第二十八話:狼と猫と私
「ところで、どちらで行うんですか? マリル教会は崩壊寸前ですよね?」
「俺が直した。寸前じゃなくて崩壊してた」
なんだか微妙にやつれた感じでそういったカナイにブラックは軽く笑って「それはご苦労様でしたねー」とあっさり流した。カナイは苦々しく眉を寄せて話を続ける。
「直したんだから、マリル教会を使う。ほんっとーに大変だったんだぞ、原型を留めていない上に元の形も知らないものを直すなんて芸当」
「図書館にはマリル教会建造時の資料も合ったでしょう? それに貴方なら、そのくらいちょっと頑張れば大したことじゃないでしょうに……鈍りましたか?」
「微塵も手伝わなかった奴にだけはいわれたくない」
「私はマシロの看病で忙しかったんです」
きっぱりいい放ったブラックに、はぁと深く嘆息してカナイが突っ伏す。んー、結果的に私が悪いのかな? やっぱり。取り合えず謝っとこうと謝罪すると、いいってという風に片手をひらひらと振られた。雑談中ちらりとエミルの様子を窺ったがどこか上の空な感じだった。なんだか妙な不安が募る。
「それじゃあ、僕たちはまだ明日の準備があるからレニ司祭を護るにせよ裁くにせよ情報が必要だからね」
かたんっとエミルが席を立つと、それに続く形でカナイとアルファが椅子から立ち上がる。それなのに私は座ったままで、もう彼らと並ぶことは無い。そう痛感させられたような気がした。気遣わしげにブラックが名前を呼んでくれるけれど私はそれに応えることが出来ない。
「無理させて御免ね。今日はゆっくり休んでいて」
そういって微笑んでくれたエミルを見上げていたが、それに気が付かない振りをしてエミルは「明日ね」と踵を返してしまう。
こんなの変だ。
「エミル」
掛けた声に気付かない振り。だって、今まで一度だってエミルが私の声を聞き漏らすことなんてなかったのに……エミルは誰の声だって聞き漏らさなかった。振りなんてらしくない。
きゅっと拳を握って立ち上がると隣のブラックに「少しごめんね」と詫びた。ブラックは諦めたように嘆息して「どうぞ」と肩を竦める。
一度だけ深呼吸して、お腹に息を溜め込み叫ぶ。
「エミル!」
人が居なくて良かった。居ても気にしないけど。これで聞こえないとかいうなら補聴器を勧める。足を止めたもののそれでも振り返り難そうなエミルの肩をカナイとアルファが叩いた。私は机から抜け出して、エミルに歩みを進める。
「エミル、エミルはエミルだよね?」
たった一つの素養が目を覚ましたか眠ったままかだけの違いで、これまでのエミルが根底から変わってしまうなんて有り得ない。
「もちろんだよ」
諦めたのか振り返ってくれたエミルはそういうけれど私を見ない。
「私はあまり難しいことって分からないけどさ、エミルがそんな顔をしなくちゃいけないならやっぱり何とかしなくちゃいけないと思う。私に出来ることないかな?」
「マシロにやって欲しいのは明日の会に参席してもらうことだよ」
突き放すようなエミルの言葉に胸が痛む。もっと上手にエミルの気持ちを解いてあげられれば良いのに、上手く言葉が思いつかない。やっぱり私は駄目だな。
「それは王城の人がそういってるんでしょう? エミルの言葉を借りるなら、役目。だよね? そうじゃなくて、エミルに私がしてあげられることはないかっていってるんだよ」
「ないよ」
早かった。即答過ぎて一瞬頭で理解出来なかった。その所為で軋み始めていた心に直接止めとなる楔を打ち込まれたようだった。
「王子様。私の姫を泣かせないでもらえますか?」
「今のはエミルさんが悪いですよ」
「いい過ぎだろ?」
いつの間にか傍に来てくれていたブラックが私の肩を優しく叩く。いわれて頬を拭うとまだ泣いているなんて状態ではないけれど、確かに視界が緩い。泣いたりしたら大変だとごしごしと顔を拭う。
「良い、良い。私の食いつきすぎだよね。確かにエミルはエミルだよ。変わるわけないし、ごめんね。引き止めて、私も明日レニさんがこれ以上辛い思いをしなくて済むように頑張るよ! レニさんも頑張ってきたんだし」
声に出してみれば確かにその通りだと思った。思ったのに、全員の視線が私に集まっている。なんだろう? 居心地悪いな。ハクアまで遠巻きに驚いているようだ。
「ふ、ふふ」
エミルが堪えきれないというように零した笑いを皮切りに全員に笑われてしまった。カナイには「ほんっとお前って馬鹿だよな」とばしばし頭を叩かれる。そんなに叩くとミソが出る。やめてよ! とカナイの手を弾いて睨みつけるが、正直これがいつも通りだ。そして、ふわりと大きくて優しい手が私の頭に乗っかって「カナイは乱暴過ぎ!」とエミルが窘めつつ私の頭を撫でてくれる。そう、これがいつも通りだ。
「マシロが望むようになるように僕も頑張るよ。彼がそうしてきたように……。あ、でも、お互い無理はしないようにしように、ね?」
優しい声でゆっくりとそういってくれたエミルはようやくいつものエミルだ。優しくて人のことをたくさん考えてて、考えてる人たちが自分のことで苦しまないように自分のこともちゃんと大事に思える強いエミル。
私は強く安堵して「うん」と頷いた。
「まあ、マシロをいじめたんだから命が消えないギリギリを永遠に味わえば良いと思うけどね。個人的には」
そして、ちょっと黒いエミル。
「エミルって絶対私より悪役向きですよね?」
面白いからほっときますけどと三人を見送りつつそう零したブラックに私は苦笑した。
