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グレ子さん  作者: AAA
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第三章~~………………莫迦(ばか)~~   前半

 月曜日がやってきた。

 学校が半焼してからちょうど一週間、新築された校舎は微かにペンキの匂いを残している。

 姿見は様変わりした校舎を物珍しげに眺めながら、松葉杖をつく、。肝試しで怪我した左足は二度の捻挫と診断され、全治一ヶ月と言われている。左足首に巻かれたテーピングが痛々しい。

 姿見の三歩後ろをグレ子が静々と着いて来た。服は登校初日と同じセーラー服に黒ストッキングと白い手袋、頭には大きな鍔つき帽子を被っている。左右の手で鞄を一つづつ持っている。一つは自分の鞄、もう一つは松葉杖で両手が塞がっている姿見の鞄だ。


「今度は燃えそうにないね」


 姿見の言う通り、校舎は防火を意識した造りになっている。木の板の床がタイル、黒板がホワイトボード、机の天板が全てアルミ製に変わっていた。廊下と教室を仕切る壁もコンクリートに変わり、窓枠は全てアルミサッシである。


「ハイ、ソノヨウデス」


 グレ子が気のない様子で頷く。。

 正面を向いたまま、姿見は渋い顔を作った。肝試しの翌日、姿見が足を怪我した次の日から、グレ子の様子はずっとこんな感じである。グレ子から話しかけてくる事はなく、姿見が話しかけても気のない返事が返ってくる。

 姿見とグレ子が山の斜面を転げ落ちた後、日ノ本が救援隊を率いて助けに来た。島でのバカンスは中止となり、姿見は病院へ搬送された。姿見が病院で治療を受けて家に帰ると、グレ子の態度はこんな風に変わっていた。

 すまなそうに身を縮めていたグレ子だ。松葉杖をついて帰ってきた姿見に、責任を感じているのだろう。


「気にしなくていいんだがなぁ」


 姿見がぼやいた。怪我の原因は事故だ。姿見がグレ子を責めるわけにいかない。とは言え、口で気にするなと言っても効果がない事は分かる。松葉杖のある生活が大した事ない様に見せる位しか、姿見は出来そうな事を思いつかなかった。

 姿見は肩越しにグレ子を一瞥し、わらしべにいい案がないか聞く事と決心する。

 姿見達は一年六組の教室前まで到着した。中からクラスメート達の弾んだ声が聞こえる。

 両手が塞がっている姿見はグレ子にドアを開けてもらった。

 騒がしかった教室が一瞬で静かになる。クラスメート達の視線が姿見とグレ子に集まった。姿見が顔を向けると、クラスメート達は慌てて顔を背ける。

 転校初日に目からビームを出し、高熱化で学校を半焼させたグレ子と関わりたくないのだろう。

 人間だねぇ、と安心した姿見は自分の席の前に行く。

 姿見の席には先客が座っていた。

 先客は、長方形の箱に入った団子を爪楊枝で指して食べながら、姿見に歯を見せて笑っている。椅子に座った足は床に届かないのに、胸は机の上にのる。ロリ巨乳なわらしべである。


「キシシシシシシシ、姿見、おはようさん。足はどんな感じ?」


 わらしべは黒餡の団子を口に放り込みながら尋ねた。

 姿見はテーピングされた足を、わらしべの前に突き出す。


「全治一ヶ月、絶対安静」


「おお、腫れは引いたみたいだね……ねぇ、突いても良い?」


「やったら、ぶっ殺す」


 爪楊枝を腫れた足首前でピストン運動させるわらしべを姿見は目に力を込めて止める。


「ひゃー、姿見が怒ったー。こわ~い」


「で、何の用だ? いや、それより、そっちはどうだったんだ? お前の両親、随分怒ってたみたいだけど」


 おどけた様子のわらしべが苦いものを飲み込んだ顔に変わった。

 話に聞いただけだが、わらしべは書置きだけ残して、姿見の家に転がり込んだらしい。翌日、一夜明けても帰ってこないわらしべに両親は心配し、ケイタイに電話するが、圏外か電源が入っていないと返信され、書置きにあった姿見家には誰もいない。パニックになった両親は警察に捜索願いを出し、駅前でビラ活動をする所だったそうだ。もし、日ノ本が気付いてフォローしなければ、今頃、大騒ぎになっていただろう。

