第一章~~他国が研究資材として窃盗するかもしれない~~ 前半
わらしべの儀式による山火事から約一週間が経過した。
窓から差し込む日差しがきつい日曜日の午後、姿見は居間でソファに身を沈めて、ファッション雑誌に目を通している。最新のファッションや化粧品についてウンチクを仕入れ、女の子にもてよう、と言う魂胆だ。
開けっ放しにされた窓からは柔らかな風が吹き込んでくる。家が水田の真ん中にポツンとあるお陰で朝から晩まで良い風が吹いてくれるのだ。絡みつくような湿気と茹で上がるような暑さにTシャツと短ズボンだけで対応出来ている。
「ふぁぁぁぁぁぁ」
大きな欠伸を一つ。姿見は喉ちんこが見える大口を閉じて腹を掻く。とろんとした目が眠気に負けて閉じられていく。
ピンポーン
姿見は眉を寄せると、雑誌を顔に被せて、チャイムを無視した。どうせ回覧板か怪しい訪問販売である。そんなもので、穏やかな午後の一時を邪魔されたくなかった。
居留守を決め込んだ姿見に対し、訪問者は諦めなかった。
ピンポーン
ピンポーン
ピポピポピンポーン
ピポピポピポピポピポピポピポピポピポピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ
「うっせーっ! 何のようだゴラァァ、ァア、あ?」
我慢出来なくなった姿見が玄関をあけて怒鳴るが、すぐに言葉を失い立ち尽くす。玄関前にはスーツ姿の女が土下座していた。
女は眉をハの字にした顔を上げ、飛びつくように姿見の足に縋りつく。
「どうか、どうか、話を聞いて下さい」
「もちろんですよ、おねーさん」
素足に当るささやかな胸の感触に頬を緩めた姿見は、鼻の穴を大きくしたまま頷いた。
そして、僅か十秒後、姿見は女達を招きいれた事を激しく後悔する。
美人局かよ、畜生。両手で頭を抱えた姿見が頭の中で毒づく。
姿見の家の居間にて、現状三人の生命体が三者三様の様子でソファに座っていた。
まず一人目、鑑 姿見、高校一年生、家主として他の二名の対面に座っている、両手で頭を抱えながら。
二人目、土下座をしたスーツの女。名前は、日ノ本 葵、先端に向かってとがった顎に切れ目で長身、身支度にも隙がなく、仕事の出来るきつめの女と言う印象を受ける。本人曰く日本政府が誇る某組織に所属しているらしい。某については教えてくれなかった。姿見は真顔で、知ったら日本政府によって殺されます、と言われてまで聞ける猛者ではない。
そして、最後の三人目、仕立ての良いフリルの付いたドレスを着て、ほっそりとした手足を白の手袋とガーターで包んだ地球外生命体である。小学生位の背丈で、頭だけは異様に大きく、姿見を見つめる瞳は黒一色、頭髪類が全くないのっぺりとした肌の色は灰色、典型的なリトル・グレイだ。
姿見はチラリと、リトル・グレイを見てから、日ノ本に視線を戻す。
「あー、よく聞きたくなかったんで、聞かなかったんだ。悪いけど、さっさと帰れ」
「でしたらもう一度ご説明させて頂きます」
「いや、いいから、帰ってくれ。玄関はあっちだ」
姿見が居間の出口を指差すが、日ノ本は気にした様子もなく、リトル・グレイにいたっては微動だにしない。
「こちらにいらっしゃるリゲリアンの……失礼、本名は我々人類では発音出来ませんので通称になりますが、通称、『グレ子さん』と一緒に暮らして頂きたいのです」
「ふざけんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! 出来るかっ!」
「ああ、条例違反をご心配ですか? ご安心を、ちゃんと結婚もして頂きますので」
「心配するところが違うだろ、それっ!」
勢いに任せてテーブルを叩いた姿見がグレ子を指差す。
「ナンデショウカ」
