白より白き秘密基地
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追伸、ちょっと考えた末にジャンルをファンタジーへ切り替えました。
今後の創作のためにも、それが自分の今の答えです。
むしろそれだけ力を込めたと言うべきか…とにかくご意見、ご感想下さると嬉しいです。
ミーン,ミンミンミン……ジジジ,ジジ……。
甲高い音は,それだけで感覚を鋭化する。
今年は例年にない猛暑で,すでに身体はオーバーヒート気味。
コミケ会場,もとい国際展示場では驚異の40℃超え。
今も校庭に目をやると,見えない影が揺ら揺らと地表面を這いつくばってそうだ。
キーンコーン……カーンコーン……。
機械的な音が告げる,昼休みの到来。
本当なら購買のレアアイテム『めろんジャムロール』を食べたい気分だけど。
こんな真夏の真っ只中に外へ出よう命知らずなどいるわけがない。
毎度のようにオレを起こしてくれる鐘音だって,季節さえ変わればもっと心地よいはずなのだが。
「はぁ……」
最初に『溜め息の数だけ幸せが逃げていく』とか言ったヤツは誰だろう?
もともとネガティブな人間だと自負しているが,真夏日の今日はなおさらだ。
お尻が席から離れるのを拒み,片肘は机上で不動のポーズ。
そんなオレとは対照的に,聞き慣れた足音が昇降口からやって来る。
たたた,たた……たたたた,たん……。
音に合わせて,顎を支えていない方の手で木製の学習机を軽く叩く。
おおかた予想済みの,一段抜かしで駆け上がる足音,リズム。
がらがら,がら……。
足音が止むと同時に教室の戸をソワソワと開けるセミロングのテニスウェア。
いつも通り,キョロキョロと小動物みたいに左右に首を振っている。
「おい,瑞希!」
オレは相変わらず片手を顎に当てたまま『おいでおいで』の素振りを見せた。
「あっ,いたいた……りょうくぅ〜ん!」
この時間にやって来るのは悪友の雅貴か,幼馴染みの瑞希くらい。
とはいえ雅貴が毎日のように時間厳守で登場するはずがない。
瑞希は何人かに挨拶しながらテクテクと等速直線運動。
「やっほ,今日はどうだった?」
オレの前の席から椅子を拝借し,小さなテーブルをはさむようにご対面。
「はぁ……『だるい』の一言に尽きるな」
「もぅ,元気ないよ?たかが補習くらい,へっちゃらだよぉ!」
そう言って瑞希は元気のない子供をあやすように下からオレを覗き込んだ。
瑞希とは,夫婦のように弁当をつつき合うのがここ最近の日課になっている。
とはいえ話す内容は部活のこと,テレビのこと,補習のことなど,ごく日常的なものばかり。
んでもって,今日は進路……まぁ高校受験ということだな。
「それで,瑞希はどうなんだ?」
肘をついたまま両手を顎の下で組み,尋問のポーズをとる。
これでカツ丼があればベタな刑事ドラマだ。
「りょうくんは?」
「オレ?えっとまぁ公立でいいかなぁ……そう言う瑞希こそどうなんだょ?」
ちょっと前のめりになって,瑞希の顔を覗き込むような体勢で聞き返す。
「え……私は……」
眉間に少しばかり戸惑いの意を込めて目を逸らす瑞希。
「私は……隣町の私立に……」
「そっか,じゃあ近くだな」
「うん……そだね」
口数こそ変わらないが,いつもとは違って少しばかり素っ気無い返事だった。
昨日は,ご飯粒を顎につけながらムシャムシャと昼飯をつついてたのに。
「どうしたんだよ,オマエらしくないな……」
幼馴染みの特権で,瑞希の頭をサワサワと撫でるが。
