第二章~~資源ヲ娯楽ニ消費スル文化ガアリマセン~~ 後半
浮遊感が姿見を襲った。その心地よさを堪能するより早く、後頭部から衝撃が駆け巡る。
痛みで姿見が目を開けると、眠気眼で辺りを見渡す。クリーム色の壁紙に水色のカーテン。壁際には木製の机と椅子。ホテルの様な内装が目に飛び込む。
一瞬、自分がどこに居るのか分からなくなった姿見だが、すぐに小さな島の洋館に泊まっている事を思いだした。
姿見が窓の外を見ると、天地が逆さまになった青空があった。
「もう朝か。じゃ……二度寝だな」
姿見が二度寝の誘惑に負けて瞼を閉じる。
「いえ、起きて下さい」
尻の方から女の声がした。
一瞬で姿見の目が覚める。姿見は急いで手で髪を直しながら、股の間を覗き込む。オレンジ色のパンツと太ももの間から、シーツを握りしめた日ノ本の上半身が見えた。残念な事に、ベットとパンツが邪魔で、日ノ本の下半身を下から見上げる事は叶わない。
日ノ本は落ち着き払った様子でシーツを放り、姿見に頭を下げる。
「おはようございます」
「おはよう。ところで聞きたいんだけど、どうやって起したの?」
「シーツをこう持ち上げて、鑑さんをベットから落としました」
日ノ本が両手を上に上げて実演する。
この痛みは落ちた時のものか、と姿見は後頭部を撫でた。
「それじゃあ、足を撫でさせろ。特にうち太ももを中心に」
「お断りします」
飛び掛る姿見を、日ノ本は半歩だけ身を引いて交わす。
「逃げるな。日ノ本さんの起し方が荒い所為で、頭にたんこぶが出来たんだ。馬鹿になったらどうするんだ。謝罪と賠償を要求する」
「死んでも嫌です。それと朝食が出来たので、早くレクリエーションルームに来て下さい。グレ子さんも待っていますよ」
頭に出来たコブ見せて詰め寄る姿見を、日ノ本は淡々とあしらって部屋から居なくなった。
「畜生、昨日の事まだ根に持ってるのか? あれは事故じゃないか」
昨日、グレ子が燃やした林の消火後、目の下を真っ黒に目の中を真っ赤にした日ノ本がやってきた。わらしべと姿見の監視の為だ。島に隔離してたった一日で、島の木々約四分の一を焼かれたからだ。グレ子は難色を示したが、追い詰められた日ノ本に同情した姿見と何を考えているか分からないわらしべの説得により、渋々ながら納得してくれた。代わりに日ノ本が、それは党の大切な! と叫んでいたが、姿見は知らない。
着替えて、キタローヘアーをきちっと決めた姿見がレクリエーションルームに行くと、他三人、グレ子、わらしべ、日ノ本は既に来ていた。
いち早く姿見に気付いたグレ子が立ち上がる。
「オハヨウゴザイマス、姿見様」
続いてわらしべが、手に持ったコーヒーカップを掲げて挨拶をする。
「あ、おはよー」
「おはよう」
三人の側まで来た姿見がテーブルを見ると、喰い散らかした食器が一つ。目玉焼きとサラダの皿が二つと他漬物類。そしてカロリーメイトのような形の白い固体が五つほど置かれている。
喰い散らかした食器はわらしべの前に放り出されている。わらしべだけは、姿見を待たずさっさと朝食を取ったのだろう。その他、目玉焼きとサラダの皿は、日ノ本の前に一つ、グレ子の隣りに一つある。白い固体はグレ子の前におかれていた。
姿見はグレ子の隣に座る。他の席に移る素振をみせると、日ノ本の顔が般若に変わるので仕方なくだ。
「ハイ、ゴ飯ニナリマス」
すかさずグレ子がおひつからご飯をよそって、姿見の前に差し出した。
「お、ありがとう」
「後、コチラハ、味噌汁デス」
鍋から油揚げの味噌汁を椀に移して姿見に渡した。その背後では、いそいそと日ノ本が自分の分をよそっている。
