前編
休みの日の午後。種屋屋敷の庭でのんびりティータイム。
今日は珍しく紅茶ではなくて珈琲が入っていた。この世界で珈琲なんて口にしたの初めてかもしれない。あったんだ。
紅茶の薫り高い高貴な雰囲気も好きだけれど、珈琲のほろ苦い香りも好きだ。元の世界ではカフェオレとか良く飲んでいたので、珈琲があれば、こちらでも淹れられる。
もっと早く聞いておけば良かった。
そんなに珈琲狂というわけでもなかったから、気にしていなかった。
「マシロは珈琲が好きだったんですか?」
「え」
「なんだか幸せそうに飲んでます」
ブラックは私に切り分けてくれた、カスタードパイをそっと前に置いてくれて可愛らしく首を傾げた。
「大好きってわけじゃないけど、あったんだなーと思って。こっちには紅茶とか、ハーブティーしかないのかと思った。ハーブティーも薬として扱われてるし、一般的に飲むって感覚でもないみたいだし」
「そうだったんですか? 一言いってくだされば、用意しましたよ? 私があまり飲むものに拘らないので……それにマシロは紅茶が好きなのだと思っていました」
もしかして、だから、種屋のキッチンには茶葉が豊富に揃っているのだろうか?
ブラックが好きなのかと思っていた。
違うとしたら、ブラックって……
「ブラックは何が好きなの?」
「マシロです」
来ると思った即答に苦笑しつつ、そうではなくて、と重ねる。
「違う違う。嗜好品。紅茶とか珈琲とか、煙草とかお酒……は下戸だから駄目か……色々あるじゃない? ブラックはそういう好きなものないの?」
「嫌いなものはないですよ?」
―― ……ということはなんだ?
嫌いなものはない。好きなものも、特にない。そういうことだろうか?
「でも、ブラックって料理全般得意じゃない? お菓子だって上手だし」
パイ生地にフォークを突き刺すとさっくりとした感触がして程よい焼き具合を現している。
「私に得意じゃないものなんてありませんよ」
くすくすと普通の人がいえば嫌味にしか聞こえないようなことを、さらりと口にする。嫌味に聞こえないのは本当だからだ。
「今日は朝から、マシロが『身体が甘いものを欲してるー。美味しいものが食べたーい』と叫んでいたので、作ってみただけです。好きかと問われても、嫌いではないとしか答えられません」
私、そんなこと叫んだだろうか……叫んだ、かもしれない。
ここは辺境の町だから、お菓子屋さんなんてない。あるのは精々、生活用品を扱っている雑貨屋さん程度だ。
王都なら大好きなクリムラが近所にあるし、隣接したカフェにあるスイーツも、絶品だ。
「あ」
「ん、何々? 好きなものあった?」
ぱくりと私がパイを頬張ったところでそう零したブラックに私は食いつく。是非知りたい。
「はい、私はマシロが作ってくれたものは好きです」
にこにことそういわれても……プロの料理人にも負けない、寧ろ勝ってしまうのではないかというブラックがいっても真実味はない。
「美味しくはないでしょう」
「食べれなくはないです」
―― ……どーいう意味だ。
ブラックはどうしてこうデリカシーに欠けるというか、時々、馬鹿正直なんだろう? 分かってるよ、私の料理がいまいちなくらい。
「作ってくれたときは一緒に食べてもくれますし、いつもより長くいられます。それに何より毒の心配がないでしょう?」
―― ……毒。
味とか関係ないのね。
美味しいかどうかよりも、一緒に居る時間と何か盛ってないか気に掛けなくて良いというところだけで『好き』だなんて、ちょっとサミシイ。
まぁ、正直、美味くはないのでそこらへんは仕方ないけど……もし、好きな料理とかあるなら、練習しても良いと思ったのに、凄く残念。
「え、ええと、あの、もしかして、駄目な回答でしたか?」
私の薄い反応に、駄目と判断したのかブラックがしょんぼりと問い返してくる。耳が不安そうにふわふわと揺れている。
