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白銀狼

※ ハクア視点。未読でも本編に大して影響ありません ※

 二つ月がなりを潜めると、建物の空気が変わった。


 こんな匣の中にいたのでは外の様子が分からない。だが、動くときがきたのだろうなと理解は出来る。


 忌々しい結界が施された格子を睨みつけ、呪われた輪を睨む。


 ―― ……仕方あるまい。


 小さな身体を気だるげに持ち上げた。

 ぶるりとその身を振るい、四本の足でしゃんと立つ。


 多少不便は出るだろうが、ここで手をこまねいているわけにはいかない。主も気に掛かる、同胞の気配も動いた。


 あれはワザと気がつかせようとしているようだ。

 気付いてやらねばならないだろう。


「……ぐるぅ」


 唸り牙を剥き、その牙を突き立てるために頭を振る。


「待てっ!!」


 ―― ……どっ!!


 ごっと自らの勢いと何かの勢いがほぼ同時にぶつかって、小さな身体は簡単に弾けとんだ。


 白壁に背を打ちつけ、短い音と共に床にずるりと伏す。


「早まるな。本当、限度考えろよ……」


 貴様もな。といいたい。

 衝撃によろりと立ち上がり頭を振る。


 顔を上げれば主に付き従っていた魔術師だ。


 がちゃりとこともなく格子を外し中へと入ってきた。その開いた扉から外へ飛び出そうとしたら確保された。

 噛み付こうとした口を押さえつけられ、苦々しく口にされる。


「解放してやるから、少し大人しくしていろ」

「―― ……」

「ったく……環が取れたところで、腕を失くしたら問題だろうが……そういうところが獣思考なんだよ」


 ぶつぶつと溢しつつ、脇に抱えたままどっかりとその場に腰をすえる。当然、それに押し潰される形で、床に近づくことを余儀なくされた。


「動くなよ。大人しくしてろ」


 分かったなと、念を押され頷いたところで解放される。

 大人しく座れば膝を叩くからその上に腕を置いた。忌々しい赤い環が、陽光を受けてきらりと煌く。


「さて……始めますか……」


 魔術師はその手を取ると、赤い輪をくるりと回し、こつんっと弾いた。


 ふわりと、不可視な文字が環の周りに浮かび上がる。それを苦い表情で睨みつけて、魔術師は嘆息した。


「これを、一晩で……あいつ、本当に人間じゃねぇよ……」


 ぼそりと溢したあと、魔術師は何かしらの細い針のような道具を取り出して、細工を始めた。



 ***



『―― ……まだか?』

「五月蝿い。黙ってろ……」


 人化しているわけではないから、言葉は通じないだろう。

 それなのに意図は伝わった。


 ぶつぶつと口内で呟きながら、文字を弾いていく。


「ったく……あと、何箇所組み替えるんだよ……」


 ぴんぴんっと文字が弾かれると赤い光の粒子が散り、徐々に環の厚みが減り幅も狭くなってきている。

 じわじわと身体に流れている魔力の流れが変わってくる。


 もう直ぐ……もう直ぐ解除されるはずだ。

 早く……早く……。


 急く気持ちを抑えるように、ちらりと魔術師を見れば、額にじわりと汗が浮かんでいる。この時期だ。余程、集中しているのだろう。


 ―― ……誰の、ためだ?


