幸災楽禍
「それで、あんたが僕の相手をするの?」
壁の中から、部屋にいた男に聞く。
見た感じ、年齢は僕とあまり変わらないくらいかな。
年齢だけじゃなく、雰囲気も似ている。
同郷、かな。
「そうだけど、少し違うかな。僕は確かに君の相手をするけど、君を殺すのは君の記憶。『ヴィツィオ』。」
『悪』……?
イタリア語を使った所を見るとやっぱり同郷なんだ。
アートなんだろうけど、壁のどこにいるか分からない僕には効かないよ。
何て事を思ってた内に、僕は子供にもどっていた。
……。
…………。
………………ん。
10歳の夜だ。
今日もあたしの日課が始まる。
ただ従順に、ただ従属する、そしてただただ我慢を強いられるだけの今日が。
「おはよう〇〇〇。さっさと始めな。」
「分かりました。」
むせ返りそうな臭い。
今すぐこの場から逃げ出したい。
それでも従うしかない。
従わなきゃあたしは……。
「おらどうした〇〇〇。もっと声を上げろ。でねえと、盛り上がらねえだろ!」
「っ!ごめん……なさい。」
こんな事はしたくない。
それでも―――
「ぐ……!げほっ!」
「だから、声を上げろっつってんだろ!」
思い切り横腹を蹴られ、あたしの体は壁に当たる。
お腹が痛い。
逆流する胃液で喉が焼ける。
苦しい。
「この馬鹿野郎が!」
「ごめ……なさい。ごめんな……さい。」
お腹を蹴られ、髪を捕まれ顔を殴られ。
それでもあたしは謝る事しか出来ない。
あたしは……。
……。
…………。
…………ん。
7歳の春。
あたしは売られる。
「私はね、あんたみたいな化け物はいらないの。」
「お母さん……?」
「呼ばないで!」
「っ!」
愛しい人に頬を叩かれる。
一瞬何が起きたのか分からず呆然としたけど、熱を帯びて広がる痛みがあたしを現実に呼び戻す。
痛い。
涙が頬を伝う。
それは痛さによる物ではなく、初めて親から暴力を受け、そして親から拒絶されたから出た物だった。
「……ほら、あんたも分かったでしょ。早く出す物出しなさいよ。」
それを目にした所でお母さんは揺るがず、やって来た男から金を受け取る。
そして男はあたしを連れて行こうとする。
「嫌……!お母さん!お母さん!嫌だよ!ごめんなさい!お母さん!い……!」
必死にお母さんを呼ぶあたしを、次は男が殴る。
「お前はもう俺のもんなんだよ。お前の母親はお前を俺に売ったんだ〇〇〇。だからさっさとついて来い!」
「げほっ……。」
分かってる。
お母さんはもう、あたしを見てはくれない。
そして、お母さんはもうあたしのお母さんじゃない……。
………………。
10歳の冬。
初めて人を殺す。
耐え切れない。
耐えられる訳がない。
だからあたしは―――
………………。
「んー。いい表情だ。絶望に次ぐ絶望。更に絶望。その表情だけでご飯三杯に次ぐ三杯食べられるよ。」
おとこのこえがきこえる。
だれだろう。
あのおとこじゃないし、あのおとこでもない。
「それにしても、それだけ精神をずたずたにした状態でしっかり壁から出て来るとはね。流石は本部第一小隊の一人だ。」
ほんぶだいいちしょうたいってなに。
なにもわからない。
ぼくはなにもわからない。
「こうなってくると他の人達も一筋縄じゃいかないかな。マラッティーアも病気だけじゃなさそうだし。病気に次ぐ病気、更に病気を使われると思うと怖いな。」
まらってぃーあ……。
………………。
10歳の冬。
人を殺したあたしは拾われた。
マラッティーア、リーダーに。
……。
「ん?……いや、おかしいでしょそれは。」
そう、だった。
ぼくは……僕だ。
例え何を信じられなくても、僕はリーダーを信じられる。
「……だから、僕はもう絶望なんてしない。」
「……。」
「……言い忘れてたから改めて言うよ。僕はあんたを殺す。」
絶対に殺す。
見たくもない物を幾つも何度も見せられた借りはしっかり返す。
「……殺すの?僕を?」
「今この部屋に誰がいると思ってるの?殺す人間と殺される人間しかいない。なら当然あんたをよ。」
「成る程。でもそれは無理かな。僕はもう君に興味がない。」
会話になってない。
こいつが僕に興味がない事が、何で僕がこいつを殺すのが無理って話に繋がるのよ。
「『ヴィツィオ』は破れない訳じゃないけど、そうそう破られる物じゃない。でも君は破った。ならもう僕が望む物を君は生み出してはくれない。全く、落胆に次ぐ落胆、更に落胆だよ。つまらない。」
「何意味不明な事言ってんのあんた。」
「だから、もう君とは戦わないって言ってるんだよ。僕は帰るから、この支部は煮るなり焼くなり壊すなり好きにするといい。」
「好きにさせてもらうよ。当然あんたの事もね!」
左手を刃に換えて男に切り掛かる。
能力はさっきの精神を攻撃する物。
格闘ならこっちに分がある。
「はああああ、っととと!……あれ?」
確実に男を捉えた筈だったのに、刃は宙を切った。
「……いなくなっちゃった。」
「クレア大丈夫!?」
「うひゃあ!?」
標的を見失ってぼけっとしていた所にいきなり声をかけられびくっとする。
アリスが入って来たって事は、あっちはもう終わったのかな。
「あ、アリス~!びっくりさせないでよ。」
「ごめんなさい。……って、あれ?貴女の相手は何処に行ったのかしら。銅像がある訳でもないみたいだけれど。」
「いなくなっちゃったんだよ。」
「いなくなったって、そっちも?」
そっちもって事はアリスの方もいなくなっちゃったのかな。
「あいつの遊びは終わった様だから俺は帰る。この支部はぶっ壊すなりなんなりしてくれ。とか言って消えちゃったのよ。……遊びなんて言うから貴女の事が心配になっちゃってね。」
「そっちの人もそんな事言ってたんだ。」
それでいきなり消えちゃったと。
「多分、突然消えたのは私が相手していた方のアートね。私と戦っている間は使っていなかったから。」
「アリス相手にアート使わないなんてかなり強そうだね。」
「実際かなりのものだったわ。ペットボトルを三本も使ったのにかすり傷一つ付けられなかったのだから。」
三本っていうと6Lくらいかな。
それを全部躱すなんて確かにかなりね。
『ネヴェ・グラヌローザ』も『テンポラーレ』も使ってそれだとしたら、本当にかなりだ。
でも、それは置いといて。
「……ねえアリス。」
「分かってるわよクレア。好きになさいな。」
「うん。『チェッルラ』。『ティストルツィオーネ』。」
好きにしていいと言われたから、僕は鬱憤を晴らすために部屋の中の機械をぶっ壊し始めた。