「え……ぁ,それより,お弁当食べようよ?」
瑞希はそう言って,何か自分の気持ちを別へ向けようとする。
結局,そのまま昼休みは殆ど無言で終わってしまい,瑞希はラケット片手に再びコートへ戻っていった。
無論,言うまでもなく“頭ナデナデ”など微塵の効果もなかった。
その日の帰り道。
いつもの商店街を颯爽と自転車で駆ける先に,同じ学校の制服が見えた。
望遠モードで焦点を絞ると,テニスラケットを背負ったセミロング。
本屋から出てきたソレにオレは声をかける。
「よっ,瑞希!」
瑞希は一瞬ビクッとしたようにも見えたが,そのままオレの方へ寄ってくる。
いつも思うのだが,まるで祖母の飼い猫みたいな習性。
たたた,たた……。
その足音は,トーンこそ違うものの,昼休みのソレと同じリズムで近づいてくる。
「りょうくん,おつかれさ〜ん」
ひょっこり何気なく自然に肩を並べる。
「ふぅ……1日を国語と社会で拘束されるのは,ホントかったりぃな」
まさしく『身から出た錆』という言葉がお似合いの立場なのは分かっているのだが。
勉強,しかも苦手科目だけで夏休みの貴重な1日が消滅するのは骨肉を削がれる思いだ。
そんな雑談を交え,オレは昼休みの話を持ちかけた。
「……で,瑞希はさぁ」
だが,瑞希はオレが言いたいことを先読みしたかのように切り返す。
「りょうくんはどうするの?」
「え,オレ?オレは……」
早朝のガラス戸を透かす朝陽のような瑞希の視線。
とりあえず周りと楽しくやっていければいい,そんな楽観者に瑞希の言葉は続く。
「もったいないよ,せっかく頑張ってるのに」
「いや,オレなんてそんな,大して頑張ってないって」
「ううん,りょうくん,最近頑張ってるよ!私には分かるもん!」
補習で机に拘束されている分,確かに勉強時間は増えている。
それに最近は瑞希にも勉強を教えてもらい,会話の機会だって増えた。
しかし,今のオレって物凄く努力家に見えるのだろうか……補習対象なのに。
そんな脳天気に向かって,瑞希はジーッと円らな瞳を向けていた。
大きくて瑞々しい黒目に必要以上の涙を溜めて。
「ちょ……み,瑞希?」
訳も分からず,辛うじて名前を呼べるくらいに困惑。
それに呼応し,瑞希は何か意を決したようにゆっくりと口を開く。
「私ね,ホントはりょうくんと同じ高校に行きたいんだ……とっても」
昼休みとは矛盾した頓珍漢な発言に,オレはしばらくフリーズ。
たぶん,瑞希は何か理由があって隣町の私立を志望しているのだろう。
笑顔も自信もなく,ただ俯いたまま淡々と言葉を羅列する瑞希。
そこには昼休みに弁当をつつく瑞希とは違う,別の瑞希がいた。
今にも見えない不安に押し潰されそうな弱々しい表情を模って。
小さな頃,ソワソワしていて1人でロクに外も出歩けなかった瑞希。
臆病で寂しがり屋の瑞希,それはオレしか知らないもう1人の瑞希だった。
それなのに,オレの口から出た言葉は。
「オマエ,さっきは私立だって……?」
『言った矢先に後悔』する典型的な言葉。
「ごめん,私はもう決まっちゃってるの」
瑞希は静かに首を横に振る。
「そうか……じゃあカミセンが言ってた推薦入試って」
「ごめんね,隠すつもりじゃなかったんだけど」
「いや,そんなの気にしてないし,それに推薦ってのは実力が認められたってことじゃないか,もっと喜べよ」
「うん,嬉しくない訳じゃないんだ……でも,そしたら私の気持ちは認められないまま春になっちゃう」
何か足元に大事なものを落として困惑するような,瑞希の悲しげな笑顔。
