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第二十一話:初雪

 平和ボケって本当だと思う。


 この世界に居ると大抵毎日が慌しくて忙しく過ぎていくのに、それすらなくのんびりとした時間がゆっくり穏やかに流れているとそちらに適応してしまい、ちょっとの変化が凄いことのように感じてしまう。


「今日は冷えるね。ハクアは寒くない?」

「私の住んでいるところはもっと雪深いところだ。この程度では寒いとはいえない」


 ベッドの上で毛布を手繰り寄せて、ううっ寒いっと丸くなった私にハクアが呆れたように口にした。隣で眠っていたはずのブラックは、もう随分前に起き出したのかベッドは冷たくなっていた。

 私はもぞもぞと起き出して出てきた欠伸を噛み殺すと、自室に戻り身支度を整えてからハクアと朝食を取った。

 ここまではここ最近の家、というか種屋での過ごし方だ。

 予定では夕方までのんびり過ごして夕食時には寮に戻るつもり。明日からまた授業もあるし、ハクアの探し人というか狼だって王都から外れたこんな場所には居ないことが確実だからいつもより帰宅の予定も早い。お昼ご飯くらい用意してあげようと思ってリクエストを聞くために書斎へ向かう。


 大抵、姿が見えないときは書斎だ。人が亡くならない日はなくて、外出までは控えるもののなかなか訪問者ゼロの日はない。


「マシロは滞在中です。そういう趣味の悪いことはやめてください」


 考え事をしながら辿り着いたものだからついノックを忘れて扉を開いた。開くと洩れてきた声に「私がどうしたの?」と顔を上げると見慣れない光景が飛び込んできた。


「ああ、マシロ。おはようございます」


 ブラックは至って普通だ。でも私の頭の中は突然真っ白になって全く思考が回らなかった。

 そのまま扉を閉めて、廊下を戻る。歩いていたのが早足になり最後は走って部屋まで戻った。ばたんっ! と乱暴に扉を閉めた。閉めた扉を背にしてずるずると座り込む。心臓がバクバクいって五月蝿い。


「な、んで、逃げちゃったんだろ?」


 自分でも良く分からない。唯、いつも通り来客があって、ブラックが対応していて……その女性がしなだれかかっていただけだ。

 もしかしたらとても大切な人を亡くして立っていることも間々ならなかったのかもしれない。別にそれ以上もそれ以下も、ない。そのはずなのに、どうして? どうして私はこんなにドキドキして胸が苦しいんだろう。ぎゅううっと胸元を掴んで膝に顔を埋める。痛い。どうして、泣きそうなんだろう。


「マシロ、マシロ?」


 コンコンと背後でノックの音がしてブラックの声が聞こえる。もう少し低い位置でもコンコンと鳴るのが聞こえる。嗚呼、私ハクアまで置いてきちゃった。どうかしましたか? と掛かる声がとても心配そうだ。

 扉なんて開けなくてもブラックなら入ってきそうなものだけど、ブラックは私にそんな無粋は働かない。どうしよう、私凄く嫌な子だ。あ、開けなくちゃ……。


「良かった、大丈夫ですか?」


 よろりと立ち上がってのろのろと扉を開くとブラックは開くまで待っていてくれた。そして、開ききったところでゆっくりと声を掛けてくれる。顔を上げると凄く困った顔している。当たり前だ。


「平気。ごめん、なんでもない……」

「マシロ? あの、えー…っと、その、泣きそうな顔、してますよ?」


 戸惑いながらそういって手を伸ばす。


「―― ……っ」


 思わず、身を引いてしまった。何にも触れなかった指先が虚空を掴んで所在無いまま降りていくのを眺めていた。どうしよう、どうしよう……傷つけたかも。傷付くよね、私、ブラックを無意識に避けちゃった。

 ドクドクドクドクと心臓の音が変わらず五月蝿い。


「わ、私っ! 帰る」

「え? あ、それなら送ります」

「良い! まだ昼前の辻馬車があると思うし、平気。一人で戻れる」


 駄目、ちゃんと話をしないと。謝らないと。分かってる、分かってるのに、私はそれが出来ずに「行こう、ハクア」とブラックの横を通り過ぎた。

 お願い今だけは引き止めないで……私の声が聞こえたのかどうかは分からないけれど、ブラックは私を引き止めなかった。

 ややして、ハクアは私の隣に静かに並んだ。運良く辻馬車は空いていて私の他に、年老いた女性だけだ。私は馬車の隅っこに乗って膝を抱えた。


「主……?」

「今は黙ってて」


 私最低。ハクアにまで八つ当たりだ。

 片道四時間近くあるというのに、そのあと私は一言も口を開かなかった。ハクアも黙って隣で馬車に揺られていてくれた。一人で居たかったけど一人じゃなくて良かったとも思う。凄い矛盾だ。


