19話:堕ちてきた水滴
前の投稿から10日経ってしまいました。申し訳ございません。
まだ忙しさが解消されそうもないので、お待ちいただけると嬉しいです。
予想では、また10日後辺りに投稿できそうです。
それでは次話の前書きでまたお会いしましょう。
夏休み中の学校というものはなんだか新鮮で、普段には見られない一面が垣間見える。
例えば、朝から汗水流して部活に励むグラウンド上の生徒たち。同年代とは思えないような体格をした野球部や陸上部が走りまわっている。
こんなに暑い中で頑張っている姿を見ていると、自分とはまったく違う世界がその人たちには見えているのではないかと錯覚するレベルだった。おそらくその人たちが見ている、いや住んでいる世界は俺の世界よりも少しランクが高いのだろう。それはその人たち自身のレベルが高いからで、悲観することは全くないと俺は考えている。
しかし、やっぱり心のどこかでは自分はどうなのだろうと考えてしまう。
同年代が頑張っている姿を見るのをいつの間にか嫌になっていた、そんなこともあるかもしれない。
いわゆる現実逃避と呼ばれるような行動なのだが。
「陽助様……いえ、堕落人間ヨースケさん。何をボーっとしているのですか。さっさと仕事を済ませましょう」
後ろから少しだるそうにミユの声が聞こえてきた。
「何だその命名は……。漫画の題名か何かか」
「どうでもいいです。早く帰りたいのでさっさと」
多少の苛立ちを漂わせるミユの発現に、俺はげんなりしていた。
第一、俺はついて来いとは言っていない。勝手についてきて文句を垂れているのだ。
確かに外がこんなに暑いとは思わなかった。朝はスイが限界を迎えてクーラーを解禁していたので家の中ではそうでもなかったのだが。
「確か校舎裏でしたね。鍵は貰ってきていますか?」
「ああ、さっき職員室行ってきたよ。クーラーガンガンに効いてたぞ……」
「教室にはクーラーが設置していないというのに酷いですね」
「まぁ、こんなもんだろ」
額から流れ落ちる汗を拭いつつ、校舎裏へと向かう。
そう、何故俺は休みの日なのに学校に来ているのか。それは今朝かかってきた電話のせいであった。
いや、せいというのは違うかもしれない。俺が引き受けてしまったのだ。
「花壇の水やり?」
朝、寝ぼけたままの頭で鳴っていた携帯をとると、聞こえてきたのはそんな言葉だった。
どこか焦っているような、落ち着きのない様子で電話の向こうがわの何者かはそう言ったのだ。
耳から携帯を離して、ディスプレイに表示されている名前を確認すると、そこには芹川結穂と表示されていた。
再び携帯を耳を当て、事情を詳しく説明してもらう。
「花壇の水やりが……何だって?」
『そ、そうなのよ。今日の当番が私だったんだけど、急に外せない予定が入っちゃって。出来れば代わりにやってもらいたいっていうか……。そういうお願いの電話なんだけど……』
「そうか……っていうか、なんで俺の携帯の番号知ってんの?」
『ちょちょ、ちょっと! この間交換したでしょ!? 覚えてないほどどうでもいいことだったの……?』
「え、何? なんでいきなり萎んでんの?」
『なんでもないっ! それより、引き受けてくれるの? くれないの!?』
「おおぅ……そんなに叫ばなくてもいいだろ……。分かったよ、やってやる」
しぶしぶ了解すると、電話の向こう側からは小さなため息が聞こえてきた。
そう言えば、どうして俺に頼むのだろうか。……考えてみると、歌音は予定ギチギチだったし同じ委員会の奴らには頼みにくいんだろうと予想できた。芹川の性格だ、自分で引き受けておいて同じ仲間にはみっともないところを見せたくはなかったのだろう。
とは言え、休み中に学校か……。
『あ、ありがとね。じゃ、また今度ね』
「ああ、じゃあな」
芹川からは水やりに対する適当な説明を受け、それからは世間話をすることもなく電話を切った。
ベットから起き上がると、俺の部屋の入口から視線を感じた。
「………」
ミユだった。こいつはまた……。
「何見てんだよ」
「いえ、別に」
「………?」
よくわからない返答だった。毒を吐くこともなく、この場から去ることもなく。
「どこかに行かれるのですか?」
「ん? あぁ、ちょっと学校にな」
「では、私もお付き合いします」
「え……? 何を企んでいるんだ……」
「別に何も企んでいないですよ? そう、何も企んでおりませんよ」
なんで二回言った? なんで二回言ったんだよ!?
