第五話:少年参加のジンクス
「あはは、仲良くサボってたんですねー? シゼー」
一体どこから生えてきたのか、ふっと現れたラウ先生に私たちは揃って驚きの声を上げた。
ラウ先生は、胸の前でゆるりと腕を組んで、いつもと同じように微笑んでいるけど、この人もやはり腹の底が見えない。
「戻ってこないから、自分で取りに行こうかと思ったんですけどー、仲良さそうなのを見つけたのでその気が失せました。シゼはこの資料を集めてきてください。今日中です」
にっこりと笑みを深めて、ラウ先生はぴんっと指を弾くと、シゼの手の中に一枚の紙切れを出現させた。半分に折られたそれを広げると、びっちり、文字が並んでいる。
シゼはその文字を上からぶつぶつと読み上げつつ立ち上がると「何とかします」と頷いた。
前見て歩かないと危ないよ、と声を掛けると、ああと顔だけで振り返り
「今日の夕食はご一緒しますから、エミル様にもそうお伝えください」
と片手を振って告げ、お約束通り「あ、痛てっ」と目の前の木にぶつかってから、シゼは立ち去っていった。
その後姿が見えなくなってから、私も当初の予定通り部屋で休もうかと思ったら、今度はシゼの座っていたところに腰を降ろしたラウ先生に引き止められた。
「もう少し詳しくお話しましょうか?」
にーっこりと告げられた台詞に私は一瞬なんのことか分からなくて首を傾げた。
「シゼも、きっと知らないでしょう。でも、賢い子だから肌で感じているかも知れませんけど、シゼの母親は娼婦だったんです。あの手の騒動は、王宮では少なくないのですけどね……王位継承順位第一位の王子だったので、かなり揉めましたねー。あのときの、第二ターリ様の顔といったら……鬼の形相という言葉をそのまま体現した感じでしたよ。納めるのも大変で……あまり大事にならなかったのは、幸か不幸か、その子自身に王家の素養が備わっていなかったからですけどね。それにしても、シゼの母親は酷い罵られようでした」
本当にお気の毒です。と、重ねた割りにラウ先生はそう思っているようにも見えなかった。
「でも、素養を見るのは七つじゃ」
「それは形式的なものです。まぁ、子どもの素養は不安定な場合もないわけではありませんが、持って生まれたものは対象がいくつであってもあまり変わりませんよ」
「あー、居た居た! マシロちゃーんっ!」
真面目な話? を、していたのに上から降ってきた声に遮られる。
声のしたほうへ顔を上げると、二階の渡り廊下からアルファが身を乗り出してぶんぶんっと手を振っていた。今行くからちょっと待ってて、と続けて私が頷くと、
「よ……っと」
―― ……すと、ん。
降ってきた。降ってきた、降ってきたぁ?!