「図書館は道が違う」

「うん、少し、散歩」


 いつもの停留場所に到着して降りたのに、私が足を向けた先が図書館でないことを指摘してくれたハクアに私は短く告げる。先に帰っていても良いといっても付いてきてくれるだろうから私はそれ以上は何もいわなかった。ハクアはとぼとぼと歩みを進める私に静かに並んでくれた。


「今日は、やけに冷えるね。雪降りそう……ハクアの居たところは雪山なんだよね?」

「ああ、雪深くなる。夏のひと時だけ草原が広がる美しいところだ。人が重宝するようなものは何もないがな」


 そんな他愛もない話をぽつぽつと繋いで私は当てもなく歩いた。

 どのくらいぶらぶらしていたか定かではないけれど、道行く人影も疎らになってきていた。もう、皆帰路につく頃合いなんだろう。肉体の疲労を感じてきたら、なんだかちょっとだけ落ち着いてきた。


「ごめんね、なんだか私自分勝手に動いちゃって」


 落ち着いてきたら自分の取った行動が物凄く恥ずかしくなってきた。ブラックにも謝らないといけない。私、話も聞かずに何をやってるんだろう。トラウマが先行してしまった。あの日のことが未だにフラッシュバックするなんて、メンタル弱すぎにも程がある。

 彼と、ブラックは違う。

 私は大きく深呼吸。刹那瞑目。浮かんできた過去の映像を振り払うように頭を振った。


「変だよね。うん。変だよ。私ね、勝手に……ブラックは私以外の人は傍にも寄せないと思ってて。だから他の女の人が寄りかかってるの見て、凄く動揺しちゃって。あんなの、全然大したことじゃないのに、躓いたところをえただけかもしれないしさ、悲しみに暮れてたのを慰めてただけかもしれないのに」


 種屋はいつだって悲しみに包まれている。言葉にしてみると本当に馬鹿みたいだ。馬鹿みたいで……なんだか泣けてきた。


「私、本当に何やってるんだろう。きっとブラックを傷付けた。力では護れなくても気持ちだけは護ってあげたいと思ってたのに……私って本当にくだらない」


 ゆっくりでも前に出していた足は終に止まってしまった。とりあえず路肩によって溢れて止まらなくなった涙を必死に手の甲で拭うのに、全然引っ込んでくれなくて情けなくて益々泣けてくる。


「主、泣くのは構わない、だから瞳を傷つけるからあまり擦らないほうが良い」


 私の上着の裾を引いて心配そうに声を掛けてくれるハクアに私は頷くことしか出来ない。


「主」


 尚もごしごしと涙を拭っている私にハクアが声を掛ける。


「主は間違っていない。種屋は主しか寄せ付けない。今日とてあの者が主の姿をしていなければ種屋は触れられる前に遠慮なく消していただろう」

「……え? 私」

「主は直ぐに居なくなったから見ていなくて当然だ。どういう魔術か私には分からないが、女は主と同じ顔をしていた」


 そういえば、ブラックは趣味の悪いことはやめろといってた。

 ブラックが瑣末な理由で人を殺めるのは嫌なのに、私の姿をしていたから躊躇ったと聞いて現金にもほんの少しだけ嬉しくなる。

 最後に流れ出た涙を拭って、私は何とか笑顔を作った。きっとこれまでで一番不細工だと自分でも思う。


「それなら尚のことブラックに謝らないと」

「種屋なら、寮で待つといっていた」

「え? そ、そんなの聞いてないけど」

「落ち着いたら伝えて欲しいといわれた」


 あーうー……穴があったら入りたい。私格好悪いにもほどがあるだろ? 私はがっくりと肩を落とした。日も暮れるし帰ろう。ブラックだけじゃなくて皆も心配しちゃうよ。

 私は改めて自分の居る場所を確認する。結構入り組んだところまで足を伸ばしてしまっていたけど、この裏通りなら知っているところだし迷子にはならない。私はそのままハクアと一緒に図書館に急いだ。