グレ子さんが小首を傾げて微笑んだ、と言っても口の形が少し変わっただけである。眉や頭髪と言う毛が一切ないグレ子の表情は非常に分かりづらい。口調も加味して恐らくそうだろう、と姿見は判断した。
「なんでコレと結婚しなきゃならんのですっ!」
日ノ本の額に汗が滲む。日ノ本はあらぬ方向を見ながら、言いにくそうに話す。
「えー、それはですね。なんと言いますか、いわゆる一つの」
「アナタノ告白ガ忘レラレマセンノ」
日ノ本の言葉を、春の陽気の様に穏やかな声が遮った。
「オ慕イシテオリマス、姿見様」
グレ子の頬が桜色に染まる。頬に手を当てて照れる仕草は初々しく、初めて告白する女子中学生のようだ。
姿見は眉を寄せて不可解な単語を復唱する。
「告白?」
「ハイ。けぼろ だーねけ わるきでてんな と くたん このとち み、ト四回、ソシテ五回目ヲ言イヨドム。帝国式求婚ノ義、アソコマデ大声デ叫バレテハ、断ル事ナド出来マセン。マシテヤ、君ノ為ナラ僕ハ廃棄物ヲ喜ンデ食ベラレル、ナンテ素敵ナめっせーじヲ描カレテハ、ドウシテ、ソノ気持チヲ袖ニスル事ガ出来ルマショウカ」
「どうやら君達行った儀式は、リゲリアンの間では恐ろしくロマンチックかつ情熱的で、急進的でありながら迂遠で、非現実的妄想なのに古典的な……
まぁ、そんなとんでもない愛の告白だったそうよ」
キャ、と顔を背けてしまったグレ子の後を日ノ本が引き継いだ。
姿見はもう一度尋ねる前に、小指を耳に突っ込みしっかり掃除する。もしかしたら聞き間違いの可能性があるからだ。寧ろ、聞き間違いであれ、と姿見は願った。
「マジで?」
姿見が小首を傾げる。
「マジです」
日ノ本が真顔で頷く。
「オー、ノー」
姿見は天を仰いだ。
わらしべの巨乳を揉んで、吸って、扱く為の儀式が何の冗談なんだ。姿見は我が身を呪う。揉む、吸う、扱くだけで満足してしまった自分が許せなくなる、。挟みを追加しなくては割りに合わない。
わらしべのおっぱいは大変満足のいく一品であった。揉めば指に吸い付きながら弾力を持って跳ね返す張りがあり、吸えばミルクのような甘さが口内に広がり、扱けば甘い声を奏でる。三時間堪能した姿見は、その巨乳の良さを幾らでも語りつくせるが、それとこれとは話が別だ。姿見は、明日さっそく挟んで貰おう、と決心する。
黙り続ける姿見の態度を拒否と受け取ったのか、日ノ本が追い討ちをかけた。
「追い討ちをかけるようで申し訳ありませんが、日本政府はグレ子さんを全面的にバックアップする事に決まりました。日本国民に拒否権はありません」
「ふざけんな日本! 人の将来を勝手に決めるじゃないよっ!」
「全閣僚とグレ子さんが一週間話し合われた結果です。日本を物理的に消滅させない代わりに、グレ子さんと姿見さんの夫婦生活に不干渉という条約が結ばれました。
月が地球に落ちてきたらどうしようもないの。だから納得して、お願いします」
日ノ本の涙混じりに懇願を、姿見は顔の前で手を左右に振って拒否する。
「無理、無理、可愛い子しか興味ない。そしてコレは、可愛くない」
姿見が指差す先で、グレ子が悲しそうにしなをつくり手で顔を覆う。
「ソンナ、アノ告白ハ嘘ダッタノデスカ、ヨヨヨヨヨヨ」
顔を真っ青にした日ノ本が、ただでさえ鋭い目を更に細くして姿見を睨みつける。
「鑑さん! グレ子さんに謝って下さい。こんな可愛い子の何が不満なんですか? 一途で健気。家は宇宙でも名家。家事や料理はグレイ一とご近所でも評判。こんないい子そうそういませんよ」
「人間じゃないじゃないか!」
姿見が最大の問題を叫ぶが、日ノ本は意に介さない。
「異星人との恋愛なんて、漫画や小説でいくらでもあるでしょう。拒否する理由にはなりません」
「二次元と三次元をごっちゃにするな国家公務員。そうやって、毎度毎度、規制ばかりしやがって。二次元と三次元の区別がついてないのはお前達だろっ!」
「失礼な。ちゃんと、納税者と潜在的納税者と非納税者で区別しております」