図書館はどの棟も天井が高い造りになっているから、二階とはいえ地上から五メートル以上はあると思う。それなのにアルファは、階段の段差を飛び越えるのと同じくらい軽く、両手を腰ほどまでの柵に掛けて、床をとんっと蹴るとそのままひょいと降りてきた。
「アルファ、きちんと階段を使わないとマシロが吃驚してますよ?」
「あ、あれ? ラウさん居たの?」
「……居たの? とは随分ですね、居ましたよー、ずーっと。折角マシロを独占していたのに邪魔をするんですね」
私は、何度か二階渡り廊下部分とアルファを交互に見て「大丈夫なの?」と今更声を出す。タイミングを逃した大丈夫の台詞に、アルファはぷっと吹き出したあと「ヘーキです」とにこりと無邪気な笑みを見せる。
天使みたいな顔して、背中に羽でも生えてるんじゃないの。
「でも、危ないといけないから駄目だよ。それに落下地点に人が居たら大惨事だし」
ぶつぶつとお説教してから「何か用事?」と訪ねると、アルファはちらりとラウ先生を見て肩を竦める。
「取り込み中なら良いです」
「構いませんよ。もう腰を折られたのでまた次の機会にでも……」
ラウ先生がいい終わる前に、アルファは「ですよねっ!」と私の腕を取って引っ張った。
その強さに、よろよろと立ち上がり足が釣られる。去り際ラウ先生を振り返ると呆れたように笑いながら手を振ってくれていたので軽く頭を下げた。
「あっはー。もうね、マシロちゃんが初級階位から居なくなってから大変なんですよ。絶対、あのちびっ子、僕を目の敵にしてます」
どんっと作業台の上に懐かしくも感じる大きな瓶を置きアルファは愚痴った。
「ちょーっと居眠りしてただけで、コレですよ。一人でやるには多いし、面倒だからすっぽかそうかなと思ってたんですけど、偶然会ったシゼにマシロちゃんが暇だって聞いたから探してたんだ」
「ふー……ん。これは腎臓だよねぇ……乾物になってるけど。これどうするの?」
「やだなぁ、乾燥させたら次は粉にしなきゃじゃないですかー」
あははと笑いながら、私に乳鉢と棒をさっと手渡す。
手伝えってことだよね。
私は、はあと嘆息して椅子に座ると作業を開始することにする。どうせごねたって最後には手伝うことになるのは目に見えてる。
流石マシロちゃん! 話が早い。とか何とか持ち上げながらアルファは紙や天秤を用意している。
ていうか役割分担おかしいだろ。普通私が量るほうに回らない? ……いっても無駄だよね。受け取った時点で負けだ。
私はある種の負けを認めて、密封されているガラス瓶の蓋に手を掛ける。あ、あれ? こんなに硬かったかな?
「開けますよ」
うぬぬーっと頑張っていると、後ろからアルファの手が伸びきて、私の手の上から手を重ねるとぐぃっと力を込める。
びくともしてくれなかった蓋はあっさり開いた。
「三十と、五十とを二十ずつと、十五を十用意しないといけないんです。頑張ってくださいね」
……いや、頑張るのはアルファだろ?
再びがっくりと肩を落として、作業に取り掛かる。
それにしてもさっきはちょっと吃驚した。アルファは小さいってイメージが強かったけど、手も身体も私よりずっと大きいし力もある。
そりゃそうだよね。良く考えなくてもアルファは騎士だ。体格は良くて当たり前って、そのうちムキムキマッチョとかになるのかな……。いやぁ、アルファはそのままが良いな……天使の容貌でマッチョって……有り得ない。
「……あの、マシロちゃん。さっきから百面相してますけど……そんな楽しい作業ですか?」
「いや、別に」
顔を上げたらアルファと目が合って思わず噴出してしまった。突然笑われて不満そうな顔をするアルファにごめんごめんと謝って話題を変える。
「そういえばね、今日はシゼが夕食一緒するっていってたよ」
こつこつと乳鉢の中身を粉々にしながら振った話題に、アルファはぴたりと手を止めた。どうかしたのか? と、手元を見ていた顔を上げるとアルファは何か考え事をしているようだ。
「僕、別に怒られるようなことに心当たりないなぁ……カナイさんかなぁ?」
「どういうこと?」
「え、あ、ああ。シゼがね一緒するって大抵エミルさんに怒られるときなんですよね。でも、僕エミルさんのスイッチ押すようなことしてないしなぁ……」
マシロちゃんは、もちろん心当たりないですよね? と振られて、別れ際のことを思い出す。あれ……かなぁ?
「私、かも、知れない」
恐る恐る口にすると、なんだか確信めいてくるようで怖い。けど、でも……いい訳とか考えといたほうが良いのかな? でもエミルからは逃げ切れるとは思えない。
私の血の気が引いたのを察したのか、アルファは「ま、まあ!」とワザとらしく声を上げる。
「偶然! 偶然、一緒したくなったのかも知れないですし! べ、別にエミルさんが怒ってるかどうかなんて、統計的に高確率なだけで」
「アルファ……全然フォローになってない」
はぁと二人の溜息が重なった。