第四十話:貴方は誰かの一番ですか
ここは王城。
お二人には敵わないまでも、降りかかる火の粉くらい払えます。と、エミルの部屋から庭園へ出るまで供をするといったカナイとアルファをあっさりと切り捨てて、私はメネルと二人夜の庭に出た。
とっくに日は傾いていて辺りは暗くなっていたが、庭の散歩道には両脇にほんのり明るい明かりが灯っていて、ゆるゆると道を照らし出していた。
空にはいつもと変わらない二つ月。
今日は星がとても多く見えるような気がする。私たちはある程度城から距離をとってから話を始めた。
「アセアのことは本当は仕方ないんです。星の定めたもの。私たち姉妹はこの終わりを知ってます。ですが、お兄様には受け入れられなくて、足掻いて……可哀想です。変えられない運命があることを十分にご存知なのに」
柔らかくなった空気を再び冷えさせるだけの効果のある話題だった。
「で、でも、ほら、ハクアの血液があれば特別な薬が出来るんでしょう?」
わたわたと言葉にした私にメネルはふっと空を仰いだ。
私にはどれが何の星なのか分からない。
分からないから綺麗だな、と、思うだけで済むけれど、星を詠むメネルにとってこの星空は壮大な預言書みたいなものだろう。
やっぱりとても重いのだろうか?
「そうですね。少しは生き永らえることでしょう。しかしアセアはこの生を既に全うしています。やるべきことはやった。彼女が世界に蒔く種はもう蒔き終わったんです。あとはそれが育つのを待つばかり」
そう呟くメネルの潔さが哀しくて、その姿が大切な人と重なって私はぽつと呟いた。
「メネルも動じないんだね」
「え?」
「妹さんが……ってなったらエミルみたいなのが私の居たところでは普通だよ。藁にも縋るってやつでね。何でも良いの。どうしても生きていて欲しい。どんな形でも生きてさえいてくれればって……そういうの、シル・メシアではあまりないね。命がとても軽い。ただ流れていく時間の上に、あるだけの存在。流れていく時間に刻まれるのは一つまみの特別な人間だけ」
「貴方もその一人ですよ? マシロ」
「んー、どうかな? 私は唯の人だよ。何も出来ない。ブラックが居なかったら言葉も通じなかったし、居場所もなかった。私は運が良かっただけじゃないのかな?」
あのときは決して自分の運が良いなんて、微塵も、思えなかったけどね。と、付け加えると自嘲的な笑みが零れる。
「大体ここの世界の人はちょっと変だよ。美しいときなんて乙女チックな話信じているくせに、白い月任せでしょう? 美しいときなんて曖昧なものよりもっと現実を、今あるものを見るほうが堅実的だしそれに本当は皆もう持ってるのに気がつけないのはその所為だと思うんだけどなぁ」
と、そんな話をこの世界の、しかも、星詠みをしている女の子に話す私もどうかと思うんだけどメネルは凄く真面目に聞いてくれている。
そして、やれやれと嘆息した私に慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「マシロは優しい世界の住人だったのですね」
「……少なくとも他人に命を奪われる可能性は低い世界だと思うよ」
どうしようもない答えに私は苦い笑いを零した。
そんな私を見てメネルはやんわりと話題を変え問い掛けてくる。
「ケレブ様に付けられた傷は癒えそうですか?」
ケレブ=ターリ様の話を持ち出したメネルに驚いたら、ふふっとお上品に微笑まれる。
「え、と。アルファに助けてもらったから私に傷は付いてないよ……。アルファのほうが被害者だと」
ごにょごにょと続けた私の胸をメネルの綺麗な指先がぴんっと弾いた。
「ここのことです」
メネルの瞳は全てを見通しているようだった。
私は、その瞳から逃げるように顔を背けて「平気ですよ」と答える。メネルは何かをいい掛けて、一度止めると変わりに「少しだけ昔の話をしましょうか?」と切り出した。
もちろん駄目なわけないから私は頷いた。
「私も何分生まれる前の話ですから詳しくはないのですが、ケレブ様はそれはそれはお美しい美姫だったそうですよ。一時は陛下からの寵愛を一身に受け輝いておられたとか……」
確かに綺麗な人だった。
今は病んでいる風ではあったけれど健常であれば今も尚輝いていると思う。
「その勢いは何故彼女が第一ターリに据えられなかったのかというところにまで及んだ……」
「え?」
「それほどまでに陛下に愛され慈しまれる存在であるケレブ様が第五ターリであるのはおかしいと異議を唱える声も上がっていたということです。その波の所為で私たちの母とケレブ様にはどうしても和解出来ない蟠りがあります。しかし、ケレブ様には他のターリ様より圧倒的に足りないものがあったんです」
時折、空を仰ぎながらメネルは丁寧に御伽噺をするように語り聞かせてくれる。
「後ろ盾やもともとお持ちの地位が低かったんです。王侯貴族よりも民間に近かったケレブ様の地位は他のターリ様を差し置いて数字を上げられるようなものではなかったんです」
「ケレブ様は一番になりたかったの?」
私の素朴疑問にメネルは緩く首を振った。
「数字など形だけのものですから、ご本人はそう気に留めることなく穏やかにお過ごしになっていたそうですよ」
だとしたら、やっぱりセルシスの死がケレブ様を変えた一番の原因なのだろうか?
