先生と僕
※ シゼ視点。未読でも本編に大して影響ありません ※
かなり神経をすり減らす調剤――普通では有り得ない組み合わせで、なんの垣根も持たない種屋らしさを痛感した――を任され、それを終えてほっと一息吐く間もなく、僕は王宮へと戻った。
もちろん、陽だまりの園の子どもたちも気になっていたし、叶うことならばレニ司祭への面会も許して欲しかった。
同じ王宮内とはいえ、宮殿と牢を有した棟はかなり離れていたから、僕の顔を知るようなものも居ない。
まあ、僕がここに立ち寄ったのはもう十年以上前の話だ。
明確に記憶しているものなどいないだろうから、気にすることでもなかったのだけれど……。
ロスタや、子どもたちにもレニ司祭への面会は迫られてた。けれど、それを許すことが出来ないことくらいは僕でも分かる。
もちろん、ロスタにも。
だから、それを子どもたちに分かるようにするのにかなり骨を折った。気丈に振舞っている子どもも、夜になれば、親代わりのレニ司祭を恋しがる。
エミル様はお忙しく、お伺いを立てることが出来なかった。
勝手な行動であることは百も承知ではあるものの、やはり、会っておきたい衝動は抑えきれず、監獄棟と揶揄される場所を目指した。
正直そんな名前が相応しいほど、混沌とした場所ではない。迎賓棟などとは全く造りが違うものの、外見的には然程違いはない。
王宮の人たちは見た目にも拘るから、それこそ、そんなおどろおどろしいもの敷地内に建てさせはしないだろう。
そんな、名ばかりの場所で、ここに収監されている人数は殆ど居ないだろうことは想像に難くない。
まあ、それは店主殿の領分になるから、僕には関係のないことだ。
***
―― ……カツンカツン
木戸に打ち付けられるノッカーは鈍い音がする。中から返事はない。けれど、僕を案内してくれた使用人だろう女性は、所持していた鍵で扉を開いた。
「あの、二人で構いませんか?」
「……えぇ、わたくし、席を外しておりますね。ですが、時間はあまり……十五分ほどですが」
「十分ですよ」
にこりと微笑めば、僕が取って食うとでも思ったのか、真っ赤になって慌ててその場を去ってしまった。
その後姿が見えなくなってから、僕は彼女の変わりに運ぶことになったレニ司祭の食事が載せられたワゴンを押して部屋に入る。
「こんばんは、食事、されたほうが良いですよ?」
レニ司祭の収監されていた部屋は、閉塞感はないし部屋自体は広く綺麗に整えられていて、小さな町の宿屋よりは余程手入れの行き届いたものだと思った。
しかし、その部屋に窓はなく、レニ司祭はそこに何か見えるようにぼんやりと天上を仰いでいた。
「司祭」
最初の声には気がつかなかったのか、もう一度呼びかければ、ふと、視線を降ろして僕のほうを見た。
そして、僕の姿を認めるとゆるりと笑みを浮かべる。
その笑顔に覇気はなく空々漠々とした感じだ。
「もしかして、シゼ、ですか?」
頷けば、久しぶりですね、と微笑む。
カラカラと可愛らしいタイヤの音を立てて、ワゴンをテーブルに寄せると、一応給仕を整える。
「ずっと召し上がって居ないと聞きました。食事、されたほうが良いです」
僕が重ねると、レニ司祭は、曖昧な笑みを溢して、そうですね。と頷いただけで、手をつけるつもりはないらしい。
「皆、待っていますよ?」
「新しいものがくればそれに慣れます。子どもは順応力が高いですし、よく
あることですから」
どこか投げやりな様子に苦い思いが込み上げてくる。
王宮審判の判決は特に手厳しい。
普通に考えて、レニ司祭が元の場所に戻れる可能性はゼロだ。
僕にだって分かる。ということはレニ司祭はもっとよく分かっている。
「レニ司祭……」
特に何を話して良いか分からなくて、呼びかければ声もなく続きを促すように微笑んで椅子を勧められた。
仲良く腰掛けて話を、という場合ではないのだけれど、と思いつつも僕は素直にそれに従った。
「僕はずっと、誤解していて」
「ん?」
「僕……売られたのだと思っていたんです」
僕の中では凄い告白をしたつもりだったのに、レニ司祭は、くすくすと笑って、なるほどと頷いた。