「答えになってねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
姿見が喉を押さえながら肩で息をする。叫びすぎた所為で喉がひり付いてきた。姿見は唾を飲み込んで喉を潤すと、再度口を開く。
「一億光年歩譲って種族を不問にするとしても。この外見はないだろう。進化体系が違いすぎる」
大きな灰色の頭に付いた黒目をギョロリと動かしたグレ子が、芝居がかった仕草で悲嘆にくれる。
「アナタノ告白ニ応エテ、故郷ヲ捨テ、身一ツデ嫁ギニ来タワタクシニ、ナント連レナイオ言葉、ヨヨヨヨヨ。デモ、ワタクシ諦メマセンワ」
グレ子の悲しげな泣き声が響く中、一匹の蚊が窓から部屋に侵入してくる。
蚊はブーン、ブーンと五月蝿く鳴き、グレ子の泣き声を邪魔する。
「いいから、結婚しなさい!」
「絶対、嫌だ!」
「ヨヨヨヨヨヨヨ」
ブーン、ブーン、ブーン
姿見はグレ子も蚊も無視して、日ノ本と言い合いを続けた。自分の将来がかかっているのだ。泣き声だけのグレ子も、羽音が五月蝿い蚊もどうでもよかった。
「それなら、せめて結婚を前提とした同棲しなさい。日本が滅びても良いの!」
「高校生が宇宙人と結婚しなきゃ滅びる国なんて、滅びてしまえ!」
「ヨヨヨヨヨ」
ブーン、ブーン、ブーン、ブーン
「何言ってるんですか、あなたは? 日本が滅びたら、給料がもらえなくなるじゃないですか」
「ヨヨヨヨヨヨヨヨヨ」
ブーン、ブーン、ブーン、ブーン、ブーン
「あんた、腐りすぎだっ! 芯まで腐ってんじゃねえの?」
「ヨヨヨヨ、ヨヨヨヨヨヨ…………」
ブーン、ブーン、ブーン、ブーン、ブーン、ブーン、ブーン、ブーン、ブーン
「……ウルサイデスワ」
吹雪のように冷めた声が姿見の耳朶を打った。
姿見がはっと振り向く。グレ子の目が光り、ビームが発射された。二条のビームが姿見の頬を掠める。一瞬間を置いてから、熱風が頬を撫でた。
姿見は錆びたブリキ人形の様に固まった首をなんとか動かし、後ろを見る。壁やカレンダーにビームと同じ形の穴ができていた。穴からは一面に広がる田んぼが見える。
自分の頬を掠めたビームの威力に、姿見の血の気が引いた。
先ほどまで五月蝿かった蚊も居なくなり、居間には静けさが戻った。
「ヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨ」
春の様に穏やかな泣き声に、姿見の肩がびくつく。
「……」
「…………」
姿見は日ノ本と互いの顔を見合わせ、ビームの発信源、グレ子の様子を伺った。グレ子は目を隠しながら、ヨヨヨヨ、と繰り返している。
「……これは親切心からの助言ですが、仲良くした方が良いと思います。寿命的に考えて」
優しい声色で提案する日ノ本の目には、憐憫の色が見て取れた。
姿見は唾を飲む。
五月蝿いと言う言葉と、頬を掠めた一撃、ここから推察出来る事は一つ。そう、警告だ。恐らく先ほどのビームは、これ以上、グダグダ言うなら消滅させる、と言う意思表示なのだろう。
お前に自由権はない。グレ子の真っ黒な瞳がそう語っているように、姿見には見えた。
姿見は居住まいを正し、ぎこちない笑みを浮かべながら頭を下げる。
「グレコサン、コレカラヨロシク」
「ハイ、姿見様」
グレ子の華やいだ声が、姿見には死刑宣告に聞こえた。
● ● ●
グレ子の同居が決まると、事態はすぐさま動き出した。
日ノ本が異様にごつい、缶ジュース位の大きさの携帯で一報を入れる。即座にゴキブリのようにわさわさとスーツ姿の男達が物陰から現れた。
筋肉でスーツをパッツンパッツンにした男達は、日ノ本の前に並んだ。頭の先からつま先までぴんと張られた糸の様に垂直に立ち、口は真一文字に結ばれていた。
居間の中が一気に男臭くなる
日ノ本が男達の前に立つと、タブレットを片手になにやら指示を出し始める。
