第四話:マリル教会と陽だまりの園
まだ少し胸がざわついている。
恐怖とか不安とか…そういうのじゃなくて、一種の予感だ。
よく分からないが彼に触れられるのは危険な気がした。
なんだか酷い疲労感に襲われて、私は部屋で休もうと自室へと足を進めていた。その途中、すっかり木々は寂しくなってしまっている中庭で、光合成をしているシゼを見つけた。
「シーゼ! さっきは引き止めてごめんね?」
呆けていたシゼに、ひょっこりと顔を覗かせたのに、シゼは眉一つ動かすことなく「いえ」と締めくくる。
相変わらず可愛くないなー。そう思いつつも、隣失礼。と、本人の許可もなく私はシゼの隣に腰を降ろした。
「……何かいってましたか?」
「誰が? 何?」
「ロスタです」
やっぱりロスタが引き止めたのは聞こえてたんだ。
「何もいってないよ。シゼはロスタと知り合いなの? 友達?」
最初にシゼと同じくらいだろうな、と思ったからきっと年も近いのだろう。私の何気ない質問にシゼは逡巡し「友達」と呟いたあと、苦い笑みを零して首を振った。
「貴方は、彼らがマリル教会の者だと知ってますか?」
「う、うん。知ってるよ」
頷いた私にシゼは目を丸くした。
そのあとあからさまに怪訝な表情に戻って「貴方みたいな人、僕は嫌いです」と失礼なことを口にする。まあ、シゼには良くいわれるから今更だ。
「貴方のことだから、また何も前知識なく歩み寄ったのでしょうけど、他人とのそういう係わり方は危険です。誰も教えてくれなかったとか、甘えないで下さい。ここは図書館です。世界の全てが記録されている場所です。探せばマリル教会についても、陽だまりの園についても、多少なりの知識を得ることは可能なんです」
ご尤もです。
私はぐぅの音も出ない。
思わず黙した私をシゼは冷ややかな瞳で見詰めて、細く長く呆れたような息を吐く。
「マリル教会は、白い月を信仰し『美しいとき』を広める活動を主とする非武力団体です。青い月を信仰している蒼月教団には、そのご神体として種屋の店主が代々宛がわれています。しかし、マリル教会にはご神体と呼べるほど、具体的な何かはこれまで一度も存在したことはありません。彼らは聖女の降臨。生誕を信じ世界の奇跡を集めています」
私が自分で学ぶのを待つより、自分で説明したほうが早いと思ったのか、そうしたほうがエミルたちのためにもなると思ったのか――多分後者だけど――シゼは丁寧に説明を始めてくれた。
「陽だまりの園は、そんな教会が寄付により維持している孤児院です。今は昔ほどの数は居ないといいますが、それでも捨てられていく子どもたちはゼロではない。力のない子どもは自分の力で生きていくことも出来ず、出会う大人に翻弄されます。そんな子どもたちを保護し、十五歳まで面倒を見てくれます。日々の糧を与え、安心して眠る場所を提供し、最低限以上の教育を施してくれます。僕も、九つまで園に居ました」
真面目に話を聞いていたら、最後にそんなことを付け加えるので、私は必要以上に驚いた。え、あ……と、動揺のあまり次の言葉が出てこない私に、シゼは僅かに笑みを零した。
「僕は五つで母に捨てられました。でもまぁ、僕はましですよ? その辺りに置き去りにされたわけではなく、教会の前までは一緒でしたから……」
なんと声を掛けて良いか分からずにいると、シゼは「そんなことは良いんです」と勝手に切り上げて話を続ける。
「その教育を一手に引き受けているのが、レニ司祭です。レニ司祭のお父上が今の司教様ですが、実際にマリル教会を仕切っているのはレニ司祭だと思っても良いでしょう」
ふんふんとシゼの説明に頷き、私は質問するために「はい!」と挙手する。シゼはその様子に呆れたような顔をしつつ「どうぞ」と促してくれた。
ノリは悪いが、切り捨てられないだけマシなのだろうか? ま、良いや。
「ねぇ、シゼ。聖女なんてものに祀り上げられたらどうなるの?」
「どう、とは?」
「私にとってそれは不利益なのかな? 駄目なことなの? だから、エミルたちやブラックは私をマリル教会から引き離してたんだよね?」
重ねた私の質問を笑われるんじゃないかと思ったら、シゼは思っていたよりもずっと真摯な態度で考えてくれた。
ややあって「不利益かどうかは……」と、口を開いたシゼに、うんうんと頷く。
「貴方の望みによると思います」
「私の、望み?」
「種屋店主や、エミル様たちは、貴方が自由であることが、貴方自身の望みであると思っています。しかし、もしこの根本的な部分に擦れ違いがあったとするなら、貴方がマリル教会と関係を持つ持たないにも変化があると思います」
どうですか? と話を振られて、私は唸る。
もちろん、自由で居たいというのは間違っていない。でも少しくらいなら、私に出来ることがあるならやっても良いとも思う。
「恐らく」
黙った私にシゼは長く息を吐いて、話を続けてくれる。