 わらしべが島から帰ってくると、有無言わさず両親に連れて行かれたのも納得できる話だった。


「それがさー、聞いてよぉ。最悪なんだよぉ。二人ともカンカンに怒ってさ。休みの間中、家に軟禁状態。今朝は今朝で、迷惑かけたんだから謝って来い、て言ってさ。こんなお土産まで持たせるしぃ」


 わらしべが自身が食べていた団子を掲げた。既に半分が食べられていた。


「あ、姿見も食べる? 三色団子、おいしーよぉ。今なら、グレ子さんと昼休みと放課後を一緒に遊べる権利と交換してあげよう。感謝しろよぉ」


「なにからツッコンで良いのか分からねぇ」


「じゃ、食べないの?」


「頂きます」


 わらしべが差し出した団子の箱から、白餡の団子を爪楊枝で突き刺し、口に放り込んだ。よく噛んで飲み込んだ姿見は、今度は黒餡、その次はゴマ、白餡、黒餡、ゴマ、と言うローテーションで食べる。


「ん、ご馳走様」


 姿見が空っぽになった団子の箱に爪楊枝を捨てる。


「はい、おそまつさまぁ」


「お前が作ってないだろ」


「キシシシシシシシ、気にすんなっ」


 コンビニの袋に手早くゴミをまとめたわらしべが椅子から飛び降りる。入れ替わりで席に座った姿見は、ふぅ、と疲れたように息を吐く。


「んん~、立ってるの辛かった?」


「別に」


 姿見はグレ子を目端に捕らえながら否定する。

 グレ子は姿見とわらしべが三色団子を食べている間、遠巻きに眺めているだけだった。わらしべもその可笑しさには気付いているだろうが、口に出さない。面倒な匂いを嗅ぎつけたのか、気遣っているのかは分からないが、姿身としては無遠慮に突っ込んで欲しかった。


「そっか、ならいいや。じゃ、姿見、またお昼に会おう。もちろん、グレ子さんも一緒にね」


「おう、今度はノーブラで走ってきてくれ。是非とも頼む」


 わらしべは颯爽と走り去る。背中からでも弾んでいる事が分かるおっぱいを凝視しながら、姿見はわらしべを見送った。

 廊下を駆ける足音が聞こえなくなると、教室に静寂が戻る。クラスメートは全員席に着いて自習をしていた。グレ子が来る前も、クラスメートからは腫れ物もしくは汚物、でなければ放射性物質の様な扱いを受けてきた姿見だが、流石に僅かな係わり合いも持たない為に自習までされた事は初めてだった。

 グレ子さんが来る前より、拒否感が一段階位跳ね上がってる、と姿見は愕然としたが、顔には出さない。顔に出して、グレ子が変な気を回されては困る。目からビームを出された日には、何人の生徒が輪廻転生するか想像もしたくない。

 姿見が居心地の悪さを感じていると、朝のホームルームのチャイムが鳴った。チャイムと同時に教室のドアが開き、教師が生徒を連れ立って入ってくる。

 全員が目を丸くして二人を見た。

 Yシャツとタイトスカート、そして黒のストッキングをピシッと着こなした教師は、教卓の前まで来ると生徒を見回してから挨拶。


「初めまして、皆さん。前任の大谷先生は一身上の都合で転任され、本日より私、日ノ本葵が皆さんの担任となりました。担当は保健体育です。これから三月まで、よろしくお願いします」