「黄十院君は、県道のここからここまで、黄十一院君は、黄十院君と一緒に……」
日ノ本が指示を飛ばすたびに、男達の誰かしらが頷き、肉林が風に吹かれたように揺れる。
「うげぇ、どうせなら女の子呼ぼうぜ」
筋肉男達が作り出す肉林の昆虫的な蠢きに、姿見は口元を押さえた。思春期まっさかりの高校生は、女の肉布団は見たいし試したいが、男の肉林なんて聞くのも嫌なのだ。
姿見が肉林から顔を背けると、今度は頬を染めた灰色の物体が現れた。
「姿見様、コノ装飾物ハ、オ気ニ召シマスカ」
グレ子がドレスのスカートを摘んで尋ねる。
先ほどのビームが頭によぎり、姿見はどう答えようか迷うが、結局、素直に答える事にした。先ほど、可愛くないとか、コレとか、散々言ったのだ。今更、暴言が一つ二つ追加されたところで、ビームが飛ぶとは思いたくなかった。
「どこの舞踏会に行くつもりだよ。もうちょっとラフな格好しようぜ。ぶっちゃけ、どっぴきですよ」
「ナルホド。姿見様ハ、コノヨウナ格好ヲゴ所望デスカ」
テレビの上に置かれたファッションを手取ったグレ子が表紙を飾る女の子を指差す。茶髪の髪竜巻の様にねじり、目の周りが異様なほど黒く、表面積の少ない服を着て、小麦色の肌を惜しみなくさらけ出していた。渋谷系ギャル等と称させる人種だ。
「それは濃すぎる。こういう服を着てくれ」
姿見は別の雑誌を手に取る。ショートカットの女の子がジーンズとシャツで表紙を飾っていた。
グレ子は自分の手元にある雑誌と姿見の雑誌を見比べて呟く。
「難シイデスワネ」
そりゃ宇宙人にはな、と思いながらも、姿見は口にしなかった。グレ子は非常にはた迷惑な存在であるが、拒絶する理由に宇宙人を使いたくなかった。何でも言う事を聞いてくれて、昼は淑女、夜は娼婦、浮気も許しちゃいます的な美少女型宇宙人が居るかもしれないのだ。勿体無い事は出来ない。
「よし、それでは始め」
背後で日ノ本の気合の入った声が響き、拍手が一つ鳴った。
振り返ると、男達がゴキブリのように四方へ散って行く。家中からドタバタと騒音が聞こえてきた。
タブレットを片手に日ノ本が、姿見達の前に立つ。。
「盗聴器や隠しカメラ等が仕掛けられていないか調査しています。ここでグレ子さんと大人しくしていて下さい」
日ノ本は姿見とグレ子の返事を待たずに、日ノ本は居間から出て行く。恐らく、家捜しの指揮を執りに行ったのだろう。
「二人ニ、ナレマシタネ」
「オー、ノー」
頬を桜色の染めるグレ子を前に、姿見は天を仰いだ。
● ● ●
空が紫色に変わる頃、姿見の家の家捜しは無事終了した。少なくとも姿見はそう聞かされた。時折、一番発見とか、逆探お願いとか、送信距離は等と不穏な言葉が耳に入ったが、全て気のせいである。
玄関で日ノ本達を見送る姿見の前で、スーツ姿の男達が棒のように真っ直ぐ立っている。その男達を背にした日ノ本が深々と頭を下げた。
「本日はお騒がせしました。失礼させて頂きます」
頭を下げられた姿見は、隣りを一瞥する。薄緑色のワイシャツとロングスカートに着替えたグレ子が、拳二つ分ほど離れた距離に居た。
日ノ本が頭を上げ踵換えした。
姿見は藁にも縋る思いで提案する。
「日ノ本さん、どうせなら食事位一緒に食べません?」
「申し訳ありませんが、まだ仕事が残っていますので」
伸ばした手はすげなく払われた。
日ノ本達が玄関前に停めてあった数台のワゴン車に乗り込む。ワゴン車が列を成して、走り去っていった。
どんどん小さくなるエンジン音が、姿見には幸運の女神の足音に聞こえる。
完全にエンジン音が聞こえなくなり、その代わり虫の物悲しい鳴き声が聞こえてきた。
しばらくワゴン車の走り去った方角を見ていた姿見だが、日ノ本達が帰ってくる気配はけかった。諦めて玄関の網戸を閉めた姿見は、隣に立つグレ子を見て途方に暮れる。
どうしようコレ?