 浮かんだ疑問に頭を振る。


「じっとしてろ。あと少しだ」

『―― ……』


 大人しく頭を垂れた……。



 ***



 どんっ! と建物全体が揺れた。


「っち、始まったか」


 苦々しい魔術師の台詞に腰を上げると、待てと引かれて「最後だ」と、ぴんっと弾かれた。

 それと同時に、ぱりんっと軽い音がして、赤い粒子は全て消え去った。


 そのまま、ぐっと前足を踏みこみ地面を蹴り、牢を飛び出す。


 主の気配は辿れない。

 しかし、同胞の気配は完全に捉えた。その場所に主も必ず在る。


「待てっ!」


 背後から怒鳴られたが、知らん。


 一歩、また、一歩と足を踏み出すごとに、鋭気と魔力が身体に満ちるのが分かる。


 問題はない。

 負けるはずはない。


 久しぶりの陽光は目に痛い。


 とっと壁を蹴り、屋根に上がる。

 騒動の中心には白煙が上がっており直ぐに分かった。がりっと屋根で踏み込み跳躍する。頬を撫でる風が冷たく心地良い。


 ひときわ高い建物には、あとにしてきたはずの魔術師が先に到着していて、にやりと口角を引き上げ「おせぇよ」と口にして、かつんっと踵を鳴らす。

 既に人間が使う特有の法陣が描かれていて、それに応じて爆風と衝撃が走った。


 がらがらがらっと天井が崩れ落ちるに乗じて真っ直ぐに突っ込む。


 ヤツの姿を捉えるのは一瞬。

 迷いはない。


 私の姿に僅かに怯んだヤツの負けだ。

 それでも、やられるだけに留まらない相手に応戦している合間、ちらと主を確認する。


 種屋が傍にいた。

 アレがいれば一応、主は安全だろう。


 戦闘の中にありながらもふと安堵し、血を得て奮起する同胞へと牙を立て、組み伏せる。

 一度立ち上がれぬまで、折る必要がどうしてもあった。



 ***



 山の上は万年雪だ。

 地上が雪に覆われる頃、少しばかり平原に出て過ごす時期もある。

 幼子が多い時期は特にそうだ。近年子どもが多く、出来る限り過ごしやすい地を選んでいる。


 群れで生活する我々の元を訪れる人間は殆どいない。大抵は迷い子だ。しかし、男は間違いなく私の元を目指してやってきた。


「長殿はいらっしゃいませんか?」


 恐れなど?(おくび)にも出さない男はそういって優雅に微笑む。

 外套の隙間から覗いた胸元で、きらりと十字を象った宝飾品が煌いた。


 ここには人間に敵意を持つものも少なくない。本当ならば直ぐにでも、帰れと促すところだがそういって頷くような雰囲気ではなかった。


 やんやと騒ぎ立てる連中から外れて、洞穴まで案内した。人が使うような家財道具の一切は当然ない。

 しかし、男は勧めに応じて地面にすとんっと腰を降ろした。


「私は貴方と対話がしたいのです。生憎、貴方がたの言葉を解することが出来ない。人の形を借りては貰えませんか?」


 一方的な話をしにきたのではないという素振りを強調する男に、私は仕方なく人の形を取る。そして男の正面にどっかりと座ると、私の傍にいた数匹も人型を得る。


 現在、人型を得るだけの魔力を有するものが少なくなっている。


 私と共に群れを治めてくれているものは、大抵可能では在るが、以前なら皆、可能であった。

 あの忌まわしき事件から我々の持つ力は少しずつ衰退している。


 男はにこりと微笑んで、ご理解ありがとうございます、と頭を垂れた。


「私は、マリル教会の司祭を勤めております。レニです。本来なら司教が、という場ですが……」

「用はなんだ? 私は人間の世界に明るくはないが、マリル教会ぐらいならば知っている。それがなんだ」


 人間は信用ならない。

 きっぱりと告げた私にレニと名乗った男は表情を崩すことなく、話を続けた。


「我々の力になってもらえませんか?」

「……力?」

「ええ、長殿は星を詠みますか? 以前、白月から星が流れたのを見ましたか?」


 あの日は特別に星がざわついていた。

 気がつかないわけがない。


「それにより多くのものが希望を持った。聖女が降臨されたのだと」

「ほぉ、それで、少女でも降ってきたのか?」

「それは私の口からはどうとも……」


 言葉を濁す男だ。

 可も不可もなし。


 相手にするほどではないと直ぐに腰を上げようとすれば、レニは話を続ける。


「悪い話ではないです。聖女がどいうというのは保留としておいたとしても、貴方方一族もそれ相応に思うところがお有りでしょう?」

「何がいいたい?」

「種屋との因縁……まだ廃れるには早いでしょう」


 そんなことかと、鼻を鳴らした私とは別に背後に控えていた一人が、気色を変えた。


