64話:どくどくしく
遅れながらも更新。
では次回。
恐怖、というものは誰にでも生み出せる。それは救いの手を差し伸べる神の使いであっても、命を狩りとる死神であっても、人間であっても、生み出せる。
どれも違いは無く、恐怖という単語でひとくくりにされる感情。
そう、今私が抱いているのはそれだ。
目の前に居るのは、神。
目の前に居るのは、燐天使。
であるにも関わらず。
どうして恐怖を抱くのだろうか。
力の強大さゆえか、それとも無慈悲にその力を震える精神が顔を覗かせているからか。
「ほっほ、口ほどにもないわい。消し炭になりおったわ」
「原子レベルにまで分解できればよかったんですがね、地獄では力が出しづらいです」
「それにしても。魔王信仰の奴ら、動き出したか」
「そうですね……。人間界に影響がでないよう、気をつけなければなりませんね」
「そうじゃな。ミユとの約束があるしの。……ん?どうしたのじゃ、智天使空宮よ」
口元を抑えて俯いていた。地獄には、長くいられない。
「杏梨、苦しいのかい? ごめんね、こんなところへ連れてきて。帰ろう」
優しい声色で呟くフィム。
神は私を一瞥し、先ほどのフィムと同様に空間を引き裂いた。
一瞬にして景色は天界に代わり、煌びやかに輝くステンドグラスが私たちを迎えた。
「神様、あなたも空間を……」
「ほっほ、人のことは言えなかったの」
悪戯がばれた子供のような顔をして神は言った。
気分は、悪いままだった。
「杏梨、よかったら僕が能力で」
「……結構、です」
ふらつく頭を抑えて教会から出る。
ただ地獄に居たせいではない。間違いなく、二人の力に中てられたのだ。
一刻も早く、力の残滓を漂わせている二人から離れたかった。
地獄。
見えたのは地獄だった。
閃光が道を作り、火焔が吹き荒れ、いくつもの穴が穿たれていた。
地獄、しかし向こう側には天界の建物がうっすらと見える。黒煙で視界は度々遮られるが、見える。
天界が、地獄と化していた。
私の腐敗した手からは瘴気が溢れだし、周りのものを腐らせていった。
大理石の床さえ歪んでいった。
私の黒く染まった手からは黒い閃光が放たれ、建物を二分する。
知識を欲していた。
知識を欲しているがゆえに動かなければならない。
行動を起こしてこそ、得られるものがあるのだ。
そう信じて疑わなかった。
力はあった。
ただ、振るうだけでよかった。
生き物の苦しむ姿、泣き叫ぶ顔が、その眼にはよく映った。
でも、分からない。
恐怖が、『感情』が、分からない。
誰も、その身をもって教えてくれない。
『──────────、─────』
そんなとき、目の前に現れた。
神と呼ばれるその男は、私に対して力を向けてきた。
教えて、くれるのだろうか。
この私に、『感情』というものを教えてくれるのだろうか。
目下には、死体が散乱していた。
目が覚めた。
見えた天井は天界の住まいではない。人間界の、居候先の天井だ。
身体を起こす。
気分が悪い。
「私、は………っ!?」
グルン! と脳が回る。回った、感覚に陥る。
記憶の底から、悪夢が甦る。
吐き気を催す臭い、目下に広がる地獄。そこが天界であるなんて、信じられないほどの惨状。
『貴様から抜きだした記憶の中に、この世界の終わりを彷彿とさせる記憶があった。あれは何だ』
ランの言葉が思い出される。
彼女は本当のことを言っていた?
彼女は今私が思い出したこの記憶を見た?
だとしたら、嘘をついていたのは私で、彼女は正しくて。
私は、最悪を引き起こした?