 寒い時期の日が沈むのはとても早い。太陽が残してくれる明かりなんて直ぐになくなってしまう。私は小走りに進んだ。


 ふと、ハクアが足を止めて、すんっと鼻を鳴らす。私も足を止めどうしたの?と訪ねようとする声と悲鳴が重なった。私はびくりっと肩を跳ね上げ、声のしたほうを見る。

 声の感じからして、子どもだ。甲高い声で叫んでいるのに、ここは工業区だから夕時人影はなくなってしまう。現状を確認しないとと慌てて走るとハクアも白銀狼の姿に戻って着いて来る。角を曲がると同時に


「助けてっ!」


 と私に飛びついてきたのは忘れるはずもないユイナちゃんだ。私は反射的にユイナちゃんを後ろへ隠すとユイナちゃんが走ってきたほうへと顔を上げる。


「主っ!」


 ハクアの切羽詰った声が途中で掻き消される。


「白銀狼っ?!」


 腕輪をつける前のハクアと同じくらいの大きな体格の白銀狼が簡単にハクアをレンガ造りの壁へと叩きつける。ひゃんっと短い声を上げたハクアに視線を向けたその瞬間、対峙した白銀狼は私へとその鋭い爪を立てた。


「あ、るじ!」


 倒れていたはずのハクアが、白銀狼の首元に飛びかかり何とか食らい付いたが体格差が歴然だ。敵うはずがない。


 ―― ……ボタボタボタ……


 刹那状況を理解するのに時間が掛かった。洒落にならない量の出血が地面を赤く染め外気に晒された傷口が鋭い痛みを脳に伝える。それに悲鳴を上げたのは私じゃない。付かず離れずの距離でユイナちゃんが、がくがくと震えている。


「お、ねぇちゃ、ん」

「だい、だいじょうぶ。ユイナ、早く逃げて……はやく」


 怯えて足が進まないユイナちゃんの背中をどんっと押すのと、ハクアがもう一度地面に叩きつけられるのが同時だった。

 ユイナちゃんは誰か助けてと叫びながら勢い良く走っていってくれた。もう少し、ここで白銀狼が私に気を取られてくれたら、ユイナちゃんは助かる。ハクアも、助けなくちゃ。

 そんなことを考えるまでもなく白銀狼は私に向かってきた。ちらりと視界の隅に移ったハクアが動かない。


 何とか両腕で身体を庇うように構えたけれどそんなもの何の意味もなく容赦なく私の肩口から喉元に太く鋭い牙が掛かり服ごと皮膚を切り裂いていく。

 ピン……っとか細い音がして地面にばらばらと紅珊瑚の粒が散らばってしまった。ああ。折角エミルにプレゼントしてもらったのに、ごめんね。

 もう、立って居られなくてがくりと地面に膝をつき自らの血の海の中へと身体を横たえた。

 ずくずくと襲ってくる痛みの上に、はらはらと白く冷たい綿が舞い降りてくる。


 映画みたい……こんなときに、初雪なんて……。

 死んじゃうのかな……? 嫌だな、私、まだ、謝ってないのに……。


 白銀狼が唸っている声が酷く遠いところのような気がする。見上げていたはずの真っ暗な空から舞い降りてくる雪まで、黒く赤く深く沈んでいく。




 


「大丈夫だよ、心配しなくても真白ちゃんは僕が見てるから。お母さんはお仕事に行って」


 懐かしい声が聞こえてきて、目を開けると懐かしい姿が飛び込んできた。


「でも、娘が熱を出しているのに出社するわけにも」

「大丈夫だって、郁だって一緒だし。食事も薬もちゃんとしてあげるから」


 ね、真白ちゃんとお兄ちゃんの懐かしい笑顔と郁のほんの少しだけ不満そうな顔とお母さんの心配そうな視線が向けられる。でも、こういうときの臣兄は強引で、お母さんは仕事に行かないといけない雰囲気になる。

 こういう日、決まって臣兄はいつもよりちょっとだけ郁斗より大きなプリンを作ってくれる。だからいつも郁斗はふくれっつらでそれを見ている。なのに、絶対欲しいとはいわないしずるいともいわない。いつもなら私の分まで横取りしてしまうのに、なんだか凄く可愛い気遣いに嬉しくなっていた。お兄ちゃんが片付けの為に席を外すと必ず郁斗が手を握ってくれていた。お兄ちゃんの前では絶対やらないのに、居なくなったとたんきゅっと私よりほんの少しだけまだ小さな手が握ってくる。


「おねーちゃん、死なないで……」


 そうそう、いつも縁起でもないことを口にして……。

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