第二話:外からでは分からない・入ったからといって分かるものでもない
木戸をくぐると、一瞬にして空気が変わったような気がする。
目に痛いほどの白壁に囲まれた聖地のような場所だと思った。
前を行く彼を追い掛けながら、きょろきょろと辺りを見回すが、目に入ってくるのは建物の白とそこかしこにある木々や芝生の緑だ。
常緑樹ばかりが植えてあるのだろうか。
図書館の中庭の木々は葉を失っているのに、季節感がおかしくなりそうだ。
大聖堂も聖地と呼ばれそうな荘厳で清浄な場所だったけれど、あそこは建物自体も装飾過多だったし、古さがその雰囲気をかもし出しているという感じだった。
でも、ここは違う。
何の装飾も施されることのない柱に囲まれた白い空間。
染み一つ、ヒビ一つ、ないその姿が、まるでこの建物全体の時間が止まっているように感じさせる。
気を抜いたら、自分自身もその空間に取り込まれてしまうような気までしてくる。そんな、おかしな空気に少し飲まれそうになる。
「あ、あの……」
なんだか少し怖くなって声を掛けると、前を歩いていた彼は「はい?」と振り返る。
丁度、目的の場所へと辿り着いたのか彼が肩でぎっと押し開いた扉の先には、青々とした芝生が茂った庭が現れて、子どもたちの声が飛び込んでくる。
「あーっ! 先生だーっ!」
そんな叫び声を筆頭に、わらわらと子供たちが集まってくる。年齢層も幅広くシゼくらいの子が一番年長さんのようだ。
「赤ちゃんどうしたの? その子もお迎え待つの?」
彼の腰辺りくらいまでしか身長のない女の子が、彼の服を掴み背伸びをして腕の中の赤ちゃんを覗き込もうとする。その様子に、そっと腰を屈めた彼は「そうですよ」と頷いてから、赤ちゃんの産着の裏辺りを少し弄って、白く小さな包みを引っ張り出した。
そんなものがあるなんて気が付かなかった。
「この子はお腹が空いているようです。ミルクを上げてもらえますか?」
いって見上げてきていた女の子に、そっと赤ちゃんを託す。
私でも上手く抱くことが出来なかったのに、大丈夫かと不安になったが杞憂だったようだ。女の子はこくこくと頷いて上手に赤ちゃんを抱えると、他の数人と一緒に建物の奥へと消えていった。
その姿を見送ったあと、彼は赤ちゃんから外した小さな包みを開く。
中からは何か小さな細工物が出てきた。細かな細工の施してある綺麗なものだけど、赤ちゃんが飲み込んでは危険な大きさだ。
「それはなんですか? 私、全然気が付かなかった」
籠の中には拾ってくださいとしか……と、続けた私に彼は笑みを深めて、手の中に納まった物を私に見えるように差し出してくれる。
それを指先で掴んで日に翳すとキラキラと光を乱反射して眩しい。
「見覚えありませんか?」
「え? ……いえ、特に……」
どこかの徽章とかなのかも知れない。問われるとどこかで見たことあるような? 首を捻ったが、私には行き当たる先がなくて首を振った。
そんな私に彼は、そうですか。と、微笑んで頷く。
「それは、きっとあの子の身元を示すものですよ。何らかの事情があって置かれる子には、時折あるんです。そういう場合、大抵はこの教会の傍に置かれることが多いのですが、貴方は八番街の裏といってましたね?」
「え、はい。仕事の帰りだったから間違いないと思います」
赤ちゃんの居た場所を思い出しながらそういった私に、彼はもう一度頷いてくれた。何か不思議な雰囲気の人だ。
「先生の恋人?」
話が一段楽したと判断したのか、傍で待っていた一人が私たちを交互に見てにこにこと問い掛けてくる。子どもって……。
「違いますよ」
「えー、じゃあ、先生が攫ってきちゃったのーっ?」
子どもって……。
「……違いますよ」
あ、ちょっと笑顔に変化が。傷付いたのかもしれない。
「関係ないなら遊ぼーっ! お姉ちゃん名前なんていうの?」
「マシロだ……よ……っと、ま、って!」
最後まで私の話を聞くこともなく、ぐぃっと手を引かれてよろけると、そのままの勢いで連れ去られる。肩に掛けていた籠がぼすんっと落ちた。ぐいぐい遠慮なく引かれる腕に抵抗しつつ、後ろを振り返ると落とした籠を拾い上げつつ
「もし、お時間があれば付き合ってあげてください」
と微笑まれてしまった。
仕方ないので、私は子どもたちの輪に入った。
本当は直ぐに帰るつもりだったのに。
鬼ごっことか、かくれんぼとか……子ども遊びはどの世界も大差ないようだ。
子どもたちの相手をしていると、敷地に一歩踏み入れたときの感覚は薄れていった。畏怖を感じていた気持ちも引いて素直に楽しめた。
でも……子ども元気過ぎ。
空が茜色に染まる頃。私は子どもたちの輪から離れて、周り縁に腰掛けた。まだまだ、きゃーきゃーとはしゃいでいる子どもたちを眺めながら、ぼんやりと一休み。
「相手をさせてすみません」
そっと声を掛けてきてくれたのは彼だ。そういえば名前を聞いていなかったことに気が付いて「大丈夫です」と首を振ったあと訪ねてみた。
「レニです」
「レニ、先生?」
子どもたちは彼をずっと先生と呼んでいる。だからそれに倣ったらくすくすと笑いを零された。
「あの子たちには読み書きから始まって、私の知識の及ぶ限りは教えていますから“先生”かも知れませんが、マシロさんにとって私は唯のレニですよ」
「そ、そうですよね? はは。じゃあ、レニさんで……」
曖昧に笑ってそういった私に、レニさんはにっこり頷いてくれた。
建物の奥に行ったきりだった女の子たちが戻ってきて、夕食だと叫んでいた。
子どもって、どうしてこう何でも声を張るんだろう? 苦笑しつつ私は立ち上がると「長居しちゃってすみません」と口にした。
「大したものはありませんが、食事をされていきませんか?」
「ごめんなさい。寮でみんな心配してると思うから、帰ります」
「寮。寮ということはどこかの学生さんですか?」
その問いに頷いて「図書館です」と答えると、私はわらわらと集まってきた子どもたちに別れを告げた。皆一様に泊まって行けとまでいってくれたけれど、流石にそれは拙い。子どもたちへの対応に困りきっていると、レニさんが上手く交わしてくれ私を解放してくれた。
子どもたちの遠慮のない「また来てね」攻撃に見送られつつ、レニさんが来た道を送ってくれた。先ほどまでの空間をあとにすると、やはりここは肌寒く感じる。非武力団体だとティンはいっていたけれど、その割には少し温かみに欠ける場所だ。
「マシロさんさえご迷惑でなければ、本当にまたお立ち寄りください。表の教会から入ってきていただいても結構ですからね」
あ……こっちは裏だったんだよね。レニさんの笑顔に苦笑しつつ手を振って帰路を急いだ。