ブラックにしつこいくらいに休むようにといわれたので、それに従おうと食堂をあとに自室までの廊下を並んで歩いていた。そして、さっきのツボはなんだったのかと聞こうとしたら次はハクアに声を掛けられた。
促されて外回りで自室を目指す。中庭を突っ切れば良い話だから別に構わないし、誰も踏みつけていない雪の上に新しい足跡を刻むのは楽しい。ざっくざっくと跳ねるように足跡を付ける。
「マシロ」
もう一度呼び止められ、私は後ろに居たハクアとブラックを振り返る。ハクアはちらりとブラックを見て、二人で話がしたいといったのだけどブラックはそれを許さなかった。
「えー……っと、私はブラックに聞かれて困るようなこともないんだけど、ここじゃ、拙いかな?」
ブラックを説得するのは面倒そうなので、取り合えずハクアが折れないか確認してみた。ハクアは少し間をおいて「主が構わないのなら」と頷いてくれてほっとする。でも、私はいつまでハクアの主で居るんだろう? ふと疑問が浮かぶと、ハクアの話の内容はそこだった。
「話途中になっていた契約を交わして欲しい」
そっと私の頬に触れてそう紡ぎだすハクアを見上げて、なんだか凄く昔のことを思い出すように私は唸った。
「……えーっと、確か、血の契約がどうというあれ?」
首を傾げて問い返した私にハクアはそうだと頷く。
「でも、あれはハクアが仲間を探す為にってことだったんじゃなかったっけ? だとすれば、私への義理立てなら必要ないよ? もう、心配事がないのなら前までのハクアの生活に戻ったほうが良いんじゃない?」
白銀狼は王都にまで降りてくることも、ましてや人間と係わって生きることも殆どなく長い一生を山で過ごすと聞いていた。だから、ハクアがこの王都に住み続けるという選択は酷な様な気がしたし、私はハクアに無理を強いるつもりもない。
「命を助けたお礼と思うなら、もう十分返してもらったし。元々私はハクアを連れて帰ると駄々をこねただけで、運んでくれたのはアルファだし、そのあとハクアを助けたのはエミルだし……一緒に住めるようにしてくれたのはブラックだから、私は結局何もしてないに等しい気がする」
いってみると本当にその通りだ。するすると頬を撫でるハクアの指がくすぐったい。にしても本当に金銀妖瞳って不思議だな。左右瞳の色が違っていても世界は同じ色に見えるのかな?
「こうもいったはずだ、主は私自身が選びそして従う。私はマシロに付き従いたい。貴方の短い生が尽きるそのときまで……」
そういえばカナイが白銀狼は二百年とか平気で生きる話をしていた気がする。とすれば私の一生なんて本当に僅かなものだろう。白銀狼の長すぎる一生の中で少しくらい違う世界を見せて上げられるなら、と思いつつも僅かに迷いちらりとブラックを見る。ブラックは面白くないという顔をしていたが「マシロの好きにして構いません」といってくれた。
改めてハクアを見上げて「良いよ」と頷くとハクアは綺麗な瞳を細めて鋭い犬歯の覗く口を僅かに開いて私の首筋に触れ……る、かと思ったら触れなかった。
―― ……ゴリゴリゴリ
「この至近距離で発砲されたくなかったら、離れてください」
ハクアのこめかみに銃口を押し付けたブラックは引き金を引いていないのが不思議なくらいの形相だった。
「ブ、ブラック?」
「マシロも抵抗してください」
「え、でも血の契約とやらに必要なんじゃないの?」
「確かに必要ですけど、厭らしく首筋に傷をつける必要ないでしょう。白銀狼との血の契約は、主従関係を結ぶ相手の少量の血液を持って交わされるはずですよね?」
ハクアは突きつけられた銃口にひるむこともなくにやりと口角を引き上げた。
「確かにそうだが? だから席を外せば良いといったんだ」
「抜け抜けと……」
「え、ええっと!! つまりっ! 血がいるだけなんだよね? 私が指先でも切れば良いね! うん、そうしよう。それで解決だよ。だから、二人とも睨み合わない! ブラックは銃を仕舞って!」
勢い良く二人の間に割り込んでそう纏める。ブラックは私の言葉に、まだ納得はいかない雰囲気だが銃は消してくれた。そして、私の頭を抱え込むように抱き締めると外側に来た右手だけをハクアに受け取らせる。
「あまり深い傷を付けないで下さいね! 私以外がマシロに傷を付けるなんて」
深い深い溜息。ていうか自分は良いんだ? といってもブラックは絶対に私に傷なんてつけないだろうけど。
なんて考えていると右手の中指に暖かく柔らかな感触が纏わり付く。私からでは見えないけれど恐らくハクアが私の中指を口に含んだのだろう。嫌悪感はないけれど、これから傷が入ると思うとちょっとだけ怖くて自由になる左手でブラックをしっかりと捕まえる。下準備でも整えるように、ゆっくりと舐められ、きゅっと瞳を閉じ息を詰めるそれと同時にちりっと鋭い痛みが走った。
「……ふっ」
息声が漏れブラックを掴む腕に力が入り身体が強張る。大丈夫、直ぐ終わりますよ。と耳元で囁かれ気を逸らす為か耳殻をつっと舐める。次は変な声が出そうになってそれを堪えるのに必死だ。
最終的に、吸われている感触がなくなっても私の手を離さないハクアにブラックが切れる形で、血の契約は終わった。
なんだかどやどやしてしまったけど、本当はもっと整粛な儀式なのではないだろうか?もめている二人を眺めつつそんなことを考える。気を使ったのか付けられた傷は殆ど目立たなかった。