「ケレブ様が、少しずつ変わられたのは陛下のお渡りがなくなってからです。何が原因なのかご本人はもちろん分かりません。ただ陛下からのご寵愛が冷めたのだろうと噂されたり何らかの手回しがあったという噂もちらほらとしていたそうですが、どれも決定的というのは遠かった。それまで一身に受けていた愛を感じられなくなったケレブ様は塞ぎこみ、徐々に二人の王子へと執着するようになった。しかしそのときには既にセルシスは城に上がっていましたしその偏った愛情はお兄様に注がれ変質した愛情がセルシスに注がれていたと……そう、私は傍のものに聞きました」
とても、とても……寂しい人だったのだろう。
寂しくて哀しくて苦しくて、全てが疑わしくて孤独で……そう思うと、とても苦しくて私は胸元をぎゅっと握り締めた。
「ケレブ様の内包した闇はとても、とても深いものになってしまった。色々なことが複雑に絡んでしまって、もう解くことは困難なほどに……。王宮はそういうところです。煌びやかに見えてその内側はとても深い闇に皆覆われている。お母様も既に長く病んでいらっしゃる。それに気がつくものは少なくて誰もが見て見ぬフリをする。素養に支配されているこの大きな籠は全体が病んでしまっている」
ふぅと嘆息して夜空を仰いだメネルは、ふいに顔を私に向けてにっこりと微笑む。
「私、次の王陛下の代に賭けています。少しずつきっと少しずつ変わると思います。私は王陛下にはエミル兄様をと思っています。ですが、お兄様はそれを望まれないかもしれませんし、現第二継承順位を持っておられるハスミ様、第四継承順位のキサキ様。お二人ともその瞳は外へと向けられている。どなたが上に立たれても上位継承順位の皆様はお力沿えしてくださることと思います」
ゆっくり穏やかに、明るい未来を夢見て言葉を紡ぐメネルは、やはりどこかエミルと似ているなと思う。
本当に、そうなると良いのだけど……。
「なりますよ。なります。今の世には貴方が居る。私はマシロに会ってこうしてお話して、より強い確信を持ちました。」
というかいつものことだけど、私の疑問や不安は垂れ流しなのだろうか。
「私は」
「マシロはご自身を過小評価し過ぎる傾向があるようです」
メネル。
見た目に反して強引だ。
とても強引に自分のペースに引き込むタイプで、私は総じてこういうタイプに弱い。
「それならそれで、私、ではまだお付き合いが浅いですね? お兄様や、カナイ様、アルファ様貴方の傍に居てくださる皆様を信頼されてはどうですか? マシロはそういうの得意そうです」
にこにこっと無邪気に笑ってくれるメネルにつられて「それなら出来る」と私も笑みを取り戻した。
エミルが、この二人をとても大切にしているのも分かる気がする。
まだ皆幼い頃、三人でよく学んだといっていたエミル。
きっと、自分の大好きな絵を描き、大好きな星を語り、そんなキラキラした二人を見守るエミルが居て……穏やかで優しい時間だったと思う。
私にもこんな妹が居たらきっと可愛くて仕方ないと思う。
ちょっぴり臣兄の気持ちも分かるかも。ま、私はこんなに可愛い妹ではなかったと思うけど。ふふっと零した笑いにメネルは優しく微笑んで、続けて「ねぇ、マシロ」と切り出した。