第四十二話:薄灰色の事実
ややしてエミルが「マシロ」と呼びかけたので振り向くと、エミルはまだ窓の外を見ていた。でも、私の視線には気が付いたのかぽつりと問い掛ける。
「これは、僕の独り言でちょっとした愚痴だから聞いたら忘れてくれる?」
多分、確実に忘れないだろうけど、聞かなかった振り、忘れた振りくらいは出来る。
だから私は「分かった」と頷いた。
その返答にエミルは僅かに口角を引き上げたあとふぅっと息を吐いてから話を始める。
「ナルシルの徽章の話を聞いたなら、それが王妃の流れを汲んだものであることも聞いたよね……」
私はこくんと頷いた。
エミルはこちらを見てはいなかったけれど、きっとガラスに映っていただろう。そのまま話を続けた。
「ナルシルは、きっとアセアの子どもだ」
「っ」
思わず息を呑んだ。
「急にアセアの体調が崩れたのもその所為だと思う。メネルがアセアはこの生においてやるべきことは全うしたといった。だから、きっとそうだと思う。僕にはそれを確かめる勇気も問う勇気もない。でもきっと間違いないと思う。王妃は、王家の素養に取り憑かれてる。相手は恐らく王家の素養を持った近親者だ。王族間ではこれまでも時折あることなんだけど、許されることじゃない。ルール違反でもあるけれど結果としてもあまり良いものではないんだ。血が濃すぎるから」
「で、でも、アセアはまだ子どもで」
思わず口を挟んだ。
エミルはやっとこちらを向いて、とても、とても悲しそうな顔で微笑んで首を振った。
「ここでは十七歳で大人だし、王家の人間、というよりは素養を持った人間はもっと早くから大人として扱われるんだ」
驚きを隠せない私の瞳から逃げるように、エミルは視線を外して「それにどちらにとってもココロは関係ない」と繋いだ。
―― ……心は関係ない。
つまり好きとか嫌いとかそういうのは、どうでも良いということだと私は理解した。
「じゃあ、どうしてそこまで無理を押したのにナルシルは捨てられないといけなかったの?」
「生まれて直ぐ素養が確認出来なかったからだと思う。王妃は機が熟すのを待つことにしたんだ」
「でも! ナルシルは路地裏に捨てられてたんだよ。レニさんがいうにはとても危険なことだって……」
私はあまりのことについ、エミルに責任があるわけでもないのに食いついてしまった。
エミルはそんな私にゆっくりと説明してくれる。
「こういうのを良く思わないものも多いから、妨害に在ったんだと思う。少し前アルファを通してその類の話があることは耳に入っていたんだ」
そういえば、前に騎士塔に居たときに王宮騎士の人とかに呼び出されてたな。
そのあとエミルに伝えないといけないことがあるって、アルファがいっていたことを思い出しあの時かなと納得する。
「どちらにしても王妃は出来る限り長くアセアを生かし、そしてその命が尽きたときその種をナルシルに与えるつもりだと……そう、思う」
強い素養を得るのは出来る限りあとのほうが良い。潰される確立が減るからね。と、付け足したエミルはまるで自分のことを指しているようだった。
テーブルの上で緩く組まれていたエミルの指先に、ぎゅっ、と力が入って僅かに震えていた。私は居た堪れなくてその手を覆うように重ねる。
「エミルは違うよ」
エミルは違う……重ねたけど、私はどうしてそんなことを口にしたのか良く分からない。
私でも良く分からなかったのに、驚きに目を瞬かせたエミルは意味を解してくれたようで、落ち着き安堵したように、ふっと口元を緩めた。
「うん。そうだね。僕は違う。僕の話じゃない。あの人に必要なのは王家の素養ではなくて自分の傍を決して離れない人形だよ。自分に似た……優秀で忠実だった兄のような。だから僕は素養を閉じられていて、隠されていて……そこまでしたのに、それなのに、僕は城を出た。あの人が作った籠から逃げ出したんだ。僕はセルシスじゃない。僕は」
「エミルだよ! エミルだよ。エミルだから……お願い、泣かないで……」
強く。強く。
私はエミルの手を握った。
エミルはいわれるまで気が付かなかったのか、大きく瞬いた瞬間、はらはらとテーブルを濡らした雫に動じた。
「っ、あ……ご、ごめん。格好悪いな。どうして泣いてるんだろう」
慌てて私の手の中から手を抜き出すと顔を拭う。
「別に哀しいわけじゃ」
「哀しいんだよ。哀しくないわけないよ……エミルは哀しいんだよ」
重ねて私は、椅子から腰を上げて腕を伸ばすとエミルの頭を撫でた。
本当は抱き締めてあげたいくらいだったけどそれはきっとやっちゃいけないことだから、私は何度も何度もエミルの頭を撫でた。
エミルは項垂れたまま素直に撫でられる。
「本当……格好悪いな……」
「良いよ。独り言でしょう?」
笑って答えてあげると、エミルは「そうだった」と肩を揺らした。