一口に一緒に住む、と言っても簡単な事ではない。人間同士でさえ、そりが合わなくてストレスを溜め込む場合があるのだ。ましてや宇宙人となれば、どうして上手くやっていけるだろう。
しかし、やるしかなかった。上手くいかなければ、日本が消滅するかもしれない。腐りきった政府はどうでもいいが、可愛い女の子が死んでしまうのは困る。
こっちを好きな宇宙人と恋愛感情を絡ませずに友好的な関係を築きながら、ラブをライクに変えるにはどうしたらいいんだ。
誰にも相談出来ない悩みに姿見は頭を痛めた。
次第に額の辺りが熱くなり、考える事が苦痛となってきた。その時、姿見の頭に天啓が舞い降りる。
別に美少女は日本にしか居ないわけじゃない。
心が軽くなった姿見は、難しく考える事をやめ、取りあえずグレ子を人と同じように扱う事に決めた。一週間近く政府がグレ子と応対していて問題がなかったのだ。人と同じように接して、いきなりビームを撃たれる事はないだろう。
「それじゃ、グレ子さん、着いてきて」
手始めにグレ子の部屋を用意する事にした。
「ハイ、何処マデデモ着イテイキマスワ」
グレ子を背後につけた姿見は玄関横にある階段を登る。微かに階段を軋ませる姿見の足音の後を、キュムキュム、とガラスをスニーカーで踏んだような足音が追った。
階段を上がると、目の前は壁となる。左手にトイレ、右手が空き部屋がある。空き部屋の隣、姿見から見て右後ろにもう一部屋あり、姿見が使用している。
姿見は空き部屋の引き戸を開けて中に入る。埃っぽい匂いが鼻につくが、床に埃が溜まったりはしていなかった。恐らく、男達が家捜しついでに掃除したのだろう。
部屋の広さは六畳で、右側が押し入れになっている。正面と左は大きな窓がついており、花柄のカーテンで閉め切られていた。
「ここがグレ子さんの部屋になるから、好きに使ってくれ」
姿見は横に二歩ほど動いて、グレ子を部屋の中に招き入れる。
「部屋……家ノ内部ヲ壁ヤ建具デ仕切ッタ一画。人ガ起居シ、物ナドヲ置ク為ノ空間。……ハイ、把握イタシマシタワ」
グレ子が部屋の中に足を踏み入れる。板張りの床の上を、白い靴下に包まれた足が触れるたびに、キュムキュムと音を立てる。
部屋の中央でグレ子は姿見を振り返り、頭を下げた。フリルの付いたスカートの端をつまみ、深窓の令嬢の振る舞いだった。
「素敵ナオ部屋ヲ、アリガトウゴザイマス。不束者デスガ、コレカラヨロシクオ願イ致シマス」
「好き好きビーム出してて、性格は控えめっぽく、仕草はお嬢様。はぁ~、何で美少女じゃないんだよ」
大きく肩を落とした姿見は、疲れた笑みを浮かべる。
「それで布団は要る?」
「ワタクシノ車カラ運ビマスノデ、不要デスワ。ワタクシダケデ出来マスカラ、オ気遣イナサラズニ」
「車?」
グレ子の言葉に吊られて、姿見は窓から外を覗き込むが、家の前に自動車の影も形もない。日ノ本達が乗ったワゴン車が戻ってくるのかと一瞬期待したが、近くにエンジン音は聞こえないし、置いていくものがあれば帰る前に置いて行くはずだ。
「姿見様モゴ覧ニナラレタデショウ? ワタクシガ、コノ星ニ来タ時ニ乗ッテイタ車デス」
「それは車じゃなくて、宇宙船だ」
「ハイ?」
突っ込む姿見に、グレ子は首を傾げる。
移動している乗り物を全て車と思っているのだろう。日本の陸地しか見ていなければ、そう考えても不思議はない。
「まぁ、いいや」
訂正するのも面倒くさい、と姿見は、それ以上何も言わずに部屋から出た。
「姿見様、ドチラヘ行カレルノデスカ?」
「風呂入る。何か問題があったら、何もせず、風呂から上がってくるまで待ってて」
「承知シマシタワ」