日ノ本が席に戻るのを待って、姿見は手を合わせ、いただきます、と目の前の料理に頭を下げる。早速、目玉焼きを攻略しようと箸を伸ばした姿見に日ノ本が言う。
「姿見さん、今日の朝食は、全てグレ子さんが作られましたので、しっかり味わって下さい」
姿見の箸が止まった。初日のプラスチック料理の悪夢を思い出し、グレ子の方を見る。黒い瞳はじっとこちらを見ているだけで内心は伺い知れない。
姿見の内心を知ってかしら知らずか、グレ子は両手で目玉焼きやサラダを薦める。
「姿見様、ドウゾ、目玉焼キガ良ク焼ケテマスワ」
「あ、ああ」
恐る恐る黄身に箸を刺すと、僅かな抵抗があっただけで、あっさり目玉焼きが二つに割れた。中は普通だ。黄身は頂上まで固まっており、少し焦げ痕がきつかったが、人間の食べ物だった。
次にご飯を口に含み、味噌汁で流し込む。ご飯はちゃんと炊けており、味噌汁は出汁が効いている。十分、美味しいと言える範囲の食べ物だ。
「おお、うまいよ。凄いじゃん、グレ子さん。どこで覚えたんだ?」
姿見が手放しでグレ子を褒める。姿見がグレ子に料理を教えたのはたった二回だ。それも味付けは、人間の料理が食べられないグレ子に代わり、姿見自身が担当した。まだ、一人で料理が出来る程の腕前はないはずだった。。
口の端を上げたグレ子が頬を赤くしながら種を白状する。
「実ハ、日の本ニ、見テ頂ダイタンデス。めにゅーニツイテモ、助言ヲ頂キマシタ」
「でもぉ、日ノ本ちゃん、味見しかしてなかったじゃん。それ以外はぜ~んっぶ、グレ子さんがやったじゃん。十分グレ子さんの料理だと思うよ、あたちは」
コーヒーを啜るわらしべの意見に姿見も頷く。
「ソ、ソンナ勿体無イオ言葉デス、ワタクシ、ワタクシ」
顔を真っ赤にしたグレ子さんがレクリエーションルームから飛び出した。
一体どうした、と姿見は首を捻ったが、グレ子の座っていたソファを見て納得する。表面のフェルト生地が熱で溶けてカチカチに固まっていた。どうやら、嬉しすぎて体温が上がったらしい。
同じ事に気付いたのだろう、日ノ本が慌てた様子で、グレ子を後を追った。手にはいつの間に準備したのか、投擲式の消火器と茶碗が握られている。
「なんぎだねぇ……うん、うまい」
姿見は日ノ本の後姿を一瞥してから、今度はサラダに箸をつけた。黙々と料理を食べていると、テレビからニュースが聞こえてくる。わらしべがテレビをつけたようだ。
ニュースでは、ダイナマイト爆破でもやった様に、綺麗に倒壊した施設の前で、レポータが早口でまくし立てている。昨日の夜未明、与党の施設が一つ原因不明の倒壊事故にあったらしい。施設内に人が居たにも関わらず、奇跡的に死傷者はゼロだったそうだ。
「平和だねぇ」
コーヒーを啜りながらわらしべは、番組を変える。
「まったくだな」
テレビに映った子供向け教育番組を見ながら、姿見は朝の平穏をかみ締めた。
● ● ●
大きな出来事もなく、夜になった。
例によって、わらしべが
「テニスやろーぜ。あたち、来週体育でテストあるんだよ」
「ミニスカ・ブカTナインボールやろうぜぇ。ミニスカから見える脚線美と、ぶかぶかTシャツの首元から見える胸が絶景なんだよぉ」
「おい、姿見、ちょっとあたちの課題手伝ってくれよぉ。あ、グレ子さんはあたちと向うで遊ぼう。ここ、GP3(ゲームポータブル3)とソフト一式あるんだよ」
と周囲を振り回したが、施設が壊れる事はなく穏便に済んだ。時折、日ノ本が消えて頬に泥をつけて帰ってくる事もあったが、特筆すべき事はない。
夕食に食べ終えた姿見達がレクリエーションルームでのんびりとテレビを見ていると、何の前ぶりもなくわらしべが立ち上がった。
「そうだ、肝試しだ」
姿見は口に含んだ笹団子を飲み込み、日ノ本の方を向いて言った。