それは,もうこの先ずっと会えないのではという不安すら掻き立てた。
確かにオレは受験も卒業も学園生活のイベント,ネタに過ぎないと思っていた。
だが今の瑞希の一言で『思い通りにならないこともある』のを心底痛感したのも事実。
そう,いつだってオレは瑞希の言葉から,ホントに大事な何かを教えられてきた。
今まで嫌でも顔を合わせてきた瑞希。
オレの十数年に及ぶ人生は,コイツで満たされている。
それだけに,互いが離れるということに何の懐疑も覚悟も持てなかった自分自信に腹が立つ。
「難しいな……」
何が難しいのかも分からずにボソッと一声。
焼け石に水なのは分かっていたけど,何か言ってあげたかったのは間違いない。
翌朝もいつも通り。
8時に家を出て,右手にペットボトルを携えて自転車を走らせる。
夏場は水分補給が欠かせないし,校門前には心臓破りの上り坂。
「お,亮平!朝からご苦労なこった」
「ご挨拶だな……学生とは辛いもんだ,まったく」
「はは,真面目にやってれば辛くないけどな」
ドイツ代表のユニフォームを纏った俊弘こそ早朝練習とは元気なもんだ。
そして,その先には見覚えのある背格好がテクテクと歩いている。
「…… …… ……」
しかしその日,ホントに初めて,オレは瑞希の横を素通りした。
今までなら,どんなに先からでも大声で呼び止めていた瑞希。
自分の横を素通りした自転車がオレだというのは分かるだろう。
今朝はオレの背中をどう見ているのか?
結局その日は予想こそしていたものの,やはり瑞希は来なかった。
練習の都合ではないことくらい,容易に察しがつく。
今までは鬱陶しいくらいに寄ってきては色んな話をした瑞希。
結局その日は一度もアイツと言葉を交わすことなく帰路についた。
……私,りょうくんと同じ高校に行きたいの。
……私,いっつもりょうくんのこと見てたから……。
でも……決まっちゃってるコトだから……。
……私の気持ちは認められなかったってコトだね……。
昨日の言葉が,手に取るように脳裏を駆け巡る。
いつも一緒だった瑞希との別れを象徴する悲しい声。
2人がいかに楽しく幸せだったかを知るには十分すぎる代償。
1つ1つの言葉にアイツの屈託ない笑顔を痛いまでに感じて止まない。
その日の放課後,オレは疲れ知らずの俊弘に手を振りながら逃げるように正門を後にした。
そして数日が経ち……補習のない日曜日。
「暇だ……」
暇なら勉強しろと別のオレが言っているが,あいにくの日曜日。
コンビニでも行って気分転換するか……と,悪魔の囁きに身を委ねる。
そうして善は急げと靴紐を締めて家を出る始末。
しかし外は相変わらず真夏の日差し。
ジリジリと肌の焼かれる音までしそうだ。
「だりぃ」
自分から勇んで出たくせに1RでKO負け。
真っ白に燃え尽きるどころか,真っ黒焦げに返り討ちされた感じ。
コンビニ前の信号までは約10分かかる。
しかし,ふと家から数分歩いたところに小さな森があるのを思い出した。
「そういえば……」
あの森は昔よく瑞希と2人で遊んだ場所だった。
近くのゴミ置き場からガラクタを拾っては持ち出して。
秘密基地って言葉が流行ってたのも,あの頃だったと思う。
「日陰もあるし,ちょっくら寄ってくか」
コンビニへ赴く必然性がなかったので,オレは懐かしの基地訪問へと予定を変更した。
がさ,がさ……。
ざさぁ……がさ。
もはや獣道と化した遊歩道に人の手を加えた形跡は見られなかった。
それでもオレはズンズンと足を森の奥部へ運ぶ。
すでに20分弱経っているだろうか?