もやもやする変な気持ちを抱きつつ、俺はミユを学校へと連れて行くことにした。
スイはクーラーの効いたリビングで下着姿で寝ていたので、毛布を5枚重ねて押しつぶしておいた。
そして今に至るのであった。
校舎裏には、いくつか花壇が設けられていた。花壇のそばにはビニールハウスもあり、なかなか植物を育てるには設備が整っているのではないかと思えた。とはいっても、植物に詳しいわけでもないので本当のところはどうなのかはわからないが。
花壇にはたくさんの向日葵が太陽に向かって咲いていた。
よくもまぁ、こんなにも容赦なく照りつけてくる太陽に向かって背を伸ばせるもんだなぁと感心さえ覚える。
人間にとっては暑すぎて大変だというのに。………天使と悪魔もそうかもしれない。
「すごいですね、こんなにも向日葵が……。 やはり生命を感じさせるものは美しいです」
ミユは向日葵に歩み寄り、そっと葉に触れる。
その光景が俺にはどうも異質に見えて仕方が無かった。
ミユのことをあまり知らない奴が見れば、花の世話をする美少女のように映るのかもしれないが、俺の目には慈しんでいるミユの姿はどうもおかしなものに見えた。
俺が悪いのではない。ミユの日ごろの行動のせいでそう見えるのだ。
だからあれほど普通にしていれば可愛げのある女の子はいないと思う。どうやら神は性格と容姿のどちらもを格別にすることはしなかったようだ。
………『神』という度にあの腹の立つ爺さんが頭の中に浮かぶのをどうにかしてほしかった。
「………どうしたのですか? 何か私でも共感できるような悩みを抱えているのようですが?」
俺は頭を振ってその事柄を追いだすようにして、ミユに返事を出す。
「想像通りだ。それより、蛇口は……あった。 あれ? 肝心のホースが無いじゃないか」
花壇の水やりの方法は芹川から教わった通りにすればよい。ただ、道具をそろえないといけないのだが、ホースが見当たらなかった。
芹川が言うには、ホースは蛇口の近くに束ねてあるとのことだったが……。
「確かにホースがありませんね。もしかしたら事務室の方に片付けられてしまったのではないでしょうか」
「その可能性もあるな……。とりあえずビニールハウスの中の植物の世話からしようか、先に鍵借りてきちまったからな」
「それがいいかもしれませんね」
ビニールハウスには簡単な鍵が取り付けられていた。ドアの部分とビニールハウスの骨組みであるパイプを鍵で留められていたのだ。これが必要なのかどうかは置いておいて、さっそくビニールハウスの中に入る。
中は若干しっとりとしており、湿度は異様に高いであろうことが体感できた。
辺りを見回すと、さまざまな種類の植物が鉢に植えられていた。 三段の棚に所狭しと並べられていて、天井にはスプリンクラーのようなものも設置されていた。
「なんか……結構すごいんじゃないか? 設備とか」
「そうですね。 私、校舎裏にこんな場所があるなんて知りませんでした」
奥の方まで行くと、簡易スプリンクラーの取扱いについての注意書きがスイッチの横に張られていた。
それを確認し、スイッチを入れる。サァァァァァッという音とともに細い雨が降り注ぐ。
簡易スプリンクラーは的確に一つ一つの鉢の上で作動している。 間違っても俺達に降り注ぐことは無かった。
ガウン、と何かが振動するような音がして、雨は止んだ。
先ほどとは見違えるほど植物たちが変わっていた。
雨を受けて元気になったのもあるだろうが、雨の雫が葉や花に付着してそれが太陽の光を反射して煌めいているのだ。
まるで芸術の世界のようだった。生きた芸術、洒落た言葉を使うとそう表現できると思う。
少しの間、俺とミユは言葉を失っていた。
「……本当に、美しいですね」
ミユは表情にこそ出さないが、うっとりとした様子でそう言った。
俺は言葉にしなかったが、心の中でそっと同意しておいた。
「じゃ、次は花壇の水撒きかな。 俺はホースとってくるから待っててくれ」
ミユは返事をせず、花の様子を熱心に観察していた。俺はそれを見て小さく笑った。
ホースを取りに事務室まで行くには、再びグラウンドの横を通らなければならない。
校舎をぐるりと回って、グラウンドの前まで来ると何か異変を感じた。
いつの間にかグラウンドで練習していた野球部、陸上部の姿が見えなくなっていた。
それだけではない、グラウンドの中心が歪んでいる。
夏の暑さで俺がおかしくなったわけでもなく、夏特有の遠くが揺れて見えるあの現象でもない。
捩じれて歪んでいるのだ。
「どういうことだ、これは……」
次に瞬きをした時、俺の見ていた世界は姿を変えた。
空は毒々しい紫色に染まり、学校は廃虚のような造形に姿を変え、葉で生い茂っていたはずの桜の木は枯れ果てていた。
もう一つ。大きな変化があった。
この学校以外がここには存在していなかった。
向こうに見えるはずのビルの群れが見えない。山が存在していない。
外界は全て黒で塗りつぶされて、闇に吞まれていた。
俺はよく分からない閉鎖空間のような場所に飛ばされていたのかもしれなかった。
だとすると、これは悪魔の仕業なのか。この間スイを襲ったような奴らなのか。
俺は拳を握りしめて走った。
急いで校舎裏に戻る。しかしそこにはミユの姿は見当たらなかった。
なんとなくは感じていたが、俺だけがここに飛ばされているのだ。
もし、悪魔が作った閉鎖空間なのだとしたら、対抗する術を持たない俺はすぐに捕まってしまうだろう。
それ以前に殺されるのかもしれない。
暗いイメージを振り払い、自分を叱咤する。
安全を確保するために周りの様子が見える広いところへ向かうことにする。それはすなわち先ほどのグラウンドへ向かうということだ。
もしかしたら元の世界に戻れる何かがあるかもしれない。
そう信じて、また走る。
再びグラウンドに戻ると、やはり中心に何かがあった。
青白く光る何かはここからでは何なのかを見分けることはできない。
近づいて確認しようと、一歩を踏み出しグラウンドの敷地内に入った瞬間、その青白く光る何かが肥大化し、幾何学的な魔方陣のようなものを生み出した。
それはグラウンド全体を覆い尽くし、俺も巻き込まれる。
爆発に似た衝撃に吹き飛ばされ、俺は地面を転がってグラウンドから追い出される。腕が擦り剥けて血が滲んできたが、それよりも俺の目を奪うものがグラウンドには降り立っていた。
そう、俺の目を奪うような者だ。
彼女は所々白と黒が混ざった両翼を、腐敗した左腕と禍々しい右腕を持っていた。
無感情なその眼が、俺を捉える。
想像の上での存在。俺の視線を捉えて離さなかった彼女はまるで、そう、まるで。
堕天した天使のようだった