63話:交錯する
お久しぶりです。
真夜中の更新です;
奈倉先生にこき使われ、学校を出る頃には空が薄暗くなっていた。
とぼとぼ、と特に悪いことがあったわけでもないのだが足取りが重くなる。
体育祭が迫ってきている。それだけで俺の心は普段より少し重くなる。
「駄目人間だな……知ってたけど」
一人呟いてから歩みを進める。早めに帰って飯の支度をしなければミユが無言からの威圧で俺を圧死させてくる気がする。
はた、と最近のミユの不自然な態度に引っかかった。
そうだ。いつもであればこんな時間に家に帰れば毒が塗りたくられた棍棒で殴るがごとく罵声を浴びせてくると言うのに。何故か俺にはそのビジョンが全く見えなかった。
今家に帰っても待っているのは少し気落ちしたミユと、それに気が付かないいつも通りのスイが転がっているだけだ。分かる。俺には分かるのだ。確信に近い何かがあった。
歩いているうちにもマンションに近づいている。
表面化されていない大きな問題に頭を悩ませるにはこの帰路は短すぎるのだ。
寄り道をしようとして辺りを見渡して──────────とある女生徒が目に入った。
「あ、あ、朝浦陽助!」
「芹川か……。またこんなところで何してるんだ。家は確か真逆の方向だったよな」
「塾」
「え?」
「塾がこっちの方にあるの。この間も、それ、……で」
「あ、ああ……」
あの不良(?)達から逃げたことを思い出した。
思いだしたことで今にも現れそうな気がして、辺りを見渡してしまう。
「朝浦陽助は今帰り?」
「おう。というか、なんでフルネームだよ」
「そっ、そんなことはどうでもいいでしょ! それより、今は敵どうしよ!」
「敵? いつ敵対したんだ俺達は」
言って思い出す、そういえばうちのクラスの委員長と火花を飛ばしあってた覚えがある。
体育祭において、敵ということか。
「別にそんな肩肘張って敵対すること無いだろ。それに、芹川とはなんかずいぶん久しぶりな気がするし」
「そうね……確かに久しぶりに話すかも……」
「……」
「……」
途端に会話が続かなくなる。
そういえば芹川と二人きりになって盛り上がるような話をしたことは無かったかもしれない。
どこぞの喫茶店に行った時も、二人してウェイトレスにしてやられて顔を赤くしていただけだった。
「……じゃあ、帰るね」
「あ、ああ」
引き留める、引き留めないの葛藤の中に生まれた言葉はそんなものだった。
「ただいまー」
「おかえりなさいっ!」
家に帰ると、珍しく俺を迎えてくれたのはスイだった。
いつもであれば毒を盛りつけた言葉の前菜を片手にミユがそれを投げつけて来るはずなのだが。
「ミユはどうしたんだ」
「えっとね、なんか身体の調子があんまり良くないみたいだよ? この間の戦いが響いてるのか分からないけど……」
「そうか。大変、だな」
どこか他人行儀に。
いや、他人行儀にならざるを得ない。俺は情報を見て知っていても、その場では何も出来ないのだ。
そんなものはただの傍観者に過ぎない。関わっているとは言えない。
だから俺は、そう言うしかない。そうとしか言えない。
「今日はもう寝るんだって。お風呂も入っちゃったみたい」
「晩御飯はどうしたんだあいつ」
「んー、食べてないと思う。いらないとも言ってた」
「……。そういえばスイ、お前は大丈夫なのか?」
「もー余裕。見て見て! 具現化ー」
掌から黒の粒子を発生させて何かを形作る。
どうやら戻ってきた力が半分だったおかげか、スイは能力を精密に操れるようになったらしい。
粒子が集まり、光沢を出し、完成したそれは。
「ナメクジ?」
「ちがーう! 猫だよ、猫。にゃーん!」
「地獄の猫は溶けてるのか?」
「地獄に猫なんていないよ! どこからどう見ても人間界にいる猫じゃん!」
どう見てもナメクジにしか見えなかった。
もしかしたら猫で言うところの髭が太すぎて触手のようになっているのが問題のようだった。
それより。
「晩御飯は二人分でいいのか……」
リビングに入り、台所へ移動する。冷蔵庫の中には十分な食材がそろっていた。
だが。
「素麺でいいか?」
「て、手を抜き始めた……。ミユちゃんがいないからだ……。しかも秋なのに! 寒い!」
「そ、そんな言い方するなよ。天ぷらもつけるからさ」
「ほんと! わーい、天ぷらー!」
「というわけで、ちょっとスーパーまで行ってくる」
「御惣菜の天ぷらだった!? 揚げてよっ、揚げたてにしてよっ!」
「文句ばかり言うんじゃありません! そんな子は晩御飯抜きですよ!」
「陽助さんちょっと生き生きしてるよね!? 料理人という立場に胡坐をかいて調子に乗ってる!」
……ふざけるのはここまでにしよう。
ミユも寝ていることだし、あまり大声で叫んだりしていると迷惑だ。
「まぁ、今日は我慢してくれ。ミユが明日元気になったらちゃんとするから」
「ぶーぶー、ミユちゃん本位だー。差別だー」
両手を上げて抗議するスイ。
子供が駄々をこねているようにしか見えない。
娘を持つとこんな感じなのだろうか。
「え、なんか陽助さんがほっこりしてる。気持ちが悪いよぉ」
……こんな娘は嫌だ。
「もぅ、私ダンスの練習してくる」
「どこでするんだそんなもん。部屋じゃミユが寝てるんだろ」