 教室のざわめきが大きくなる。

 姿見はグレ子の様子を伺う。島へのバカンスを促されただけで、あれだけ揉めたのだ。今回も一波乱あって可笑しくない。

 姿見の予想に反し、グレ子は静かに座っていた。前回のような凍える雰囲気もない。地球では普通の事と思っているのかもしれない。

 姿見は胸を撫で下ろし、透けブラを見つける為に日ノ本の胸元へ意識を集中した。同級生の下着はカラフルだが色気がない。是非とも大人の魅力を見せて頂きたい。


「本日よりこのクラスは私の監督下におかれましたが、あなた達を束縛する気はありません。皆さんの自由を尊重し、それを補佐する事でよりよい経験を積んで頂きたい、と思っています」


 堅い言い回しながら、自分達の事を大切に思ってくれそうな台詞に、教室の空気が軽くなった。

 その雰囲気に後押しされたのか、男子生徒が手を挙げる。


「先生! 大谷先生はどうなったんですか?」


「それはあなたが命を賭してでも知りたい事ですか?」


 日ノ本は自身のとがった顎に手を当てながら、考え込むようにして尋ねる。


「え?」


「私は先ほど言ったように皆さんの自由を尊重します。ですから、皆さんの知る自由を尊重しますし、私が知っている範囲でしたらお伝えします。ですが、それによる経験、つまりその後どんな事態になっても私は関与しません」


 生徒が問題起しても助けない宣言に、弛緩していた教室の空気が固まった。

 透けブラを見ようと目を血走らせていた姿見は、窓の外が暗くなった事に気付き舌打ちをする。いつの間にか、どんよりとした鉛色の雲が天を覆っている。何処からともなく雷鳴も聞こえてきた。


「もう一度確認しますが、大谷先生の安否確認があなた方全員の命と等価という事で、良いですか?」


 日ノ本の鋭い眼光に威圧された生徒は、真っ青な顔を全力で横に振った。


「よろしい。子供は素直が一番です」


 日ノ本が唇の端を吊り上げてサディスティックに笑う。


「さて、もう一人、今日から皆さんのお友達となる生徒を紹介します」


 日ノ本と一緒に教室に入ってきた生徒が一歩前に出た。欧米出身なのだろう、青い瞳にカラメルソースを薄めた金髪、そして鼻がパーティグッズのメガネをかけたように高く大きい。体のサイズも大きく、頭の先がホワイトボードの上端より高く、二メートル近くあるのではないだろうか。筋肉が制服を押し上げ、動く度に生地が悲鳴を上げそうだ。

 男は人懐っこい笑みを浮かべて、自己紹介を始める。


「エーワターシ、トウキョウノホウカラヤッテキマシタ、ななしの権兵衛デース。キガルニ、ごんちゃん、トヨンデクダサーイ」


 教室の中はざわめき一つなく、ごんちゃんを凝視する。

 ごんちゃんは、豊かな口ひげを撫でながら続けた。


「今年デ、四十五歳ニナリマスガ、皆サン、仲良クシテクダサーイネ」


     ●     ●     ●


 昼休み、職員室の一角。来賓者を迎える為に仕切られた場所のソファの上で、日ノ本が土下座をしていた。


「ソレデ、ドウ言ウオツモリデスカ?」


 対面に座るグレ子が尋ねる。淡々とした口調で内心が全く読めない。

 グレ子の隣に座る姿見は二人を見て、蛙と蛇を思い出した。手に持ったおにぎりを口に含む。こんな時でも、グレ子製ツナマヨおにぎりはおいしかった。

 顔を上げた日ノ本が脂汗を滲ませながら話す。


「実は、とある筋から某国の諜報機関が日本に入国した、と報告がありました。その諜報機関は主に軍事利用可能な科学技術の調査および入手を任務としております。今回の入国目的がグレ子さんの可能性もあり、その警護の一環として学校の職員を組織の人間に入れ替えさせて頂きました」