「いいか、絶対だぞ。もう目からビームみたいなドッキリ技を出すなよ。いいな、いいな」
姿見は何度も念を押してから、階段を下りる。念を押すたびに、グレ子は素直に頷いた。
途中、居間の奥襖で仕切られた部屋にはいり、着替えを取り出した。一々二階に服を仕舞う事が面倒くさいので、一階に置いているのだ。
脱衣所のドアを内から閉めた姿見はその場にへたり込む。
「畜生、美少女とのキャッキャウヒヒヒヒヒの日々、妄想含む、を返せ」
姿見はチラリと上を見る。右上の方向にグレ子の部屋がある。部屋からは物音一つ聞こえず、姿見にはそれが逆に恐ろしい。
「日ノ本のねーちゃんはさっさとフェードアウトするし、元凶のわらしべは今頃、どっかでキシシシ、と笑ってんだろうなぁ。あのおっぱい。あー、人間なんてクソばかりだ」
姿見はノロノロと緩慢な動作で服を洗濯機に放り込む。そのまま洗うと伸びてしまうものもあるが、仕分ける気力もなくまとめて洗濯機の中に放り込んでいく。
薄緑色のパンツを洗濯機に入れた姿見は、全裸になった自身を見下ろす。肉付きを確かめるように薄い胸を撫でる。指先が感じる感触にまったく変化はなかった。
「もうちょいボリュームが欲しいな。これはセックスアピールがなさ過ぎるぞ。もしくはメリハリボディだな」
足を上げて内太ももの脂肪。少し大きくなってきた尻。指で摘める位にはたるんだ二の腕。ちょいぽちゃボディを余すとこなく観察した姿見は、
「結論、もうちょい運動しよう」
明日から頑張る、と心の中で付け足した。
姿見はガラス戸を開けて浴室に入る。浴室は三畳程の大きさで、右半分が浴槽、左半分がタイル張りになっている。浴槽の壁は上半分が曇りガラスの窓となっており、浴槽から少し背伸びをしたら外が見えるようになっている。正面にはシャワーと小さな鑑を備え付けられていた。
姿見はプラスチック製の椅子に座り、スポンジで身体を洗い始めた。脇や首筋からゆっくりと垢を落としていく。浴室に湯気が充満し、白い肌がほんのり桜色に色づいた。
「ふんーーー、ふっふーーーん」
姿見が鼻歌を歌いながらスポンジを胴から足へ向かわせる。白い泡が体中を埋め尽くす。つま先までしっかり肌を磨き、シャンプーに手を伸ばす。
背後で、脱衣所のドアが開く音が聞こえた。
「誰っ?」
姿見は、慌てて前髪と胸元を押さえる。シャンプーが浴槽に落ちたが、それを気にする余裕はない。
姿見の脳裏に泥棒の二文字が浮かんだ。恐る恐る、背後を振り返る。
ガラス戸の向うに小柄な体とそれに不釣合いな大きい頭のシルエットが浮かんでいた。
見覚えがありすぎるリトル・グレイ的な人影に姿見の体から力が抜けた。
「グレ子デス。オ背中ヲ流シニ来マシタ」
「いらん、帰れ」
姿見は一言で切って捨てる、人影が崩れ落ちた。
「コノ星ノ文化ヲ知ッテ以来、姿見様ノオ背中ヲ流セル時ヲ一日千秋ノ思イデ楽シミニシテマシタノニ。ヨヨヨヨヨヨヨヨヨ」
グレ子のヨヨヨヨで姿見の顔が青色に変わる。頬を掠めたグレ子のビームは、姿見の記憶域に色濃く残っている。当分、忘れる事は出来ない。
「いや、別に拒絶してるわけじゃないぞ、うん」
姿見はビームを撃たせない為に必死で言い訳を考える。
「そう、そうだ。今日はもう身体は洗い終えて、これから頭を洗うところだから、いらんというだけなんだ。
いやー、ざんねんだけど、せなかながしは、つぎのきかいにしてくれない?」
「ソレハ仕方アリマセンワネ」
グレ子が大人しく引き下がってくれた事に、姿見の顔が綻ぶ。風呂場では、毎日三十分かけてセットしている前髪が乱れている。たとえ宇宙人だとしても、好きでもない女の子に、こんな姿は見られたくなかった。
