10話:表情について
人間の感性からすれば、天使と悪魔が共存しているということはあり得ないという風に受け止められる。
相対してその二種族は仲が悪いのだと勝手な想像で盛り上がっている。確かに、実在していることを知らない人間がほとんどなのだからそれは仕方のないことだろう。
ただ、天使と悪魔と言うのは、仲が悪いわけではないらしい。 一部の天使と一部の悪魔がいがみ合っているだけで、特に垣根は存在しないらしい。ここで問題だったのは、一部の悪魔というのが悪魔の上位種だったということである。力で下位種を動かし、一時は天使の住む天界と悪魔の棲む地獄との大きな大戦となったのだそうだ。
それを抑えたのが今の神様。あんな適当な感じなのに実は強かったという話だ。
のちに、大戦を巻き起こした一部の悪魔は封印されて、神様によって天界と地獄は統一。二種族の垣根を無くして天使と悪魔は共存することとなった。
そこで、主はあの神様となり今は平和に過ごしている。ということらしい。
ミユの話は要約すればこんな感じだった。
質問するたびに毒を投げかけられたりはしたが、それはまぁいいだろう。
「と、まぁこんな感じだと思います。 お分かりになりましたか?」
「大体分かった。たださ、人間界に修業に来るのはなんでなんだ?」
「それはアタシが説明してやるぜ!」
意気揚々と椅子の上に立ち上がったスイはない胸をそらして高々と笑い声を上げた。
「『人の心を知り、今後の天使・悪魔としての生き方の糧となるようにする』! それがアタシ達に課せられた修行なんだぜ。 だからとりあえずは学校へ行っておけって話だ」
「なんか、ありきたりと言うか内容の薄い修行だな。しかも終わりが見えなさそうだぞそれ、大丈夫か」
「何言ってんだよ、そのためにお前がいるんじゃねーか! ってことで………これからもよろしくお願いしますぅ……」
「いや、いきなり真面目になってどうするの!? お前はマジでキャラ作りが下手だな……」
「へっ!? ああああ、悪魔が真面目なわけねーだろ!」
「もう滅茶苦茶だな」
「ちなみに、お馬鹿なスイが一度も脱線することなく、噛むことなく説明が出来たのはここに来る前に散々叩きこまれたからと説明しておきましょうか」
「みみみ、ミユちゃ~ん。なんでそんなこというのぉ」
スイが泣き顔になってそんなことを言う。もはや悪魔失格だと思う。
それにしても、やはり天使と悪魔は仲が悪いわけではないのか。 ミユとスイを見ていると分かるが、あいつらは仲がいい。あまり一対一で話しているところを見るわけではないが、部屋も一緒で文句は言わないし、こうやって絡んだりもしている。
俺の中で、やっぱり天使や悪魔に対する考え方が変わって来ている。
これも、なんだか人間と同じことを言える気がした。見た目や偏見でものを言ってはならないというのは
こういうことなのかもしれない。
「で、気が済みましたか? 」
「あ、ああ……。よく分かったよ。 でも、本当に学校へ行くだけでいいのか?」
「それしか今のところは言い渡されていません。 あのジジイも明確に課題をくださればいいんですが」
「あ、もう取り繕うこともしないんだ……」
「何のことですか?」
「いや、いい」
やはりこいつは危ない。
人の心を疲弊させ、潰す力を持っている。 これはこれは危険な力だ。
「そう言えばさ、お前たちってなんか特殊な力とかあんの?」
そう俺が聞いた瞬間、何故か食卓は凍りついた。
ミユは目を閉じ、スイはおろおろし始め、音が消えた。
「な、なんだよ……」
「陽助様、プライベートってご存知ですか?」
「そ、れは知ってるけど」
「ならば、そういうことにしておいてください。でなければ『○し』ますよ?」
「ひぃっ!?」
なんか知らんけど脅されたぞ!? 何がそんなに気に障ったんだ?
