エミルサイド―3―
―― ……もし私が死んだらどうする?
きゅっと唇を引き結ぶ。
マシロはなんて怖い台詞を簡単に口にするんだろう。
僕が死んでも代わりなんて幾らでも用意できるけれど、マシロだけは無理なのに……。
誰かの死を怖いなんて思ったことはない。
でも、マシロの死を思うと途端に怖くなった。
失うのが怖ければ何も得なければ良いとさえ、思っていたこともある。
でも「何も持たないということは、貴方だけには無理です」とラウ博士がはっきりと告げた。それが王家の素養だと……一人になるのは無理。絶対に……何かを背負わなくてはならない。だからこその苦しみから早く解放するために、粛清されていくのかもしれない。
僕が消えたら、マシロは悲しむだろうか? 泣いて心を乱してくれるだろうか?
「どうかな」
自嘲的な笑みが零れる。マシロには、ブラックが居る。
それほどまでに、僕のためにまで心を乱すことはないだろう。
そっと、マシロの手を取り指を絡める。いつもなら、マシロの手の方が暖かいのに、今はもしかしたら、僕の方が熱いかもしれない。
……僕がもし死んで落胆するような人物……カナイとか、アルファとか? シゼ、とか、……でも、シゼはまだ何からも縛られる必要はないから、ちゃんと迷わないように用意してあげないといけないな……それにしても、ぱっと思い浮かぶ面々が同性ばかりというのも、なんか虚しくなってくる。
僕の周りの女性なんて、痛めるほどの心なんて持っているのだろうか? 王宮で出会う女性は皆同じ顔をして、同じような態度を取った。
僕でなくても同じ。“王子”に対しての対応。教育の行き届いた使用人も同じ。みんな同じで……僕にはもう違いなんて分からなかった。
台詞も全て、決まっているんじゃないかとさえ思えた。数パターンの台本を読み上げているようなものだ。
だから、僕の対応も同じ。
本当に馬鹿馬鹿しい……。
マシロは、どうして、自分が好かれるかわからないって? 好きにならないほうがどうかしている。
天真爛漫で、奔放。楽天的かと思ったら、妙に後ろ向きだったり、悩んだり。でも、マシロが、頭を痛めるときは、大抵、他人のことだと知っている。
自己保身ではなくて、誰かを思って、心を痛める。
そんな人間僕の周りには居なかった。獣族に居るとも到底思えない。
そんな規格外のマシロを、愛さずには居られない。誰にも変わりは出来ない、誰とも違う。
最初は、日の光の下に咲く花のようだと思っていた。けれど、月明かりの元で、花を咲かせることが出来るかもしれないと気がついたとき……いつか、手放さなくてはいけないとも思った。
それでも僕は……
「……き、だよ。好き……大好き」
だから早く、その目を開けて大丈夫だと微笑んで。僕の声に微塵も反応しないマシロに、胸が痛む。痛いのを通り越して潰されてしまうように苦しい。
好きなんて告げれば、いつもなら、顔を真っ赤にして怒るのに、青白いまま生気がない。
僕の配慮が足りなかったから。
いくら猛省しても足りない。
ぎりっと唇を噛み締めると、ちりっとした痛みが走った。傷口を確認するように触れれば赤い染みがつく。大した傷じゃない。
ぺろりと舐め取ってしまえば、止まる程度だろう。
「あ」
ふと、キスをしてしまったことを思い出した。ふわりと触れた唇の柔らかさを思い出して、身体中が、かぁ! っと熱を持つ。
握っていた手を離して頭を抱える。抵抗されないことを良いことに、何度も重ねてしまった。
非道すぎる……。
やっぱり、まずかったかな? マシロ、怒ってるかな?
朦朧としている女の子にそんな風にするなんて、ずるいとか以前の問題のような気もする。
頭を抱えた腕の間からマシロをちらりと見る。
唇の色も少し青い。
今触れたら、少しひんやりとしそうだ……。
それを確かめるように、もう一度触れたいと思う欲求を抑えるのが大変だ。
「―― ……マシロが可愛いのが悪いんだよ……」
はぁ、と一つ溜息。同時に解いた腕でもう一度マシロの手を握る。
あんな風に、マシロを抱き締めたのは久しぶりだった。
優しくて甘い香りがして、暖かく、心地良かった。肌に触れるような、声の震動まで心地良くて、身体がじわりと熱を持って……やっぱりそれも心地良く幸福感に満たされた。
「本当に……」
どうして、ばかりが溢れてくる。
お願いだから、どうして好きなのかなんて聞かないで。そんなことを聞くくらいなら、僕に嫌いになる方法を教えて欲しい。
「……頼むよ」
返事はない。なくて良い。
この部屋から二つ月が明るく見えなくて良かったと、ほんの少しだけ思った。
* * *
翌朝。
サボろうとするアルファをカナイに預け授業に向わせて、僕は、ふと依頼を思い出して、ギルド事務所に向うことにした。枯れたら二度手間になる。アルファが限度なく持ち帰ってくれたから……。
サンプルとってもまだまだ余る。
平皿に盛る程度で構わないのに……バケツ山盛りいっぱいでもまだ溢れそうだ……。
適当な量をケースに入れ、残りはラウ博士の研究室へと持ち込んでおいた。笑顔で迷惑を表すことができるラウ博士は、凄いと改めて感心する。
まあ、今更その程度、気にしないけど。
そして戻ってくると部屋の前で、シゼに会った。シゼは「もう元気そうですよ?」と微笑んでくれる。
目が覚めたんだ。
薬を処方し飲ませてくれたシゼにはお礼を告げて別れた。その背中を見送ってドアノブを握った手を見つめる。
嬉しいのと、気恥ずかしいのと申し訳ないので、少し緊張する。
すー、はぁ……と、一つ深呼吸。ぐっとノブを握る手に力を込めて扉を開いた。
「大丈夫?」
僕を見たマシロの顔が、笑顔で本当にほっとした…… ――
* * *
マシロに安静を告げて外に出た。熱くなってしまった身体を冷やすために、庭に出る。頬に触れるといつもよりずっと熱い気がする。
赤くなってたりしないかな?
マシロの言葉に一喜一憂している恥ずかしい僕に、どうかマシロが気付いていないと良いなと思い、そっと唇に指を添える。
ほんの少しだけ、忘れてくれていても構わないと思ったキスのことを、覚えてくれていて、嬉しいと思ってしまった。
覚えていても拒絶されなかった。
嬉しい……まだ、僕はマシロの傍にいることが出来る。冗談をいえば、過剰に楽しい反応を返してくれる、友人というよりは、ほんの少しだけ、異性を感じてもらえるもどかしい距離だけど、あれで終わりにならなかったことが素直に嬉しい。
君と二人だけで、居ることは叶わないけれど、手を伸ばせば届く距離は許される。もう少しだけ、少しだけ……どこがギリギリのところか分からない。けれど、それを試す気にはなれない。
踏み込んだら最後。
もう二度と戻れないかもしれないから。
僕はとても臆病でズルイ男だと痛感する。
でも、きっと……太陽なら許してくれる、よね。永遠にあれほどまでに美しい月と出会うことは、ないのだから。
振り仰いだ空は今日も変わらず晴れていた。