「不要デスワ。コノ星ノ技術段階デハ、ワタクシノ自衛道具ニ対抗出来マセン」


「その通りかもしれません。ですが、私達は関係ない日本人がこの件に巻き込まれないように守る義務があります。どうか、ご了承願います」


 日ノ本が先ほどより深く頭を下げて土下座する。


「ワタクシニハ関係ナイ話デスワ。マタ、約束、破ラレマシタネ」


「そ、そこを何とか。お願いします。鑑さん、日本のピンチです。暢気に食事をする前に、あなたからも説得してください」


 涙目の日ノ本が姿見に懇願する。

 出来る女が頬を赤くして涙目で懇願するってエロくてグッド、とガッツポーズを取った姿見は気になった事を確認する。


「関係ない日本人の中にはこの姿見 鑑さんは入っておりますか?」


「は、何言ってるんですか。そんなの当然、入ってるわけないでしょう。あなたはこの件の中心人物です。非納税者、非選挙民、守る義務もありません」


「グレ子さん、好きにやっていいんじゃない?」


「鑑さんっ、あなたには愛国心が、友愛が、謝罪と賠償がないんですかっ!」


「うるせぇっ! こんな腐った国滅んでしまえ!」


 姿見は本心をたたき付けた。


「姿見様カラノ許可モ頂ケマシタノデ、自衛道具●△△△■○○■ニヨル、地域殲滅ヲ実行サセテ頂キマス。場所ハ東京都渋谷区代々……」


 グレ子の朗らかな声で職員室中が騒然となる。交渉決裂、緊急避難、内閣へ連絡等、職員室で聞こえるはずのない単語が飛び交う。


「鑑さん、早くグレ子さんを止めてください。あなたは納税者のお金を何だと思っているんですか!」


「腐りすぎだろ日本政府、金しか頭にないのか」


「失礼な! お金以外にも、責任逃れや、問題の先送りもちゃんと考えています」


「やっぱり、滅んでしまえ日本っ! とにかーく、この件はグレ子さんと日ノ本さんだけで、話し合って下さぁぁい。こっちは関係ありませぇぇぇん」


 やけくそ気味で叫んだ姿見はそっぽ向く。

 日ノ本がYシャツの第二ボタンまで外し前のめりになった。


「そんな事言われると、葵、泣いちゃう」


 上目遣いに涙目で訴える日ノ本、その胸元、大きく開かれた襟元から純白のブラジャーがチラリと見える。


「グレ子さん、地域殲滅なんてやめなよ。ここは話し合おうじゃないか」


 爽やかな笑顔で姿見は、グレ子に中止を促す。


「姿見様ガ仰ラレルノナラ、仕方アリマセンワネ」


 グレ子が渋々と言った様子で頷く。職員室中から安堵のため息が聞こえてきた。

 素早く隠された日ノ本の胸元を名残惜しそうに見つめた姿見は腕を組んで唸る。


「それにしても、誰がグレ子さんの事を外国に漏らしたんだ?」


「山火事、謎の飛行物体、学校半焼、県内の島で火災、これだけの事がありましたからね。どこから嗅ぎつけられても可笑しくありません。実際、海外の超常現象を取り扱うサイトでは、この県の事がちらほらと話しに出てきています。謎の連続火災事件! とか、山火事の原因は謎の飛行物体墜落か? と言う感じで」


 日ノ本がポケットからスマートフォンを取り出し、件の海外のサイトを見せる。日ノ本が画面をスクロールさせると、火事にあった山やこの学校の写真が表れた。


「そんな事になっていたのか」


「マァ」


 突きつけられた海外サイトを見つめる姿見とグレ子に、日ノ本が肩を竦めてみせる。


「日本国内だけなら何とでもなるのですが、海外では私達の手が出ません。全力で情報の隠蔽に勤めていますが、限界があります。どこからか、情報が漏れていたとしても可笑しくないんです」