「貴方が聖女としてマリル教会に上がったら、今の生活は出来ないと思ったほうが良いでしょう。彼らは貴方を離しはしない。監禁までとはいかなくても、軟禁状態くらいは確実ですね」
「……そんなこと」
「あります。彼らはそれほどに目に見える奇跡を。白い月の化身の存在を欲しています。マリル教会は非武力団体ですが、その存在は思いの他、強い影響力を持っています。その要になっているのは『陽だまりの園』です」
シゼの真意は分からない。
自分を捨てた親のことをどう思っているのか、そのあと過ごしたはずの陽だまりの園のことをどう思っているのか……私には全く読み取ることが出来ない。
ただ、淡々と説明してくれるシゼは切ない。
「陽だまりの園では、とても優秀な人材が輩出され各要の役職に食い込んでいます。彼らにとって司教や司祭は絶対です」
「シゼ」
思わずシゼの話を切った。シゼは「はい?」と不思議そうに私を見た。
「あ、あの。うん、ありがとう。良く、分かったよ」
「マシロさん?」
「あの、ごめん。私が知らないばかりに、シゼにこんな話させて、何か、ごめん」
余りにも淡々と話を進めるシゼに無性に申し訳ない気分になった。そんな私にシゼは益々首を傾げる。
「貴方が何を思ってそんな顔をするのか、僕には分かりかねますが、僕は別に教会に置き去りにした母を恨んではいませんし、暫らく生活していた陽だまりの園を悪くも思っていません」
「え、そうなの?」
あっさりとしたシゼの見解に、私は物凄く間の抜けた声を上げたと思う。シゼはその様子に深く嘆息する。気を使ったのに、失礼な奴だ。
「僕は唯、この世界の住人なら大抵は知っている話を貴方にしたまでです。この程度の話、誰に聞いてもしてくれます。まあ、多少なり僕のほうが詳しいかも知れませんけど」
シゼは最初に会ったときから、可愛くないお子様だったけど、それは年月を重ねて可愛くない少年になってしまった。
寄った眉が戻らない私にシゼは笑った。
シゼが、あの、シゼが笑った。
すっと姿勢の良い気品ある花が開くように綺麗に……。
「うちの母もマシロさんくらい図太くて、雑草みたいだったら良かったのかも知れないですね」
前言撤回。
褒めてない! 褒めてないよねっ! いうに事欠いて人のことを雑草扱いするとはっ!
ひくっと頬を引きつらせた私にシゼは「すみません」と詫びたけど、悪いとは思っていない証拠にまだ肩を揺らしている。
「これはエミル様もご存じないかも知れないのですけど……僕の父は王子です」
「え、ええっ?!」
「母は宿屋で働いていて、そこで出会ったそうです。でも事情があったらしくて……まあ、今思えば母を王宮に踏み入らせることの出来ない、いい訳でしかありませんけど……彼は城に戻り、母は仕事を続けた。そのあと、生まれた僕を王宮へと上がらせようとしてくれたんですけど、門前払い。僕に王家の素養が僅かでもあれば良かったのですが、僕には、この薬師の素養しかありませんから……認めるわけないんです。母は傷悴しきって、僕を教会に残し王都を去りました。だから今、彼女が生きているかそうでないのかも僕は知らない」
ふっと空を仰いだシゼの横顔が余りに綺麗で、私はまた泣きそうになった。
元の世界の十四、五歳なんてまだまだ親の庇護の下で馬鹿をやってる年齢なのに……シゼは自分の足でしっかりと立っている。
「本当は……本当は、種屋店主に尋ねれば母の生死なんて直ぐに分かるんです」
上げていた顔を不意に下ろして、くしゃりと前髪を掻き混ぜ片手で顔を覆ったシゼは続ける。
「種屋は、全ての種の管理をしなくてはならないルール。つまり、全ての死を知っている唯一の人。僕は、それすらはっきりさせる勇気を持ってないんです」
腕の間から、ちらりと見え隠れする口元が苦しげに引き上げられ、無理に笑おうとしているのが分かる。私は思わず手を伸ばし、シゼの頭をわしわしと撫でた。シゼの肩がびくりと強張ったが遠慮なく続けると、途中でぱしりと弾かれた。
「ちょ! もう! やめてくださいっ!」
全く、子どもじゃないんだから。とか、ぶつぶついいながら乱れた髪を整えているシゼに、何となく優しい笑みが零れる。
シゼは、エミルがいうように本当に良い子なんだろうなと納得してしまった。
「まぁ、そんなわけで貴方のことをとやかくいえる立場じゃないんですよ。本当は! 僕自身が事実を知ることから逃げているんだから、貴方が何を知らなくても、知ろうとしていなくても……」
それでもまだ微笑んでしまう私に居心地悪くしたのか、シゼは子どもらしくなく咳払いなんかして「話し過ぎました」と不機嫌そうに口にする。
「でも話してくれて有難う」
「……マシロさんって、変な人ですよね?」
折角、素直にお礼をいってやったのに、虚を吐かれたように、きょとっとしたあとの言葉がそれ? 思わず、引きつった頬を撫でながら
「シゼって可愛くないよね?」
付け加えると、思わずお互いに笑いが零れた。