第四十五話:女の子だって欲しがります
「遅い」
私の独り言は誰にも捕まえられることなくあっさり消えていく。
基本的にブラックが姿を見せるのは週末の夜だけど、それ以外にもちょいちょい顔を出していたのに、あの日から一度も来ていない。
第六感的な予感はないから悪いことが起こっているわけじゃないと思うけど、私だって会いたいと思うことくらいある。というかこのところ重たい出来事ばかりだから、ちょっとくらい癒されたい。耳とか、尻尾とかさ……だからこの距離は物凄くもどかしい。
苛立たしく何か暇を潰すことはないかと部屋をうろうろといったり来たりしていると、どんっ! と、ぶつかった。
「ちょっと遅いんじゃない?」
そっと両肩に手を掛けてくれる人物はもちろんブラックだ。
それ以外がこんな風に遠慮無しに人の部屋に現われたりしない。
あからさまに不機嫌な調子でそういった私に八つ当たりされたブラックは、気分を害することもなく穏やかな調子を崩さない。
「いつも通りだと思いますけど」
「遅いの!」
自分でも理不尽極まりないことくらいは分かっているけど、怒られても仕方ないくらい当たってるのも分かってる。
でも、そんな刺々しい私とは対照的に、ふわりと空気が柔らかく揺らいだ。
そっとブラックの唇が頬に触れる。
「そんなに恋しがってくれるとは思ってませんでした。何かあったんですね?」
ブラックは大人だ。
本当に憎らしいくらい大人だ。
やんわりと問い掛けられて私はブラックの胸に額を押し付ける。王宮でのこととか話したらブラックは激高しそうだ。私に対して大人だけど、私のことになると暴走気味だから。
私は小さく笑って首を振ると、顔を上げ、くんっと背伸びをしてブラックの首に腕を絡ませるとそのまま引き寄せて口付ける。私からこんなことをすれば、何かあったといっているようなものだけど、きっと触れないで居てくれる。
その予想は外れることはなくブラックは、私の口付けに応える形で、ゆるりと私の身体に回した腕に力を込めた。
何度も口付けを重ねると、もっともっとと欲張りになる。
どうやら私は自分で思っていたよりもずっと寂しかったらしい。それがおかしいのか制止を感じさせない唇の触れる距離でブラックは囁く。
「寮ですよ?」
そんなことは分かってる。分かってるけど
「や……もっと」
離れたくない。
その気持ちのほうが勝った。
それに皆が戻ってくる時間はもっと遅いし、今日は週末で私が居ないのは分かっているから戻ってこない可能性のほうが高い。
深く口付ければ了承を得たとばかりにベッドに押し倒された。
普段掛かることのない二人分の体重にベッドのスプリングがギシリと軋む。
そんなこと気にならないとばかりにブラックの首に腕を巻きつけ引き寄せる。
私に応えるように口付けを重ね、そっと離れると頬や瞼、こめかみや耳、首筋に軽く唇を寄せ、抱き締められる。
僅かに掛かるブラックの体重が心地良い。
真綿に包まれるようにゆるゆるした愛撫が心地良い。
―― でも、これってなんだか……。
宥められてるみたいだ。
もっともっととしがみついていた心がやんわりと凪ぎいてくる。
「……ブラック?」
「落ち着きました? 寂しい思いをさせてすみません」
はたはたと五月蝿かった心臓の音が、少し落ち着いている。凄く近い距離にドキドキはするけどがっついていた気分は治まっていた。
「それで、どうしました?」
長い指で私の髪を梳き整えながら問い掛けられ、私は短く唸る。
「大したことないよ。大したことないんだけど……王宮に行ったわ。陛下や王妃様、エミルのお母さんにも会ったし」
思い出すと胸が苦しくなる。
カナイに強いのか弱いのか分からないといわれた。
私自身分からない。私は強くありたいと思うし、そのつもりだけどこうしてブラックに甘やかされると自分が凄く弱いんだと実感する。
続きを口に出来ない私にブラックは優しく微笑んで、私の前髪を、そっとかき上げると唇を寄せる。
「マシロは優しいですから、きっと沢山の影響を受けたんでしょうね」
可哀想に。と、続けて、大丈夫、もう、心配ないと重ね緩く優しく抱き締めてくれる。
「……ところで、マシロ、本当に一人暮らしをするんですか?」
「うん」
「良い物件は見つけましたし、今中を弄っているんですが……見に行きますか?」
「ううん。良いよ、任せる」
心地良さに瞼を落として頷いた。なんだかほっとして眠くなってくる。
私、疲れてたのかな?
「私は物凄く心配です。出来ればあまり他人と関わらせたくありません。マシロは優しいです。お人よしだし騙されやすいし、だから、今よりきっとずっと沢山傷付くこともあると思いますし……何より寂しいですよ?」
「大丈夫だよ。ブラックも居るし……慣れるよ、きっと、すぐ」
なんだか少しブラックに違和感を感じながらも、私は無性に瞼が重くて、抗えなくてゆっくり深く落ちていく。
遠くなる意識の中でブラックが何か呟いたような気がしたのに拾えない。
傍に居られて嬉しいはずなのになんだかとても切ない気持ちが、ぽっと灯った。
次に私が目を覚ますと家に戻っていた。
いつものブラックの寝室で目を覚ますと隣には誰も居ない。
窓にはまだカーテンも掛かっていなくて夜空に浮かぶ二つ月が窺えた。私は眠い目を擦りながら身体を起こし、ベッドから這い出ると欠伸をかみ殺して部屋を出る。
向かった先はもちろん書斎だ。基本的に家主はここに居る。
扉の前で人の居る気配を感じて私はぼんやりしたまま扉を開けた。机に向かっていたブラックは私の姿を確認して「おはようございます」と微笑んでくれる。
そしてその日は家で食事を取って普通に休んだ。
我ながら良く眠れるなと思うけどなんだかとっても疲れが出ているのか眠りが深かった。