「ところで、日ノ本さんのスリーサイズていくつ? 予想では、上から七七、五三、八十位の少しお尻ぽっちゃり、スレンダー系だと思うんだけど」
「鑑さん、ついに脳が腐りましたか?」
「いや、わらしべが不気味なこと言い始めたんで、誤魔化したいだけ」
姿見は万歳してドコカと交信を始めたわらしべを指差す。
「なるほど」
日ノ本が頷く。姿見は目を血走らせた顔をズズイと日ノ本に近づけた。
「だから、スリーサイズ教えてくれ。ついでに、今日の下着の色とを種類も、ハァハァ」
「マジじゃないですか」
「ブヘッ」
日ノ本が投げた笹団子が姿見の顔にぶつかる。大げさな動作で、姿見がソファに倒れた。
「そろそろ、いいかな。漫才コンビ」
「チッ」
「駄目でしたか」
わらしべが歯を見せて笑い、窓の外を指す。窓の外は既に紺色の闇で染まり、黒く塗りつぶされた山の上で月と星が輝いていた。
「外も暗くなってきたし、肝試ししよう」
続けてわらしべは、日ノ本を指差す。
「スケープゴート……もとい責任者がいるから、何かあっても問題なし」
顔に張りつた笹団子は剥がした姿見は目頭を押さえた。昨日、アレだけの惨事があったのに、花火よりトラブルになりそうなイベントを言い出した馬鹿を前にして、姿見はナントカに付ける薬が欲しくなる。
姿見は手に持った笹団子を食べながら反対する。
「ムグ、昨日の花火と言い、ムグムグ、お前の頭の中は、ムグ、夏しかないのか? ング、プハァ、大体、肝試しって何やるんだよ。山は昨日の昼見てきたし、海は……なぁ」
日ノ本もそれに追従する。
「海側は今日一日立ち入り禁止です。まだ、火がくすぶっている可能性がありますので。山側は足場が悪く、暗い中、出歩けば事故にあいます」
「えー、でもやろうよぉ。別に砂利道までいいしー。折角、島一つ独占してバカンスなんてやってるんだから、部屋でゴロゴロだけじゃ、つまんなーい」
わらしべのもっともな訴えに、姿見は笹団子を食べる手を止める。島でバカンス、よく聞くフレーズだが実際にそれが出来る日本人、いや高校生が何人居るだろうか、百、二百、恐らく千人も居ない。その中で行動に移すやつは更に少ないだろう。考えれば考える程、姿見は自分が貴重な体験をしている事に気付く。
「確かに、部屋でゴロゴロするだけじゃ、勿体無いな」
わらしべの言葉に乗せられていると自覚しながらも、姿見は呟いた。今回が最初で最後になるであろうイベントだ。骨の髄までしゃぶりつくしたいのは姿見も同じだった。
「鑑さんっ」
「だよね」
日ノ本の悲鳴とわらしべの賛同が同時に上がる。
姿見が肯定的な意見を言ったからだろう、それまで黙っていたグレ子が質問する。
「姿見様、肝試シトハ、恐怖ヲ感ジル場所へ移動スル事ト、辞書ニ記載サレテイマスガ、光量ノ低イ時間帯ニ出歩ク事ガ、恐怖ヲ感ジルノデスカ?」
「それは、そうだろ」
姿見は当然と頷く。
「分カリマシタワ、アリガトウゴザイマス」
丁寧に頭を下げるグレ子の方に、わらしべが身を乗り出した。
「グレ子さんもやりたいよね。男女の仲を進めたかったら肝試しが一番っ! これでもっと親しくなれるよ」
「是非、ヤリマショウ」
グレ子が何度も首を縦に振って頷く。わらしべが拳を握り、日ノ本がその場にぐずれ落ちた。
グレ子がやりたいと言ったのだ。日ノ本にはこれを止めるすべがない。かと言って、自分は関係ない、と無視する事も出来ない。
「公務員は大変だなぁ…………こっちもやばそうだけど」
姿見は顔を捕らえて離さないグレ子の視線を感じ、早くも肝試しに賛成した事を後悔した。
● ● ●
虫除けスプレー、懐中電灯、念の為の携帯と簡単な救急セットを持って、姿見達は昨日登った山道を再び登る。
