愛されたがり
「永遠の愛に意味なんてないわ」
それが彼女の口癖で彼女の意見で彼女の想いで、それが彼女だった。
「その生涯を全て捧げて1人を愛するのも、短い期間を何度も繰り返して数人を愛するのも、1人に絞れず大勢を一度に愛するのも、誰も愛せず愛する振りを続けるのも、異性を愛するのも、同性を愛するのも、どれも同じよ。どれにも意味なんてないわ」
見上げれば広がる青い空。流れる雲は穏やかで、暖かい日差しと風に包まれとても心地良い。
広場の芝生の上に2人で座るには少し狭いレジャーシートを敷いて。周りには元気に走る子どもやフリスビーを楽しむ若者、景色を楽しむ老夫婦。普通のピクニック日和。
それなのに、背中合わせの彼女は今日も今日とて。
「面倒臭いな」
「何も面倒なことなんてないわ。愛に意味なんてない、それだけのことよ」
何度目か知れないやり取りに返事をする気すら起きない。
かと言って他に話題も思いつかず、ぼんやりと空を眺める。
「うわーあの雲ずっと四角いまんまだぞ。雲なのに全然形崩れねぇよ、こっわぁ。あの頑固さはまるでお前みたいだな。よし、あの雲にはお前の名前を付けよう」
彼女の背中に自分の背中をくっつけたまま雲を指差す。
そんなことで彼女が振り返ることなどないと、解ってはいても。
少しばかり返事を待ってはみたものの、案の定彼女は特に反応を示さない。わざとらしく溜息を吐き手を下ろした。
「俺の話しなんてどうでも良いですねーはいはい知ってますぅ」
彼女によく聞こえるように真上に向かって言葉を吐き出す。
そんなことで彼女が振り返ることなどないと、解ってはいても。
振り向きはせずとも、反応せずにはいられないと、解っているから。
「あの雲はさっきから大きな塊ではあるのにぐちゃぐちゃと形を変えて、おまけに流されるのが他のよりも早いわね。まるで貴方のようじゃない。そうね、貴方の名前を付ける……のは流石に可哀想だから止めましょう。雲さんでいいわ」
「可哀想なのは雲の方かよ」
「あら、貴方の事はいつでも哀れんでいるわよ? 飢えた獣同然なのにいつまでも、それこそ永遠におあずけをくらった状態だなんて泣かせる話じゃない」
「だったらその哀れな小動物に餌でもください」
「飢えた獣がどうして小動物になるのか理解に苦しむわね。餌ならそこにあるランチボックスから出して食べればいいわ」
ランチボックスがあるのは彼女の足元。
つまりは俺の向いている方向とは真逆なわけで、取りに行くには立ち上がって回り込むか或いは……。
「私が良しを出したのはランチボックスの中身だけのつもりだったのだけれど」
「言い回しが難しくて獣にゃ伝わんねーみたいだな」
「首が締まるわ。全く、この状態でランチを出すなんて不可能じゃない」
「俺的にはお前が食えれば飢えも凌げるんだけど」
「まぁ怖い。食べるのならば私以外にして欲しいわね。あそこで楽しそうにバドミントンをしている女性達なんて可愛らしくてとても美味しそうよ」
「生憎、今の俺にはお前が一番のご馳走に見える。他の美味いモンを耐えて、たとえ飢え死んでもお前以外は食いたいと思えねぇ」
「やっぱり、とても泣ける話ね」
「お前が良しと言えばハッピーエンドなのにな」
「狼さんに食べられると解っていてお婆さんの家へ上がり込む赤ずきんちゃんなんて居ないと思うわ」
「赤ずきんちゃんが馬鹿で狼さんが羨ましいったらないね」
「あら、馬鹿とは失礼ね。結局撃ち殺されて赤ずきんちゃんをぽっと出の狩人さんに取られてしまう狼さんの方が余程馬鹿よ」
「最期に取られてしまっても、一時だとしても飢えが凌げて、欲しいモンが手に入ったんだからずっとおあずけよりマシだろ」
「……そうね。狼さんが"マシ"でいられるように、貴方にはずっとおあずけでいてもらいましょう」
「うわー墓穴ーっ」
愛に意味なんてない。
それが彼女の口癖で彼女の意見で彼女の想いだ。
しかし、それは彼女が何よりも否定したいものだった。
人を愛する事は人間にしか出来ない事で、感情があり意思があり理性がある証だ。
人に愛されることは尊ぶべきことで、誰かの"特別"である証だ。
愛する事にも愛される事にも、意味はある。
それを言葉にして彼女に伝えれば、彼女はあっさりと負けを認め意見を変えて俺に食われても良いと……寧ろ食われたいと自ら望むだろう。
獣には警戒しても人間への恐怖心を知らない。無垢で馬鹿な赤ずきんちゃんは、恐ろしい狼さんから自分を救い出してくれたぽっと出の狩人さんに何の疑いも持たず無邪気に懐くのだ。
「お前が好きだ。愛してる。欲しい」
「口先の愛なんて無価値よ」
「だって食ったら絶対怒るだろ。それに、それじゃあ好きになってもらえない」
「ええ、意味のない愛も獣の食事になるのもお断り。なんにしたって私が貴方を好きになる事はないわ」
たった一言。お前だけが"特別だ"と言えば、人としてお前だけが欲しいのだと言えば、彼女は俺の手を取るだろう。
でも、それでは意味がない。
彼女が今の俺を信じ、好きになってくれなければ。俺を好きになって、身をもって知らなければ意味がない。
そうならなければ彼女は今のまま。誰でもいいまま。愛に意味はなく、意味など知らず、愛されたがる。
それでは意味がないのだ。
俺を、俺だけを愛してもらわなければ。
それまでずっと、俺は哀れな狼のまま――