……と,そのとき。
「りょうくん?」
草むらに白い影が走ったかと思うと,不意に目の前に1人の少女が現れた。
見るに小学校中学年ほどの背格好,顔つきは7〜8歳程度の不思議な雰囲気の女の子。
「ねぇ……りょうくん?」
そういえば『りょうくん』も瑞希とオレの共通言語だったな。
昔から周囲には名前で呼ばれる中,瑞希だけがそう呼んでいた。
そのせいか,一瞬オレは少女の面影に瑞希を投影してしまう。
なおも白いワンピースを纏った少女は,屈託のない笑みで近づいてくる。
木々の合間から射す強い輝線は,セミロングに艶と色気を。
差し出された右手には,黄緑色のリングがキラリ。
だが,汗ばんだ少女の手の平こそが最も高い反射率を誇っていた。
ちょうど昨日の補習で習った『光と音』を思い出す。
一見フリーズ気味のオレに少女はさらに近寄った。
そして。
「早く行こ!」
ニコッと笑って少女はギュッとオレの手を握った。
オレには何がどうなっているのかサッパリ分からないのですが。
ただ1つ言えるのは,オレは第三者の目に不審者として見える状況であること。
とはいえ,少女はオレのことを知っているみたいだし。
もともと時間を持て余していたこともある。
懐かしい秘密基地に立ち寄ったのも何かの縁で。
ちょっとくらいなら相手してやってもいいか。
というわけで,オレは少女に同道することにした。
少女は汗ばむ額も気にせず,鼻歌で行進曲を奏で続ける。
互いの身長は月とスッポンで,歩く速さも桁外れに違う。
彼女がトテテテ……と小走りしても,オレは悠々と歩くだけで十分な程だった。
そうして不思議な世界をオレたちは闊歩する。
暗い木々のカーテンを抜けて。
蘚苔類のカーペットを越えて。
そして,ようやく目の前に2人“だけ”の空間が広がる。
そこは今でもオレと瑞希の秘密基地“そのもの”だった。
通学路のちょっと外れにある,こじんまりとした森。
見かけは小さいのだが,これがまた意外に深くて。
そんな暗くて深い雑木林の奥にある,小さく開けた虫眼鏡の焦点のような場所。
中央には小さな泉が湧いていて,そこからチョロチョロと小川も流れていた。
毎日のように遊んだ日々が脳裏にフラッシュバックする。
そして,隣にちょこんと侍る少女をオレはいつしか瑞希と思い込んでいた。
「そうそう,瑞希はいつもドジでさぁ」
「そんなことないよぅ……だって……」
「でもさ,いつも川に行ったらパンツまで濡らして戻ってきたじゃん?」
「そ,そんなコト……恥かしいよぉ……」
「そのたびにウチで着替えてたんだからさぁ……」
「その話,もう止めようょ〜」
真っ赤になってポカポカとオレの胸板をたたく小さな瑞希,その仕草は今も全く変わらない。
『よしよし』と一方向に整った旋毛を軽く撫で上げ,目尻から頬にかけて丁寧に擦ってやる。
昔はそうやってウルウルした瑞希をあやしたっけ。
刻の歩みを疑ってしまうような不思議な空間。
でも気分はホントに懐かしい……いや,気持ちいいと言うべきだろうか?
「変わってないな」
「うん,いつだって,ふたりだけのトコロだよ?」
目を細め,ちょいと遠くに焦点を移しながら思い出のすべてを瞼の裏に投射する。
その横で,少女は爪先に引っかかった茶褐色のガラクタにちょんと手を伸ばした。
「あは……りょうくん,コレな〜んだ?」
遺跡調査でもしたのか,手を真っ黒にして戦利品をかざす。
発掘直後の土器みたいなものを歴史の苦手なオレに突きつけられても困るけど。
それでも無邪気な少女の眼差しに誘われて,その形骸を覗き込む。
「それは……何だかお椀みたいだな?」
「そうそう,これね……りょうくんのだよぉ!」
「はぁ?何で分かるんだよ」
そう言い返すと,少女は何だか紅潮してモジモジした。
何か生理的ではなく心的にこみ上げるものを堪えているような,その仕草が可愛い。
そして,少女が会話を再開させる。
「だって……おちゃわんって,これ1つだけなんだよ?」
「ん?オマエの分はどうしたんだよ?」
「え,だから……その……っと……」
少しだけ言葉を口篭もってから。
「ふたりで1つなんだよおっ♪」
開き直ったようにニカッと,頬の熱気を残したまま笑いかける。
そうか,それで……これを持って来たのは瑞希ではないから,オレのなのか。
何となくではあるが,堰を切ったように2人の時間が溢れ出る。
「この茶碗,いつもオマエが洗ってくれたんだよな?」
そう,瑞希はオレの茶碗を泉で洗っていたんだ。
いつもお約束のようにビショビショになりながら。
膝は真っ黒,スカートを透かしてクッキリと浮かぶクマの絵柄。
向日葵のような夏の日差しにも劣らぬ眩しい笑顔。
楽し“かった”な……ホントに。
あれから,どれくらい経っただろう?
