20話:肉塊と共に紡がれた証
予定より一日遅れの更新となりました。申し訳ございません。
これからテスト期間となるので、いつも通りのこの10日に一回程度の更新となると思います。
次回の更新は12月に入ってからになると思います。
みなさん、応援をよろしくお願いします。
それが作者の頑張りとなります;(スミマセン)
堕天使、俺は確かにそう表現した。
まるで天使と悪魔が混ざったかのような存在。明確に堕天使という位置づけがどんなものかは分からないが明らかに天から、神から、見放された者だと理解が出来た。
いや、感覚的に感じ取られたのだ。
「─────────?」
堕天使が何事かを言う。しかし、俺には全く聞き取れなかった。
距離のせいではない、声量のせいでもない。それを言語として聞き取れなかったのだ。
まるでテープを高速再生させたときのようなキュルキュルという音に加え、多少の雑音。
外国語が聞き取れないのとはまた違うような感覚。人間の中には存在しない音感。人が脳で認知することの敵わない音。
その堕天使が放った音を、人間の持てる音感では言語で当てはめることもできないのだ。
異質。この世界であってはいけない現象である。
人が理解することが出来ない存在が近くにあるということ。これ以上の恐怖はない。
俺は堕天使から目をそらせないまま固まってしまっていた。
もしかしたら死を覚悟していたのかもしれない。頭のどこかで何をしようと無駄という警報が鳴っている。
『───────、────』
何かを俺に、伝えようとしている?
それが理解できない、感情も理解できない喜怒哀楽全てが混じっているような表情。
ただ、殺気だけは先ほどからヒシヒシと感じられる。
だからこそ動けない。立つことがままならない。
「─────!」
バヂバヂバヂィッ! と堕天使の右腕が赤黒く染まり閃光を迸らせる。
みるみるうちにその力は球体状になり、天使をそれを頭上に掲げる。俺が両手を広げても抱えきれないような大きな球体は鼓動を始め、黒い閃光を纏わせる。
来る、と思う前に堕天使の手からはその球体が放出されており、俺に向かって恐ろしいスピードで向かってくる。
大気を切り裂き、周りの砂を巻き上げ粉砕し大地を抉りながら俺の命を喰らいに向かってくる。
「あああああああああああああああああああああああああああっ!」
ズガァァァン! と視界が砂煙で覆われた。
身体が引き千切れ、脳漿をぶちまけることは────なかった。
一陣の風が吹き、視界が良好になった。ただ、黒が視界の一点に固定される。
「な、に、が……?」
自分の身体を見渡す。何事もない。
再び目をあの堕天使に移す。しかし、堕天使の姿が見える前にうちの学校の女生徒の制服が目に入った。
「だ………」
「何してるの、早く逃げるわよ」
座りこんだ俺の手を強引に掴み、彼女は羽を広げ飛翔する。
天使のように輝く真っ白な羽を四枚展開させ、赤黒い空に向かって飛び立つ。
「うわわわっ……!」
あっという間に学校の屋上へと連れてこられ、俺は再び腰を落とす。足に力が入らないのだ。
俺を助けてくれたのであろう彼女の顔を見上げる。
強気な炎を灯す瞳に少しウエーブのかかった肩までの髪、俺が会おうにも会えなかった彼女。
俺の手を引いていたのは空宮杏梨だった。
「そらみや、あんり……?」
「っ……。そうね、私は空宮杏梨よ。 た、……あなた、どうしてこんなところにいるの」
「どうしてって……知らない、気がついたらここに居て、それであいつが襲ってきて」
そうだ、あの堕天使はどうなった。すぐにここまで追いついてくることぐらい簡単だろう。
すぐにでも俺を殺しにくるのではないのか。
「それは大丈夫、彼女はあのグラウンドから出ることが出来ないから」
俺の心の中を読んだように彼女は俺に返事をする。
俺はそのことに呆気にとられ、口を開いたままになってしまっていた。
「みっともない顔。 ………早くここから出ましょう」
彼女はそういうと、手を空に向かって掲げ光りの玉を次々と放出して行く。
シャボン玉のようにふわふわと浮かんでは消え、この赤黒い空の色を淡く染めていく。
ガキン! と何かが外れるような音が響くと、空から一筋の光が差し込んできた。
それは数時間見ていなかった本当の世界の太陽の光だった。
「………」
彼女は無言で俺に手を差し伸べてくる。掴まれという合図なのだろう。俺はその手をしっかりと握った。
すると向こうもしっかりと握り返してきた。
柔らかな手だった。普通の女の子の手、しかし俺は分かっていた。
バサッ、と彼女は先ほどのように四枚の羽を展開させる。
そう、彼女は天使なのだ。何故か大きな衝撃は受けなかった。どこかで分かっていたのかもしれない。