「陽助さんの部屋貸して」
「別にいいけど……荒らすなよ」
「どうやったらダンスで荒れるのさ!」
「お前、自分の実力を」
「うるさいうるさい! モチベーション下げないでっ」
怒ったのか、大股で俺の部屋へ歩いて行くスイ。
リビングには俺一人が残され、静寂が漂う。
「準備するか」
鍋を取りだして水を溜め、コンロの上において熱を与える。
その間に冷蔵庫からきゅうり、レタス、プチトマトを取りだす。
きゅうりは塩で揉み洗いしたのちに小判状に切り、レタスは冷水に浸しておく。プチトマトはさっと洗って蔕を取り、皿にきゅうりと共に盛りつける。レタスも忘れずに冷水から上げて、千切って盛りつける。
ちょうど沸騰した鍋に呼ばれ、素麺を探して取りだし、真ん中で二つに折って円を描くように投入する。
夏に大量に買い置きしておいた素麺が消化されずに残っていたので、今日の晩御飯になったのだ。
スイには悪いが、秋口の今だからこそ食べてしまいたいのだ。いつまでも残していると湿気るしかさばるしで邪魔になるのだ。
何か別の調理方法を探してみる必要がありそうだった。
その時、ずでん、と大きな音がした。
一瞬ミユに何事かあったのかと思ったが、音のした方向が俺の部屋だったのですぐに考えは切り替わった。
戦闘スキルはあるのにどうして踊りは出来ないのだろうか。
最大の謎がそこにあった。
六枚の羽を広げた青年は空宮にとってはあまり会いたくない者だった。
何度も助けてもらった。知恵を貸してもらった。戦い方を教えてくれた。
でも。
それゆえに自分の欠点を、裏の顔を、知り過ぎている。
誰にも見せたことのないような顔を、彼は見ている、知っている。
だからこそ、会いたくない。
だからこそ、苦手。
また、彼はたまに不気味さを感じさせることも空宮が苦手とする一つの要因だった。
先ほどの話にも繋がるが、空宮を助けてくれる理由が分からないのだ。
親切心なら結構。だが、彼は自分以外を構っているところを見たことが無い。
掴みようのないその存在感が、怖いとすら感じる。
「なんじゃ、フィムか。驚かせよって」
神が溜息をつきつつその青年に向かっていう。
青年は笑って、
「どうやらよくないことが起きているようで。そのせいで杏梨にもとばっちりを食ったってところかな」
男性であるにも関わらず透き通るような声で言うフィム。
相変わらず、分からない。
その笑った顔が本心からのものなのか、どうなのか。
「またそんな顔をしているのかい。もっと笑ったらどうだい、杏梨」
「…………」
「ううん、大変だね。杏梨はいつになったら自然に笑ってくれるのかな。……それもこれも魔王信仰者のせいなのかな」
私の表情を窺ってからフィムは神に向き直る。神は髭を撫でつつ、教会の窓に嵌められたステンドグラスを横目に話す。
「そうじゃな……。一つの要因としてそれもある、と言ったところじゃの」
「そうですか。じゃあ僕が動いたことに意味もあるわけだね」
フィムはガリッ、と空間に爪を立てると何かを引き剥がすようにして腕を振るった。
まるで手品のように世界は反転し、地面は一気に焦土と化し、空は赤黒く変色して饐えた臭いがすぐに鼻を突いた。
地獄、だった。
天界のあの教会から、地獄へと転移させられたのだ。
力ずくで無理矢理に次元をつないで移動したのだ。
「フィムよ。そんなに空間を動かすでない。空間に傷が付くじゃろう」
「申し訳ありません神様。ですが、すぐに見てもらいたいものがありまして。それが僕が教会に訪れた理由でもありますので」
地獄の地を指差して言う。
その指の先には、何かを引きずって磨り潰したような跡があった。
粘土を地面に思いっきり押しつけながら走れば、あるいは羊羹をコンクリートの地面に滑らせれば、この状態を限りなく近く再現出来るのではないだろうか。
「これは……もしや」
「そうです。人間界に降り立った、杏梨を襲った、今回の話題の中心の、彼です」
「誰がこんなむごいことを。それに、力の残滓を全く感じん。誰かが持ち去ったのじゃな」
「そうでしょう。では、その誰か、とは」
「魔王信仰の者に違いない。そんな質問の形を取らんでもよい。お主も気付いておるじゃろうに」
「失礼しました」
すっ、と頭を下げ一歩引くフィム。
私は彼を眺めるようなことはせず、空を見ていた。
ここは太陽が見えないから嫌いだ。
厚い雲に覆われていて、綺麗な青い空が見えないから嫌いだ。
フゥン、と何かを切る音が聞こえた。
聞こえてから、危険だと思った。また油断をしていたのだ。
咄嗟に防御結界を張り、辺りを見渡す。
3つ。
3つの影が、こちらに向かって歩いてきていた。
フゥン、フゥン、とまたも風の切る音が聞こえる。音はするが、何かを受け止めたような衝撃は無い。攻撃では、ないのだろうか。
「ほっほっほ、神と熾天使と智天使の三者に戦いを仕掛けるか……面白いの」
「いえ、神様が動くほどではないですよ。僕が一人で殲滅させましょう」
「ほっほ、無茶を言うな。ワシにも久しぶりに遊ばせぇ」
強大な力が膨れ上がるのを感じた。
味方のそれだと言うのに杏梨は結界を維持できなかった。
束の間の時間というのもおこがましく。瞬きの刹那に音は死んでいた。