サヴィルヌーヴの森
空が、高い。
様々な赤に色づくサヴィルヌーヴの森の中を、馬車はゆっくりと進む。
先に出発したエリノアは、もう塔について、今頃はもう荷ほどきを初めている事だろう。
少しでも早く、私が寛いで疲れを癒せるように、と。
徹夜明けの疲れも見せず、恐ろしい手際の良さでセラフィナとニルダ、そして恐らく…いや確実に騎士達もこきつかっているに違いない。
ー全ては、私のために。
私は、エリノアに甘えてばかりだ。
彼女は、私の乳姉妹だったばかりに、苦労の多い人生を歩むはめになった。《普通の幸せ》からは、遥か遠く離れた人生を。
時折、今自分のしていることが酷く愚かで、全く意味のない事に思えてくる。
ー遠い昔の、幼い日の約束。
恐らくは、忘れられた約束。
そのために【駒】になる。
それが、決して楽しい日々にはなりえないことを覚悟の上で、ランバルディアに来たのは私の我儘、自己満足だ。
エリノアは、その我儘に全てを捨てて、ついてきてくれた。
せめて、私の【役目】が終わった後、エリノアが幸せになれるように。
きちんと、手配しておかなければ。
窓の外、燃えるような赤はまだ続いている。この広い森を抜けると、私は実に5年ぶりに《サヴィルヌーヴ宮殿領》を出ることになる。
同乗していたルチアナが、寒くはないかと聞いてくる。
大丈夫よ、と短く答えたのを、私が打ち沈んでいると判断したらしく
「レティシア様。塔の管理人夫妻は、料理上手で有名なのです。 特に、夫の方は大陸中を旅したとかで、あらゆる国の料理をつくる事ができるそうです。
アリオストの懐かしい味も、お召し上がり頂けるかと。
きっと、毎日。
美しい景色と、美味しい料理が楽しめますわ。」
と、一生懸命慰めてくれる。
…ルチアナ。
貴女の中で、《王妃=食いしん坊=心を慰めるには、美味しいもの》という方程式が出来上がっているのが、よ〜くわかりました。
…否定は、出来ない。
「それは楽しみね。
どちらかが焼き菓子が上手だと、さらに嬉しいのだけど」
反応した私に、ほっとしたように
「ご安心下さい。
妻のほうは、ランバルディアで一番有名な菓子屋の娘だったのです。彼女が兄達を押さえて、跡取りになるのでは、と言われていたくらいですから、腕前は相当なものです。
実家の菓子屋で一番人気なのは…」
ルチアナは、話し続ける。
それでは、ルチアナのイチオシ
(…というか、推察するに恐らくルチアナ本人の大好物だと思われる)
黒スグリとリンゴのタルトを、一番最初に頼んでみよう、ということで話しはまとまった。
「絶対、レティシア様ももう一切れ食べたい、と思われるはずです!」
「わかったわ。
ちなみに貴女には、大好物なようだから、最初から二切れ渡るように手配しておくわね。」
そう言うと、ルチアナは真っ赤になって
あ、いえ。確かに、好物ですが。あの…。
などと、もごもご言っている。
ふふふ。かわいい。
ーありがとう。ルチアナ。
貴女とセラフィナが、【監視】という本来の役目を越えて、私を【保護】してくれているのは、よくわかっています。
それが、貴女とセラフィナの立場を危うくしかねない、危険な行為であることも。
口に出しては言ってはならない感謝の想いを込めて、ルチアナに微笑む。
ハッと目を見開いたルチアナは、小さく首を振った。
感謝されることでは、無いのだ。と、いうように。そして
「いつも…いつも、お側におります。」
普段より低い声で、言う。
わかっている。
と、頷いて再び窓の外に目をやる。
ー塔が、見えてきた。