またはこの閉鎖空間で現れたことで今理解しただけなのかもしれなかった。
彼女に運ばれ、俺は空を飛んだ。
下を見るとあの堕天使がやはりグラウンドの中央でこちらを見ていた。
その顔は何かを訴えるような顔だった。だが、言いたいことの内容までは理解できなかった。
俺はその堕天使に恐怖しか感じなかった。
命を喰らわれるその瞬間、あの体験は一生忘れないような気がする。
太陽の光に包まれ、俺たち二人はこの閉鎖空間から消える。
地上に縫いつけられた堕天使はただただ、光のムコウへと飛んでいく二人を眺めるだけだった。
次に視界が良好になった時、俺が見たものは現実世界だった。 赤や黒などと言った毒々しい色合いではなく、白や青加えて緑が存在する俺の暮らしていた世界だった。天使に運ばれて戻ってきたこの世界の景色は俺を安堵させるのに十分な効力を持っていた。
再び学校の屋上に着陸し、俺はようやく自分の力で立ちあがる。
目の前には助けてくれた少女、空宮杏梨が立っている。
「助けてくれてありがとうな、えーと。空宮?」
「礼には及ばないわ。そんなことより、あなたはどうしてあんなところにいたのかしらね。気になるわ」
彼女は何故か俺と目を合わそうとせず、どこか他の場所を見ながら話を進める。遠くから俺を眺めていた時はあんなにがっつりと目が合っていたのにどうしたというのだろうか。
今は関係ない話だったな。
「いきなり視界が歪んであっちの世界に飛ばされたんだ。 特に何かをしたわけでもないし……」
数時間前の俺の行動を思い返してみる。特に問題は無かったはずだ。
特殊なことをしたわけでもない、俺はただ水を撒くためのホースを事務室まで取りに行こうとしただけだ。
ふと、何か違和感を感じる。
「そう、特に問題は無かったというわけね。……何かに触れたのかしら?」
空宮が顎に手を当てながらブツブツと何事かを呟いている。
俺は、違和感を感じていた。空宮に対してではない。自分に対してだ。
何かおかしい、気分が? いや、呼吸? 喉? 口?
瞬間、俺は血を吐き出していた。
「ぐぅぅぅっ! おえっ、ッゲホゲホ……。な、んだ……これ」
視界が霞む、身体のバランスが保てない、屋上の固いコンクリートの床に身体を打ち付けて横になる。
「朝浦陽助?」
空宮はそれを不思議そうな眼で見つめている。いつもの瞳で、だ。
慌てるような素振りは見せない、その現象が今ここで起きている、ただそういうことを認識しただけというように眼を瞬かせている。
時間が立つにつれてさらに咳は酷くなり、吐き出す血の量も増えていく。
一体何が起きているのか。俺の身体はすでに血塗れだった。
自分の血に浸かり、温かささえも伝わってくる。しかし、徐々に体温は低下して行く。
俺は、死ぬのだろうか。
意味も分からずに。
「うっ、オゲホゥェッ!」
ひときわ大きな血の塊を吐いた。いや、これは違う?
「な、んだ、これ……?」
霞んだ目でそれを捉えようと力を込める。固体だ、しかし血塗れで何かまでは分からない。
ドクン、と俺が吐いた塊が振動する。肉塊、そう表現するのにふさわしい姿が俺には捉えられた。
ニチャニチャと嫌な音を立てて肉塊が蠢く。縦に亀裂が入り、さらに振動する。
その亀裂が裂け────────中から充血した目が産まれた。
それはこの世のものとは思えないような奇怪なもので、気味が悪かった。
肉塊に目がついた得体のしれない生物。そいつは俺のことを凝視している。
目が離せない。血を吐いて死ぬ恐怖より、このまま見つめられているという恐怖の方が圧倒的に上だった。
「あ、……あああ……」
怖い、怖い。
何が俺をそう思わせるのか、頭の中から直接心へ作用するように、恐怖というものが染み渡ってくる。
目が、その肉塊の目が思いっきり開かれた。
ぶちゅ、という音を立ててその目からは血が流れる。
視線を上に動かしてみると、黒と、彼女の足が見えた。肉塊を踏みつぶしていたのだ。
「朝浦陽助、あなた死にそうね」
なんの抑揚もない声で空宮は淡々と俺に告げる。それはまるで死の宣告のように。
「おそらくあっちの世界で植え付けられたものかもしれないわね、この化物は。寄生者の内臓を食い散らかし、心臓を乗っ取ってそこに生まれる。のちに口から出て誕生。って所かしら。じゃああなた、今心臓が無いのね」
意味は分かっても理解はできなかった。それ以前に頭がぼんやりとしていて物事を考えることが出来ない。
「死なせはしないわ。私がね」
そういうと空宮は陽助の近くにしゃがみ込み、陽助を抱き起こした。
それから息を吸うと、彼女は彼に口づけをした。
唇と唇との距離は0。その時間は5秒間。
彼らは重なっていた。
そう、まるで何かを紡ぐように、何かを。