先頭は懐中電灯を持ったわらしべ、その後ろを歩く姿見とグレ子もポケットに懐中電灯を忍ばせている。
全員懐中電灯を持っているのは、日ノ本からの指示だ。もしはぐれた場合、その場で動かず、短く一回、長く二回、短く一回懐中電灯を点滅させ、居場所を知らせる為だ。姿見は邪魔だと思っているが、日ノ本の血走った目を前に反抗する事は出来なかった。
その日ノ本は本格的な登山でもするように、荷物でパンパンに膨らんだリュックサックを担いで最後尾を歩いている。
歩くペースは前回より大分ゆっくりとしたものだ。昼間より見通しが悪い事と、グレ子の体力を気遣ってである。
砂利道の左右を木々と草花が覆い、月が薄っすらと辺りを照らしていた。
「思ったより怖くないな」
「だねー」
姿見の感想に、わらしべが残念そうに頷く。月明かりが照らしている為、目が慣れると視界にそれ程苦労しない。流石に木々の奥は見えないが、道の先はある程度視界が確保されており、恐怖を覚えるような雰囲気ではなかった。
最初は風で木々が揺れ、動物の鳴き声が聞こえる度に驚いていた姿見だが、十分も歩けば気にならなくなる。
「コノ光量ハ、怖クナイノデスカ」
グレ子が姿見に尋ねる。
姿見はどう答えていいのか悩む。怖くない理由の一つは明るさだが、もし一人なら心細かっただろう。道を外れ山に迷い込んだら不安で怯えただろう。明るさだけが怖くない理由ではない。
姿見が唸っていると、脇からわらしべが口を出す。
「肝試しする雰囲気じゃないんだよぉ。結構明るいし、皆一緒だし。何か出てくるかもとか、未知の世界に足を踏み入れてる感じがしないんだよね」
「ああ、それそれ、真っ暗だと何か怖いものが出て来るかも、て思うんだけど、今はそんな雰囲気じゃないんだよな」
わらしべに姿見は追従する。わらしべの説明は、姿見の言いたかった事そのものだった。
「光量ガ少ナイ。観測者ガ減少スル。外的因子デ外部情報ヲ取リ込ミヅラクナリ、ねがてぃぶナいめーじヲ連想サレル、ト言ウ事デスネ。ツマリ、肝試シトハ、ドレ位ねがてぃぶナいめーじヲ連想シヤスイカ調ベル遊ビデスカ?」
「うん、そんな感じ」
わらしべが適当に頷く。姿見はこいつグレ子の言った事分かってんのか、と思ったが、口には出さない。もし、わらしべが分かっていたら、えー、姿見、そんな事も分からなかったのぉ? ばっかじゃぁぁぁん、キシシシシシ、と歯を見せて笑われる事が分かっているからだ。わざわざ馬鹿にされるより、小刻みに揺れるわらしべのビックマシュマロを拝んでいる方が姿見の心を豊かにしてくれる。
「グレ子さんとこにはこう言う遊びないの?」
「アリマセンワ。情報ノ多寡ハ生死ニ直結シマスノデ」
「ふーん、宇宙も大変なんだねぇ」
姿見、わらしべ、グレ子で話の花を咲かせる。最後尾を守る日ノ本は話題に入ってこない。仕事で仕方なく来ているアピールだろう。
四十分程歩いただろうか、山の中腹位まで登った。昨日は、砂利道がこの辺りまでしかなかったはずだが、まだ砂利道が続いていた。
「ありゃ、何か砂利道が伸びてる」
わらしべが言葉に、姿見は気のせいでないと分かり、首を捻る。
「わらしべもそう思うか。だけど、そんな事があるのか?」
「普通はないと思うけどさ。あそこの木、枝がUの字に曲がってるでしょ。あの枝の辺りは地面が見えてたよ。珍しい形だから覚えてる」
わらしべが一本の木を指差す。わらしべの言う通り、一番下の枝が一度下に伸びてから大きな弧を描いて上に伸びていた。
言われてみれば、姿見にも変な形だと思いながら土を踏みしめた覚えがある。
姿見とわらしべは顔を見合わせ、ミステリー? と首を捻った。
「何カサレマシタカ?」
グレ子が後ろを振り返り、日ノ本に問いかける。