 日ノ本がスマートフォンをポケットに戻した。

 そこにわらしべが飛び込んできた。


「やっほー、グレ子さん、あーんどその他。お弁当たーべよぉ」


 風船の様に膨らんだ胸を上下左右に揺らしながら、わらしべが仕切りの中に入ってくる。真剣な顔で胸のゆれを観察していた姿見の眼光が光る。


「その揺れ、ノーブラか」


「せいかーい、ご希望通り、ノーブラにしてやったんだ。感謝しろぉい」


 胸を張るわらしべにあわせて、おっぱいがゼリーの様に揺れる。姿見はありがたや、ありがたや、と拝んだ。


「長者さん、ここは職員室です。ノックもせずに入ってくるのは、失礼で「グレ子さんっ」


 日ノ本の苦言を遮って、わらしべがグレ子の隣、姿見の反対側に飛び込んだ。


「長者さんっ!」


 わらしべを叱ろうとする日ノ本に、姿見は首を振って無理無理、と伝える。


「休みの間さぁ、色々考えたんだけど、グレ子さん赤外線見えてる? それとも、電場か磁場の感知能力を持ってるとか。この前の肝試しとか花火でさぁ。グレ子さん暗い夜道も危なげなく歩いてたじゃん、昼間の道を歩くみたいに。だからあたち、グレ子さんの視界というか、それに似たものはそんな感じの能力かなー、て思うけど当り? 当り?」


「ソレハ秘密デスワ。ワザワザ言ウ事デハアリマセンカラ。姿見様ダケニデシタラ、ヤブサカデハアリマセンケド」


 大げさな身振り手振りで説明するわらしべを、グレ子はすげなく袖にする。


「ええぇぇぇぇ。いいじゃぁぁん、それ位。あたち達、同じ部屋で寝たソウルフレンドじゃない」


「駄目ナモノハ、駄目デス」


「ぶうぅぅぅぅぅ。じゃあさ、じゃあさ、グレ子さんの好きな食べ物とか教えてよぉ。塩ビ、POM、アクリル、それともPEEKとか?」


 怒涛の勢いで疑問を投げつけるわらしべを指差して、姿見は日ノ本に尋ねる。


「これがスパイじゃ……ないよねぇ?」


「……ないはずです。事前に調べた調査では、思想、経歴、交友関係、どれもシロでした。信じられないかもしれませんが、彼女のブログやツイッターには宇宙人のうの字も出てきません」


 自信なさそうに日ノ本は肯定した。


     ●     ●     ●


 六限目、本日最後の授業は保健体育だった。学校史上初、クラスの三分の二が座学で体調を崩し早退を記録。残りの生徒も皆一様に顔を真っ青に染めている。

 保健体育の授業内容はビデオ鑑賞。タイトルは『赤ちゃんが出来るまで』である。

 最初の十分は通り一遍、妊娠した女性のイラストと妊娠経過による身体的変化の説明。この時はイラストを見て馬鹿騒ぎする余裕が生徒達にあった。

 知識としての妊娠について説明が終わると、まず妊娠中絶の手術現場が写された。当然、受精した卵子の末路も映される。ここで、男子の半数が口を押さえて席を立った。

 次は出産だった。破水から子供が産道を出てくる様子、更に別の場合として帝王切開している様子も映された。残った生徒の半分が倒れる。

 最後は止めとばかりに、酒、タバコ、麻薬を体内に取り込んだ母体の生んだ赤ん坊についてだ。未熟児や低体重児、アルコール依存症を持った子供等、症状が酷いものだけが映された。ここで、これまで気丈に振舞っていた女子数名が耐えられなくなって早退した。

