61話:権天使と熾天使
どうも、一ヵ月ちょっとぶりです。
GWに書き貯めようと思っていましたがやっぱり駄目でした。
次回は六月の更新で会いましょう。
真っ青な空。
雲ひとつない天界において、空を見上げることは空の色を再確認させてくれる一つの指標になっていた。
大理石で出来た浮き島には先の戦いに関わった者たちが集められていた。
しかし、例外的に歌音はここには連れてこられていなかった。適当な理由をつけて保健室に運び、保険医に任せてきてしまった。
だが、それでいい。歌音にはあまり非日常に侵食されてほしくない。危険に犯されるような立場出会ってはならない。芹川の一件があったとは言え、それだけで深入りすることは無いだろう。特に、今回のような戦いが発生するならなおさらだ。
「……いつもならこの椅子に偉そうに座ってるんだがな」
頭を一度切り替え、俺は神の座席を指して言う。これも大理石でできた立派なものだった。
「じ、……神様は何かしらの理由でお忙しいのでしょう。 待ちましょう」
そう、俺達は神から直々に呼ばれたと言うのに、その本人がいないので立ち往生しているのだ。
とりあえずは神の席があるこの大理石で出来た浮島に降り立ったのだが、警備の天使すらいなかった。
ふと、視界の端に空宮の姿を捉えた。
薄く汚れた制服を身に纏い、しかしながらその顔は凛としていていつも通りのようであった。
あの少年の破壊攻撃を受けて気絶していた空宮だったが、スイが偽スイを倒した後に目を覚ましたのだった。その時は少し混乱していたようで天使語で何かを叫んでいたが、あいにく俺には解読不能だった。
しかし空宮は流石智天使と言うべきなのか、すぐに現状を理解したようで、神に連絡をとったのも彼女だった。
その後彼女は度々悔しそうに下唇を噛んでいた様子を見せていたが、俺と目が合うと少し睨んでから顔を逸らすのだった。
そんな事を考えているとバサァッ、と翼が空気を振動させる音を聞いた。
空だった。遙か上空に黒い点がいくつか見えた。おそらくそれは天使で、ゆっくりとこちらに向かってきているようだった。
しばらくして俺の視力でも捉えられるほどの距離になると、それが誰だったのかはすぐに理解できた。
「ほっほっほ、待たせてすまんの」
最早翼なのか光なのか分からない何かを背に生やし、神は大理石の浮島に降り立った。
そして神の座席に着くと、足を組んで髭を撫でる。
続いて一、二……と天使が浮島に降り立つ。
「さっそく今回の件について話そうかの。まずお主らが戦った少年、あやつは魔王の子じゃった」
それは皆知っているらしく、特に動揺は無かった。
「ま、直系ではなく少し外れた特殊な子じゃったがの。だが問題は、─────────裏で糸を引いていた奴らのことじゃ」
神は足を組みかえて。
「前々から水面下で活動をしていた魔王信仰者どもじゃろう。 それは間違いない、ただ、奴らがどこに居るのかが掴めんのじゃ。今も奴らを探すためワシも探索をしていたというわけじゃ」
「それは、本格的に調査が進められたと言うことでいいのですか?」
ミユが言う。
「今までは放って置いたけど、少し危険性が垣間見えたから手を下すことにした、ということでいいのですか?」
念を押すように。
もしかしたらミユは、怒っていたのかもしれない。
「ほっほ……。厳しい物言いじゃの。しかし、それは正しい。見過ごすレベルではなくなった、というのが本音じゃ」
神は困ったように眉を下げ、溜息をついて見せた。
「天界の3億越えに居るのかもしれん、地獄の無法地域に居るのかもしれん。もしかしたら次元の狭間に空間を作ってそこに居るのかもしれん。探すのは困難を極める状況じゃ」
神ならなんとかできないのか? と訊こうとして、止めた。
いや、正確には空から超速度で振ってきた大きな男の着地音という轟音に思考さえも吹き飛ばされたからだった。
突風と衝撃波が一気に押し寄せ、立っていられなくなって顔を覆う。