「ばれてしまったなら、仕方ありません。本日、皆さんが洋館に居られた間、この先の道もある程度整備しました。皆さんの行動力の高さは昨日の一件でよく分かりましたから、山登りをやると予想出来たので」
日ノ本は自嘲気味に肩をすくめる。
「もっとも、まさか今日の夜、登る事になるとも、すでに一度登られた後だと言う事も想像出来ませんでしたが」
「つまり、こっちの安全の為に一日で道を整備してくれたって事ですか?」
姿見が尋ねると、日ノ本が頷いた。
姿見は日中、日ノ本が時々姿を消したり、物陰で電話してた事を思い出す。てっきり、外と連絡を取り合っていると思っていたのだが、この道の監督で連絡していたのだろう。
「ふーん、じゃあ、もう少し上まで登ろうよ。昨日行った所か、砂利道が途切れるまでさ。どうせ、この近くなんだし」
「そうだな、まだ時間はあるし、グレ子さんがよければだけど」
昨日、グレ子が弱点といった杏子の近くまで行く事になるので、姿見はグレ子の様子を伺う。嫌がっている素振りがあれば、わらしべを捨ててでも帰るつもりだ。下手に暴走されたら、今度は山が禿山になってしまう。
「ワタクシハ、姿見様ノ、オ側ニ居ラレルダケデ十分デス」
グレ子は頬を染めて、ピントのズレた事を告白する。
「あー、ソウデスカー、ソレジャー、サキニ、イクカー」
返答に困った姿見は適当に誤魔化し、三人の返答を待たずに登り始めた。
ほんの十分もかからず、昨日、グレ子が姿見の背に隠れた場所まで到着する。黒い影になって分からないが、杏子の木がこの先にあるはずだ。
まだ杏子の木まで距離があるのか、グレ子は姿見と肩を並べている。
わらしべが懐中電灯を振り回し、辺りを照らす。、木の幹と雑草が闇の中に浮き上がる。
「ぶー、謎の巨大生物も、絶滅危惧種も、戦争でとりのこされた日本兵もいなーい」
わらしべが唇を突き出しながら言った。
「ああ、そう言う狙いだったのか」
わらしべの文句で、姿見はわらしべがこんな山登りを提案した意図が分かった。山登りが目的ではなく、謎とか宇宙的な何かとの遭遇を期待していたのだ。
姿見ははた迷惑な話だと思いながらも、わらしべらしいと納得した。
三方を山で囲まれた三山市生まれのわらしべにとって、山登りなんて大して面白い事ではないはずだ。海やゲームなど他にもやることがあるのに、二日で二回も山登りに誘うなんて、何か裏がなくては可笑しいのだ。
「わらしべさんも納得されたようですし、そろそろ帰りませんか」
日ノ本が提案し、姿見達は頷く。
「ざーんねん」
わらしべは小走りで日ノ本の背後、先頭に着く。少し位ごねるかと思われたわらしべだが、素直に山を下り始める。杏子の話が効いているのだろう。
姿見とグレ子が続こうとした時、一際強い風が吹いた。思わず目を閉じた姿見の耳に、今までにないほど騒がしく鳴る木々の擦れる音と、何かが落ちる音が飛び込んでくる。
「きゃっ」
グレ子が悲鳴を上げる。
「グレ子さん?」
「大丈夫デス。杏子ガ落チタノデ、驚イテシマイマシタ」
姿見の呼びかけに、グレ子は早口で応えた。小柄な身体を更に小さく丸め、怯えている様だ。良く見ると、グレ子のスカート、ポケットのある所が小刻みに震えている。杏子が近くにあるという事だ。
姿見はさりげなく、グレ子の背後に回り壁となる。
その時、もう一度風が吹いた。姿見の背中を押す風に乗って、何かが転がり落ちてくる音がする。
姿見が首を後ろに捻ると、まだ熟していない杏子が坂を転がって来ていた。杏子が姿見の横を通りすぎようとした時、グレ子が悲鳴を上げる。
「きゃあっ!」
「えっ?」
グレ子が姿見に飛びつく。小学校低学年程度しかない体格を裏切る重みに、姿見は二、三歩たたら踏み、膝から重荷が消えた。
