醜悪奸邪
「……さて、爽君に関してはこれで終わり。後は僕に出来る事を成すまで、かな。」
眠った爽君に上着を掛ける。
こんな事で許されるなんてこれっぽっちもおもってないけど、僕の君に対する最後の償いだと思って受け取って欲しい。
それもまた、随分と自分勝手な物だけど。
「生かすか、マラッティーア・ウォーモ。」
「……何か問題があるかな、イニーツィオ?あの人は爽君を生かすか殺すか、僕に判断を委ねると言ったんだ。それに口出しする事は、許さないよ。」
隠れていたイニーツィオが出てきた。
畳に同化するなんて、クレアみたいな事をする。
「無論、口出しなど最初からするつもりはない。ただ、生かす価値があるのかどうかだけは聞かせてほしい所だな。せっかくの好敵手である物質を殺されたのだからな。」
「クレアを殺したという事は、彼があの子よりも強い証明だ。君の好敵手が変わった、ただそれだけの話さ。」
「だが電気とはあのまま戦っていれば負けたのではないか?だとするなら、あいつを殺したお前の責任は大きいぞ?」
「……君は全知全能の筈だったんだけど、その実、確かな物は何も見えていない様だね。」
「病よ……お前はあいつのお抱えだ。だから手を出す事はしない。だが、あまり俺を怒らせる様な口を利くな。勢い余って殺しても詫びは入れられん。」
「それは怖い。そうなっては困るから、さっさと用件を述べてほしい所だね。別に殺し合いが見たかったから此処にいた訳じゃないんだろ。」
観戦するためだけなら、この男は此処に来る必要なんてない。
この世で、この大地の上で起きている事は全て知る事が出来るこの男が。
「いやいや、やはり生で観るのとでは迫力が違う。本気で相手を殺しにいく時の表情、殺す時の表情、死ぬ時の表情というのは、生で観なければ楽しめる物ではない。」
「中々に最悪の趣味だね。反吐が出る。」
「無意識に残虐な男が何を言う。さて、用件だったな。お呼びだよお前の事を。あいつがな。」
「そうかい。ま、そんな事だろうとは思っていたよ。爽君の事が済んだらどうせ行くつもりだったから、無駄足踏ませちゃったね。」
「無駄ではない。頼まれた事は完遂しなければな。では俺は本来の仕事に戻る。」
「本来の仕事……?」
イニーツィオが今やる事?
一体何だ。
今この男はかなり暇な筈。
「暇さ。かなりな。それを哀れに思ってか、ご命令を頂いたんでな。久振りに腕が鳴る。」
「へえ。君にそこまで言わせる様な命令とはね。是非聞いてみたいものだ。イニーツィオ・テッラ程の男の腕を鳴らせる相手の名前を。」
「神杉紳、と言えば分かるだろう。あいつの始末だ。」
「神杉紳、か。これはまたな名前が出てきたね。」
特工第一隊隊長、神杉紳。
バンビーノにおいて、アート使いが一切存在しない部隊である特殊工作部隊の第一隊で隊長を務めるという事は、つまり全一般人の中で最強。
並みのアート使いでは歯が立たない相手だ。
そう言えば爽君は二人でバンビーノ日本支部に乗り込んで来たとは聞いていたけど、その相方が彼だったとは。
「相手にとって不足無し。事と次第によっては俺が負ける可能性も十分に有り得る奴だ。腕が鳴らずにはいられない。」
「……これは驚いた。君は何時でも勝敗など度外視に勝ち続けていたと思っていたんだが。」
「俺だって負けた事くらいある。だからこそ、物質が死んだのは実に惜しい。勝ち逃げされた。」
「そうかい。」
……クレアはイニーツィオに迫る所まで来ていたか。
生き続けていれば、果たしてどれ程の人間に成った事か。
どれ程の人間を殺した事か。
この道に引き込んだ僕が憂いる事ではないか。
「さて、行くとするか。既に6階部分まで突破されている様だからな。」
「ま、頑張って。」
僕の返事を聞かず、イニーツィオは消えてしまった。
……全く、相変わらず話が長い男だ。
自然に考えを出すのは難しいから、あまり長く近くにいてほしくないというのに。
ま、それも今回限り。
エレベーターに乗って最上階を目指す。
あの男がいる場所を。
僕は果たして、どこまでこなせるだろうか。
あいつを相手にして、一矢報いる事は可能だろうか。
……いや、実現可能性なんて無視かな。
可能性があろうとなかろうと、やる。
エレベーターが最上階に着き、扉が開く。
「……どうも。」
「よく来たなマラッティーア。まあ座れ。」
「いえ、このままで結構です。ご用件を述べて頂きたい。」
「相変わらずだな。用件という程ではない。どちらかと言えば、用件があるのはお前の方だろう?」
「何の事でしょうか。」
まるで心が読める様な物言いをする。
昔から、この人のそこだけは苦手だった。
「畏るなよ我が息子。」
「息子、か。確かに僕も、貴方の事を父親の様に思ってる。あの日、貴方が僕を助けてくれなければ、アートの使い方を教えてくれなければ、そして拾ってくれなければ、僕は死んでいた。そんな貴方を、僕が父親の様に慕うのは当然だと思う。家族の様に思うのは当然だ。」
アリスレット、クレアツィオーネ、サエッタ。
彼等もまた、身寄りのない僕にとって家族同然だった。
「貴方が父親で、さながら僕達は4人兄妹って所でしょうね。末っ子のクレア。長女のアリス。次男のサエッタ。そして、長男の僕。母親はいなかったけど、それでも僕達は幸せでしたよ。」
「そうだな。俺も幸せだったさ。二つの家庭を持てた。幸せは他人に比べて二倍だったんだろう。」
「……二つの家庭?」
「そこは大して重要ではない。マラッティーア、お前が言いたいのはそんな事ではないだろう。本心を早く述べろ。」
「本心なんて、そんな物はどうだっていい事ですよ。それこそ大して重要じゃない。僕はただ、真実を知りたいだけですよ。」
僕は言った。
最初から仕組まれていたと。
爽君に。
でもそれは、爽君にとっての最初だ。
僕や兄妹達の最初が一体何処にあるのか、それを僕は知りたい。
「真実か。確かに、お前はそれを知る権利がある。しかし、長い語りになる。それを聞く権利があるのは、お前ではなく御剣爽ただ一人だ。」
「……そう言うと思ってたよ。なら、僕は大して重要じゃない本心を述べるよ。」
何処まで行っても僕は、無意識に残虐。
これ以上なく醜悪な人間に成り下がってしまった。
どうせこうするのなら、最初から反発するべきだった。
それを出来なかったのは、ただ僕は怖かったんだ。
僕が死ぬ事が。
かつて避けたその運命に、再び自ら頭を突っ込むなんて馬鹿がする事だから。
でも、今の僕はもう馬鹿だ。
「馬鹿だから、言うよ。僕は貴方を殺す。」
「それでいい。かかってこい我が息子よ。」