衝撃波が俺の身体を───────────打たなかった。
目を開けて何が起こったのかを理解しようとして、やはり理解はできなかった。
男は立っていた。しかし、誰かが俺をかばった様子も無く、ただそこに俺は立っていられた。
まるでたった今起きたことが全て幻覚だったかのような、そんな風に。
「権天使エリゴよ、初対面のものに威圧をかけるのはお前の悪い癖じゃぞ」
権天使エリゴと呼ばれた大きな男は、俺を振り返るとニッと笑った。
その彫りの深い顔からは予想されないような少年のような笑みに、俺は唖然としてしまった。
エリゴは大きな男だった。身長は2メートルを超えていると思われ、その身体は筋肉のせいだろう、鎧を纏うがごとくごつごつとしていそうだった。白いローブのようなものから伸びている腕は丸太のように太く、背負っている大剣は白く白く、彼の翼より白いような錯覚を覚えるほどだった。
「がっはっはぁ! 悪い、人間を見るのは久しぶりでな! つい興奮してしまった!」
その大きな身体をのけぞらせて笑う姿は、やはり子供のようだった。
体型は大人以上なのだけれど。
「今日の分の探索結果の報告をしに来たのだが! 出なおした方がよさそうだ!」
「いや、ついでに話せ。 そしてお主も今回の話を聞いて行くといい」
「────────! ───、──────!───────!」
「そうか、分かった」
天使語で権天使エリゴは神に何をか報告をしていた。当然のごとく俺に内容は理解できなかったが、勢いが変わっていないことだけは感じ取られた。
「権天使エリゴ」
唐突に空宮がエリゴを呼んだ。
その場に居る全員が空宮に注目し、ミユだけが目をそらしていた。
「今回の一件、あなた達が援護に来ると聞いていたのだけれど、どういうことかしら」
「お、おうっ! それは、だな、ええと、それは……」
あれほど大きな声で話していたエリゴの語尾がだんだんと小さくなっていく。
「もしかしたら今回は、全滅していたかもしれない。あの魔王の子の暴発が無かったら、確実に私たちは全滅していた。それにも関わらず来なかったのは、……いいえ、私たちが生き残り安堵している時にさえ姿を現さなかったのは何故?」
空宮は続ける。
「それに今、遠征から帰ってきたと言っていたでしょう。それは、どういうことなのかしら」
天使語の会話の内容はどうやら遠征の話だったらしい。
「落ち付くのじゃ、智天使空宮よ。 こやつにではなくワシが悪いのじゃ、手配が間に合わなかったのじゃ。だから、今回が今回のおかげでこうやって本格的な調査が成せるようになったのじゃ」
「っ!」
「智天使空宮よ。お前さんには後で話しがある。だから文句はその時に受ける、いいじゃろうか?」
「……はい」
口ではそう肯定したものの、空宮の顔は納得行っていないようだった。
エリゴも申し訳なさそうに空宮を見て、その大きな身体を少し縮めていた。
「ええと、どこまで話したかな」
「探すのは困難を極めている、というところまでです」
「おおそうか、すまんのミユ。 で、ワシらはそれでも探索を続けるつもりじゃ。おそらく今が一番安全な時期なのじゃ。奴らはスイの力を取り損ねて計画が狂っているはずじゃ、だから少なくとも攻めてくることはないはず。その間にワシらが探し出す、だから」
神は俺達を見渡して言う。
「お主らは普段通りに過ごしておればよい」
「本当に、大丈夫なのですね?」
「ああ、今回はワシ達も本気で動く。人間界には天使を何名か送ろう。心配はいらんよ」
神の眼光が鋭くなり、俺は背中に嫌なものが駆けていくのを感じた。
やはり、彼は神だ。
「ほいじゃ、解散じゃ」
そんな間の抜けた号令に、俺は早速肩を落としたのだった。
先の件の集会が解散した後、空宮は神に呼び出され大理石の浮島の一角、神の住居とも呼べる神殿にやってきていた。
この神殿は神の住居という役割の他に、もう一つ重要な役目を持つ場所であった。
