第二十五話:どうせやるなら景気良く
私は何をすれば良いのかと訪ねると白銀狼を連れ立っていてくれれば良いと言われた。私は居るだけでその価値があるのだと、そう添えられて……。
真っ白な服に袖を通し準備を整える。
手の傷は揃いで付いていたアームカバーで隠れたし、肩口に残ってしまった傷は立て襟だったから人目に晒されることはない。最後に首からロザリオを掛け支度を整えた私は、揃いの真っ白な布に光沢のある白い糸で丁寧な刺繍の施されたストールを羽織廊下へと出る。
今日は珍しく、雪が止んでいた。
お日様が真上に来る頃、同じく正装したレニさんが大きな犬を連れて迎えに来てくれた。
「大きな犬……」
「犬ではない」
「ああ、そうだ……そう、だった」
私はこんな会話を以前もしたことがあるような気がする。
「マシロさんは白銀狼の言葉を解するのですか?」
嬉しそうにそう聞いてきたレニさんに頷くと、やはり貴方は間違いないと笑みを深めたあと「参りましょう」と私の背に手を添えて先導してくれた。
いつも居住区にしか居なかったから、礼拝堂に入ったのは実質初めてだ。
円形の天井には白い月に天使、シル・メシアの木だろうと思われるものが描かれている。美しい宗教画といえるだろう。両側の壁には惜しみなく美しいステンドグラスが埋め込まれ、柔らかな日の光に彩を添えていた。
「綺麗」
「気に入っていただけましたか? 今日からここが貴方の居場所です」
祭壇の中央へと促され私はそこへ立つ。
ゆっくりと歩みを進めてきた白銀狼は、静かに私のその隣に立ち付き従うように寄り添った。
顔を上げると、集まった人々が神々しいものでも見詰めるように祈りを捧げている。
その祈りが自分ひとりに注がれているのではないかと思うと、私は自然と萎縮した。しかしそんな私にレニさんはそっと私に唇を寄せ耳元で囁く。
「怖がらないで、心配しなくて良いのです。皆、貴方を待ち望んでいました。恐れるものはありません」
レニさんの言葉に私は頷く。
頭の靄は晴れないけれど、きっと、これからまた新しい出来事で埋め尽くされれば、ゆっくりと晴れてくれるはずだ。だから、私と不安を共有し慰めてくれたレニさんの為にも頑張らなければ――。
そう思って顔を上げると同時に、玲瓏と鐘が鳴り響き時を知らせる。
レニさんが説教台に立ち瞑目。一つ呼吸を置くと、集まった人たちの視線が彼へと集中した。
ミサの開始を宣言す――
「―― ……え」
爆風が頬を撫でた。
レニさんの声は、大地を揺るがすような爆音に遮られ視界は舞い上がる煙に遮られる。
反射的に白銀狼は私の前に立ち、その前にレニさんが私たちを庇うように立った。片手で煙を遮るように目を眇め何とか確保した視界には、確かに締め切られたいたハズの扉がない。轟音と煙を上げて開いた……というか破壊された。
その奥に人影がゆらりと……ざわつく室内を完全に無視して、乱入してきたのは二人……。
「ドアくらい普通に開けなよっ!」
「別に良いじゃないですか、建物ごと破壊しなかっただけ落ち着いていると思ってください」
「あーあーあー!! これ、絶対僕が一番損な役回りですよ。こんな暴走特急止められないし、うわぁ、結構人はいってるし怪我人ゼロは絶対無理」
「死者ゼロも無理ですからね」
何事か楽しげに会話している。
一人が真っ直ぐに祭壇上を見詰めた。目が合った。そう思った瞬間ちりちりと頭が痛み、立ちくらみを起こす。唇が渇き無為に開閉する。
「だ、れ?」
アレは誰?
掠れた声は音として発せられたか分からない。分からないのに、彼、は……
とんっと軽い身のこなしで邪魔をする人波を飛び越えて、障害物も喧噪も何一つ目に入っていないように真っすぐこちらへ……
「―― ……」
靴音が一つだけ響いた時にはもう祭壇の上だった。ただ静かに私を見据えた瞳は悲し気に細められ、口元は細い月を象る。
その視線を遮るように、左右から集まってきた信者の人たちの背に彼の姿が再び遠くなった。
「大体、三つ数えます。死にたくない者は引きなさい」
……大体ってなんだ。
皆の頭に浮かんだだろう疑問に答えることなく、良く通る声が数を数え……手に握っていた杖の柄を軽く捻る。僅かにスライドしその奥がきらりと光った。刀身が姿を現す。仕込み杖だ。
「……にぃ……さ、」
「司祭様と聖女を守れっ!」
それを待たず、勇敢にも立ちはだかった人たちは踏み込んだ。
鋭い風圧が中空を斬る。彼は容赦なく切り捨てた。しかもたった一振り。一瞬にして勝負が付く。
「数えなかったと言わないでくださいよ。私は、数えるつもりでした。ええ、約束は守ります。大抵は、」
この人、強い……怖いっ。身体の底から湧き上がる恐怖に手を握り締め、ふらりと一歩下がる。まるでそれを見計らったように、今度は天井が崩れ頭上から大きな白い塊が降って来た。
「……ひっ!」
息を呑むと、白い塊は床に足が付くと同時に跳躍し真っ直ぐ白銀狼へと突っ込む。剥きだしになった鋭い牙は私の前にいた白銀狼の首筋へ。ガシュッと鈍い音、走ったであろう痛烈な痛みに白銀狼が頭を振るとそれに合わせて血の飛沫が上がり真っ白な室内を赤く染める。
「ハクアっ!」
弾かれたように叫ぶ。自分から発せられた名に、疑問を持つとまた目の前が明滅する。頭の中が真白に染まる。何も考えられなくなる。二匹の白銀狼は絡まりあうように祭壇から転げ落ち、地響きのような唸り声を上げて互いを傷つけあう。
「もうちょっと温厚にいかないもんか?」
頭上から声が降って来て見上げると、こちらを見下ろしていた人影は、ひょいと崩れた天井の隙間から降りてきた。かなりの高さがあったにもかかわらず、と……っと簡単に舞い降りて「次はこっちか」と混乱している人々へと向き合う。
「私はね、貴方は消えれば良いと思ったんです。今もそう思ってます」
遮るものがなくなった。
レニさんと対峙した彼は、すっと剣先をレニさんの喉下に突きつけ冷え切った瞳で見据えとつとつと語る。
「ですが、貴方だけは消さない方向で、生きていることを後悔したくなるような時間。長い苦痛をじわじわと与え続けるべ、き」
―― ……バキっ!
