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アートバンビーノ  作者: 凩夏明野
第一章-病-
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罵詈賞賛

「……ふうー。」


「だいじょぶそー君?あたしも行こうかぁ?」


「いや……大丈夫。お前がついて来るとややこしくなるから待っててくれ。」


「りょーかーい。」


息を整え、目の前にある物を見据える。

……いやまあ、意味ありげに言ってるけど目の前にあるのは何処にでもある普通の扉だ。

普通にして唯一の、ただの扉。

俺の家に付いているというただ一点に於て、確かにその扉は唯一だ。

とか何とかどうでもいい事が頭の中で渦を巻く。

……ほらあれだ、今改めて……いやそもそも考えた事ねえから改めてはおかしいよな。

じゃなくて、この扉のセンスも中々のもんだ。

さすがは我が産みの親である母さんが選んだもんだよ。

俺のセンスの良さもきっと母さん譲りなんだろ―――


「しゃっらっぷっー!」


「うお!?いきなり大きな声出すなよ!」


「いきなり大きな声を出したくもなるよー。あたしに対する嫌がらせなの?どうでもいい思考が流れ込んできてくらくらするんだけどー。」


「あ、ああ。悪かった。」


そうだった。

あまりこいつの前では物を考えてはいけない。

雨は他人の思考を読み取ってしまう。

読み取る事を止めるのが不可能な厄介な力を持っている。

そのせいで、俺と出会った頃は壊れかけていた。

……待てよ、よく考えりゃこの設定って漫画とかだと有り勝ちだな。

不幸ぶっちゃってる女とか……しまった。


「……。」


雨が睨んでくる。


「す、凄え目力ですね雨さん。」


「……なんやその敬語は。」


しまった完全にお怒りだ。

関西弁が混じってきておられる。

外国語同様、方言何かも覚えてしまう。

そのせいかは知らんが、怒ると雨さんは関西弁が混じってしまうのです。

……そうは言っても似非なのだが。


「おい自分。」


「はい何でしょうか。」


「あんなぁ、怒っとる相手に敬語使うとか何考えとんねん。逆撫でするだけやで?それとも何か、あたしがそんな事すら理解出来ん阿呆やと思っとんのか自分。」


「思ってない思ってない!悪かった雨!」


「……うん、思ってないみたいだねー♪良かったぁ安本丹だと思われてなくて。」


こいつは……いや、言うまい。


「ったく、気苦労でストレスが加速しちまうよ。」


「にゃははぁ。無駄な事考えるからだよ。それよりほらぁ、早く行ってらっしゃいそー君。」


「……そうだな。いい加減俺も慣れなきゃな。」


という訳で、俺は鍵穴に鍵を入れて回す。

カチャリと小気味よい音がしたが、俺にとってはぞっとしない。

この音は『もう家に入れるよ』と言っているからだ。

全く以て、嫌な音だ。

しかしまあそんな事ばかり言ってられんので、仕方なしに俺はドアノブに手を掛け扉を開いた。


「……ただいま。」


当然の様に帰りの挨拶をするが、当然返事は返って来ない。

『義母さん』しかいないんだから当然だが。

きっとあの人はリビングにいるんだろう。

印鑑が置いてあるのも多分リビング。

顔は合わせたくない。

あっちもそうだろうな。

……ま、何時までも雨を待たせるのは感心出来ないか。

意を決し、とまでは行かないものの、それでも覚悟を決めてからリビングに続く扉を開く。

あの人はリビングでテレビを見ながら編み物をしている。

帰ってきたのが俺だと分かっているからだろう。

彼女はこちらを向かない。

それならそれで俺も楽だからいいのだが。

自分の家なのだが、こそこそと印鑑が入っているだろう戸棚に近付く。


「……んー。」


一体何処に入ってんだ。

めんどくせえから手当たり次第に開けていくか。

……。

…………。

………………。

……………………。

ねえな。

此処じゃねえのかな。

だとすると困った。

他に当てがないのにも困ったし、現段階で在り処を聞ける相手がいない事にも困った。

父さんは今仕事中で、とてもじゃないが電話に出られ―――


「よー!たっだいまー!」


と、俺の考えを遮り、そして凍り付いた空気を全く無視した陽気な声がリビングに木霊した。


