノ本は姿見の疑問を肯定する。しかし、その声は平素と変わりなく、感情が聞き取れない。日ノ本の答えが本心かどうか分からないが、姿見はその答えを信じる。


「だったらっ!」


「ですが」


 姿見の声を日ノ本が張りのある声で遮った。


「日本人が選んだ日本の政治家で私に命令出来る権利を持った人間が、グレ子さんの殺害が必要だと判断したんです。その判断がどれだけ可笑しくても、どれだけ間違っていても、それを拒否する権利も道理もありません。

 自分達が選んだ政治家に従う、それが民主主義の基本であり、上司の命令に従う事が組織の基本だからです」


「そんなの可笑しいだろうっ! 間違ってるなら従うなよ。自分で考えて正しいと思う事をしないでどうするんだよ。人の言いなりになってたらロボットと一緒じゃないか」


 姿見が肩越しに日ノ本を睨みつける。日ノ本の顔は変わらない。覚悟した侍のものだ。


「薄っぺらい言葉ですね。姿見さんの知っている範囲で正しい事が、世界的に見ては間違っている事だってあるんですよ。それぞれが正しいと思う事をするなんてのは、いい加減な理想主義者の言葉です」


「そんな考える事を放棄した言い訳が正しい、と思ってるの?」


「はい、そうです」


 あっさりと頷く日ノ本の顔に迷いはない。姿見の言葉も感情も、日ノ本を揺らがせるには足りないようだ。二人の立場は平行線を辿っている。

 姿見は悔しさで顔を歪ませた。


「協力して頂けない、と言う事で宜しいでしょうか?」


 日ノ本が硫酸の瓶を姿見の眼前に晒す。更に先ほど見せた写真を隣に並べた。

 姿見は硫酸の瓶と写真に写った自分を交互に見て呻いた。選択肢はない。ここでどれだけ突っ張っても、日ノ本は姿見の自由を奪っているのだ。姿見が損をするだけで、状況は何も変わらない。

 仕方ないんだ。姿見は心の中で言い訳する。

 残った顔まで化け物にされたくはない。つぶれた顔も元に戻したい。そして拒否しても、日ノ本は硫酸や他の道具をちらつかせて、グレ子さんを脅し続けるだけだ。だから、協力しても仕方がないんだ。

 大体、勝手にやってきたのはグレ子さんだ。悪いのはグレ子さんだろう。

 姿見はグレ子との一週間を思い出す。


 押しかけてきた事。


 ビームを打たれた事。


 プラスチック料理を並べられた事


 嬉しそうに料理を覚えていった事。


 ハイキングでヘトヘトになった事。


 花火をジッ、と見ていた事。


 急によそよそしくなった事。


 甲斐甲斐しく世話をしてくれた事。


 そして……化け物の様な顔を見られた事。



 ワタクシハ例エ、姿見様ノオ顔ガ、●□■■●●■△●○似デシテモ、気ニナリマセンワ。

 ワタクシハ姿見様ヲ、オ慕イシテオリマスカラ



 姿見は、眠りたくなるような穏やかな音が、聞こえた気がした。

 馬鹿だなぁ、と思いながら姿見は顔に力を入れる。凍り付いていた頬や眉は動きが硬いのに、口の中は細かく動いて、上手く形作れなかった。自分でも不細工だと分かる表情で、姿見は微笑んだ。


「日ノ本さんには協力しない」


 姿見が歯の根を鳴らしながら言った。恐怖を誤魔化すように、姿見は腹の底から力を入れる。


「こんな顔でも構わない、て言った女を見捨てる気はない。それが死ぬほど好みじゃないとしてもだっ!」


「姿見様、混乱シナイデ下サイ。今問題トナッテイルノハ、姿見様ノ処遇デス。ソンナ女、見捨テテシマッテ下サイ」


 グレ子が声を荒げた。


「ね、見捨てらんないでしょ?」


 姿見は泣き笑い顔で、日ノ本に同意を求めた。


「難儀な性分ですね」


 日ノ本が大きなため息を吐き、眩しいものを見るように目を細める。


「残念です。今のあなたはかなり格好いいので、なおさら不憫ですね」


「―――ッ」


 硫酸の瓶がゆっくりと傾けられる。姿見は目を閉じて、硫酸が肌を焼く瞬間に備えた。しかし、硫酸が姿見の身体に落ちる事はなかった。


「待チナサイ。かぷせるヲ飲ミマスワ」


 瓶の中身が零れ落ちる前に、グレ子が日ノ本の出す条件に承諾したのだ。


「グレ子さんっ!」


 目を見開いた姿見が叫ぶ。グレ子はその場にたたずんだまま、黒い目で日ノ本を射抜いていた。


「小惑星の衝突回避もです」


 日ノ本が付け加える。


「ソチラハ既ニ終エテイマス。かぷせるヲ飲ミマスカラ、姿見様カラ離レナサイ」


「グレ子さんっ! 駄目だっ」


 姿見が身を乗り出そうとするが、日ノ本が首に回した腕に力を入れて押さえつける。首を絞められた姿見は、蛙の鳴き声を一つ鳴らして沈黙した。


「飲まれてからです。それまでは油断出来ません」


 日ノ本が合図を送り、男の一人がカプセルを持ってグレ子に向かう。


「姿見様、ワタクシハコノ星ニ降リテカラ、様々ナ文献ヲ読ミマシタワ。ソコニハ愛ヤ好キ、ト言ウ言葉ガ溢レテイマシタ。ワタクシ達ガ持ッテイナイ概念デス」


 計画的に製造され続けたグレ子達が、子孫を残す為の感情を知らなくても、姿見は可笑しいとは思わない。むしろ、効率を考えるなら当然だと思えた。


「デスガ、今日、好キ、ト言ウ気持チガ少シ分カリマシタ」


 頬を桜色に染めたグレ子が、両手で胸を包む。そこにある何かを慈しむ様な、優しげな仕草だ。


「コノ損得勘定ノナイ、アナタヲ守リタイ、ト言ウ気持チガ、キット、好キナンデスヨネ」


 グレ子の質問に姿見は答えられない。首に回された日ノ本の腕が邪魔をして、声を出す事も首を振る事も出来なかった。瞳を潤ませながら、グレ子が男からカプセルを受け取る所を見ているしかなかった。


「アナタノ顔ガ好キデス。アナタノ声ガ好キデス。アナタノ心ガ大好キデス。ワタクシハ姿見様ガ大好キデス」


 グレ子はカプセルを飲み込んだ。

 変化はすぐ現れた。グレ子の肌が灰色からオレンジに変わる。高熱に耐えられなくなったセーラ服が融けて、燃えていく。

 焼ける様な熱風がグレ子を中心に暴れだした。熱風はどんどん温度を上げていく。

 熱風の中心では、胎児のように丸まったグレ子が白く発光していた。

 気付けば、辺りの雑草が燃え上がり地面が赤黒く発光し融けていく。

 底なし沼に吸い込まれるようにグレ子の体が真っ赤に燃える地面へ落ちていく。

 つま先、尻とすね、手と胸と膝、次第にグレ子の体が地面の中へ消えていき、それにあわせて光が弱まる。

 光が完全に消えた時、グレ子はいなかった。


「グレ子さぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああん」


 姿見の叫びに答える声はない。黒く変色した地面と肌を焼くような熱風だけが、寂しげに残されていた。

 喉を潰すかのような叫びが途切れると、力尽きた姿見はしゃがれた声で罵倒する。


「………………莫迦ばか


 頬から涙は落ちなかった。

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