「王都に伝を持つこと、根を張ることも……」

「マリル教会の人間が我々に種屋と一戦を交えよというのか?」


 顎を挙げ瞳を眇めてもレニは怯まない。


「それは私の知るところではありませんが……貴方方は誇り高き白銀狼。煮え湯を飲んだまま、細々と隠れ過ごすのですか? それではあまりにも」

「レニ……――」

「はい」

「我々に何をしろというのだ」



 ***



 ―― ……人々の希望を、美しいときへの願いを支えて欲しい……


 それと引き換えに、争いの火種を身のうちに抱えようとしたレニの想いは私には理解出来ない。

 ただ、それに同調するものが出てきた。


 そう、それだけだ。


 暴れた同胞を追い詰めたときには、既に先ほどの建物からは離れていた。身体重く前足を折った同胞を一息に押しつぶす。

 互いに赤に染まってしまった毛艶はとても誇り高き白銀狼の姿とは思えない。


『……長、直々に、出てくる、とは……』

『私以外に、お前を止められるものがどこにいる。なぜ馬鹿な甘言に踊らされる』

『ともに天を戴くわけにはいかぬと、思っていた、私は、種屋を、許せ、な、い。ハク、アの、ようには、いられない』


 口の端から漏れる吐息は白い筋となって浮かび消えていく。踏みつけている足をどけても、直ぐに立ち上がることは出来ない。

 もちろん、この場から去ることも間々ならないだろう。


 ふっと空を仰いでも、もう雪は降ってはこない。


 常に雪が降り、白い台地しか知ることのない、我々にはこの地は縁遠いもので良かったはずだ。


『ハク、アの父君、は気高く、美しい方であったのに……』

『ふ……お前も、幼子であっただろう?』

『そう、ずっと、聞かされてきたのだ……私は、爺様、に……な』


 我々は、長い年月狭い世界でしか生きない。

 だから、見えないものも多く伝え聞くものばかりだ。もう、それではならぬのかもしれない。


『知っているか?』

『なんだ?』


 よろよろと前足に力を込めて、何とか立ち上がろうとはしたが、まだ無理らしい。

 どさりとその場に身を落とせば、融けかけた雪が泥を含み飛沫を上げる。


『種屋は代替わりをした』

『―― ……ああ』


 さっき知ったさ……それだけいうと、重たそうに双眸を閉じた。

 はあ、と吐く息が白い。だが、まだまだ切るような冷たさが恋しくも思う。


『―― ……私たちの一生は長いな……』

『ああ。長い……まるで昨日の、ことのよ、ぅだ』



 ***



 二つ月が地上の騒動など微塵も気にかけることがないというように、いつもと変わらず真上に登るころ、いつもの場所へ戻った。


 主の元にあるのが、我々の生き方だ。

 住まいの屋上で静かにそこにある壮美をたたえる月を仰いだ。


「去る気は、ないのですね」

『ああ』

「せめてマシロからは離れて貰いたいものですが」


 ゆっくりと首を振れば、種屋は心底呆れたという風に嘆息し、肩を竦めると「マシロに任せます」と諦めたように口角を引き上げた。


「貴方は、何を見届けるのですか? 国? 世界? それとも……――」

『どうだろうな、主に種屋。双方に興味がある』


「人を珍獣のようにいわないでください。珍獣は貴方方でしょう」


『人は皆、珍獣のようなものだ。これまで、関わることをしなかったゆえ、たまにはそういう時期があっても良いだろう。人間は面白い生き物だと分かった。なにより……主は私の身を案じ、手を伸ばした。私はその手を取ることが叶わなかったからな……』


 自らの赤に沈みながらもなお、私の身を案じていた。

 幼子を案じていた。


 非力な主だ。


 冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んでゆっくりと吐く。種屋は暫らく物珍しそうに見ていたが、私の言葉がとても酔狂だというように嘆息して


「貴方方がそれで話を纏めたというのなら、それで構いません」


 ご勝手に。と纏めると、たんっと足元を蹴り、落ちた。

 ひゅうっと闇に吸い込まれてしまう。


 本当の猫のように身軽に。音もなく地面に足を揃え立ち去る姿を見送って、一度だけ朗々と咆哮する。


 遠くで、それに応えるように響く声は今はまだ動けぬ同胞だ。


 久方ぶりに雲が晴れ、その身に浴びた月光は、


                 とても心地良いものだった……――


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