【旦那様的視点】
俺は人に無関心と言うわけではない。ただ、誰がどんな仕事をしているとか、お役目は何であるとか、どんな家柄の娘を嫁にもらったとか、世継ぎがどうとか・・・あまり興味がないだけだ。それは、あくまでも誰某を特定する情報でしかない。
問題は、その相手がどんな人柄か、ということだ。
で、そんな俺が今一番興味のある相手は妻であり、妻のことならば日頃から俺の居ない時分、何をしているか気になるし、少しは家事の上達を図っているのかはすごく関心があるし、いつになったら世継ぎが出来るのか、実に実に興味深い。
興味深くはあるのだが、そんなことよりも目の前にいる妻があまりに愛らしく可愛らしく愛しく、時にこの何の変哲もない娘にどうしてこうも胸をかき乱されるのか、我が事ながら些か不思議ですらある。
まぁ、そんな妻の関わる相手には少なからず関心はある。
例えば、妻の乳母子である茜という娘が、我が家にはいる。
彼女が居なければ、我ら夫婦はおそらく餓死してしまう。部屋は散らかりっぱなしで、着る物もろくに変えられない。俺にとっては、自分の家であるにも関わらず、自分の襟巻きがどこにあるのか知らない。急須や湯のみがどこにしまってあるのかさえ分からない。そのくらい、妻は妻としての仕事がろくに出来ず、茜に頼りっぱなしだ。
少し、甘やかしすぎたかも知れない・・・。
そんなことより、茜はおそらく美しい。
おそらく、というのも人の醜美に関しては元より興味も関心もない。それが人を判断する材料にはあまりならないように思うからだ。
しかし、妻を娶り茜も一緒に家に来て、彼女が家の一切をしてくれるようになり、ご近所さんとの関わり出来てから、よくご近所さんから
「茜ちゃん!今日もべっぴんだね」
やら
「茜ちゃんの為なら死ねるよ!」
やら
「うちの倅の嫁にきておくれよ」
など、毎日のように耳にするようになった。
それに気づき、今まではあまり気にしていなかった、茜という忠義者の女中を観察してみると、なるほど、涼しげな目元にすっきりとした鼻だち、いつも上がった口角はほどよく桜色で・・・確かに美しい娘であると気付いた。
加えて、分別がついて家事もそつなくこなすとなれば、嫁のもらい手など引く手あまたであろう。
しかし、彼女は一度は嫁ぎ、三行半を渡されているためが、次の嫁ぎ先を探しているようには見えない。
(まぁ、これだけの器量よしならば、いざというときも苦労はせんのだろうな)
俺は、愛猫のメダカを胸に抱き、茜の働く姿を横目に見ながらそんなことを思ったものだ。
あと、妻の知り合いと言えば妻の通う道場の師範代である水村殿か・・・。
ふむ。あの御仁は実におもしろい。いつも開いているのかどうか分からない細い目でのんびりと縁側で茶をすすっている。妻のことを幼い頃から知っているようなので、まるで娘のように可愛がってくれている。
それが逆に口惜しくもあるのだが・・・。何せ、俺は妻のことについて語れることと言えば・・・うむ・・・。
まぁ、可愛らしいことと、一生懸命で愛らしいことと、意地らしく愛しいことと、あとは、竹刀を振り回すことが好きだということと、思い込みの激しさがピカイチで面白いことと、ちょっと家事が苦手なことくらいだろうか・・・。
水村殿は、年の頃はおそらく俺より少しばかり上、といったところだろう。それなのに、俺よりもしっかりしていて、妻の信頼は篤い。それもなんだか面白くはないのだが、まぁ俺も信頼している人物なので、良いか・・・。
物腰の柔らかな、とても剣術の使い手とは思えない御仁なのだが、いざ竹刀を握り、間合いを取ると、いつもと表情は変わらないのに、彼を纏う空気が一変するのだ。ピリリと緊張感を纏い、見えない壁にぶつかってしまったように圧倒され、踏み出せないのだ。
あんな感覚は初めてであった。
きっと素晴らしいお方なのだろう。
あの方の道場だからこそ、安心して妻を通わせているのだ。
「あぁん!もうっ!」
妻が眉根を寄せ、甲高く声を漏らす。
俺はそれを静かに見返した。
妻はイヤイヤと首を振りながら、小さな拳をきゅっと握り続ける。
「口惜しゅうございますわ!水村様ったら、わたくしごときに手を抜いて下さらないのですもの!」
髪を高く結うと、いつものどんぐり眼がより強調され、いつもより幼く見える妻との、道場の帰り道。妻の竹刀を手に持ってやり一緒に夕方の家路を歩いていたのだが・・・。迎えに行ったとき、水村殿は竹刀を片手に呑気にヘラヘラ笑っていた。妻は竹刀を片手に悔しげに地団駄踏んでいた。まぁ、想像はつくが・・・。
「ねぇ、ご覧になって松太朗様!水村様の寸止めが寸止めにならず、当たってしまいましたのよ!ひどいですわ!」
そう言って、妻は前髪をめくって見せた。
「・・・うむ・・・これは・・・」
俺は何と答えて良いか分からない。
妻の額には、煤のような汚れがしっかりと竹刀の先端の形をしてついている。
丸い広い額は煤汚れで、まるで腕白をしてきた少年のようでもあった。
「水村様、腕が落ちてしまったのですわ。寸止め出来ないだなんて」
俺の言葉など期待している訳ではないらしい妻が、不満そうに口を尖らせる。そのような可愛らし姿をして、一体何のつもりなのだろう。
いやいや・・・。そうではないか・・・。
水村殿の腕はやはり素晴らしい。あの方が本当に寸止めに失敗していたら、今頃この娘の額は血まみれのはずだ。
この煤のあとからして、わざとこうやってこの妻をからかうために竹刀の先につけていたに違いない。
「次は絶対にわたくしの方が勝ちますわ!」
プリプリとした妻が強気に言う。俺はそんな妻の頭に手を載せてやる。すると、妻は驚いたように肩をふるわせて、やっと落ち着いて俺を見上げてきた。
「あ・・・はしたない姿を・・・。申し訳ございません」
我に返った妻が首をすくめてきまりが悪そうに言う。
「いいや、構わん。だが、あまり気にすることもなかろう。水村殿は飄々としたお方だ。そう簡単には適うまいよ」
励ましたつもりが、そうはならなかったようだ。
「弟子はいつかは師を越えるものなのです!何でしたっけ・・・虎の子を谷底に蹴落とす猫?ん?違いますわね、猫を突き落とす虎?」
「・・・獅子は我が子を千尋の谷に落とす、ことを仰っておるのか?しかも、全く関係のない事柄を持ち出したな」
呆れて答えると、妻はパッと顔を輝かせた。
「それですわ!あら、でも何か違いましたか?まぁよろしゅうございますでしょ。とにかく、わたくし次こそは水村さまから一本取って見せますわ」
妻はきゅっと再び小さな拳を握ると、挑戦的な瞳でそう言った。
からかわれているとも気付かず、純粋に頑張る妻の、何と可愛らしいことか。
「織り殿、怪我だけはしないようにされよ」