オレたちは時間を忘れて言葉を交わした。
ママゴトだけではない。
夏はカブトムシやクワガタ,他にもたくさん虫を捕った。
動き回るにはあまりに暑くて,オレは泉の中へ飛び込んだ日もある。
「そーいえば,瑞希は水浴びしなかったよな?」
「うぇ……そうだったっけ?」
「ああ,オレの記憶が間違ってなければオマエ,プールが嫌いだったはずだ」
「ふぇぇ,だって,みずき……お胸がちぃさいから,プールきらいだよぉ」
襟元に両手を当て,耳たぶを真っ赤にして俯く少女。
大小の基準すら知らないだろと,聞こえない声が聞こえてきそうだ。
なんか妙にリアルで,言い出したオレも顔の火照りを隠せない。
その他にも沢山の思い出がこみ上げてくる。
ある日,要らなくなった布団をココへ持ってきたっけ。
「りょうく〜ん……コレ,どうするのぉ?」
「いーから,いーから……」
途中で粗大ゴミ置き場の炊飯器に目が止まると。
「ふぇ……りょうく〜ん,おもいよぅ」
「がんばれ!みずき,もうちょっとだぞ」
ちょっとした冒険気分が互いの心を適度に刺激し,何もかもが楽しく感じた夏の日。
何も入っていない炊飯器を使い,まるで夫婦のようにママゴトを演じる。
眠くなれば綺麗に畳んだ布団を広げ,手を繋いで大の字に。
瑞希は本当に寝てたのか分からないけど,何かムニャムニャ言ってたな……。
あぁ……こんなにも楽しい時間はホントに久しぶりだ。
いつもは授業と部活の波状攻撃で1日が終わり,そのままダラっとする生活。
夏休みになって補習が始まり,確かに瑞希との時間が増えた。
しかし。
「悪いコトしたな……アイツに」
いつも一緒に駆けずり回った瑞希。
どんなことも愚痴らず付きまとって,それでいてオレにはちょっとばかり甘えん坊の瑞希。
「りょうくん,わるいコトしたの?」
少女はオレの独り言に問いかける。
じ〜っと見つめる澄んだ瞳は,つい先日まで言葉を交わしていたアイツのそれだった。
「ああ,悪いことしちまった」
「あやまってもダメなのぉ?」
「う〜ん……でも,消すことはできないからな」
少女をひょいと持ち上げて,膝の上に座らせる。
少しばかりマゴマゴして首を左右している。
「ふ〜ん……みずき,むずかしくてわからないけど……」
そして,振り向いた少女の顔が視界を埋める。
薄桃色の,見ただけで柔らかいと分かってしまう小さなそれ。
パクパクする奥から言葉が聞こえた。
「りょうくんだったら……みずき,だいじょうぶ!」
「え……?」
思わずその口唇に脳が溶かされる。
「オレは,オマエに酷いことばかりして……だから」
「あは,みずきだって,りょうくんにめーわくかけっぱなし」
「そんなコトはないよ……オレは……」
いつまでも居て欲しい……。
大好きな瑞希に,ずっと……。
……満天の星空。
気がつけばオレは昔懐かしい平べったい布団の上に寝っ転がっていた。
なぜココで寝ているのか,イマイチ事態を把握できないけれど。
この状況は,不思議な世界ではなく現実にオレが秘密基地へ足を運んだコトを示唆している。
意識の回復に伴い,ちょっぴり火照った右手に確かな温もりが走る。
隣には等身大の瑞希が……って,みずき……がいる?