浮遊感に姿見の背筋が凍る。両手を大きく広げバランスをとるが、重力に引き込まれた重心はありえない位置までズレる。
ああ、駄目だこりゃ。姿見は諦めた。
姿見はグレ子を胸に抱いたまま、砂利道横の茂みに落ちる。木の折れる破裂音と、体中を引っかく枝を一瞬で通り過ぎた。
茂みを通り過ぎた姿見とグレ子は、急斜面を転げ落ちる。天地が逆転し、背中を硬いもので殴打される。冷静な判断力はなくなり、感覚も可笑しくなる。自分が転げ落ちている事だけは分かったので、姿見は何かにつかまろうと必死に手を伸ばすが、届かない。
掴むところ。
掴むところ。
どこかに掴まれば全て救われると信じて姿見は手を伸ばし続ける。
数秒の事だろうが、姿見には永遠と思えた時間は、背中に一際大きな衝撃を受けて終了となる。腹に抱えたグレ子の分も衝撃を受けた姿見は肺腑の中身を吐き出した。
暫く呆然としていた姿見は、景色が動いていない事に気付いた。止まった様だ。
姿見は周囲を見渡した。左右は闇に包まれ判然としない。前には四つんばいにならないと登れそうにない急斜面、背中にはシャツ越しで木の樹皮を感じる。
姿見の背中が今頃になって痛みを訴える。
「いってぇぇぇ」
姿見は歯を食いしばる。姿見は平均的な男子高校生より痛みに強い。我慢出来ない程、酷い痛みではない。これ以上の痛みを月一回は受けているのだ。
姿見の腕で何かが蠢く。グレ子が胸に飛び込んできた事を思い出した姿見は、顔をさげる。姿見は自分の両手がグレ子の二の腕を直接掴んでいる事に気付き、慌てて手を離した。今までの言動から見て、直接肌を触られるとグレ子は高温になると考えられるからだ。
姿見は赤くなるグレ子を予想し身構える。
しかし、姿見の予想に反して、グレ子の身体は赤くならない。灰色のままだった。
「姿見様、ワタクシノ所為デ……申シ訳アリマセン」
姿見の腕の中で、グレ子が震える声で謝った。
「別にわざとじゃないんだ。気にするな」
姿見は出来るだけ気楽に言った。
「デスガッ」
「ストッーープ」
更に言い募ろうとするグレ子を姿見には止める。
「反省は後で良い。それより、さっさと戻ろう」
姿見は落ちてきた坂を見上げる。急な斜面だが、四つんばいになれば登れるだろう。
姿見は素肌に触らないよう慎重にグレ子を自身の上からどける。立ち上がろうと足の裏で地面を踏みしめた瞬間、左足から骨が軋むような痛みが襲ってきた。
顔を歪めた姿見は、足首を押さえて座り込む。血液の脈動と共に鈍い痛みを訴えていた。
姿見は、まずい事になっている、と確信しながら、ズボンの裾を捲り足首をさらけ出す。
「マァ」
姿見の足首を見たグレ子がトーンの高い、恐らく驚いた、声を上げる。
白い靴下に包まれた足首が大きく腫れていた。幸い変色したり、妙な方向に曲がってはいないが、無理に動かして良い状態には見えない。
「ゲェ」
油汗を滲ませた姿見は、おどけた仕草で額に手を当てる。
姿見は指先が髪の毛に触れない事に気付いた。普段は鉄壁を誇るキタローヘアーも今回の事故には耐え切れなかった様で、髪の下の顔が月明かりの下に晒されていた。
足の痛みも忘れて、姿見は急いで前髪を右半分にかき集める。髪型をある程度まで整えた姿見は、隣でジッと見ているグレ子を思い出した。
姿見はグレ子から逃げる様に顔を背ける。恐怖が全身を襲い、歯の根が合わなくなる。
「姿見様、ドウカサレマシタカ? マサカ、足ノ他ニモ不具合ガゴザイマスカ?」
血の気の引いた姿見の変わりように異変を感じたのだろう。グレ子が控えめに尋ねてくる。
「どうか、て」
姿見は体中の力が抜けそうになる。姿見としては、もっと派手な反応を期待していた。普段隠しているキタローヘアーの中身を出したにしては、グレ子の反応はちょとばかり期待外れだ。