それは天使の階級を昇降させるための儀式場である。かつて空宮は幾度となくここに通った。これまでは階級の昇進のため、そして今日は、………言わなくても分かっていた。
遠い昔。彼女はこの場で誓ったのだ。必ず『熾天使』にまで上り詰めると。それまでは弱音を吐かず、常に強く在ろうと。
あの日大切なものを失った時から、ずっと頑張ってきた。
それはすでに頑張るという言語では補えないほどの活動だった。
ここまで挫折無しにやってきた彼女にとっては、一つの心の支えを砕かれた気持ちだっただろう。
「智天使空宮よ。お主は今回の件で観察対象を危険に晒した、それに違いは無いか?」
太陽光を受けて煌びやかに輝く巨大なステンドグラスを背に、神は言う。一段分高くなった特殊な石で削り上げられた壇上にて神は立っていたのだ。彼女はその一段分低い位置で跪き目を伏せていた。
「はい、確かに私は己の力を過信した結果、観察対象を危険に晒しました」
「では、今回お主が受けるべき処罰はどのようになるか、分かっておるな?」
「…………はい」
「処罰の内容は、『天使階級の降格』じゃ。 と、言いたいところじゃったがの」
は、と空宮は顔を上げた。
本来であればこのような所業は許されないのだが、神はそれを意に介さずに続けた。
「ワシのミスで権天使が派遣されなかったという事態が発生したからの。今回の処罰は無しとする」
「………」
安心感と脱力感が一気に押し寄せ、息をついてしまいそうになるが、その前に彼女の頭の中には今の言葉から導き出される別のニュアンスを読み取っていた。
それは一つの失望という風に表現してもよい。
つまりは、権天使が来なかったから仕方がない、と取られた。
本来であれば権天使がいようがいまいが、智天使である彼女がどうにかしなければならない問題だったのだ。観察対象を守ると言う発令がなされていたにもかかわらず、危険にさらした。その時点で処罰は確定していたのだ。
だが、あえてそれをしなかった。意図があるとすれば、今後は絶対にこのようなことが無いように、という語りかけであるはずなのだ。
あまり私を失望させるなよ、と喉元に刃を突きつけられた感覚だった。
「それにお主。奴の攻撃を受けたのだろう」
「はい」
「よく生きておったの。お主は術の攻撃性、敏捷性、柔軟性、突発性、その他の能力はあるものの、やはり守るのは厳しいのかの?」
「………はい」
彼女の欠点はそれだった。
守ることが出来ない。いや、正確に言うのであれば、守り続けることが出来ないのだ。
攻撃性のある術の展開から発動までは瞬時に、そして継続してできるのに対し、防御に関しては一瞬のものしか生成することが出来ないのだ。
それは彼女が天使となった際の力の制約に基因するもので今更どうしようもないものなのだが、彼女はそれで今までやってきていたのだ。
守れないのであれば同じ威力のものをぶつけて消してしまえばいい。
守れないほど大きな力が襲ってくるのであれば、先に潰してしまえばいい。
そうすることで今日まで生き残ってきた。
そして例外は、今日だった。
「お主が気絶するとなると相当な威力だったようじゃの。やはり、死ねなかったのか」
「はい、約束を、果たすまでは死ねません。どんな過酷な状況下でも、です」
「そうした心のトリガーを用いて生き残れるのはお主が元は──────────────誰じゃ」
不意に鋭い声を発して神は彼女の背後に目をやった。
ぎぃ、と神殿の扉が開き、姿を現す。
「お久しぶりです、神。そして、杏梨も」
現れたのは長身の男だった。
とは言っても権天使エリゴほどではなく、一般的に背が高いと言われるほどの身長だった。
端正な顔立ちをしており、男性だが美しい。武器は一切所有しておらず、それが彼の力の巨大さを示していた。
しかし、そこは注目すべき点ではない。
背に在る六枚の羽。
紛れもなく本物のソレ、それが示すのはただ一つ。
彼が天使階級の最上級、『熾天使』であるということである。