「ソレデシタラ、御髪ノ洗イヲ手伝イマスワ」
ちょ、待て、それは可笑しい、と姿見が止めるより早く、ガラス戸が開いた。
慌てて姿見が前髪を整える。正面の鑑を睨み、乱れていたがキタローヘアーと言えるレベルまで持ち直した事を確認してから振り返った。
浴室に乱入するグレ子を見た姿見の目が点になった。目を指で揉んで、もう一度見る。
酷いものがあった。
「なんだ、その格好」
「ハイ? 何カ可笑シイデスカ」
グレ子さんが身体をくねるのにあわせて、身体に張り付いた紺色の厚手の布が形を変える。胴体全てを多いながらも、手足は惜しげもなくされだし、耐久性と実用性を重視したその布の名前はスクール水着。ちゃんと胸にはワッペンが縫われており、●××△■□△▼∵○○●と幾何学的な模様が描かれている。
「日の本カラ頂イタ資料デハ、殿方ノオ背中ヲ流ス正装ト書カレテイマシタガ、ドコカ可笑シイデショウカ?」
「……突っ込みどころが多すぎて、どうして良いか分からねぇ」
「ハイ?」
「もう、いいや」
気力を根こそぎ削り取られた姿見は、抵抗する事をやめた。
「シャンプーは浴槽の中、リンスはそこにあるから。それと、前髪はこのまま洗ってくれ。この髪型は女の子に会う時の正装だ。崩されたら敵わん」
「分カリマシタワ」
手で前髪をガードした姿見は、グレ子に背を向けて座りなおした。
キュイイイイイイイィィィィィィィィイイイイイイイインンン
歯医者にあるドリルの駆動音を複数奏でたような音が姿見の背後で発生する。
思わず姿見は後ろを向いた。
「ぎゃぁぁぁぁあぁぁあああぁぁぁぁぁ」
姿見は喉の奥を振るわせ、椅子から転げ落ちた。
スクール水着を着たグレ子の背中から二十本の触手が生えていた。一本、一本の触手がうねり、イソギンチャクのように蠢いている。
「姿見様、ドウサレマシタ?」
「な、な、な、な、なんじゃその触手は!」
「コレハ、姿見様ノオ背中ヲ流ス為ニ作ッタまにぴゅれーたデス」
「そんなエロゲに出てきそうな触手使うなよ! 普通に手で洗ってくれたら良いんだ」
涙目で姿見が叫ぶと、グレ子の肌が赤く変色した。
あれ、何かおかしな事言ったか?
頬をおさえ身をくねらせるグレ子の変容に、姿見はただただ戸惑う。
「ソ、ソンナ、肉体的接触ヲ求メラレルナンテ、ワタクシ、ワタクシ、ぷしゅーーーー」
気の抜けた音共に、グレ子にまとわりついていた水滴が、爆発した。
一体何が、と思うまもなく、蒸気が姿見の視界を遮る。浴室の中に蒸気が充満するが、姿見の周囲だけはガラスでも張られているように蒸気が遮られていた。
「アア、スミマセン」
グレ子の申し訳なさそうな声と共に、カーテンを開けるように蒸気のベールが消え去る。
隅から隅まで見通せるようになった浴室を前に、姿見は口をあんぐり開けて、固まってしまった。
浴室は台風と火事が同時発生したような惨状だった。風呂桶が、シャンプーが、ボディーソープが、溶けて原型をとどめない姿で壁に張り付き、空っぽの浴槽は無数の細かいヒビが蜘蛛の巣の如く張り巡らされている。天井の蛍光灯も真っ二つに折れて、ぶらぶらと揺れていた。当然、窓は窓枠毎どこかに消え去り、浴室入り口のガラス戸は吹き飛んで脱衣所のドアに突き刺さっている。
極めつけは、足物とのタイルが光り輝いている事である。グレ子を中心にタイルが桜色に光り輝いている。
熱気が遮られている姿見だが、タイルが煮立っている景色にどっと汗が吹き出てきた。
「ワタクシ、感情ガ高ブルト、華氏千三百度ヲ超エル高熱体ニナッテシマウンデス」
灰色の肌に戻ったグレ子が言った。