ま、まぁこの話はやめておこう。
「なんですかその顔は、早くしまってください」
「顔はしまえるもんじゃねーよ! 」
「大丈夫ですか? 顔が赤くなってますよ?」
「いや、お前が変な突っ込みさせるからだろうが……」
「気持ち悪いところはありませんか? はっ………。すみません、全部でしたね……」
「え、ちょ、なんでお前はそんな暴言はいてくんの!? 」
「違うよミユちゃん! 陽助さんは……カッコイイよ!」
「え?」
「え?」
「あっ」
食卓が静まりかえった。 俺は口を開けたまま固まり、ミユは石造のごとく微動だにせず、スイは目を白黒させていた。
「め、飯にしようか」
「そうしましょう」
「う、うん」
なんだか、ぎくしゃくし始めた。
と、そんなことも夕食を取り終えると忘れしまったのか、それともそれどころじゃないのか皆勉強に打ち込み始めた。普段なら一週間前から始めるとか一夜漬けにするとかテストの前はそんな感じだったのだが、こいつらが勉強をしていると、なんだかこちらも勉強しなければならない気がしてノートを開いていた。居間に三人、机に座ってカリカリと勉強中である。
だけれどもどうだろうか、ミユは背筋を伸ばしたまましっかりと手を動かしているがスイは決まってうーとかあーとか泣き声を上げながら教科書とにらみ合いをしている。
俺は途中からだんだんと飽きてきて、目的は天使と悪魔の観察にシフトしてしまっていた。
チラリ、とミユのノートを見てみるととても綺麗にまとめられていて参考書として販売してもいいんじゃないかと思えるくらいのものだった。
その視線に気付いたのか、ミユは顔を上げこちらを見て。
「何ですか、私の指を見ていたんですか? 指ふぇちでしたんですか?」
「なんでそうなるんだよっ!? お前のノートを見てたんだよ。すっげぇ綺麗にまとめてあるな……」
「天才ですからしかたないですね」
「謙遜とかしろよ……。まぁいいか。ところでスイ、お前は大丈夫なのか」
スイの方へと視線を向けると、やはり机に突っ伏したままでうめき声をあげていた。
「大丈夫、……に見えるぅ? 駄目だよぉ」
「だよな……」
どうやらスイは俺と同レベルの位置にいるらしい。 いや、もしかしたら俺より下かもしれんが。
しかし、これはやはりよくない。 当然のようにミユが頭がよく、俺とスイは罵倒されるレベルの馬鹿であるという展開は御免だった。だからと言って、勉強したところで俺の成績はたかが知れている。
学生の本分は勉強である。
…………だからどうした、って話になるよな。
結果、諦めた。
次の日の朝、いつも通りに時間帯をずらしての登校。俺が学校について数分後、ミユとスイが登校してくるのである。
今日もどうやら登校途中に歌音と合流したらしい。機嫌のいい歌音が俺の前の席に座る。
「今日もご機嫌だな」
「そうだねー。お友達と一緒に楽しく会話しながら登校できたからだよっ。 だんだん仲良しになっていくっていいことだよね! 朝浦君もそう思うよねっ!」
「ああ、そうだな」
昨日よりも若干テンションの高い歌音だった。
そこでふと廊下に目をやると、この間の女子生徒がこちらを見ていた。
少しウェーブのかかった髪に強気な目、出会うと不思議な感覚に見舞われる少女。
「朝浦君? どうしたの、ぼーっとして」
ハッ、と我に返ると歌音が自分の椅子の背もたれに前向きで寄りかかり、こちらを見ていた。
歌音ならあの子が誰なのか知っているかもしれないと、訊いてみることにした。
「なぁ、歌音。 あの廊下に居る子なんだけどさ、誰か知ってる?」
「廊下に居る子?」
歌音が廊下を見据える。しかし、先ほどの彼女はもうすでにそこにはいなかった。
「誰もいないよ?」
「あ、あれ? さっきまで廊下に居たのに……」
この間もそうだった。神出鬼没……とはまた違うのだろうが、いつの間にか現れては次の瞬間には消えているのだ。もちろん、追ったわけではないので、ただここから見えない位置に移動しただけなのかもしれないが、天使と悪魔が俺の家に居るわけだから、無駄に敏感になってしまっている。
「どんな子だったの?」
歌音が訪ねてくる。
「えっと、こう……ウェーブのかかった髪をしていてさ──────────」
一通り彼女の容姿や特徴、雰囲気を伝えた。しかし歌音は頭を傾げて、
「うーん、ごめんね。私は知らないや。 今日の部活の時にでも他のクラスの子に聞いておくよ。 ………で、朝浦君。どうしたのかな、その子が気になるのかな?」
「そうだな………って! 別にそういう意味の気になるとかじゃなくてだな!」
「きゃーっ。ついに朝浦君も女の子に興味を持ち始めたのかなっ!?」
「なんかその言い方は語弊を招くから止めろっ」
そんなとき、遠くで声が聞こえた。
「……朝浦様は男にしか興味が無かった時期があった、と」
「おい、てめっ、ミユ! 変なことを言うな!」
俺がそういった瞬間、クラスの女子軍から反撃を受ける。
「朝浦君! そんな怖い顔でミユちゃんに怒らないでよ! 驚いているでしょ?」
どう見たって無表情そのものですけど!?
「朝浦君! また暴言吐いてるの? 暴力は顔だけにしてよね!」
え、何これ、ミユの毒舌が伝染でもしてんのか!?
「朝浦君! まだミユちゃんに『様』付けで呼ばせてるの? いい加減止めようよ!」
いや違うそれはあいつが勝手に……。
「ちょ、ちょっとみんな、落ち着こうよ。 朝浦君はミユちゃんに怒っているわけじゃないんだよ。顔だって怖いけどこれがデフォルトなの! 様付けは、ミユちゃんが面白いからって。……顔が怖いからって人のすることを全部悪い方向にもって行っちゃだめだよ、顔が悪いからって!」
「歌音、それフォローじゃないし……」
「あわわ……。朝浦君がしぼんでいく……!?」
朝から精神的ダメージで俺の体力はゴリゴリと削られていった。
目から一滴のしずくが落ちたのは内緒である。