―― ……可愛い……もう耳しか見えない。
「ううん。別に、駄目じゃないけど……もし、あればと思っただけだよ」
ごにょごにょと告げて、珈琲を口に運ぶ。そんな私にブラックは不思議そうに瞳を瞬かせ首を傾けた。
「あったら、マシロはもっと私を好きになりますか?」
「え?」
「それなら、何か考えます。嗜好品、ですよね……嗜好品……やっぱり、マシ」
「私は、飲食物ではありません」
「食べても美味しいですよ? 十分に香味や刺激を得られます」
「間違いですっ!」
ブラックの馬鹿な発言に、ぐぃっと珈琲を煽る。うっ、一気飲みするべきものではなかった。熱くなくて幸い……。
「間違いじゃないですよ、今すぐにでも食べたいくらいです」
にーっこりと微笑んだ、ブラックに気持ち後ろに下がる。今日はテーブルを挟んでいるのだから距離はあるはずなのに、目の前で見つめられてしまっているような気になる。
「そそそ、そーいえば! ブラックって、猫以外にもなれるって聞いたんだけど、本当?」
「……話に脈絡がありませんね? そんなに焦って、可愛いですよ」
くすくすと笑われて、ぱぁっと頬が熱持つのを隠すように、ぐりぐりとパイを苛めていると、ブラックがカップにお代わりを注いでくれた。
「それで? 誰情報ですそれ」
「ん? テラとテトに聞いたの。この間、獣族の話になってね、私てっきりあの二人はウサギになれると思ってたから」
両手を頭に添えてぱたぱたとすると、ブラックがくすりと微笑んだ。
「彼らは他のものより、ほんの少し素養を見る目に優れているだけですよ。それで、それがどうかしましたか?」
「え、どうもしないけど、なれたら凄いなーと思っただけ。いや、喋る猫になるだけでも凄いけど」
「凄い? 凄いということは、マシロがもっと好きになってくれるということですか?」
ブラックって、感情的な部分で、特に馬鹿だよね。
本気で思ってるのかな?
いや、そもそもブラックが冗談をいっているのを聞いたことがない。
常に本気だ。
その証拠に、私の返答を心待ちにしているようで、尻尾がぱたぱたと揺れている。
可愛い。
ブラックは可愛い。
多分、猫じゃなくても可愛いと思う。
おかしい、これだけの美形なのに、可愛いと思う。そう、連呼したくなるほどだ。
「マシロは、猫より兎が好きなんですか?」
いいながら、ふわりと姿を消した。消したというよりは小さくなった。テーブルの上に、白くて長い耳がひょこひょこっと覗いている。
私がきょとんとしていると、小さな手がテーブルに掛かってひょこりと可愛らしいウサギが顔を出した。
「ウサギだ」
『兎好きなのでしょう?』
「犬は?」
『……犬、ですか? なんだか従順すぎて馬鹿みたいで私は好きではありませんが……』
ぶつぶついいながら姿を変えてくれた。今度は大型犬だ。しかもかなりスタイルの良いダルメシアン。すっと長い尻尾をぱたぱた振って傍まで寄ってくれた。
「すごーいっ!」
『凄くありませんよ。こんなの役に立ちません』
「猫は役に立つの?」
ハクアのように膝の上に頭を載せたブラックを撫でながら問い掛ける。ブラックは、顔を上げて鼻先を犬らしく擦り寄せたあと、ふわりといつもの猫の姿になって、私の膝の上に飛び乗る。
『役には立ちませんけど。最初に猫だといいましたし、マシロにとってそれが、私“らしい”でしょう? それに、マシロが優しくなります』
「普段から冷たくはないよ」
『でも撫でてくれるのは、やっぱり猫のときです』
それは、まぁ、頭が高い位置にあるし、撫でる、なんてイメージない。
「ウサギでも、犬でも撫でるよ……鳥とかでも飛べるし便利そう」
『鳥にならなくても飛べますし、それに飛んだりするより、直接移動したほうが早いです』
マシロが好きならなんにでもなりますよ、と続けて、今度は七色のインコになった。綺麗だ。