怖い。
あんな力が、私の中に眠っていると言うのか。
最近の気分の悪さはこれを暗示していたのだろうか。
これが、この記憶が私の中から現れたと言うのなら、核に等しい力を抱えている私に出来ることは、一つしかない。
私が私である間に、まともである間に。
対策を、打たなければならない。
ピピピピッ、とここ最近活躍を始めている携帯のアラーム機能が朝を告げる。
目覚めは快調で、開けたカーテンから差し込む日差しも心地よく、普段通りの、朝だ。
だけども何故こんなにもモヤモヤとした気分になるのだろうか。
思い当たる節はある。
最近のミユの言動におかしな点が見当たることだ。明らかに本調子ではないのだ。
先の戦いで疲れているのではないかと疑い学校を休むことを提案してみても聞く耳は持たず、いつもより何倍も薄められた毒で俺を相手するのだ。
元気は伝染するもの、とずっと前に歌音に言われた覚えがあった。陰気、というのも伝染するのだろう。
俺は身を持って今それを体験している。
リビングに行くとミユはしゃきり、と姿勢を正して椅子に座って入るが、背中がいつもより小さく見えた。
「ミユ、おはよう」
「……朝浦様ですか。おはようござい、ます」
「お前……顔色悪いぞ? やっぱり調子よくないんだろ、今日は休んで──────」
「いいえ、大丈夫です。そんな事より、朝浦様こそ」
俺こそ顔をどうにかしろってか。
やはりミユはどこかおかしい。本調子であればそこまで口に出して言うはずなのに。
毒の吐かれ具合でミユを測るのもおかしな話だが、今日はまして酷い。
ミユの顔色が普段よりずっと白い。
「あのな、別に無理して学校へ行く必要はないだろう? なんでそんな強情なんだよ」
「別に無理をしているわけではありません」
「いやだってお前、顔色が……」
「学校へ行くくらい問題はありません。それより、私から離れてください」
「……なんで」
ミユは顔を上げて、キッと俺を睨むようにして、それからまた顔を少し歪めて。
「犯罪者面、だからです」
キレが無い。
まるで、ただ会話を断ち切らせるために毒を吐いているようなものだ。
そこには考えも無いし、感情も無いし、意味も無い。
そこまで彼女を追い詰めているのはなんだ?
先の戦いではスイのことばかりを考えていたが、それが悪かったのか?
何か、ミユの側でも問題が起きていたと言うのか。
「ミユ、何かあったのか。病気、というより病的だ」
「身体も精神にも異常はきたしていません。それより、朝食を」
ふと見れば、普段のようにミユの面持ちは戻り、顔の色も血色良くなっていた。
今の一瞬で、何が。
「朝浦様は考え過ぎなのです。ただ私は昨日は疲れて早くに眠ってしまっただけで、今は昨日の夕食を食べなかったことで少し気分が落ち込んでいただけです」
「いやでも、毒のキレが」
「毒? ちょっと言ってる意味が分かりません」
なんだ、何があった?
そこにはもう普段通りのミユがいて、俺は混乱してしまっていた。
放課後。
今日一日の勉学を終え、きたる体育祭に備えて各クラス出し物について練習をしていた。
グラウンドの使用できる日では無かったので、本日は教室で練習となっていた。
机を後ろに下げ、小さな空間を黒板前に作り上げて俺達はそこに集まっていた。
壇上には委員長が立ち、眉根に皺を寄せて腕を組んでいた。
「……これは辛い。体育祭まであと3日、グラウンドで練習できる日は無し、完成度は」
ちらり、と委員長はスイとその周りに集まっている集団を見やる。
歌音は苦笑いし、ミユは目を閉じて教室入口に佇んでいる。
「うん。完成度は……」
ちらり、と委員長は運動部を中心に組まれたダンスユニットを見やる。
口の端を少し吊り上げて笑い、『勝った』と呟く。
「これはまた素晴らしい目の逸らし方だな。臭いものに蓋方式だな」
「そこ、朝浦陽助、聞こえてる」
つい口走ってしまった。
すごいあからさまだったから、つい。
「別にいいのよ。そう、あのユニットを前面に押し出して、他のはサブにまわして……」
「委員長ちゃん、今から配置を変えるのは無理があるよ!」
「くぅぅっ、止めるな歌音美里! これはっ、これはっ……」
「冷静になってー!」
グラウンドが使えないというだけでこの有様。
もしかしたらスイが酷い踊りを披露していたせいかもしれない。
窓からグラウンドを見渡す。
芹川が指揮を取り、C組の人員が動く。
集団が一体となった動きに素直に感心し、もう一度教室内に視線を戻す。
「か、各自家で練習すればっ……。特にあのグループがっ……」
「ちょっと委員長ちゃん、殺意の波動を感じるよ!?」
ユニットごとに談笑、やる気のある人は振付の確認。
二分化されたこの空間。
カオスだった。