「あら、お帰り貴方。今日は早いわね。」


此処に来て初めて口を利く義母さん。


「あーいや、ちょっと忘れ物しちゃった事をうっかり忘れていてな。忘れ物を忘れるなんて俺も年かなー。あっはっは。」


何時も通り明るい父さん。

そこだけ見れば、何処にでもいるごく普通の夫婦だ。

だが、俺を合わせてしまえば、それは最早普通の『家族』とは言えない。


「おや、爽帰ってたのか。今日は仕事はないのか?」


「ああ。まあね。」


「そうかそうか。仕事が出来たら頑張ってこなすんだぞ。お前は責任ある仕事に就いているんだからな。」


「分かってるよ。それよりさ、印鑑のある場所知らない?俺の口座を作りたいから欲しいんだけど。」


「印鑑かー。んー俺は知らんな。母さん、何処にあるんだい?」


「……そこの引き出しよ。」


「成る程。だってさ爽。」


「……ありがとう。」


無論、このありがとうは父さんにというよりは義母さんに向けた物だ。

父さんも義母さんもそれは分かっているだろう。

だがやはり、彼女は返事をしない。

取りあえず言われた引き出しを開いてみる。

……あったあった。

印鑑の入れ物に一つ『爽』と書いてある物がある。

母さんが生きていた頃に買ってくれたんだろう。


「あったか爽?あったな。良かった良かった!じゃあ俺も忘れ物見つけたからもう行くよ。」


「ああ。行ってらっしゃい。」


「行ってくるよ。じゃあね母さん。」


「はい、行ってらっしゃい貴方。」


人目も憚らず、父さんは義母さんにキスをしてリビングを出て行った。

……そういえば父さん雨について何も言わなかったな。

あいつどっかいたのかな。


「……ちょっと。」


「え?」


義母さんが俺に話し掛けてきた?

話し掛けられる事なんて二週間ぶりくらいだ。


「何?えっと……義母さ―――」


「あんたみたいな子に義母さんだなんて呼ばれたくないわ!」


「……すみません。」


「あのね、用が済んだならさっさと出て行ってくれないかしら。あんたと一緒の空間にいるってだけで吐き気がするわよ!」


「……。」


俺はそれには何も返さず、印鑑を持ってリビングを出た。

次いで玄関からも出ると、雨がぶすっとした顔をして待っていた。


「相変わらず……って言うのは少し違うかもしれないけど、相変わらずね。」


「ん、まあな。仕方ないさこればかりは。」


此処で話しているとあの人に聞かれかねないので、俺は銀行に向かうべく歩き始めた。


「仕方ないけどさぁ。だからこそ不思議なんだよね。何でそー君のお父さんはあんな女の人と再婚したのかなぁって。境遇は丸っきり一緒だけど、それに対しての受け止め方は真逆だよね。」


「そうだな。でもさ、あまりあの人の事悪く言うなよ。俺だって……どっちかと言えばあの人寄りの考え方だ。納得出来ないからな。」


そう、だからこそ俺はあの人と違って『行動』を選んだ。

母さんが、何故『バンビーノ』の殺人者に殺されたのか。

それを調べる事が、バンビーノに入った理由の一つだ。


「あの女の人もバンビーノの人に旦那さんを殺されたぁ。同じ様な時期にそういう体験をした二人は惹かれ合い、結婚しましたぁ。」


「ああ。」


父さんが再婚したのはおよそ三ヶ月前。

最初は俺もあの人も、仲良くなるためによく話をしたもんだ。

決して悪い人じゃない。

だが、そうして積み上げられた少しの繋がりは、二週間前に爆撃でもされたみてえに崩れ去った。

二週間前、俺はバンビーノの営業本部長とか言う奴から、バンビーノに入らないかと誘われた。


「それでそー君はバンビーノに入る気になったんだよね。」


「敵を知る上で一番効率的なやり方だからな。めんどくさいだとか誘ってくれなんて言ってないとか色々言いはしたが、結果から言や良かった……のかな。」


そのせいで俺は義母さんと不仲になった。

一方的にではあるが。


「まぁ良いんじゃないかなぁ。時間が止まった訳じゃないし、いつか解決出来るよ。」


「……そうだな。」


時間に任せるってのは随分適当だが、俺が積極的に解決するよりはマシなのかもな。


「よし、印鑑手に入れたし改めて銀行に行くぜ。」


「おー!」

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