「むしろグレ子さんはどう思ったんだよ。コレ見て」
姿見は、キタローヘアーの前髪を指差す。
「姿見様ノオ顔ヲ拝見出来テ、嬉シイデス」
桜色の頬を染めたグレ子が、恥ずかしそうに両手で灰色の顔を覆う。
宇宙人だ、と改めて思い知った姿見は大きく肩を下げる。女の子にキャーキャー言われる為隠している特別な顔なのだが、グレ子にとってはキャーキャー言う程のものではないようだ。
「なぁ、この顔、グレ子さん的には普通なのか?」
このままでは気持ちが落ちつかない姿見は自分の顔について尋ねた。肌を灰色に戻したグレ子は宙を見て考え込む。
「個体数ノ多イ造詣デハアリマセンガ、絶滅種ト言ウ程デハアリマセン。デスガ、ソレハ大切ナ事デハアリマセン。ワタクシハ、例エ姿見様ノオ顔ガ、●□■■●●■△●○似デシテモ気ニナリマセンワ。ワタクシハ姿見様ヲオ慕イシテオリマスカラ」
頬を染め口の端を上げて笑うグレ子を姿見はマジマジと見た後、手で口元を隠して顔を逸らした。ど真ん中に剛速球を投げられた気分だ。良い球すぎて手が出ない。後二球投げ込まれれば、姿見はアウトになるしかない。
姿見は慌てて話題を変える。可愛くない女の子にやられるなんて、死んでもごめんだった。
「ところで、グレ子さんは怪我してない?」
「ハイ、大丈夫デス」
姿見の胸に飛び込んだ事が良かったのか、言葉通りグレ子に外傷は見られない。所々、土で汚れたり、服に枝葉が付いているだけだ。
「そうか、こっちは足が怪我してて動けない。グレ子さんだけ登って、日ノ本さんを呼んできてくれ。きっと探してるはずだし」
「姿見様ヲ、オ一人ニ出来マセン」
「と言っても、この足じゃあ、動けないからなぁ。あ、そうだ、グレ子さんの宇宙人的道具で何とかならない」
姿見はいいアイディアだと顔を明るくする。
「ソレハ出来マセン」
グレ子が首を横に振った。心なしか肩が下がり、落ち込んでいるように見える。
「地球ノ技術段階ニ、ソグワナイ品物ハ、全テ宇宙船ノ中ニ置イテ来テシマイマシタ。取リ出スニハ、鍵ガ必要ナノデスガ、鍵ハ洋館ニ置イテキテシマイマシタ。本当ニ、申シ訳アリマセン。姿見様ニオ怪我ヲ負ワセ、コノ失態。ナンノ弁解モ御座イマセン」
グレ子は叱られる事を怖がる子供のように俯いた。
姿見は背中を木に預けて、体中の力を抜く。
「そっか、仕方ない。他になにかいい方法を考えよう」
眉を寄せて唸る姿見に、グレ子が遠慮がちに尋ねてくる。
「オ叱リニナラナイノデスカ?」
「理由がない。落ちたのは事故だし、グレ子さんの宇宙人的道具の使用禁止令はこっちの命令だ。どっちも、グレ子さんに比はないよ」
「姿見様」
グレ子の肌がほんのり赤くなる。
なんとなく気恥ずかしくなった姿見は、グレ子の顔から視線を逸らす。グレ子のポケットに突っ込まれた懐中電灯を見つける。
「ああ!」
姿見は声を上げる。
「姿見様、オ加減ガ悪イノデスカ?」
「違う、違う。懐中電灯だよ。行く前に決めた合図あったよね」
心配そうに尋ねるグレ子に、姿見は自身のポケットから懐中電灯を取り出して見せる。
「ハイ、短ク一回、長ク二回、短ク一回デスネ」
姿見は頷き、短く一回、長く二回、短く一回、懐中電灯を点灯させる。懐中電灯の照準を変えて、何度も繰り返した。
姿見は無言で懐中電灯を弄り、グレ子はその隣で見守っている。
草のざわめきと動物の声が良く通った。月光りは弱々しく、深い闇が背後から襲ってきそうだ。不思議と姿見の心は落ち着いていた。グレ子の気配を感じるだけで、闇も音も怖くなかった。
日ノ本が救助隊を連れてやってくるまでの間、姿見は穏やかな顔で懐中電灯を点滅させていた。