ということは,瑞希もココに足を運んでいたことになるではないか。
そもそも一体,さっきまでいた少女は何者だったんだろう?
でも確かに『みずき』という一人称を使っていたような……。
「りょ……くん?」
そういえば,あの子も同じ呼び方をしてたっけ。
「『りょうくん』か……」
寝起きの瑞希は,今になって初めて互いが繋がっていることに気づく。
「え,ぁ……りょ,りょうくん,コレって?」
「あ……いや,これはその,まぁ……あれで……」
よっぽどオレの慌てぶりが滑稽だったのか,クスッともう一方の手で鼻の頭を擦る瑞希。
そのまま彼女は静かに首を左右した。
「うぅん……いいの,もう少し,このままでいさせて……」
砂を払おうとしだが,そのまま繋いだ手を離さない瑞希。
その瞳は吸い込まれるように透明で,かつ強い光を帯びた黒曜石のようだった。
てくてくてく……。
一歩一歩がスローモーション。
その最中もオレは必死に弁明をした。
気だるかったから気晴らしに出かけたこと。
そこで森の広場を思い出したこと。
そして,不思議な少女に出会ったこと。
赤面しつつ話を続けるオレに,瑞希はニコニコと相槌を打つ。
実は瑞希も出かけがてらに森の前を通ったらしい。
それ以降は頭がボ〜ッとして覚えていないようだったけど。
きっとオレは瑞希の意識に引き寄せられて,ココへ来たのだ。
あの少女は瑞希の中にいる“本当に”オレだけの瑞希に違いない。
一時は赤の他人になりかけたけど,ニッコリと横からオレの顔を覗き込む瑞希。
『鬱陶しい』とは裏腹に,オレは思う。
やっぱり瑞希と一緒に過ごす時間は止められない。
ポッ,ポツ……ポポッ……。
2人を見守るように,ホワホワ〜っと何か小さな燐光が舞う。
「あ……」
お互い,目に同じものが留まった。
周囲を見渡せば,発光体は数匹に留まらない。
“誰か”に見られているような恥ずかしさを感じるほどの優しい燈り火。
慌てて照れ隠しに手をポケットに入れるが,瑞希のまで入って,ちょっとドキッとする。
その刹那,互いの視線が絡みつき,空気の質感が変わった。
「あ,あのさ……瑞希?」
「え?」
「卒業しても,一緒だからな?」
「りょうくん……?」
「進路なんてみんな違うし……それが当たり前だと思うけどさぁ」
大好きな瑞希。
今こそ自分の想いを。
瑞希への想いは,もう喉元まで込み上げている。
グッと腹に力を込め,真っ直ぐに瑞希の目を見つめた。
受験ごときで泣かないでくれ!
瑞希が泣くと,オレも辛いんだ……。
オレは,これからも一緒にいたい!
「だから……オレ,頑張るから」
離れないように頑張るから……!