「否定しないんですか? 驚かないんですか?」
「ん? いいえ、驚きませんよ。否定はしますけど……ですが、貴方がそう思うように仕向けられていたのでしょうね。本当に嫌な方だ」
「え……」
「王宮から、多額の寄付が寄せられることは、稀にあることだったんですよ? こちらで世話になっているものが、寄せてくれるのです。いつもよりあの時は額が多く、そして、貴方が陽だまりの園を出るときと重なっていた。そうですね。今、思えば、貴方にそう思わせて教会と決別させるため、だったのかもしれない……実に上手いやり方です。ええ、貴方のように理知に富んだ子どもなら、まず間違いなくそう思うでしょう。そして、そのことに私たち大人は気がつけない。私たちにとってはいつものこと、に、変わりはないのですから」
実に巧みだ……。心底感心したという風に重ねるレニ司祭に、複雑な気持ちになる。
僕は何年もそのことに苛まれた。
自分にそれだけの価値を見出されたのなら、それで良いと思い込もうとした。
この世界では当然。
居場所なんて素養に準じた場所にしかないと、割り切っていたつもりでもあった。
でも、素直に告白するならば、寂しかった。
父には否定され、母には捨てられて、なんとか身を寄せた場所にも居られなくなった。
もう、僕はどこにもいらない子なのだと思うと、苦しかった……。
「貴方には辛い枷をつけてしまいましたね?」
「―― ……いえ、それがあったので、今の僕が居ます」
それは事実だ。
結果的に僕はこれで良かったと思っている。何一つ後悔していない。
しているとすれば、もっと早く僕が蟠りを解いて、教会と接触していれば良かったと、単純に、そう思うことだ。
僕は、カタンっと席を立ち、もう一度レニ司祭に食事を勧めた。
「王宮審判に耐えなくてはいけないのですから」
そういっても、諦めてしまっているのか、レニ司祭は「ええ」と頷くだけだ。僕はその様子に大仰に長嘆息し続ける。
「貴方が今回見誤っていたことを教えてあげましょうか?」
「―― ……種屋を甘く見たことですか?」
ぽつりと返ってきた当然とも取れる台詞を僕は毅然と否定する。
「違いますよ」
「王子たちを侮っていたこと、白銀狼を理解しきっていなかったこと……ですか?」
「違います」
「―― ……?」
不思議そうに首を傾げたレニ司祭が、まるでなぞなぞをかけられた子どものようで可笑しかった。
「彼女を甘く見ていたことです」
「―― ……」
「貴方は、マシロさんを聖女としたいと思ったのに、正面から頼みはしなかったでしょう? 僕も、一応はやめるように忠告して置きましたけどね」
一応は。と苦々しく念を押した僕にレニ司祭はきょとんとする。
「彼女は誰のいうことも聞きはしない。頼まれれば、全面的に嫌だとはいわなかったと、そう、僕は思いますよ」
「ですが、普通」
食いついた司祭が楽しかった。僕は笑いを堪えきれずに、くつくつと漏らして
「マシロさんは、普通じゃないんですよ」
きっぱりといいきった。
僕の様子に何事か悟ったのか「ああ」と溢して、片手で顔を覆うと、膝へ落とした。
それが彼をどちらに転ばせたのか、僕には分からなかったけれど、どうやら時間切れのようだ。
コンコンっとドアが鳴り、僕は先ほどの使用人と入れ替わりに部屋を出た。
監獄棟を背にし、今度はのんびりと子どもたちの下へと向う。
もう、眠っていれば良いけれど……困りきったロスタの顔が思い出されて苦笑する。
今、エミル様のお考えは僕には分からない。
エミル様は何を重要視してくださるだろう。
僕には願うことしか出来ないけれど、叶うことならば司祭にはその生を全うして欲しい。
彼が求められる場所で……。
ぴしゃりと地面に残った雪が靴先に弾かれるのを見つめる。
頬に当たる風は冷たくて、目深に外套を羽織ってしまえば自然と足先を見る形になる。
―― ……ぽさっ
頭の被り物を落とし、はあ、と白い息を吐く。
―― ……普通でない貴方なら、
きっと同じことを願ってくれますよね……――
もう、いつ以来だろう。
柄にもなく、白い月に祈りを捧げていた。