殺人
「はっ!はっ!はっ!はっ……!」
風を切り、息が切れそうになる。
可哀相な男は走る。
いや、逃げると言った方が的確か。
一体何から逃げているのか。
簡単な話だ。
俺から逃げているんだからな。
標的までの距離は大体10m。
足の早さは俺の方が上だが、このまま走り続けても無駄に疲れるだけだ。
「此処は、こいつだな。」
『ロッカー』から『茨』を取り出す。
こいつはナイフだが、まあただのナイフではない。
返しが付いていて、刺さったら簡単には抜けない。
抜きたいなら周りの肉ごとくり抜くしかない。
無理に抜けば返しの部分に面した肉はずたずたになる。
「よっと。」
「あぐあ!?」
狙い通り、『茨』は標的の左足に突き刺さった。
足にナイフなんてもんが刺されば、当然走れなくなる。
男はその場で転けて足を押さえた。
「ぐう……。」
「終わりだな。ったく、うろちょろと逃げ回りやがって。」
「や、止めてくれ……殺さないでくれ!なあ頼むよ!」
殺さないでくれ、ね。
出来りゃ俺だって殺したかねえっての。
「俺はお前を、依頼されたから殺す。」
こんな奴を殺すのに『凪』を使うのは勿体ない。
という事で俺はロッカーからただの刀を取り出し、刃を男の胸に向け構えた。
「何でだよ!何で俺がバンビーノの奴なんかに殺されなきゃいけないんだ!」
「あれ、バンビーノだって言ったか俺。」
「依頼とか言われれば誰だって分かる!」
「あっそ。なら分かれよ。お前を殺す事を止めるのは無理だって事くらいな。それにだ、覚えはあるだろ糞野郎。」
「う……。」
バンビーノに依頼してきたのはある女性。
その女性は一ヶ月前に旦那と息子を今俺の目の前にいる男に殺された。
殺人が許可され、それについての罪は消えたとしても、恨み辛みは必ず生まれる。
それを代行してやるのが、バンビーノの仕事の一つとも言える。
「人を殺しておいて自分だけのうのうと生きていられると思うなよボケ。という訳で死ね。」
「あが……。く、くくく……。馬鹿が、てめえ自身……そうなっ―――」
「喧しい。」
胸に突き刺した刀を引き抜き、そのまま男の首を落とした。
「……分かってんだよ。」
これでもう、俺はのうのうと生きていられない。
何時殺されたって文句は言えない立場だ。
だが、目的を果たすためだ。
それさえ果たせば、後は煮られようが焼かれようが構わない。
「俺は……。」
降り始めた雨から逃げる様に、俺は街の闇へと身を隠した。
まるで一歩近付いて来た死に神から逃れる様に。