65話:開催、そして
お久しぶりです。
今回はかなり短めになっています。
体育祭当日。
刺し殺すかの如く朝から意気揚々と活動を始める太陽と顔を合わせながら、俺は溜息を一つついた。
開会式などという無駄としか思えない謎の儀式が始まって10分、終盤に差し掛かろうとした時にそれはやってくる。
校長の話。
校長の話、と聞いて想像することは誰もが同じだろう。
長い、その一言が並ぶ全員の頭から噴出した吹き出しをまとめているはずだった。
ちらり、と簡易立ち台のそばを見やれば教職員はテントの下で涼んでいたりする。この不公平さは俺が小学校のころから抱いているものだ。
生徒は日の下立たされ、教職員はテントの下日陰で椅子に座り涼む。その構図が社会の縮図に見えるとか何とか。
暑さで思考がおかしくなったのか、校長の話を半分に聞きながら俺はミユの姿を探していた。
「ちょっと、朝浦君。何きょろきょろしてるの」
俺を咎める声が聞こえた。おそらく後ろに並んでいる歌音だろう。
俺は背中越しに話しかける。
「ミユを探してだな……」
「え、何朝浦君死にそうな声。よく見たら汗がすごいよ、大丈夫? ……そうだっ!」
「っ……!?」
ヒヤッ、としたものが手に握らされ、俺は危うく悲鳴を上げる所だった。
「保冷剤だよっ。二個持ってるから貸してあげる」
手の内には、食べられません、と書かれた袋に包まれたよく見る保冷剤があった。
なるほど、ポケットに忍ばせておけばなかなかに使える。手に隠して首に当てるのもいい。
まさか保冷剤にこんな使い方があったとは。
保冷剤のすごさに感心していると、いつの間にか校長は簡易立ち台から降りていた。話は終わっていたらしい。
「朝浦君、ミユちゃん探してるの?」
小声で歌音が囁く。
簡易立ち台の上には教頭が現れた。校長に次いで話を始めるらしい。
「お、おう。……昨日夜飯食べて無くて朝も軽くで済ませてたからな、へばってないか気になって」
「……? なんで朝浦君がミユちゃんの食事事情知ってるの?」
やらかした。
「い、いやっ! あ、朝に、言ってたんだ、スイが!」
「スイちゃんが? 又聞き? ……まぁいいか。ミユちゃん、体調不良なのかな」
「らしいぞ。だから歌音も気にかけてやってくれ」
「うん、だけど……天使でも体調不良になるんだね」
「そ、そこは……知らんけど」
しどろもどろになりながらも返事を返す。
ふーん、と歌音は曖昧な返事をよこしてそれきり話しかけてこなくなった。
保冷剤を握りしめながら再び視線を動かす。と、前方の方にふらふらと左右に揺れる黒髪を見つけた。
スイだ。あいつも暑さにやられているのか、それともミユを心配して探しているのか、左右に動く様は忙しなく、目立っていた。
それにしてもミユが見当たらない。もしかしたら俺より後ろに並んでいるせいで見つけられないのかもしれない。
ちら、と後ろを振り返ると再び歌音。可愛く小首をかしげて、何かな?と視線で問いかけてくる。
なんだか恥ずかしくなって前に向き直ると、教頭が簡易立ち台から降りていくところだった。
炎天下晒し上げ大会は閉幕したようだった。
クラステントに戻ると、一息つく暇もなく放送が流れ、競技が開始される。
最初は短距離走。一年生から三年生までの全クラスが入り混じる一大イベントである。しかし、これはまだ序の口である。というより、全校でやるのだから『一大』も糞も無い。全てが一大イベントである。
ドドドドドドド、と第一走者が走り去った後は砂煙が舞い上がり、視界が確保できなくなる。
第二走者はその中を走り抜ける。いちいち砂煙が収まるのを待っている時間は無いのだ。なんせ全校生徒でやっているのだから。待っていたら後がつっかえる上に日が暮れる。
一列、また一列と砂煙の中に消えていく。
これはもう体育際と言うより無秩序に戦場に赴く戦士達の特攻にしか見えない。
だってほら、ゴールした人たち泣いてるし。……砂が目に入って。
ついに俺の番がやってきた。行きたくない。
なんかもう砂まみれになるの見えてるし、砂が舞いあがり過ぎてハリケーン状態だし。
パァン、と俺の思考を断ち切るようにスタートの合図が鳴らされる。反射的に動こうとして、もつれるように前へ出た。
「朝浦君! 危ないよぅ」
歌音のそんな言葉を背に体勢を立て直す。そして砂煙の中に突っ込んで──────。
気分が悪いから、と誰もいない保健室で休息を取っていた。
遠くには体育祭の喧騒が聞こえ、人々の活力を感じる。それに比べてここは、静か過ぎた。
静寂に訪れるかすかな耳鳴りに顔をしかめながら、ベットに横たわる。
私はどうするべきなのだろうか。
もちろん、掘り起こされた記憶についてだ。
私自身、あんな体験をした覚えはなかった。しかし、主観であったこととランに疑われたことを考えると、あの記憶は封印されていたもの、と考えられる。
では、私はあんなことをしてしまったのだろうか。
今の私に力は無い。ただの天使だし、攻撃する力もほとんどない。
だが、逆にそれがあの記憶が私のものだという信憑性を上げる。
天使において、私ほど攻撃的能力のない者はいない。
封印されたと考えれば。
力を丸ごと押し込められていたと考えれば。
不思議なことは何も無い。
防御の力しかないことにも、納得がいく。
どうすべきなのか、という先ほどの問いに対して答えは決まっているはずだった。
一度天界に戻る必要がある。
まずは調査。あのような地獄が実際に巻き起こったとなれば、それについての文献は残されているはず。
しかし、それを拝見するのはただの天使である私には出来ない。
私では不可能なのであれば、私ではない者が調べればよい。いや、私ではない者に協力を仰いで書物庫へ導いて貰えばいい。
適当な理由を付け表面上は装いつつも別のことをする。
そんな事は私が一番得意なことではないか。
ただ、これは他人を引き合いに出す卑怯な方法である。
卑怯な方法を使ってまで私は─────────私は。
ミユは違和感に気付く。
ああ、これが、と。
これが、知りたかったものの一つか、と。
体に降りかかった砂を払いながら俺は再びクラステントに戻ってきていた。
砂の戦場に柄にもなく特攻した俺の戦績は最下位。だから運動は嫌いだと言ったのだ。
俺の一列後に走り出した歌音は言うまでもなく一位。さすが陸上部である。
歌音の走るさまは砂塵をかき分けて進む馬のごとく……いや下手な比喩はやめておこう。
素直にすごかった、の一言で片づけておく。
クラステント内を見渡すと、やはりミユはいない。スイは両腕を振り上げて同じクラスの応援に熱中していた。
この間一悶着あったスイがこんなにも普通で、こんなにも元気であるにも関わらず、ミユのほうが調子が悪いとはどういうことなのだろうか。
風邪、ではない。では、ほかの病気なのだろうか。
おそらくそれも違う。俺の見立てでは、あの調子の悪さは心から来ている、と考えられる。
何かがあったはずだ。
この数日の間に何かが。
誰かが襲撃してきた気配はない。もしそうであればスイが気が付いているはずなのだ。
だとしたら、ミユの中で何かがあったということなのだ。
…………何か嫌な予感がした。
その予感は、当たる。まるで嫌な予感を引き寄せるようにして。