 ビデオ鑑賞後、教室に戻った生徒達は生きる屍の様なありさまだ。元気な生徒はグレ子とごんちゃんだけだ。

 グレ子は顔色一つ変えず、声も絶てず、食い入るようにビデオを見ていた。

 なんとか最後まで耐え切った生徒の一人、姿見は青い顔をグレ子に向ける。


「グレ子さんは元気そうだけど、あれ見てうわー、とか、げえー、とかならんの? ウップ」


 ビデオを思い出したのか、姿見は口元を手で覆う。自分が子供を生む事はない、と思っている姿見でもあのビデオはかなりショッキングだった。


「イエ、ソノヨウナ感覚ハアリマセンデシタワ。タダ、生命体ノ中デ生命ヲ発生サセ、成長促進サセル事ガ非常ニ興味深カッタデス」


「生命体、ああ、お母さんの事か。けど、そうしなきゃ、子供は出来ないでしょ?」


 古今東西、母体の居ない生き物はこの地球には居ない。クローン豚等のクローン家畜でも、受精卵をメスに移植する事で繁殖している。


「ワタクシ達ハ、合成機カラ産マレマス。オ母サン、ト呼バレル役割ハアリマセン」


 姿見はグレ子の穏やかな声が急に無機質なものに感じられた。


「合成機?」


「必要ナ遺伝情報ヲ組ミ合ワセ、ワタクシ達ノ元ヲ製造スル機械デス。ワタクシ達ハ、ソコデ初期設定ヲ構築シテカラ、ろーるあうとサレマス。両親トイウ単語ニ相当スル言葉ハアリマセンガ、遺伝情報ノ提供者達ガソレニ当ルカモシレマセン」


「グレ子さん達は、出産する事が出来ないの? ふ……」


 普通の生き物の様に、と言いかけて姿見は口を塞ぐ。


「イイエ、理論上ハ可能トノ事デス。シカシ、効率ガ悪イノデ、ソノ様ナ事ハイタシマセン。星ノ人口計画通リ子供ヲ授カル事ハ、難シイデスカラ」


「人口計画?」


「星ガ衰退シナイ為ニ、適切ナ時期ニ適切ナ人口ヲ生産シ、適切ナ人口ヲ廃棄スル計画デスワ」


 姿見は想像してしまう。人形の様に機械の中から出てくる赤ん坊と、その隣で燃えるゴミの様に処理される老人。そして真っ白な服で頭の先からつま先まですっぽり身を隠した作業員が、無表情で生産と廃棄とラベルの貼られたボタンを押していく。一回押す毎に、子供が一人製造され、老人が一人燃やされる。

 喉奥からこみ上げる吐き気に姿見は口を覆った。


「大丈夫デスカ、姿見様?」


 心配そうな顔のグレ子の真っ黒な瞳が、姿見の眼前に表れる。姿見は上を向いて目を閉じた。グレ子のアクリル材で塗った様にのっぺりとした瞳を見たくなかった。


「ああ、大丈夫。それじゃ、グレ子さんの言う愛、て何なんだ?」


「愛トハ何デショウカ? ワタクシハ、姿見様ヲオ慕イシテイルダケデスワ」


 きょとんとしたグレ子の声に、姿見は気付いた。今まで一度もグレ子は、愛している、とは言っていない。それどころか、好き、とも言っていない。

 姿見はグレ子が人間でない事を実感する。幾ら姿形が違っても、言葉を交わせて、一緒に遊べて、落ち込んで、怒れて、照れて、喜べる、そんなグレ子をどうして人間でない、と思えるだろうか。しかし、愛を知らず、親を持たず、効率に疑問を持たないグレ子の心に、姿見は異質な何かを感じ取った。

 姿見が感じ取ったものは温泉に漂う垢のようなものだ。気付かなければ、全く気にしない、しかし一度気付けば、どうしても気になってしまう。誰だって気付いてしまえば、他人の糞尿やフケ、垢が混じりあった水に身を投じたり、ましてやその液体で顔を洗ったりしたいとは思わないだろう。そう言うものだ。