なんと言うはた迷惑な体質、と思いながら、姿見はグレ子のスク水消失を納得した。華氏千三百度と言う事は、摂氏約千度になる。それほどの高温になれば、スク水の一枚や二枚燃え尽きても不思議ではない。
始めてみるグレ子の裸はまるで人形のようだった。灰色の肌に体毛や、シミ、黒子はもちろん、人間ならあるはずの肌の濃淡もない。体つきも起伏がなく真っ平らだった。
姿見は、可愛い美幼女なら最高なのに、と奥歯を強くかみ締めた。
「咄嗟ニばりあーヲ張リマシタガ、オ怪我ハアリマセンカ」
グレ子に指摘されて、姿見は自分の周囲を青い粒子が取り囲んでいる事に気付いた。
この青い粒子を境に、タイルの色が全く違っていた。姿見側は普段見ている水色、外側は赤色である。青い粒子が熱や衝撃を遮ってくれたのだろう。
グレ子が姿見に怪我がない事を確認したからか、青い粒子が何の気配もなく消え去った。
次第に状況を飲み込めてきた姿見は、浴室を滅茶苦茶にされた怒りを込めて口を開く。
「お前」
「何事ですか?」
姿見の怒鳴り声を若い女の怒鳴り声が遮る。
頭にヘルメットを被った日ノ本が、浴室のドア前に現れたのだ。日ノ本は手に持った拳銃を油断なく構えながら辺りを窺う。
「まさか某国からの侵入ですかっ!」
どこに居たんだ。拳銃は何なんだ。土足は止めてくれ。言いたい事が多すぎて、何から言って良いの分からない姿見は、分かっている事実だけを言った。
「違う、こいつが暴走した」
「申シ訳アリマセン。浴室ノ床ヲ溶カシテシマイマシタワ」
あさっての方向に拳銃を向けていた日ノ本は、布切れ一枚着ていないグレ子と姿見を見て、ポン、と手を打つ。
「これが宇宙式愛の営みなんですね」
「こら、公務員。人類として不名誉な誤解は止めてくれ」
「大丈夫です。思春期の子供は、普通そっち方面に興味津々ですから。一日目から押し倒しても、大人は驚いたりしませんよ」
「いい笑顔を作って、何言ってんだあんた」
「ああ、隠さなくて良いんですよ。全部、分かってますから。ああ、明日はお赤飯ですね」
「オ赤飯デスカ?」
「おめでたい事があった時は、それが」
「話を聞けぇぇぇぇ」
グレ子に怒鳴るつもりで溜めていた力を全て注ぎ込んで、姿見は日ノ本の言葉を遮る。
あのまま喋らせていれば、強引に内堀から埋められかねない。人生がかかっている姿見は、誠心誠意、死ぬ気で事情を説明した。
事情を聞いた日ノ本はつまらなそうに舌打ちを打ち、抑揚のない口調でコメントする。
「成る程、それほどの高温になったという事は、先ほどの爆発は水蒸気爆発ですね。お二人に怪我がなくて良かったです」
「良くない。この浴室どうするんだ。完全にぶっ壊れてるじゃないか」
半壊半溶解した浴室の中で姿見が両手を広げてアピールする。
「安心して下さい。日本政府が責任を持って修理します。明日の朝までには元通りにシテ見せます」
「いや、こいつにやらせるのが筋だろう。自分で壊したんだから」
姿見は我関せずと傍観しているグレ子を指差す。
日ノ本は目に涙を溜めて、力なく首を左右に振った。
「グレ子さんに直されてしまうと、他国が研究資材として窃盗するかもしれないので出来ません。
フフ、フフフフ、今夜は徹夜ですね。フフフ、通算八十時間連続勤務、労働基準法は、労働監督所は何処にあるんですか」
うつろな目をした日ノ本が口元だけ笑う。自殺志願者のような雰囲気に、他人事ながら姿見は同情した。
姿見は日ノ本の肩を軽く叩くと、引きつった笑みを浮かべる。
「ゆっくりで…………いいんですよ」
「ゆっくりしてたら、情報が拡散するので、すぐに直さないといけないんですよ」
日ノ本が空ろな笑いで答えた。