「もし離れても,四六時中『会いたい』って思わせてやるから!」
当然,この気持ちは永久保証だ。
「りょう……っく……っん」
不思議な高揚感……自分に酔い痴れているのだろう。
はっきりと言葉として認識できた語句は僅か。
そんなオレの胸元で,瑞希の頬からポタポタと垂れる大きな雫。
月明かりに光るそれは,蛍の飛び交う湿地帯をより幻想的に彩る。
小さな手にぐっと力が篭り,シャツがキッと唸るやいなや嗚咽が響く。
「私も……」
「私も,りょうくんと一緒にいたい!」
「離れても……私のこと,捕まえに来てくれる?」
「愚問だ,絶対に……今さら離すもんか!」
そう言って無理やりに瑞希の頭を肩に抱き寄せ,大事な宝物のように優しく丁寧に撫で下ろす。
「ぁ……ぐすっ……」
そう,瑞希はオレのかけがえのない宝物。
「ごめんな……辛い思いさせちまって」
「りょうくん……」
「今さら謝っても,心の亀裂は消せないけど……っく」
小さくて平べったい手の平が,すっとオレの腰に当たる。
それは強い抱擁力で肩甲骨へと擦り上がってゆく。
「オレは,オマエに酷いことばかりして……」
「ぁ……は,私だって,りょうくんに迷惑かけっぱなしで……」
「ばか……そんなコトはないさ」
もう一度,今一度,自分の想い全てを,小刻みに震える瑞希の柔らかい耳に呟いた。
「これからも一緒にいてくれ,瑞希……」
「あ……っぐ……ぅぅ」
華奢な身体の振幅が増す。
泣きじゃくって,言葉にならない言葉しか聞えない。
そんな瑞希を精いっぱい両腕で包み,抱き込む。
見上げる空。
日中の真夏日は去り,青碧の中で煌々と煌めく華麗な月。
手を伸ばせばすぐにでも掴めそうな大円。
もちろん,掴めるなんて大嘘だけど。
だが,この日の月はそれくらいに大きく,最高という言葉すら無力なくらいにに綺麗だった。
それは,瑞希が隣にいたから。
いや,瑞希と一緒に見る月はいつだって何よりも,正確には瑞希の次に綺麗で,愛しい。
どれだけ歩いたことか。
もうすぐ出口。
意識こそしていないけど,手に優しい力が感じ取れる。
それは幼馴染みの絆で引き合っているモノではない。
そう……ギュッと握り,引き合ったものは。
心と心。
想いと想い。
そして……口唇と口唇。
翌週。
オレは瑞希と一緒にテニ部の飲み物を買いに正門を出た。
「おう!お2人さん,今日も熱いねぇ……」
「『暑い』の言い間違いじゃねぇのか?」
「あはは,どっちもだよ」
相変わらず俊弘は汗だくのままピッチを駆けている。
「りょうくんも行ってきなよ,買い物は私だけで大丈夫だから」
「何言ってんだよ,オレは部活をしに来たわけじゃねぇからな」
「あは……なんか,変わったね,りょうくん」
もうすぐ太陽が屋上に到着する。
熱さの止む気配など皆無。
「なんか……こんな関係になるのって不思議だな」
「うん,でも私は嬉しいな?」
あはは……と,瑞希が俯いて頬を張る。
「オレは,今でも考えるんだ……ほんとにオレなんかでいいのかって」
そんなオレに瑞希が,すぅっと肩を寄りかけ手を重ねる。
「私は……りょうくんが好き,だ〜い好き!」
「暑さでやられたか?」
ツンと額に指を立てる。
「ふむぅ〜!そうやって雰囲気を壊すトコ,良くないなぁ」
「わ〜った,謝るよ」
どちらからともなく手を取り合う。
そこにポ〜ンと白黒模様の入ったボールがやって来て,雰囲気をぶち壊す。
「おう,わりぃ……取ってくれ!」
「しゃあないなぁ……」
身体の軸を傾け,右足に重心を置いたまま腰の反動で,左足の爪先から土踏まずのラインで回転をかける。
ぱさぁ……。
「ナイシュー!地区大会ならドンピシャだぜ」
俊弘は今でもオレを呼んでいる。
「戻って来いよ,相棒!」
だが,残念ながらオレには別の相棒ができてしまった。
一方向に整った旋毛を軽く撫で上げ,目尻から頬にかけて丁寧に擦ってやる。
「行こうか?」
「うんっ!」
差し出した手に自分の『幸せ』が応えてくれる,
それがまた幸せで浮かれてしまう,そんな夏の昼下がりは……暑かった。
*カミセン:担任の上岡先生みたい。
テニ部 :テニス部の略。
長々とお付き合いくださり感無量です。
書いてる本人が恥ずかしくなる台詞を厳選したのですが,何度も読み返してると脳味噌が麻痺してきますねw
そこまで読み返すほどのものではありませんので。
ところで,コレは恋愛小説でいいのでしょうか?笑
では,またお会いしましょう,ありがとうございました。