 姿見はおもむろに席を立った。


「姿見様?」


「さっきのビデオを思い出したら、気持ち悪くなってきた。ちょっと保健室、行ってくる」


 松葉杖をついてノロノロと歩き出した姿見の後ろから、キュムキュムとつるつるのガラスをスニーカーで踏んだような足音が続く。


「グレ子さんはここに居て。ちょっと休めば大丈夫だから。あ、先帰っていて良いから、鞄よろしく」


 グレ子に背を向けたまま姿見はそう言うと、返事を待たずに保健室に向かった。

 帰りのホームルーム中なのだろうか。生徒の影はない。人気のない廊下の反対側から日ノ本がやってきた。


「鑑さん、顔が真っ青ですが、どうかしましたか?」


 保健体育を担当した日ノ本の驚いた様子に姿見の頬が引きつる。


「あんた、鳥ですか? 三歩歩くと忘れるんですか? 自分がクラスの人間を殆ど早退させた事を忘れたの?」


「ビデオの事ですか。最近の高校生は、軟弱でしたね」


「あんなスプラッタ見せられたら、誰でもこうなるわっ! あんた、生徒にトラウマ植え付けて何やりたいんだよ!」


 日ノ本は暫く考え込んでから、真剣な顔で答える。


「私より若い女の結婚阻止ですね。受験も、就職も、競争率を低くした方が勝率は上がりますから」


「最低だ。この人、本気で最低だ」


「失礼な。私は二十歳以上の選挙権を持った方や、十八歳以上の働いている方には、きちんと誠意を持って対応しています」


 眉間に皺を作った日ノ本が淡々と言い切る。


「ヒデェ、まるで生徒の事考えてないじゃん。傷ついた、思春期の繊細な心が傷ついた。慰謝料として、ネコミミをつけて一日甘えネコ化を要求するぅ」


「用事があるので失礼します」


 鼻の下を伸ばした姿見を置いて、日ノ本が早足で去っていく。


「ええ! そのまま去ってくの。リアクションなし?」


 驚く姿見に、日ノ本は振り返らず言う。


「気分が悪いなら保健室で寝て下さい。教室で吐しゃされても、始末に困ります」


「嘔吐はあるけど、下痢はない! ウップ」


 姿見が口元を押さえた。大声を出したら、余計気分が悪くなってきた。素早く松葉杖をついて保健室へ向かう。

 保健室の前まで行くと消毒液の匂いが漂ってくる。廊下には人体模型と体重計、身長計が置いてあった。

 自分より頭半分くらい小さい人体模型を横目に、姿見は保健室のドアを開ける。


「失礼しまっす……て、誰も居ないのか」


 てっきり、六限の保健体育で気分の悪くなった生徒がいると思っていた姿見は拍子抜けした。ベットの周りを囲むカーテンの隙間から中をのぞいてみるが、誰も居ない。美少女が寝ていたり、美少女同士が乳繰り合ったりもしていない。

 姿見はがっかりしながら、窓際のベットにもぐりこむ。目と閉じると、心なしか先ほどより気分が楽になった。胸のむかつきを押さえつつ大人しくしていると、徐々に姿見の意識は途切れ途切れになる。

 遠くからドアの開く音が聞こえてきた。姿見の意識が浮上する。

 規則正しい足音はどんどん大きくなっていった。

 姿見は自身の隣に人の気配を感じた。姿見はぼんやりとした意識で、保険の先生かな? と思い瞼を開ける。

 かすれた視界に大柄な男のシルエットが映った。男の手の中で注射器の針がゆらゆらと揺れるように光る。

 姿見がそれは何か尋ねるより早く、男は姿見の手を取り注射器を刺した。一瞬痛みに顔をしかめるが、すぐに瞼が重くなる。


「ターゲット確保ネ」


 急速に遠のく意識の中で、男の呟きが姿見の耳にこびり付いた。

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