「痛っ!」
「そんな気持ち悪いこと考えちゃ駄目! 人を簡単に殺しちゃ駄目だって! いつもいってるでしょ!」
はっ! 私は気がついたら反射的に殴っていた。何人もの人を切り殺し今も尚レニさんに剣先を向けていた男を容赦なく、ぐうで。わざとらしく頭を抱えてしゃがみ込んだ男は床を尻尾で掃除していたが、ややしてそれに飽いたのか、立ち上がり私を見て凄く哀しげに微笑んだ。
頭に掛かった靄が一層濃くなって思考を邪魔する。反動のように頭は痛み、それ以上にずきりと心の奥が痛む。
「あ、一つだけ弁明しますけど、そうしろといったのはエミルですよ。」
あー。エミルならいいそう。……って、エミル? 頭の中で何かがフラッシュバックするように明滅を繰り返す。頭が痛い。割れそうだ。頭を抱えてぐらりと揺れた私を支えてくれたのは殴ってしまった男だ。彼は酷く傷付いたような顔をして私を抱きとめてくれる。
どうして、そんな顔をするの?
「酷いな、僕はそこまで酷いことはいってないよ?」
現状ではあまり意味を成していない祭壇の奥にあった扉を開けて出てきた人は「あー、良い天気だね」と崩壊し青空を覗かせる天井を仰いで場違いな感想を述べてから続ける。
「予想通り、司教様はお亡くなりになっていた。司祭、これはどういうことです? 司教様の死を隠し、図書館の生徒をかどわかし本来野生でしか生活していない白銀狼を引き入れ……貴方の罪状は数知れぬものになっていますね?」
こつ、こつと歩み寄ってくる青年の言葉に私は眼が回る。
レニさんが私をかどわかしていた、私を唯一必要としてくれていて、私を助けてくれていて、私は信じていた……。
何を? 誰を……?
うつろな瞳を彷徨わせた私を抱き止めていた腕に力が篭る。そのまま、ぎゅっと抱き締められる。
「今は何も考えないで下さい。急に思い出そうとしないで、苦しいだけです。安心してください……迎えに来ましたから」
遅くなってすみません。と続けられ、私の心は何かでいっぱいになり頭の中は激しい痛みを訴える。
「っ、……は、はぁ……っ」
痛い、痛い、痛い。
……息が出来ないくらい苦しい。私は、何を忘れているの? 私は、何を思って、そして、信じていたの……。彼らは、何者、なの……。
教えて……助けて……空っぽの私を満たしていたものは、何――
「マシロ……マシロ。泣かないでください……」
寄せられる頬が暖かい。
「今連れて帰りますからね」
「……うん」
―― ……靄が、ようやく晴れる……。
「ブラ、ック……」
そうだ、私は――
薄靄の奥にあったのは、彼を傷つけてしまった後悔。私は、それを謝らなくちゃ……そう思って、伝えたいのに、おどおどと伸ばした手は彼を掴む前に下へ落ちた。視界が揺らいで、焦点が何処にも合わなくなった。意識が、保、て、な、い――。
ん……声が聞こえる。
「ほら、郁斗。そんなに拗ねない。真白だってお年頃なんだから好きな子くらい出来るよ」
「拗ねてねぇよっ! それよか、なんであいつなんだよ」
「えぇ? 僕はあまり知らないけど、女の子の間では人気が高いって真白がおろおろになっていってたよ」
「……真白。絶対面食いだと思う」
「あーうん。そうかも。でも母さん曰く僕らの所為らしいよ? 男を見る目がないってさ。皆紳士だと思ってる」
二人の声が聞こえるってことは夢だな。懐かしいな。郁斗っていっつも愚痴っぽいんだよね。愚痴っぽくて年より臭くて、私より年下なのが不思議なくらいしっかりしてて……お兄ちゃんはとっても優しくて、私や弟、兎に角家族に甘かった。
「気にすることないよ、真白には僕が居るよ。信じられなくなったらいつでも戻っておいで、いつだって真白の味方だからね。護ってあげる、いつでも、いつまでも……」
私が傷付いて泣いているといつもそういって慰めてくれて、いつでもどこにでも駆けつけてくれた臣兄。
「真白は大体馬鹿なんだよ。本当、馬鹿。馬鹿で馬鹿で大馬鹿なんだよ」
何か失敗すればいつもそればっかりいうクセにいつも手を貸してくれた郁斗。
お父さんもお母さんも殆ど家には居なかったけど私は寂しいとは思わなくて、とても恵まれていて……そんな私が選んだのは……